(11)これは私が何年生の時の事だったか、よく覚えてないのですが…多分2年生ぐらいだったと思います。
私の小さかった頃はまだ親戚付き合いもちょくちょくありました。私は叔父さん(父の弟)のうちに遊びに行くのが好きでした。叔父さんの家は市営住宅で、そんなに大きくもありませんでしたが、うちのボロ長屋に比べたら鉄筋だし、その当時にしたら近代的でした。
私はこの叔父さんの事が好きでした。叔父さんのところには女の子が居なかったし、私のことを「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と呼んで可愛がってくれました。
父と血が繋がっている割に、父とは違い社交性もあり背も高くて、どことなくダンディでした。
トヨタ系企業の重役さんのお抱え運転手をしてました。結構、重役さんからの評判も良く、大事にされていたそうです。
叔父さんのうちには私よりひとつ下の男の子と、その下にもう1人保育園児の男の子がいました。年が近かったせいか良く遊びました。特に下の男の子は素直で可愛らしくて天使みたいな子でした。
でもそれからすぐに交通事故に遭い亡くなりました。園からの帰宅途中に母親が他の主婦と話し込んでるスキに道路に飛び出してしまい、タクシーに轢かれました。
私達家族はお通夜の後、叔父さんの家に泊まりました。翌朝、目が覚めて父と従弟を起こしに行くと、死んだ男の子のお兄ちゃん(小1従弟)が、まだ弟が死んだ事を理解できてないのか、弟はどうしたのか?弟は何処へ行ってしまったのか?私たちに聞きながら、弟を探しだそうとするのです…。それを見て、私はショックで一瞬気が遠くなりました。
この時の従弟の喪失感が私にも波のように押し寄せてきました。
お葬式には保育園のお友達も参列していました。一番哀れだったのは叔母でした。小さな棺に倒れ混む様に覆いかぶさり死んだ息子の名前を叫びながら震えていました。その姿が今も目に焼き付いています。
私の小さかった頃はまだ親戚付き合いもちょくちょくありました。私は叔父さん(父の弟)のうちに遊びに行くのが好きでした。叔父さんの家は市営住宅で、そんなに大きくもありませんでしたが、うちのボロ長屋に比べたら鉄筋だし、その当時にしたら近代的でした。
私はこの叔父さんの事が好きでした。叔父さんのところには女の子が居なかったし、私のことを「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と呼んで可愛がってくれました。
父と血が繋がっている割に、父とは違い社交性もあり背も高くて、どことなくダンディでした。
トヨタ系企業の重役さんのお抱え運転手をしてました。結構、重役さんからの評判も良く、大事にされていたそうです。
叔父さんのうちには私よりひとつ下の男の子と、その下にもう1人保育園児の男の子がいました。年が近かったせいか良く遊びました。特に下の男の子は素直で可愛らしくて天使みたいな子でした。
でもそれからすぐに交通事故に遭い亡くなりました。園からの帰宅途中に母親が他の主婦と話し込んでるスキに道路に飛び出してしまい、タクシーに轢かれました。
私達家族はお通夜の後、叔父さんの家に泊まりました。翌朝、目が覚めて父と従弟を起こしに行くと、死んだ男の子のお兄ちゃん(小1従弟)が、まだ弟が死んだ事を理解できてないのか、弟はどうしたのか?弟は何処へ行ってしまったのか?私たちに聞きながら、弟を探しだそうとするのです…。それを見て、私はショックで一瞬気が遠くなりました。
この時の従弟の喪失感が私にも波のように押し寄せてきました。
お葬式には保育園のお友達も参列していました。一番哀れだったのは叔母でした。小さな棺に倒れ混む様に覆いかぶさり死んだ息子の名前を叫びながら震えていました。その姿が今も目に焼き付いています。