CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

朝ドラ「エール」山崎育三郎・佐藤久志のモデル伊藤久男の人生を紹介「島永吏子」

2020年11月01日 16時16分20秒 | Weblog

伊藤久男の人生を紹介したYoutube動画を見つけましたので共有させていただきました。

朝ドラ「エール」山崎育三郎・佐藤久志のモデル伊藤久男の人生を紹介【元NHKフリーアナウンサー島永吏子】

 

関連ブログ:今週(10月26日~30日放送)のエール第20週「栄冠は君に輝く」

 

10月30日(金)NHK朝どら「エール」第100回での写真を再掲載します。

朝7時30分からのBS3 BSプレミアムで観ています。

 

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近江八幡市 Going Nuts アンドリュース記念館店での飲食 on 2019-3-27

2020年11月01日 05時34分24秒 | 滋賀県情報

2019年3月27日(水)、近江八幡市を散策している途中、Going Nuts 

アンドリュース記念館店で休憩、飲食をしましたので写真紹介します。

Going Nuts アンドリュース記念館店の基本情報

住所:近江八幡市為心町中31 アンドリュース記念館 2F TEL:0748-43-1933

営業時間:訪問時は月~土&祝日でしたが現在は金土月11:00〜18:00、日:12:00〜17:00

     オンラインSHOPは年中無休、但し発送対応は木金土日月

営業品目:ドライフルーツとナッツ専門店、店内でスムージもいただけます

公式サイト:https://going-nuts.business.site/

 

当日は店内のイートインコーナーで「アンチエイジングナッツスムージ」600円(税込)を

いただきました。

上の写真はスムージーのその他のメニュー表

上の写真はイートインコーナー

上の写真はお店の内部の様子です。

上の写真はお店の入り口(玄関)

上の写真はゴーイングナッツの案内の看板

 

アンドリュース記念館

これくらいでGoing Nutsに関する話は終え、ヴォーリズが最初に設計した

アンドリュース記念館に話題を変えます。

今後、近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27としてシリーズ記事とするため

以降の内容を 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 近江八幡YMCA会館(現アンドリュース記念館)

とします。

上の4枚の写真はアンドリュース記念館の外観です。

上の写真は現地説明板。

上の写真はスケッチで書かれた明治40年に竣工したYMCA会館のスケッチ

離接する近江八幡教会も描かれています。

所在地:近江八幡市為心町中31Goo地図を添付しておきます

 

上の写真は建築の竣工から現在までの経過を簡潔に纏めた掲示です。

同じくアンドリュース記念館の由来という掲示物があったがピンボケしてしまい判読が

困難なので文章を転記しておきます。

当会館は、近江兄弟社の創立者ウイリアム.メレル.ヴォーリズ(日本名一柳米来留:
1880.10.28~1964.5.7)の大学時代の親友であり、ヴォーリズに導かれてキリスト教信者となり、
若くして召天した故ハーバート・アンドリュースの両親より贈られた資金を基にしてさらに、
ヴォーリズの貯金全てを加え、自ら設計したヴォーリズ建築最初の建物である。
1906(明治39)年9月24日に京都の木曾田梶之助請負師に総工費3600円で発注し、
1907(明治40)年2月10日に竣工した。760㎡(230坪)の土地は、西 幸次郎氏、
千貫 久次郎氏が提供してくれたものである。会館はアンドリュース氏を記念して、
「ハーバート・アンドリュース記念近江八幡基督教青年会館(YMCA)」と称した。

現在の会館は、1935(昭和10)年6月15日に、最初の建物の位置から12m東側に、
移築したものであり、外部デザインは一部変更されているが全体の面積は同じである。
同会館に存する記念室は、祈りの部屋と呼ばれ、設立当時にヴォーリズが、過ごした一続きの
書斎と小部屋は当時のままを保存している。この部屋で捧げられた創立者たちの熱い祈りから
近江兄弟社は生まれた。会館は、近江兄弟社が創設された原点の記念すべき建物である。
永年、この会館を中心にこの地方の基督教青年会運動が進められ、社会の先駆的役割も果たしてきた。
1987年にYMCA会館としての使命が終わり、会館が使用されなくなり20年が経ち、
相当傷んでいたが、2007年2月10日に会館竣工100周年を迎えるところから、
「近江兄弟社創立100周年記念事業」として、(株)近江兄弟社の寄付などにより、会館の保存再生を図った。

