NHKラジオの今日は何の日(11月12日)で、東京裁判の判決が出た日であるとの
放送があった。また神戸新聞小史でも取り上げられていました。
そこで本日は東京裁判を取り上げる。
東京裁判(極東国際軍事裁判)は昭和21年(1946)5月3日に開廷され
昭和23年(1948)11月12日に終了
するまで審尋されている。
米国、英国、ソ連、中国など11か国を代表する裁判長はウェッブ判事。首席検事は
アメリカのキーナンが勤めた。
上の写真は東京裁判(昭和21年(1946)5月3日)の法廷内のA級戦犯に問われた
東条英機ら戦争指導者。
出典:詳説 日本史図録 山川出版社 第2版(2008)Page285
A級戦犯:ナチスドイツ(ニュールンベルグ裁判)、
太平洋戦争の日本(東京裁判)を連合国が裁く
ため国際軍事裁判条例を定めた(昭和20年(1945))
の第6条A項に平和に対する罪と規定された。
英文ではあるが、東京裁判でのA級戦犯者と靖国合祀者(14名)
についての簡単な記事が紹介されていますので下記の
サイトを参照していただきたい。
http://www.china.org.cn/english/features/135371.htm
東京裁判ではA級裁判で起訴されたのは下記の28名である。
荒木貞夫、板垣征四郎、梅津美治郎、大川周明、
大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、
小磯国昭、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、
鈴木貞一、東郷茂徳、東条英機、土肥原賢二、
永野修身(病死)、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、
広田弘毅、星野直樹、松井石根、松岡洋右(病死)、
南次郎、武藤章
大川周明(右翼、国家主義者)は精神異常が認められ訴追免除となり、
永野修身と松岡洋右は判決前に病死しているため、
結局A級戦犯として東京裁判で判決をうけた者は25名(有罪)と
なっています。インドのハル判事は、全員無罪の少数意見を提出した。
「東京裁判」における2年半に渡る議論についてNHKテレビでは「NHKスペシャル」
「ドラマ東京裁判」として2016年12月12日-15日まで4夜連続で、放送されました。
私も実際に視聴し記憶に残っています。
以下、有罪となった25名のA級戦犯のリストです。
1)絞首刑(死刑) 7名
板垣征四郎:昭和6年(1931)9月18日、
関東軍参謀の石原莞爾(かんじ)と
奉天郊外柳条湖で満鉄の線路を
爆破(満州事変を扇動の罪)
木村兵太郎:ビルマ方面軍司令官、
東条内閣陸軍次官、(英国に対する開戦の罪)
東条英機 :第40代内閣総理大臣、(真珠湾攻撃の罪)
土肥原賢二:奉天特務機関長、第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
広田弘毅 :文民 外務大臣及び総理大臣として
軍部の行動を阻止できなかった。
松井石根 :南京虐殺(数十万人)の最高責任者
平和に対する罪では無罪
武藤章 :東条の腹心、第14方面軍参謀長(フィリピン)、(一部捕虜虐待の罪)
2)終身刑 16名
荒木貞夫:陸軍大将、陸相 梅津美治郎(獄中死):参謀総長
大島浩:駐独大使 岡敬純:海軍中将
賀屋興宣:蔵相 木戸幸一:内大臣、天皇の側近
小磯国昭(獄中死):陸軍大将、首相 佐藤賢了:陸軍中将、陸軍軍務局長
嶋田繁太郎:海軍大将、海相 白鳥敏夫(獄中死):駐伊大使
鈴木貞一:企画院総裁 橋本欣五郎:陸軍大佐、桜会の中心メンバー
畑俊六:元帥、支那派遣軍総司令官 平沼騏一郎(獄中死):首相、枢密院議長
星野直樹:満州国総務長官 南次郎:陸軍大将、陸相
3)有期禁固刑 2名
東郷茂徳(20年):(獄中死)駐ソ大使、駐独大使、開戦と終戦時の外相
重光葵(7年):駐ソ大使、駐英大使、外相
昭和53年(1978)、靖国神社は東京裁判の死刑及び
裁判中の病死、獄中死の14名を「昭和時代の殉難者」
として合祀した。 靖国に戦死者以外が合祀される
ことは例外的であった。また、広田弘毅など非軍人を
合祀したことでも例外的な措置であった。
死亡の理由は法務死となっている。
ちなみにB,C級戦犯は上記国際軍事裁判条例第6条のB項
「通例の戦争犯罪」に係る罪に問われたものがB級戦犯で
C項「人道に対する罪」の該当するものをC級戦犯と定義
されている。
各地の軍事法廷で裁判が行われ5,700人余が有罪となり984人が死刑となった。
東京裁判に関するYoutube動画
東京裁判名場面
アメリカ占領下の日本 第3巻 東京裁判 企画・制作:ウォークプロモーションamericasenryoukano nihon3