愛をさがす毎日

ADHD・アスペルガー・離人症・うつ病な私の自己満足ブログ

光陰矢の如し

2011-11-24 10:30:25 | 人生
田舎町にもクリスマスのイルミネーションがチラホラ目に付きだした。

もう一カ月後にはクリスマス・イブ…。信じられない。

小学校4年の時、大っ嫌いな担任の先生から唯一教わった「光陰矢のごとし」という諺。

嫌いだったあの先生から、こういう良い諺を教わったというのが未だに気に入らないけど…

確かに時は、解き放たれた矢のように早い…ものだ。

今年こそは大掃除をしなくては…という思いから、最近焦りを感じ始めている。

どこもかしこも雑念としていて、どこから手をつけていいものか…。

とにかく目についたところからやろうと思っても、注意散漫でとっ散らかるばっかし。

ギアチェンジが悪い。専業主婦やってるくせに…未だに主婦の仕事って複雑でややこしいと思う。

掃除なら掃除。洗濯なら洗濯。買い物なら買い物。同じ作業をだけをやってればいいんだけど…

違う作業に取り掛かるのに、頭を切り替えるのが上手くいかない。

切り替えだけに時間がかかって、テキパキとできない。

そんな時に、頼もしいのは「中枢神経刺激薬」です(普段は頓服くらいにしか飲んでない)。

当初リタリン飲んでいましたが、中毒性が問題視されてうつ病には処方されなくなりましたよね。

難しいことはよく解んないんですけど、私もリタリンをこの先ずーっと飲み続けてるとヤバイなかな…?と思ったりして、

でも、全然改善されないんで、心療内科で脳波を調べてもらったんです。

それ以降…ベタナミン処方してもらってます。やっぱしベタナミン飲まないと、やってられないって言うか…

ここ数日、家事だぁー!掃除だぁー!と目が向いてると、なかなかPCにもスイッチできなくなって、ちょっとブログもお休みしてました。

いやぁ…私は単純作業が大好きです。内職向き。どこかにイイ内職ないかな?
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3・11津波の怖ろしさ

2011-04-19 22:50:40 | 人生


http://www.youtube.com/watch?v=8vZR0Rq1Rfw&feature=player_embedded

この動画、つむじ風さんのブログで紹介されてました。

津波の怖ろしさを、これでもかというくらい見せつけられます。

砂煙のようなモノが、はるか彼方に見えるなぁ…と思ってるうち、ものの5分もしないうちに足もとまで家が流されてくる…。

唖然とした。この動画を撮った人も家を流され、飼い猫も亡くされたそうです。

投稿しようかどうしようか、かなり悩まれたそうです。(映像の後半津波から逃れようと走ってる人たちは無事助かったそうです)

ふと、つボイノリオさんがラジオで言ってた言葉を思い出す。

「もしも俺があの時、被災した南三陸町に居たなら、津波の怖ろしさを知らず、避難もしなかったかも知れん。多分、俺も死んでいただろう。ならば、あの津波で自分は一回死んだと思って、もう一回人生やり直そう」

私も、そうだなぁと思いました。

生き方も考え方も、あの3・11から私も、なんか変わったような気がします。

直接被災こそしてないけど、いずれ東海・東南海地震もくるんでしょうし…。

自分を見つめなおす、いいきっかけになったと思います。

――今一度亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。
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人生の棚卸し

2009-10-21 20:30:01 | 人生
どこで見つけたのか知らないけど「人生の棚卸し」って言葉があった。

“棚卸し”の本来の意味は・・・
(1)決算や毎月の損益計算などのため手持ちの商品・原材料・製品などの資産の種類・数量・価額などを調査し、評価すること。
(2)他人の欠点をいちいち数え上げること。

