愛をさがす毎日

ADHD・アスペルガー・離人症・うつ病な私の自己満足ブログ

ファミリーシークレット

2011-02-13 11:37:22 | 


先日、本屋に行った時(アスコーマーチがなくて)、ざざっと一通り本屋の中を探索していたら、

柳美里さんの「ファミリーシークレット」を発見。

柳さんはあんまし好きじゃないんですけど、これは買おうかどうしようか迷いました。

カウンセラーの長谷川先生との対談も載ってます。

(何を隠そう…私もこの先生のグループカウンセリングを受けたことあります)

柳さんもお子さんが生まれて、もうその息子さんが11歳になられたそうです。

虐待したと言う噂もあって、興味湧きましたが、

自分から虐待しましたって言う人は全然大丈夫なんですよ。

柳さんのブログ「柳美里の今日の出来事」見たんですが、素敵ですね。

このブログを見る限り、すごくいいお母さんだなって思いました。

小説家だし、感性も豊かだし、うちなんかよりうんと、生活が潤ってるなぁと感じました。

うちなんか、もっと殺伐としてました。

子供をひっぱたくなんて普通にしてました。鼻血だしたことあります、長男。

包丁持ってご飯作ってる時、隣でごちゃごちゃ言われると、

「お母さんが包丁持ってるとき話しかけないで!」ってキレたことあります。

子育てってスレスレの狂気かも知れませんね。そんなもんなんですよ。
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珍獣ドクター

2010-12-31 22:33:07 | 
先日、用もなく何気に立ち寄った本屋で、珍しく衝動買いしたくなるような本に遭遇。

珍獣の医学」。著者は田園調布動物院長の田向健一さんという方だそうです。

うちもカメ飼ってるし、うちのメメちゃんが病気になったら、どこの獣医に連れて行けばいいのだろうと日ごろ悩んでいたんです。

凄い!こんな獣医さんも居るんだ!って思わず感動して飛びついたんですけど、

でも、こういう珍獣ドクターも、珍獣に等しいくらい稀有な存在なんですね。

読んでみると、色んなご苦労がおありで…極端な話、アマガエルやタランチュラまで連れてくる飼い主って、何考えてんだろう?…って感じで考えさせられます。

子供が飼ってるアマガエルが水槽の石を飲み込んじゃって、お腹がゴロゴロしていますって、病院に連れてきて、結局開腹手術して助かったそうですが、

体長2cmのちっちゃいアマガエルです。手術中に死んじゃうかもしれないくらい、難易度の高い手術だったそうです。

豊かさの反面、今や色んなペットを飼う人がいます。

フェレット・ハリネズミ・アリクイ・ミニブタ・モモンガ・カメレオン・珍しいカメやカエル・アナコンダ…ワシントン条約に記載されてるような希少動物とか…etc。(エキゾチック・ペットともいうそうです)

と、思えば道端にうずくまっていた鳥の雛とか、数限りないくらい多様な動物たちが病院に訪れるそうです。

そういう野生生物の方が繊細だし、治療も難しいそうです。

やっぱし人間がペットを飼うコト自体、不自然なことなのかもしれませんね。

そういう矛盾と戦っている獣医さん…ご苦労様です。

森羅万象←田向健一さんのブログ。
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ヒーリング・キャット/葉祥明

2010-10-16 08:50:18 | 


ごめんなさい…読んだわけじゃないのですが、ヒーリング・キャット、葉祥明さんの絵本ということで取り上げてみました。

でも、買って損はないような気がします。(いつか買います )

若い頃から葉祥明さんの絵は大好きだったけど、かれこれ絵本作家の大家というか…かなりのネームバリューに上り詰めた感がありますが、

それでも絵のタッチは、ずーっとシンプルで、柔らかい温かい、最初に見た時と変わらない、あの時のまんまの優しい絵なんですよね。

葉さんの絵はいつ見ても、懐かしい、優しい気持ちになります。安心します。

知らなかったのですが、葉さんは中国の家系の方なんですね。もう帰化されてるそうですが、やっぱし中国の方でも素晴らしい才能あふれた方はたくさんいらっしゃいますよね。

でも、日本で生まれ育った葉さんはれっきとした日本の絵本作家です。

葉祥明ネット・ショップ

葉祥明美術館LINE

オレンジ色のペンギン
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それでも人を愛しなさい

2010-06-03 11:43:49 | 
逆説の十か条
 1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
   それでもなお、人を愛しなさい。

 2.何か良いことをすれば、
   隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
   それでもなお、良いことをしなさい。

 3.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
   それでもなお、成功しなさい。

 4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
   それでもなお、良いことをしなさい。

 5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
   それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

