ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

不自由はほんの少し

2011年03月15日 | 生活・暮らし・家事など

ありがとうございます。

ポットでお湯がわかせることのありがたさ。
トイレで水が流せることのありがたさ。
計画停電を予測して、準備をしていましたが、14日の停電は私のところではありませんでした。
私の暮らしも徐々に日常に戻ってきました。

ニュースで被害の実態がより具体的になり、被害者の様子が映し出されるたびに、胸が塞がれる思いです。
まだ家族や知り合いの方と連絡がつかない方々、どんなにか心細く不安なことでしょう。
すべて失ってしまったと呆然と立ち尽くしている方々に、私はなす術もありません。

福島の友人と昨夜ようやく連絡がつきました。停電から解放されたものの断水は続いているようです。
福島原発も心配です。
巨大な自然災害が発端とは言え、何とも脆さを露呈してしまった原発。
友人の近くでは終日救急車両のサイレンが鳴り響き、福島原発関係者を医大病院へ運んでくるドクターヘリが頭上を飛び交っているそうです。医大関係者を家族に持つ友人宅には井戸があり、「現場では水が足りない!」という訴えに、井戸の水を運んできたと話していました。しかし、車は渋滞しガソリンも買えないと言っていました。

今朝届いたあるメールでも、福島原発について「被害者から被曝者へ」という文字が飛び込んできました。
これまでに体験したことのない事態が起きています。

私の日常ではストーブを使わなくても、夜になって電気を1灯にしても不自由はほんの少しだという事がわかりました。政府は前例にとらわれることなく、思い切った被災者への支援の手を行って欲しいと思います。
たとえば、その予算措置として、被災しなかった地域や県の人たちから、「特別支援税」などを設け、1カ月か2カ月集中的にプラスαの税金を集め、それを人々の再生のために注ぎ込む措置など、検討して欲しいと思います。家族を失い、家を流され、生活の拠点を失った多くの人々のことを思うと、期間限定の増税などがあれば、積極的に協力できると思います。
個人のカンパは限界があり、その使い道もチェックが困難です。
直接被災された方々も、被災しなかった私たちも、同じ問題意識に立ち、国民として何が出来るのか、ひとりひとりが考えて、考えるだけではなく行動にどう移したかが問われるように思います。


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