…ってあんましいい意味じゃないけど、棚に積み上げたモノを一回全部下ろして整理するって言う意味で、「人生の棚卸し」っていう言葉もアリかなと思う。

人生につまづいた時こそ「人生の棚卸し」をしてみるいい機会なのかも知れない。

精神保健福祉士さんに言われたんです。

「夏物も冬物も、タンスの中にぐちゃぐちゃに入ってない?」って。

いったんタンスの中を整理してみるといいよって言うんです…心のタンスの。

40ウン歳まで生きてると、“棚卸し”なんて正直、参ります。

タンスの中がぐちゃぐちゃにぱんぱんに詰まってて、もうお手上げ状態。

…シンドイけど、ここらで一回やってみるのも一つの手かなと思う。

子供時代のこと、思春期時代のこと、結婚してからのこと、子育てのこと、それらの記憶がごちゃまぜになって今があります。

親に対しての憎しみを、旦那にぶつけていたり、いつまでも学校の先生を恨んでいたり、自分の子供時代のことを子供と重ねて見ていたり、

複雑に絡まった、記憶の糸ををほどいていくのは簡単なことじゃないけど、

自分の土台固めが必要なんだと思う。

当面、自分史を書くこと。あと日記をつけることが課題です。

日記療法っていうのがあるんですね。

森田療法の中に「内観療法」として日記指導があるそうです。

知りませんでした。日記書くのも治療のうちなんですね。

生きているという確認ですね。

…っていうと、日記って言うほど日記になってないけど、ブログも日記みたいなもんですよね。

ブログでストレス解消
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ストックホルムシンドローム

2009-09-27 21:27:44 | 人生
「ストックホルムシンドローム」というのがあります。

【犯人と人質が閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感し、犯人達の心情や事件を起こさざるを得ない理由を聞くとそれに同情するなどし、人質が犯人に信頼や愛情を持つようになる。また「警察が突入すれば人質は全員殺害する」となれば、人質は警察が突入すると身の危険が生じるので突入を望まない。ゆえに人質を保護する側にある警察を敵対視する心理に陥る。このような恐怖で支配された状況においては、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応が原因と説明される。
上述のように、ストックホルム症候群は恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理操作(セルフ・マインドコントロール)であるため、通常は人質解放後、犯人への好意は憎悪へと変化する】・・・wikipediaより

よく犯罪とかで、誘拐犯に拉致されたのに、人質が自分の身を守るために、犯人に同調して一緒に犯罪の片棒を担いでしまうことがある。

この間も、千葉で交際を断られた男が、交際を断った女性の母親を殺し、その現場から女性を連れ去り、犯人の男と沖縄まで旅行に同行していた先で、女性の身柄を保護したという事件がありました。

犯人に反抗すると、身の安全が脅かされるから、犯人の指示されるままに動いてしまうんですよね。

怖くて逃げる事もできなかったそうです。

弱者が強者に無意識に好きになり自分を守ろうとする現象…だそうです。

それを親子間に置き換えた「家庭内ストックホルムシンドローム」というのがあります。

「育てなおし」という独自の治療法が準猥褻容疑に当たるとして逮捕された、エロエロ大学教授の岩月謙司が提唱してました。

でも、その理屈だけは、すごく納得できるものでした。

犯罪という得意な状況だけに限らず、

親と子、先生と生徒、夫と妻、上司と部下、・・・この世の中、すべてチカラ関係で動いてます。

同い年の同級生だって、ジャイアンみたいな奴もいればのび太みたいな奴もいる。

ジャイアンとスネオの関係だって危ういものだ。

ジャイアンの目の前ではジャイアンの子分だけど、ジャイアンのいない所ではジャイアンの悪口を言っている。

この世では、弱い者は強い者におもねって生きていくしかないし、

身の保身を図るために、自分の心さえ偽ってしまうのだ。

この世はストックホルムシンドロームで廻っているのだ。
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売春婦のような生き方

