2004年12月30日にしまなみ海道大山祇神社を訪問した。
大山祇神社の裏手に時宗の開祖一遍上人が奉納した
宝篋印塔があり写真に収めた。
一遍上人は河野通広の子として松山宝巌寺に生まれた。
三島水軍河野通信の孫にあたる。
宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼経を納めておく塔で、インドに
おこり中国を経て平安時代に日本に伝わってきた塔である。
本来は納経のための塔であったが、鎌倉時代頃から、
主として供養塔、墓石として建てられるようにようになった。
写真の宝篋印塔は鎌倉時代のもので、隅飾突起が直立
反花の彫りが重厚で相輪が細かい。
塔身の4面には梵字(ぼんじ)が彫ってあります。
大山祇神社の裏手に時宗の開祖一遍上人が奉納した
宝篋印塔があり写真に収めた。
一遍上人は河野通広の子として松山宝巌寺に生まれた。
三島水軍河野通信の孫にあたる。
宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼経を納めておく塔で、インドに
おこり中国を経て平安時代に日本に伝わってきた塔である。
本来は納経のための塔であったが、鎌倉時代頃から、
主として供養塔、墓石として建てられるようにようになった。
写真の宝篋印塔は鎌倉時代のもので、隅飾突起が直立
反花の彫りが重厚で相輪が細かい。
塔身の4面には梵字(ぼんじ)が彫ってあります。