今後、会館は、高齢者・障害者等の介護予防拠点や、キリスト教の伝道その他地域活動支援施設として、
近江兄弟社創立者W.M.ヴォーリズ(一柳米来留)の創立の精神を継承しつつ、キリストを模範とした社会奉仕活動に使用する予定である。

 

上の写真はGoing Nuts以外にテナントとして入居している機関です。

その中に株式会社 一粒社ヴォーリズ建築事務所の名前が見える。

 

上の写真はアンドリュース記念館の入り口部で2階への階段部が写っています。

 

 

最後に、WikipediaよりW.M.ヴォーリズ(日本名は一柳米来留)の略歴を添付して筆を置きます


ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 - 1964年5月7日)は、
アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者

建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム
(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。

このことから「青い目の近江商人」と評されています。

またYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。

讃美歌や同志社カレッジソングなどの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。

1880年 - 米国カンザス州レブンワースで生まれる。
1882年 - この頃から教会の礼拝に出席するようになり、後日、幼児洗礼を受ける。
1897年 - 米国アリゾナ州フラッグスタッフに一家で転居。イーストデンバー高校に入学。
1900年 - イーストデンバー高校を卒業。コロラドカレッジ理工系課程に入学し、YMCA活動を開始する。
          当初は建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していたが、
          家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学している。
1902年 - 学生宣教義勇軍大会での講演に感激し、外国伝道への献身を決意する。
           このころ、のちの関西学院第4代院長のベーツと知り合う。文系課程に転じる。
1904年 - コロラドカレッジ哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補となる。
1905年 - 滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日する。
1907年 - 近江ミッション(近江基督教伝道団)を創設
1908年 - 京都YMCA会館新築工事現場監督を担当。同会館内に建築設計監督事務所を開業する(後のヴォーリズ建築事務所)。
1910年 - 米国へ帰国し、メンソレータム社の創業者ハイドと出会う。10カ月の滞在後、建築家のレスター・チェーピンらを
          伴って日本に戻る。建築家のレスター・チェーピン、吉田悦蔵と3人で「ヴォーリズ合名会社」設立する。
1912年 - ヴォーリズ合名会社軽井沢事務所を開設。
1913年 - 病気療養のため、米国へ帰国。ハイドに再会。日本でのメンソレータム販売代理店となる。
1914年 - 日本に移住する両親を伴い、近江八幡に戻る。
1915年 - ヴォーリズ合名会社束京事務所開設。
1918年 - 結核療養所「近江療養院」(近江サナトリアム、現ヴォーリズ記念病院)開設
1919年 - 子爵令嬢一柳満喜子と結婚。結婚式は自らが設計した明治学院の礼拝堂で挙げた。
1920年 - ヴォーリズ合名会社を解散し「W・M・ヴォーリズ建築事務所」および「近江セールズ株式会社」を設立する。
1922年 - ヴォーリズ建築事務所大阪事務所開設
1930年 - 母校コロラドカレッジよりLLD(名誉法学博士号)を受ける。
1934年 - 「近江ミッション」を「近江兄弟社」と改称、また「湖畔プレス社」を設立する。
1941年 - 日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称する。
1944年 - 株式会社近江兄弟社を設立。一柳建築事務所を解散。建築設計業務を停止。
1945年 - マッカーサーと近衛文麿との仲介工作をおこなう。この功績から「天皇を守ったアメリカ人」と評価
1946年 - 近江江兄弟社内に建築部が復活。建築設計業務を再開。
1951年 - 藍綬褒章を受章(社会公共事業に対する功績による)。また、「失敗者の自叙伝」を「湖畔の声」に連載(1957年まで)。
1957年 - くも膜下出血のため、軽井沢で倒れ、療養生活に入る。
1958年 - 近江八幡市名誉市民第1号に選ばれる。
1961年 - 黄綬褒章を受章(建築業界における功績による)。株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所が独立し、大阪に事務所を開設。
1964年 - 近江八幡市慈恩寺町元11の自邸(現ヴォーリズ記念館)2階の自室にて永眠。83歳。近江八幡市民葬および
          近江兄弟社葬の合同葬が行われ、遺骨は近江ミッションの納骨堂である恒春園(近江八幡市北之庄町)に収められる。
          没後、正五位に叙され、勲三等瑞宝章を受章する。
2014年 - 神戸女学院大学の建物群がヴォーリズ建築初の重要文化財に指定される。

 

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