2009-09-18 23:31:38 | 人生
精神保健福祉センターに通い始めて、ちょうど一週間。

今日が2回目の面談だった。

私の目的は社会復帰なんですけど、なんだかカウンセリング・オンリーの様相。

でも毎回タダなんですもん。こんな安いカウンセリングってないですよね。

精神保健福祉士さんってカウンセリングは専門じゃないんでしょうけど。

でも、このおじさん親身に相談に乗ってくれるから、ちょっぴり嬉しい。

とか喜んでいてもいられない。カウンセリングって結構痛いところ突いてくる。

今日言われたことで、一番効いたのは…。

「言い方は悪いだろうけど…あなたは今まで売春婦のような生き方をしてきたんだよ」

でも、すぐに腑に落ちた。

精神科医のエリザベス・キューブラー=ロスも確かそんなような事を言っていたのを思い出した。

「条件付の愛しか知らないと、子供は娼婦になる」のだそうです。

娼婦と言うのは極端な例えですが、このくらいインパクトが強いと逆に解りやすいと思う。

自己評価が低いと、愛情も駆け引きでしかないんです。

何をするにも「私をどれくらい愛してくれますか?」という表現なんです。

娼婦はお金が目的なんだけど、お金じゃなくって「愛」に飢えてるから、誰でもいいから優しくかまって欲しい…。

愛が欲しいから、ハイハイ何でも言うことを聞く。

嫌われたくない、嫌われたくない、最初はいい子ちゃんに徹するのだけど、

本位じゃないから続かない。だんだん腹が立ってくる。

最終的には、こんな筈じゃなかったと不機嫌になる。

愛情を求めて、一杯尽くしてあげたのに、見返りが少なくていつもガッカリ。

本当は好きな相手じゃないのに、誰でもいいから愛して欲しくて、着いていっただけ。

自己評価が低いと、理想も低くなる。

「溺れる者は藁をもつかむ」の筈なんですけど…つかんだ物は藁ばっかりで、結果は不服ばかり…。トホホな人生。

結婚はたまたま偶然なんかの拍子にしちゃったけど、本当の純粋な意味での恋愛って…一度もしたことないです。
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集団恐怖症

2009-09-15 09:42:47 | 人生
先週の話ですが、地域の精神保健福祉センターのような所へ行ってきました。

本当は精神病院の付属の施設で、精神障害者の人たちの社会復帰や生活支援などの相談に乗ってくれる所です。

一回目の面談では、精神保健福祉士さんとのお話し合いだけでしたが、必要であれば、作業療法とかデイケアとかにも参加してみようと思ってます。

…私の仕事してない歴は、かれこれ10年になります。

心療内科の先生にも「仕事したいです」と言い続けて、早や5年くらい経ちます。

自分でも、もうそろそろ何か仕事を…と思ってはみるものの、どうしても二の足を踏んでしまいます。

その間ホームヘルパー2級の資格も取ったし、洋裁リフォームの通信教育もやったし、

…でもそういう資格を取っても、ぜんぜん自信に繋がらないんですよね。

人間不信、組織恐怖…というか、

「集団恐怖症」という言葉があるのかどうか解らないのですが、そういうのが自分の気持ちに待ったをかけちゃうんです。

仕事をする、ということは「職場」という組織の中に入って行くことだと思うんです。

その未知の人達のフトコロの中に飛び込んでいく勇気がないというか…

想像しても足がすくんでしまって、ゾ~ッとしちゃうんです。

よく“高所恐怖症”とかありますけど、ちょうどそれと似たような感覚で、集団の中に入っていくことが怖いんです。

それは、まったく無関係の、見ず知らずの人たちの中とか雑踏の中にいるのとは違います。

組織の中で、周りの人たちとある程度の接触を持って、人間性を知りつつ、ひとつ屋根の下で共存することが怖いんです。

駄目ですね…やっぱりもっと若い時期から、自分のそういう特質を知った上で、コミュニケーションスキルを訓練するしかなかったのかも知れません。

うちの兄も50で引きこもりだって言ったら、その支援センターの精神保健福祉の先生も驚いてました。

私は、完全なる引きこもりではないけど、やっぱり引きこもりの人たちの気持ちって解ります。

社会性スキルを習得できないまま、ここまで来ちゃったんだと思う。

先天的な発達障害もあるけど、家庭機能不全とか親の虐待とかで、心の成長がストップしちゃってんです。

引きこもりしてる奴なんか甘やかすな!という意見もあるけど、私は逆に親に甘えることが出来なかった子供の末路だという気がする…。

・・・当分この先、精神保健福祉センターに通いながら、精神障害者として身の程を知り、もっと身をかがめて生きてくしかないのかな、と思ってる今日この頃です。
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診断書

