今さら何いってんだって言われそうだけど、やっぱ私ってつくづく受動型アスペだと思う。
「意味不明な人々―発達障害(ADHD・アスペルガー)人格障害に取り組む」というブログを→“受動型AS”を読んでつくづく思った。
そのブログによると、受動型アスペは“共依存ウイルス”みたいな存在だそうです。
【受動型ASの一部の人は相手中心で「自分が無い」という特徴があり、常に相手からのアクションを受けて受身の反応として認知も行動も体験され形成される。
だから常に「特に愛着の対象がこうしたから私はこうした」という受動的な発言や行動となり、表面上は「無責任」「人に責任転嫁している」という相手から見たときの見掛けとなる。・・・(中略)・・・結局「言葉ではっきり言わないでその他の非言語的な態度で相手をコントロールしようとしている」と言う見掛けとなり・・・(中略)・・・根本的に、受動的な生き方の直接の帰結として「誰にも関わらないで一人で居る」ことには非常に大きな不安を感じ、自分に積極的にアクションを向けてくれる相手を探し続けるということになる。その意味では依存的にしか生きられない】
また同じ「意味不明な人々」ブログから・・・
【「必要とされることが必要」+「自分からは動かない」=「共依存」(カッコウの雛的生き方)という図式だ。
つまり「必要とされることが必要」だけではウィルスのように寄生しなければ生きられないスタイルは帰結しない。第二項の「自分からは動かない」という部分が問題なのだ。
「自分からは決して電話しない」とか、「必ず愛着の対象を動かすように非言語的な手段を使いまくる」という受動型ASの周囲にとって困った行動は、私は養育環境によって変化しうると思う。・・・(中略)・・・だから共依存ウィルス型の受動型ASは結局「甘やかされた」経過の帰結なのだろう。愛着の対象である親が共依存的なあり方を許して、身に付けさせてしまった結果、「自分で動かなくて良い」というスタイルが出来上がったのだろう】
そして、極めつけ受動型アスペの治療方法は・・・
【受動型ASの一つのケアは、「現実的にどんどん厳しい状況に追い込む」という方針だ。愛着の対象からはどんどん遠ざけて、だれも尻拭いをせず、本人が周囲の人を絶対に振り回せないような環境を作り、徹底した自己責任の原則で育てる】
それこそ戸塚ヨットスクールに入校しないと駄目って?(…そんなことは書いてないです!)
子供の頃、確かに私は場面緘黙症でした。学校に行くと固まってしまって喋れなくなるんです。
でも場面緘黙症の人たちが全て発達障害に入るのか?となると、どうもそうじゃないらしいです。
その辺、微妙なんですが、でも私の場合は受動型アスペで、場面緘黙症でした。
【場面緘黙症の子供の多くは、先天的に不安になりがちな傾向がある。また、内向的な性格であることが多く、これは脳の偏桃体と呼ばれる領域が過剰に刺激されることによると考えられている。この領域は、脅威の兆候を感知すると「闘争・逃避反応 (fight-or-flight response)」を引き起こす。
場面緘黙症の子供には、感覚情報の処理に問題のある、感覚統合障害(SID)と呼ばれる障害を持つ者もいる。これは不安を引き起こし、子供は「閉鎖」させられて話すことができなくなる。
場面緘黙症の子供のうちおよそ20~30パーセントは、会話障害あるいは言語障害をも併せ持っている。このことによって、子供は話すことが要求される場面でストレスを感じる】―wikipediaより
「感覚統合障害」っていうのはすごく引っかかる。たぶん私もそうだと思う。
ほんでもって受動型アスペの特徴の「共依存ウイルス」的な特徴も、自分自身大いに当てはまる。
私の場合、強いものに依存しないで、弱そうな対象に依存してしまう傾向がある。
その対象とは…子供です。それが問題なのだ。
「意味不明な人々―発達障害(ADHD・アスペルガー)人格障害に取り組む」というブログを→“受動型AS”を読んでつくづく思った。