 6.最大の考えをもった最も大きな男女は、
   最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
   それでもなお、大きな考えをもちなさい。

 7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
   それでもなお、弱者のために戦いなさい。

 8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
   それでもなお、築きあげなさい。

 9.人が本当に助けを必要としていても、
   実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
   それでもなお、人を助けなさい。
 
10.世界のために最善を尽くしても、
   その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
   それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

*・*・*・*
↑の詩は、マザー・テレサが設立したカルカッタの「孤児の家」の壁に書かれているそうです。

でもマザー・テレサの詩じゃなくて、42年前アメリカの男子大学生(ケント・M・キース)が書いたものだそうです。

大学って言っても、ハーバード大学だって。あっそうですか…って感じですが。

「リーダーシップのための逆説の十か条」というものだそうで、もともと高校の生徒会に携わるリーダーのためにアドバイスとして書かれたものなんだそうです。

それが、人から人へと伝わって、はるか彼方インドのマザー・テレサの目にも留まったんでしょうね。

孤児の家には「作者不詳」として扱われていたそうです。

さすがにマザー・テレサをも唸らせる内容ですよね。

私の場合「それでも人は嫌いやねん」なんですけど、たまにはこういう詩もいいかなと。

リーダーは損をして当然ってことですね。そういうリスクを覚悟の上で政治家やってんのかな?
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ルーミー

2010-05-10 13:00:53 | 
この間、トルコの旋回舞踏の記事を書いたのだけど、

あれから数日後、久しぶりに本屋さんに行ったら、その教団の教祖さまについての本が平積みしてありました。

著書は意識研究家のエハン・デラヴィさん。えーっエハンさんメヴレヴィー教団の本書いてたの?

ここずーっと、エハンさんのブログには立ち寄ってなかったから、ぜんぜん知りませんでした。

あっ…これってシンクロニシティ? 私は自分の中の記憶がパッと蘇って、ブログに載せたんだけど、

ひょっとしてエハンさんの意識と、どこか繋がっているのかもしれません…なんて。

エハンさんのブログに、一回 超みじかいコメント書いただけの接点なんですけど…

エハン・デラヴィさんの本は2冊持ってますが、新作はルーミーなんだ。

思わず買いたくなっちゃったけど、衝動買い禁止を自分に言い聞かしてるのでやめました。

ルーミーその友に出会う旅

 心は光の海です
 神のビジョンが宿る場所です
 賢さなんて売りはらいなさい
 戸惑いなら買いもとめなさい
 利口なひとは頭で考えているだけだが、
 戸惑っているひとは深いところから直観をうけとっているのです…(ルーミーの詩から)

うーん…「心は光の海、神の宿る場所」すごいなぁ。

ジャラール・ウッディーン・ルーミーは、800年前のイスラム教の神学者らしいですけど、なんか優しそうでいいですね。(クルクル回るのはイヤだけど)

イスラム教といってもイスラム神秘主義だそうですが、イスラム理解の足がかりになるかもしれません。

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犬のいる露地のはずれ 石垣りん

2010-02-14 23:55:51 | 
私の家の露地のはずれに芋屋がある、
そこにずんぐりふとった沖縄芋のような
のそりと大きい老犬がいる。

人を見てやたらに尻っぽを振るなど
期待も持たず、愛嬌も示さない、
何やら怠惰に眼をあげて蠅を折ったり
主人に向かってたまに力のない声で吠える。

犬は芋屋の窯のそばに寝ていたり
芋袋を解いた荒縄で頸をゆわかれたりしている。

その犬
不思議と犬の顔をしている人間の仲間
に、私はなぜか心をひかれる。
ことに夜更け
誰もいなくなった露地のまん中に
犬はきまってごろり、と横になっている。
そのそばを風呂の道具を片手に十一時頃
かならず通るのだが、
今日という日がもう遠ざかっていった道のはずれ
ながながと寝そべる犬のかたわらに
私はそっとかがみこむ。

私は犬の鼻先に顔をよせて時々話しかける、
もとより何の意味もない
犬の体温と私の息のあたたかさが通い合う近さでじっと向き合っている
犬の眼が私をとらえる
露地の上に星の光る夜もあれば
真暗闇の夜もある。

私は犬に向かって何の愛情も表現しない
犬も黙って私を見ている
そしてしばらくたつと、私は立ち上がる
犬が身動きする、かすかに、それがわかる
私の心もうごく。

この露地につながる軒の下に
日毎繰り返される凡俗の、半獣の、争いの
そのはずれに犬が一匹いて私の足を止めさせる
ここは墓地のように、屋根がない
屋根のある私の家にはもう何のいこいもなくて。