2009-07-30 11:15:47 | 人生
お葬式、疲れました。

昨夜は、実家に泊まった旦那を義理の弟・妹が送ってきてくれたので、せっかくなので上がってもらい、義父の看病疲れをちょっぴりですが、労ってあげました。

8人兄弟だから、話のネタも多いんですね。色んな苦労話があるみたいです。

随分と話し込んで、2人が帰ったのが12時過ぎ。

なんやかんやで二晩連続、電気つけっぱなしで、気がつかないまま寝てしまいました。

たいした作業もしてないのに、頭の中だけ混乱して疲れてしまいます。

こんなポンコツ人間で、本当にごめんなさいです。

子供が朝からあれして欲しい、これして欲しいと言うのですが、

「お母さん疲れたから…」といって、さっき息子に以前書いてもらった診断書を見せてやりました。

5年前にPTA役員をやった時に、どうにも人間関係がしんどくて、診断書を提出してPTA役員を辞めようかどうしようか悩んだ時に、書いてもらった診断書をです。でも、結局出せぬままに、いまだに御守り代わりに大事に持っています。

「対人関係で混乱しやすく、そのストレスにより、心身のバランスを崩しやすいです。そのため、できるだけ役割を抱え込まないように指導しています」

時々この診断書をプラカードのように胸に下げておきたいと思うことがあります。

・・・でも、アスペルガー症候群も差別されそうな雰囲気あるし、あんまり吹聴もできないですが、でもビル・ゲイツやスティーブン・スピルバーグや、はたまたイチローもアスペルガーではないかという噂もあります。

アスペルガーって一芸に秀でるタイプなんですよね。

逆に平凡な主婦ほど、しんどい思いしてると思うよ。
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涙目恐怖

2009-05-22 11:40:58 | 人生
今でもそうですが、私は子供のころからよく泣く子でした。

変な子供で、一歩外に出ると固まってしまうのです。

場面緘黙症でしたから、喋らないし、固まっちゃうし、こんな子供は相手にもされません。

でも、その代わり馬鹿にされてました。

いじめっ子の男の子に「○○子泣け~!」って。

そしたら、そうやって言われただけで、すぐに泣いちゃうような子どもだったんです。

それで面白がられて、また「泣け~!」とか言われちゃったりして。

その男の子が怖くなってずっと避けてたんですが、

気がついたら、その子が知らないうちに転校してくれてホッとしたのも束の間、

その後、私も転校するハメになり、渋々転校したら、

何故か、転校先の小学校に、その男の子がいたんです。

私の姿を見るなり「こいつ、泣けって言っただけですぐに泣くんだぞ」って周りの仲間に言いふらしてました。

が~ん!でした。

私の暗い子供時代でした。

でも、大人になっても泣きやすい体質は変わりません。

ネットで調べたら「社会不安障害」の人はそういう傾向があるんだそうです。

言葉で強く反論できないから、オロオロ泣いちゃうんでしょうね。
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離人症

2009-05-16 14:58:57 | 人生
「離人症」というのがあります。

私は保育園時代からありました。

解離性障害のうちの一つです。意識はちゃんとあります。自分がかい離してる状態も解ります。

でも、しんどいです。現実感がなくなります。

対人関係のストレスから「あぁこの場から消えて、いなくなりたい…」と強く感じているとなります。

地に足がついてない感じで、自分がフワフワ空間を漂ってるみたいな感じになります。

目も焦点が合わなくなって、ぼ~っとした感じです。

人の声は聞こえますが、遠くから聞こえるようです。

自分の感覚もおぼつかなくなります。

自分が生きてるのか何なのか、不思議になります。

魂が抜け出て、抜け殻だけの身体になったような感じもします。

アスペルガー症候群の人たちの多くは、「周りの世界から、期せずして乖離した感覚を持っている」そうです。

それと離人症が同じかは解りませんが、

離人症の時は喋るのも辛いです。

そういう時に場面緘黙症になるのかもしれません。

場面緘黙とは、家では普通に会話できるのに、学校とか環境の違う場所では喋れなくなる障害です。

子供の時、教師に二重人格じゃないの?と思われていたことがあります。

それが私にとって、余計追い詰められた状況にさせました。

「どうしてうちでは喋れるのに学校では固まって喋れなくなるんだろう?
私って、やっぱり先生の言う通り二重人格なのかな…?」

自分でも悩みました。二重人格…つまり多重人格…ひょっとして統合失調症?

