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飛鳥宮跡で大型建物の跡発見 天皇や近い人物使用か(2025年3月19日)

2025年03月21日 05時10分19秒 | 奈良情報
飛鳥宮跡で大型建物の跡発見 天皇や近い人物使用か(2025年3月19日)

奈良県の橿原考古学研究所は、明日香村にある「飛鳥宮跡」で、7世紀後半ごろに
建てたとみられる大型の建物の柱の跡を新たに発見したと3月17日に発表しました。
大型の建物が3棟並んで計画的に配置されていたことが判明し、天皇や天皇に
近しい人の居住空間だった可能性があるということです。
世界文化遺産の候補地として推薦が決まっている「飛鳥宮跡」は、聖徳太子が
亡くなった後に中大兄皇子らによる「大化の改新」が行われた時代、7世紀前半の
第34代舒明天皇から7世紀後半の第41代持統天皇までの間、天皇の宮が
置かれたことが知られ、1959年に発掘調査が始まり、橿原考古学研究所が主体と
なって調査を進めてきました。
柱の跡は1辺が約1.7mの四角い柱の穴が35基、碁盤の目のように規則正しく並んでいる。
 東西におよそ35m、南北におよそ15mに渡って続いていて、これまで飛鳥宮で見つかった
建物跡の中では最大だということです。

上の写真は宮殿のイメージ図(明日香村発行 飛鳥京絵図より)

7世紀前後の歴史
538年 仏教伝来(一説では552年)
540年 大伴金村、任那問題で失脚
552年 蘇我稲目と物部尾輿が崇仏論争
562年 新羅が任那を滅ぼす
577年 百済より経論、律師、禅師、仏工、寺工渡来
585年 物部守屋等 仏寺、仏像などを焼き捨てる
587年 崇仏派の蘇我馬子が物部氏を滅ぼす
588年 蘇我馬子が飛鳥寺の造営を開始
592年 蘇我馬子が崇峻天皇を謀殺
      推古天皇即位
593年 聖徳太子が摂政となる、四天王寺建立開始
594年 仏教興隆の詔
600年 第1回の遣隋使を派遣
622年 聖徳太子死去
629年 舒明天皇が即位
642年 皇極天皇(のちの斉明天皇)が即位
645年 孝徳天皇が即位
645年 乙巳の変
646年 大化の改新の詔
652年 班田収授の法
653年 中大兄皇子(のちの天智天皇)飛鳥に移る
655年 斉明天皇が即位
658年 有間皇子が死刑にされる
660年 中大兄皇子が漏刻(水時計)をつくる・・・水落遺跡
663年 白村江の戦いで倭の遠征軍大敗
668年 中大兄皇子が即位し天智天皇、大津宮に都を移す
670年 天智天皇が日本で初めての戸籍をつくる
672年 弘文天皇が即位
673年 壬申の乱がおこり、天武天皇(大海人皇子)が即位
684年 天武天皇が「八色の姓」を定める
686年 持統天皇が即位
689年 持統天皇「飛鳥浄御原令」を完成させる
694年 持統天皇、都を藤原京に移す
697年 文武天皇が即位
698年 薬師寺ができる
701年 大宝律令 国名が「日本」となる

上の写真は遺跡発掘地区の周辺の広域地図






上の6枚の写真は3月18日夕方のNHK総合テレビで放送されたもの


上の写真は前園実知雄氏の著書「律令国家前夜」(2022)の表紙で使用された
飛鳥宮の宮殿の周辺イメージ図。
一番下はエビノコ郭の建物のイメージ図。その上が飛鳥宮の宮殿のイメージ図。

斉明天皇期の宮殿は後飛鳥岡本宮
天武天皇及び持統天皇期の宮殿は飛鳥浄御原宮

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