うちの旦那の叔父さんに「修道士」の人が1人います。
あと、叔母にあたる人にシスターの人が2人います。
その叔父さん、叔母さんとも皆、今では70過ぎの老齢です。
長崎のカトリックの家系の全てがそうではないと思いますが、
兄弟の中から、一人は聖職者を出すことが、ステイタスだった時代があったようです。
その犠牲を被ったのが、その叔父と、その叔母だったのだと思います。
昨年、その叔父の所属していた修道院が閉鎖の憂き目に遭いました。
きっとカトリックも信者不足で、財政難なのだと思います。
また、この時代に、神父やシスターになる人材も激減し、
神父やシスターも海外の方の協力を得ている状況です。
神に仕える…とは一体何なんでしょう?
私は、この叔父と叔母に会うたびに複雑な思いに駆られます。
13くらいで、修道院に入り、一生禁欲の人生を送ります。
神に仕える事が本当に幸せだったのか…
この人たちの人生は一体何だったのか…
そんな事を思うと、ふと虚しくなって、
何だか、こちらが辛くなる時があります。
あと、叔母にあたる人にシスターの人が2人います。
その叔父さん、叔母さんとも皆、今では70過ぎの老齢です。
長崎のカトリックの家系の全てがそうではないと思いますが、
兄弟の中から、一人は聖職者を出すことが、ステイタスだった時代があったようです。
その犠牲を被ったのが、その叔父と、その叔母だったのだと思います。
昨年、その叔父の所属していた修道院が閉鎖の憂き目に遭いました。
きっとカトリックも信者不足で、財政難なのだと思います。
また、この時代に、神父やシスターになる人材も激減し、
神父やシスターも海外の方の協力を得ている状況です。
神に仕える…とは一体何なんでしょう?
私は、この叔父と叔母に会うたびに複雑な思いに駆られます。
13くらいで、修道院に入り、一生禁欲の人生を送ります。
神に仕える事が本当に幸せだったのか…
この人たちの人生は一体何だったのか…
そんな事を思うと、ふと虚しくなって、
何だか、こちらが辛くなる時があります。