まだ自分でもよくわかりません。

自分は何故、環境が変わると委縮して喋れなくなるのか?

でも、何となく感覚統合障害というのも一理あると思う。

感覚統合障害・・・感覚統合とは、環境のなかで自分の身体を適応させるための感覚情報処理過程であり、この機能障害は、環境に対する適切な行動、運動、学習などを妨げると考えられている。
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カメの絵

2009-05-06 14:24:06 | 人生
幼稚園か小学生低学年の頃、必ずと言っていいくらい動物園に遠足に行くと思います。

それで後日、学校で動物園に行った思い出として、気に入った動物の絵を描かされます。

私も何を描けばいいやら悩んだ結果…ゾウガメの絵を描きました。

当時、東山動物園の爬虫類館はくら~い建物で、蛇とかトカゲとか不気味な印象がしました。

でも「もう、これしかない」という感じで、私は迷わずカメの絵を描きました。

グレイトーンで、顔もすっぽり甲羅に隠れて、ほとんど寝てるようなカメでした。

やはり…その頃からカメがお気に入りでした。

動きがなく描きやすく、簡単で、のんびりしてるカメが癒しの対象だったのでしょうか?

動物園で、どの動物を描くか?で、性格がわかりそうな気がします。
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振袖

2009-01-09 15:56:58 | 人生
明後日は長男の成人式。地域によっては12日のところもあるけど、うちの地域は11日に式を行います。

もう長男も二十歳。うそ!?って感じ。

せっかくだから、やっぱしスーツは新調した。去年の入社式の時のペラペラのスーツじゃ…ちょっと可哀想かな?と思った。

式の後、中学時代の同窓会があるんですって。

・・・同窓会に出られるなんて、うちの長男は幸せ者だ。

同窓会なんて…私にはさっぱり縁がない。

成人式だって本当は出ないつもりだった。

でも急遽 中学時代の友人に誘われてしまい…困った。

その子は卒業後引っ越していたけど、やはり古巣の土地の方が友達も多い。

私も引っ張り出されることになったが、突然なので衣装がない。

式の一週間前だったか、貸衣装屋さんに駆け込んだ。

でも、もう人気の着物は出払っていて、売れ残りの着物しかなかった。

他の店をあたるのも面倒くさいので、そこで適当に決めてしまった。

でも、何故か花嫁さんのお色直し用のレトロなやつだった。

振袖にも流行りの柄もある。当時やはり小花の標準的な柄が人気だった。

今ならモダンでド派手な柄もあるのだろうが…。

正直、花嫁さんのお色直し用の古臭い柄の着物にはちょっと抵抗があった。

紫の地に大柄なボタンの花の模様。

しかし背に腹は代えられなかった。

着物なんて着ちゃえばなんでもそれらしく見えるものでしょうが、

ちょっと浮いてるよう気がした。

そのとき付き合ってた人に「なんなら妹の着物を貸してあげようか」とまで言われてしまった。

友人には「舞妓さんみたいだね」と言われた。

ちょっとキモイでしょうが、当時の写真です。
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プチ大奥

2008-12-28 13:04:13 | 人生
私の母はLD(学習障害)で、ADHDだと思う。

医師に診断してもらったこともないのだけど、素人目にもそう見える。

尋常小学校を出て、女学校に行ったかどうか知らないけど…適応できなかったと思う。ひらがなさえまともに書けない人でした。

だから、人前で字が書けませんでした。

だから子供は苦労した。まだ祖母のほうが学習能力があった。

明治生まれの祖母のほうが、まだ字も上手かった。お裁縫も上手だった。
編み物で手袋だって編んでいた。器用だった。落ち着いていた。母性があった。
徳があった。よく物事を考えなさいと言う人だった。