露地のはずれに犬がいる
それだけの期待が 夜更けの
今日と明日との間に私を待っている。

*・*・*・*・*
石垣りんさんの「犬のいる露地のはずれ」という詩です。

動物が出てくる詩は、ほのぼのしていいです。

ここに出てくる芋屋さんというのは焼き芋屋さんのことらしいです。

売れ残ったお芋とか貰って食べてたのかな?とか色々思います。

でも、ちょっぴり淋しい詩ですよね。

“この露地につながる軒の下に
 日毎繰り返される凡俗の、半獣の、争いの
 そのはずれに犬が一匹いて私の足を止めさせる
 ここは墓地のように、屋根がない
 屋根のある私の家にはもう何のいこいもなくて…”

解るような気がします。

人間と一緒にいると、気を使ったり、疑ったり、緊張したりするけど、

犬や猫を見ると、ホッとして癒やされますもんね。

でも、石垣さんは動物に対しても謙虚ですね。

私だったら、気に入った犬がいると、すかさずなでたり、触ったり、おやつあげたり…犬にもコビ売ったりしそうです。

犬と目を合わせて、お互いの存在を確認するだけで、十分なんですね。
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魂の錬金術?

2010-02-10 11:05:13 | 
「成長できない者にかぎって、飛躍したがるものである」 ―『魂の錬金術』 エリック・ホッファー

「才能のない者、努力もせずに何かが起こることを期待する」者にとってはなかなか厳しいアフォリズムだ。
「継続と忍耐によって価値あるものを実現できるという自信」をもつ者だけが成長する。
「近道を欲しが」ってはならないというホッファーの言葉は真実だろう。―<けさのことば>岡井隆

…昨日の新聞に載ってた。

うちの息子に忠告してやりたい。

でも、こういう言葉は年を取らないと解らないものだ。

私も、若い時は全然解らなかった。

でも、思うように成長できないのは、どうしてなんだろう?

周りの人たちのように、伸びやかに成長できない人間って、少なからず居るものだ。

いつも惨めさを噛みしめて、妄想の世界に浸っている発達障害の人とか(私みたいな)…。

(エリック・ホッファーは正規の学校教育を受けてないらしい。逆にそれが功を奏したのではないだろうか。学校は比較ばかりしてしまうところだから…)
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エドワード・ゴーリー

2010-01-04 22:22:32 | 
不幸な子供


“YOUTUBE”でロバート・ワイアットを検索してたら、エドワード・ゴーリーの絵本に曲を付けたのを見つけました。

またまた暗いんだ、これが。

マイケル・マントラーという人が曲を書いてるのですが、どうも1976年にリリースされてるようで、日本ではあまりに暗いから発売されなかったんでしょうね。

「不幸な子供」という絵本は本屋で立ち読みしたことがある程度で、

作者のエドワード・ゴーリーについては詳しいことはよく知らなかった。

2000年に亡くなっていた。この人も無類の猫好きだったらしい。


「うろんな客」という作品が一番有名でしょうね。

暗いんだけど、なんか笑える。不思議な作品の数々…。

なんか変なんですよね。つい、こういうのハマってしまう自分がいます。

Gorey / Wyatt - The Remembered Visit
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倚りかからず

2009-11-06 21:12:44 | 
  「倚りかからず」   茨木のり子

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない 
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

 *・*・*・*

久しぶりに読んだ。

でも「倚りかからず」ってこんな短い詩だったんだ。

短い詩だけど、内容は濃いよね。

茨木さんの詩集「倚りかからず」は10年前の秋に出ました。

当時話題になって、私もすぐに買いました。

対比というわけじゃないけど、茨木さんの「わたしが一番きれいだったとき」という詩に関する動画があったので載せます。

「わたしが一番きれいだったとき」“わたし”はからっぽだったそうです。

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雨ニモマケズ

2009-10-26 09:55:31 | 
"雨ニモマケズ"東北弁朗読 今野東


「雨ニモマケズ」   宮澤賢司

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

*・*・*
やっぱり、方言はいいですね。

説得力が増すような感じがします。

今日は冷たい雨です。寒いなぁ。負けてるなぁ。
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石垣りん-水槽

2009-10-18 13:27:37 | 
 「水槽」

熱帯魚が死んだ。
白いちいさい腹をかえして
沈んでいった。

仲間はつと寄ってきて
口先でつついた。
表情ひとつ変えないで。

もう一匹が近づいてつつく。
長い時間をかけて
食う。

これは善だ、

これ以上に善があるなら……
魚は水面まで上がってきて、いった。
いってみろよ。

*・*・*・*・*
また石垣りんさんの詩集から。

人間社会にも通じるものがある。

誰かの犠牲の上に私たち社会は成り立っているんですよね。
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石垣りん―母の顔