そのブログによると、受動型アスペは“共依存ウイルス”みたいな存在だそうです。
【受動型ASの一部の人は相手中心で「自分が無い」という特徴があり、常に相手からのアクションを受けて受身の反応として認知も行動も体験され形成される。
だから常に「特に愛着の対象がこうしたから私はこうした」という受動的な発言や行動となり、表面上は「無責任」「人に責任転嫁している」という相手から見たときの見掛けとなる。・・・(中略)・・・結局「言葉ではっきり言わないでその他の非言語的な態度で相手をコントロールしようとしている」と言う見掛けとなり・・・(中略)・・・根本的に、受動的な生き方の直接の帰結として「誰にも関わらないで一人で居る」ことには非常に大きな不安を感じ、自分に積極的にアクションを向けてくれる相手を探し続けるということになる。その意味では依存的にしか生きられない】
また同じ「意味不明な人々」ブログから・・・
【「必要とされることが必要」+「自分からは動かない」=「共依存」(カッコウの雛的生き方)という図式だ。
つまり「必要とされることが必要」だけではウィルスのように寄生しなければ生きられないスタイルは帰結しない。第二項の「自分からは動かない」という部分が問題なのだ。
「自分からは決して電話しない」とか、「必ず愛着の対象を動かすように非言語的な手段を使いまくる」という受動型ASの周囲にとって困った行動は、私は養育環境によって変化しうると思う。・・・(中略)・・・だから共依存ウィルス型の受動型ASは結局「甘やかされた」経過の帰結なのだろう。愛着の対象である親が共依存的なあり方を許して、身に付けさせてしまった結果、「自分で動かなくて良い」というスタイルが出来上がったのだろう】
そして、極めつけ受動型アスペの治療方法は・・・
【受動型ASの一つのケアは、「現実的にどんどん厳しい状況に追い込む」という方針だ。愛着の対象からはどんどん遠ざけて、だれも尻拭いをせず、本人が周囲の人を絶対に振り回せないような環境を作り、徹底した自己責任の原則で育てる】
それこそ戸塚ヨットスクールに入校しないと駄目って?(…そんなことは書いてないです!)
子供の頃、確かに私は場面緘黙症でした。学校に行くと固まってしまって喋れなくなるんです。
でも場面緘黙症の人たちが全て発達障害に入るのか?となると、どうもそうじゃないらしいです。
その辺、微妙なんですが、でも私の場合は受動型アスペで、場面緘黙症でした。
【場面緘黙症の子供の多くは、先天的に不安になりがちな傾向がある。また、内向的な性格であることが多く、これは脳の偏桃体と呼ばれる領域が過剰に刺激されることによると考えられている。この領域は、脅威の兆候を感知すると「闘争・逃避反応 (fight-or-flight response)」を引き起こす。
場面緘黙症の子供には、感覚情報の処理に問題のある、感覚統合障害(SID)と呼ばれる障害を持つ者もいる。これは不安を引き起こし、子供は「閉鎖」させられて話すことができなくなる。
場面緘黙症の子供のうちおよそ20~30パーセントは、会話障害あるいは言語障害をも併せ持っている。このことによって、子供は話すことが要求される場面でストレスを感じる】―wikipediaより
「感覚統合障害」っていうのはすごく引っかかる。たぶん私もそうだと思う。
ほんでもって受動型アスペの特徴の「共依存ウイルス」的な特徴も、自分自身大いに当てはまる。
私の場合、強いものに依存しないで、弱そうな対象に依存してしまう傾向がある。
その対象とは…子供です。それが問題なのだ。
あの沖縄のジャイアン?自己愛性人格障害?は積極奇異も孤立型も「受動型アスペルガー」と診断してる
近づかないほうが無難
いつも自分から相手にアクションを起こすことができず、人間関係を構築できません。
何でこうなのか自分でも分かりません。
http://hwbb.gyao.ne.jp/matsu1-pf/kayano_si/kayano_si_4_1.htm
(2)寡動(動きが少ないタイプ)