でも祖母と母とは上手くいかなかった。
母だってそんなに悪い人ではなかったけど、感情のコントロールの利かない人だった。ヒステリックで、すぐ感情的になって爆発していた。私もよく叩かれて、最後はいつも外に追い出され、いつも泣いていたという記憶がある。

だから母には心を開けなかった。
淋しいといつも祖母の部屋に入り浸っていた。
お祖母ちゃんも、孫娘が甘えてくれば嬉しいから構ってくれた。

幼い頃だって、母は働いていたから、内職していたお祖母ちゃんの傍に寄り添って過ごしていた。時にはお手玉を作ってくれたり、綾取りだって教えてくれた。
中学生までは、お祖母ちゃんにくっついいた。お祖母ちゃんの好きな大河ドラマとか、時代劇とか、付き合ってよく見ていた。
それが甘い記憶として残っている。

しかし母と祖母、家庭に女が2人いると、なんやかんやともめる。
子供はその間で、ピンボールの玉のように弾かれたり転がされる。
子供は女の権力争いのダシにされる。

私は母のことを悪く思ってるけれど、これは頭脳派だった祖母の戦略だったのかも知れない。
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自分探しの結婚

2008-12-26 19:45:06 | 人生
私はまるで、オウム真理教にコロッと騙され入信してしまう信者のようなものだった。
お見合い相手はカトリック信者だった・・・。
この人と結婚すれば、私は救われると思った。
しかも8人兄弟で、大家族で育った人なら、包容力があって面倒見のいい人だと思った。

おまけに「真面目で、いい人だよ」と叔母に言われれば、その言葉を丸飲みに信じこんでしまうタイプの人間だった。

私は手紙を書いた。2週間に一回は手紙は書いた。
でも、一通も返事は来なかった。
デートも遅刻が多かった。

だんだん変だなと思いだした。
でも、カトリック信者なんだからと思った。

クリスマスには教会にも連れてってもらった。
相手の顔はともかくロマンチックな気分に浸っていた。

叔母の薦めてくれる相手が悪い相手ではないと信じ切っていた。
確かに真面目な人だった。でも、真面目な人が全ていい人だとは言い切れない。

結婚してから、だんだん冷たくなった。
私が愚図だから、どんくさいから…イライラすることもあった。

教会にも行きたがらなかった。
教会に行くどころか、パチンコばかりに行った。

旦那の荷物の中から私が書いた手紙の束が出てきた。
腹が立って火をつけて燃やした。
結婚式の写真も全部捨てた。結婚指輪も捨てた。婚約指輪はない。
唯一貰った7000円のファッションリング、それも捨てた。
それは8年くらい前のことだけど…。

何もかも捨てたかった。もう嫌だった。
何で私と結婚したの?と聞いたら「女だったら誰でもよかったから」って言った。
そんなものだったのだ。

その後、自分が発達障害だと解った。
やっぱり、旦那との亀裂は元には戻らない。

どんくさいのも、馬鹿なのも、全部無条件で受け入れていてくれたなら違ってた。
長年暮らしてきたけど、愛されている実感なんてなかった。

オウム真理教から脱会したい信者の気分の私です。
私も旦那と結婚したのじゃなくて、ホントは宗教と結婚してたんですね。
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黒猫ちゃん事件

2008-12-11 12:09:39 | 人生
あれは忘れもしない、私が17歳の時の事でした。
その時、私は昼間は印刷屋さんでパートで働き、夜は定時制高校に通ってました。

働いていたものの、馴染めなくて憂鬱でした。
小さな印刷屋さんで、若い女の子は私一人しかいなかったし、
それなりに可愛がってもらっていたんだろうけど…居心地悪かった。
いつも所在なかった。暗い暗い17歳だった。