2009-10-15 21:25:06 | 
「母の顔」

家は古い
死んだ母親が住んでいる。

どの新しいと呼ばれる家庭にも
母親がひとり。

働き者で
料理好きで
掃除好きで
洗濯好きで。

若い嫁がシチューをつくるそばで
赤ん坊の指を伸ばしたりしている
死んだ母親。

私は見た。
廊下を拭くため
人間のハラワタをしぼつているのを。

少年の肌は
死んだ母親が洗つている間に黄ばんでくる。

うつかりしていると
みんな片付けられて
その辺がせいせいしている。

やさしく、残酷な
生きている母たちの本当の母親。
死んだ母親。

家はどこもたいそう古い。

*・*・*・*・*・*・*
死んだ母親が成仏できないで、家に住み着いているのかもしれない。

残酷な母親と出てくるけど、それだけ母親は一家の犠牲になってると言うことだと思う。

私も最近、家の家具とおんなじになりつつあるような気がする。

私は家の一部。でも、私が家を出たら、この家は潰れてしまうだろうな。


(室内、ストランゲーゼ30番地-ヴェルヘルム・ハンマースホイ)
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猫だましい

2009-10-03 21:29:45 | 
2年前に亡くなられましたが、心理学者の河合隼雄さんは大の猫好きだったそうです。

「猫だましい」っていう本を書かれています。

私も一応持ってるんですが…まだ殆ど読んでなかったので、今日久しぶりにペラペラとページをめくってみました。

でも、河合先生の猫学は難しいです。

相当、猫に関して思い入れがあったんでしょうね。

エジプトの猫神とか、猫マンダラとか、心理学者の目から見ると、猫ってこんなに崇高な生き物なんですね。

「長靴をはいた猫」「100万回生きた猫」「綿の国星」のチビ猫まで、猫を題材にしたいくつかの物語について分析・考察しています。

その中でも「空飛び猫」というお話に興味がわきました。

「ゲド戦記」を書いた作者と同じ人の書いたお話だそうです。

背中に羽の生えた子猫たちのお話で、

その登場猫の中(3巻目)に「緘黙症」の猫が出てくるそうです。

猫の気まぐれさや不可解さが、心理学者の河合先生にとって“人の心”と同じくらい謎めいていたんでしょうね。

河合先生の「猫だましい」もお勧めですが、「空飛び猫」もなんだか面白そうです。
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猫の話

2009-05-28 05:35:51 | 
 「猫の話」梅崎春生

 大通りに面した運送屋の二階を借りて、若者と一匹の猫が住んでいた。
この猫は、ある日突然、彼の部屋にやってきた。どこからともなく板廂(いたびさし)をつたって、彼の部屋に入ってきたのであった。そのまま猫は彼の部屋に居ついた。彼も孤独であったから、なんとなくこの猫に愛着をかんじるようになった。
 猫の皮は、茶色のぶちで、耳たぶが薄く鋭く立っていた。身体のあちこちが、しなやかにくぼんでいて、尻尾はながく垂れていた。
 それまでひどい生活をしていたと見えて、猫はすっかりやせていた。眼だけが大きく澄んでひかっていた。彼は外食券食堂にゆくたびに、食べ残した魚の骨やパンの耳を、紙につつんで持ってかえった。猫はそれを待ちかねて食べた。そのほかに自分で、部屋にやってくるカナブンブンや蠅(はえ)をとらえて食べたりした。猫がいちばん好きだったのは、蟋蟀(こおろぎ)であった。運送屋のとなりが空地であったので、そこから蟋蟀が何匹も入ってくるのであった。
 蟋蟀が部屋に入ってくると、猫は急にしんけんな眼付になって、畳の上にひらたくなり、蟋蟀の姿をねらった。その姿勢はなにか力にみちていて、眺めていると、自分が蟋蟀をねらっているような錯覚に彼はおちた。猫がぱっと飛びあがると、かならずその蟋蟀は猫の口にくわえられていた。猫はそれからばりばりと蟋蟀を噛み、触角だけを残して、他はみな食べてしまうのであった。
 彼の部屋には、だからあちこちに、細い剣のような触角がたたみの上にちらばっていた。それが足の裏にざらざらふれるたびに、彼は次のような句を思い出した。

蟋蟀在堂  歳聿其莫
[注:(しっしゅどうにあり としここにそれくれん)「詩経」唐風にある詩の冒頭の二句。「莫」は「暮」に同じ。「こおろぎが家の中で鳴く季節となった。まさに今年も暮れようとしている。」という意味で、詩全体は『時の過ぎゆくのは速い、人の命は短い、今を楽しまないと取り返しがつかないよ』といった、時間の無情な流れや孤独が主題で、ここでは死のイメージを内包した不吉な伏線として置かれている。]

 それはむかし、伯父さんから習った文句であった。意味はわからなかったけれども、彼は何とはなく、これを記憶していた。その他伯父さんから、いろいろなことを習ったが、覚えているのはこれだけであった。あとのことは、すべて忘れていた。
 夜になると、猫は彼に身体をすりよせて寝た。そのしなやかな皮のしたに、彼はかぼそい猫の骨格を感じた。もっといろんなものを食わせて、肥らしてやりたいと思ったが、貧乏でそれも出来ないのであった。食堂から魚の骨をつつんで帰るのが精いっぱいであった。
 昼間、時々猫はどこかへ出かけて行った。しばらくして帰ってくると、おなかがふくらんでいて、ぐったり横になり、舌で顎(あご)の辺を舐(な)め廻したりした。どこかに行って、何かを食べて来るに違いなかった。そんな時は、蟋蟀がそばまできても、あまり見向きもしなかった。
 「何を食べてきたんだい。おまえは」
 彼はよく指先で、やわらかい脇腹をぐりぐりとつついてやったりした。今時よその猫に食物をあたえる家もないだろうから、どこかの台所でぬすんで食っているに違いないと思ったが、彼にはそれを叱るすべもないのであった。
 「ぬすむのもいいけれど、見つからないようにしろよ」
 彼はこの猫にカロという名をつけてやった。意味もない名前であった。それから三箇月ほど過ぎた。

*・*・*・*・*
ふと、昨日「カロ」という猫の名前を思い出し、たどり着きました。

梅崎春生 の「猫の話」という小短編だそうです。

猫の”カロ”が車に轢かれ、そのまま道路に放置され、干からび、 少しずつ少しずつ、車のタイヤにくっついていき失くなってしまう ・・・高校の国語の教科書に載ってました。

自分の飼い猫が車にひかれたら、死体を片付けて弔ってやるのが普通ですが、

それもせず、アパートの窓から「カロ」の死体の様子を、つぶさに見届けるだけって言う、マゾっぽいお話でした。

でも、それを読んだ当時まだ若かった私ですが、妙に共感を覚えました。

「ある日、その猫が車に轢かれた。頭のなかが燃え上がるような気持ちになった。
その夜、彼は長い間泣いた。こんなに猫を愛していたとは思わなかった・・・」

悲しみはあるのに、何もしない男が自分とダブりました。

現実的には保健所呼べばいいじゃん。で終わるんですが、何もしないところが逆に思いの深さを感じる。

人間の心理って不思議ですね。

いると、無視したり冷たくしてしまうのに、いないと相手のことばかり考えてしまう。

一緒にいる間は何もしてやらないのに、居なくなると途端に後悔ばかり膨らむ。

・・・そういう自分の勝手さに腹が立つ。ましてや死んでからでは遅いのだ。

ペットと飼い主との関係だって危ういけど、子供と親との関係だって、あやしいものがある。

つい子供が可愛い可愛いというけど、どれだけのことをしてやってるというんだろう?と思う。

私は子供のことなんて本当は全然愛してないんじゃないだろうか?

・・・と、子供が修学旅行に行ってる間…普段の自分の駄目な親ぶりに懺悔しまくりです。
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洗たく物

2009-04-11 12:40:10 | 
 洗たく物          石垣りん

 
私どもは身につけたものを

洗っては干し

洗っては干しました

そして少しでも身ぎれいに暮らそうといたします

ということは

どうしょうもなくまわりを汚してしまう

生きているいのちの罪業のようなものを

すすぎ 乾かし 折りたたんでは

取り出すことでした

雨の晴れ間に

白いものがひるがえっています

あれはおこないです

ごく日常的なことです

あの旗の下にニンゲンという国があります

弱い小さい国です          


*・*・*・*・*・*・*・*
今日はいい天気です。

青い空に洗濯物が翻ってるのを眺めるのもいいものです。

洗たく物の盗撮魔もいるらしいですけど…。

洗っては干し、洗っては干し、人の罪も洗い流せればいいのだけど。

本当に人間は弱くて、小さい…。

洗たく物を干すのを白旗を掲げることと重ね合わせて見ています。

確かに洗たく物が干してある光景は穏やかで平和な日常の象徴です。
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