翌日会社でソフトボール大会に呼ばれていた。出たくなかった。
逃げ出したいくらい嫌だった。
悶々とする気持ちを抱えて、学校の帰りに、同級生の女の子が子猫を抱いていた。

まだ生まれて間もない子猫だった。真っ黒の子猫で、目も見えるかどうかも解らないような赤ちゃんだった。
同級生は困っていたので、人のいい私はすんなり譲り受けてしまった。

私は育てようと思った。
でも、まだホントに小さくて、片手に乗るくらいの小さな子猫だった。
母親に怒られた。飼えないって。ムキになって拒否された。
頭にきた。長兄が拾ってきたなら無条件でOKするのに…無性に腹が立った。

「私の部屋で飼う!」
でも、正直困った。泣きやまないし、ミルクをあげても飲まないし、
子猫は一心不乱に母猫を探していた。
まだひょっとして目が見えてなかったのかも知れない。ぬくもりだけが頼りなのか、もぞもぞ動きまわる。私には子猫を育てるちゃんとした知識がなかった。

ベッドで子猫と寝てしまった。
朝になって目が覚めたら、子猫が私の身体の下敷きになって死んでいた。
「ガーン!!!」・・・だった。

子猫殺害事件の犯人になってしまった。
ショックで泣いた。自分を責めた。
でも、母は笑っていた。(祖母は慰めてくれたけど)
お線香あげて、お墓を造った。
まだ涙は止まらなかった。

悲しいやら、悔しいやら、みっともないやら、最悪だった。
馬鹿で惨めで落ち込んだ。
同級生には、やっぱり飼えなかったから近所の人に貰ってもらった、と嘘をついた。バツが悪かった。

子猫を殺しても何で私は逮捕されないんだろうと思った。
こんな罪を犯したというのに、何で私はのうのうと生きているんだろうと思った。
一か月くらい放心状態だった。

猫って大好きだったのに、その日から猫殺しの汚名を着ることになった。
誰も私のことを責める人はいなかったけど、私は私が許せなかった。

私は自分の慰めのためだけに子猫を拾いました。
子猫を責任もって飼おうなんて思ってませんでした。
自分勝手に、自分の淋しさを埋めるためだけに子猫を飼おうとしました。

それが間違いだったことに気付きました。
だから、無責任に可愛いからって猫は飼わないようにしています。
・・・カメは飼ってるけど。
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白い絵

2008-11-26 08:45:26 | 人生
芸術療法というのがあるらしい。

あと、よく子供の描く絵とかで子供の心理状態とかが解るらしい。

私は子供時代、絵を描くのが好きだったけど、なぜか学校では“委縮”してしまって、ほとんど描けませんでした。

でも一つ、嫌な記憶なんですが、忘れられない絵の思い出があります。(その絵はもう残ってないと思うけど)

当時、うちの庭で白いスピッツを飼ってました。

とても母に似て、お馬鹿さんで吠えてばかりのおっかない犬だったんですけど、

その犬の絵を描いたんです。

でも、私は「輪郭」を描かなかったんです。

輪郭のない白い犬の絵ですから、これって心理的に見てどうなんでしょう?

目と口しか解りません。でも、私にとっては精一杯描いたつもりの絵だったんです。

お恥ずかしいのですが、小学2年生の時、私は「輪郭」という言葉を知りませんでした。

「日曜日の出来事」…とかいう題材だったと思うんですけど、

外遊びの嫌いな子供でしたから、描くネタに困って、仕方なく犬の絵を描いたのですが、輪郭のない白い犬の絵でした。

時間ぎりぎりになって、切羽詰まって焦って描いた絵でした。

申し訳なく先生に提出したら「輪郭を描きなさい」って、冷たくあしらわれました。

「輪郭ってなに?」当時、緘黙症だった私は、先生に質問することもできませんでした。

訂正できず、再び同じ絵を先生に持って行ったら「輪郭っていうのは、線で絵の形を描くの」とぶっきらぼうに言われ、ようやく納得しました。(輪郭を描いて提出しました)

口も重い子だったのですが、表現全般にわたって不得意でした。

小学校時代は作文も書けませんでした。
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