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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

秋らしい日

2007年09月24日 | Weblog

ようやく秋らしい日がやってきました。
これからは「秋の日はつるべ落とし」の言葉のように、日暮れが早くなり、家の明かりや温もりが恋しい季節になりますね。
夏の暑い最中に動きすぎたせいか、9月は比較的静かに過ごしたようにも思いますが、これからは目白押しの予定が入っていて、「忙しい・忙しい」と言いながらこの忙しさは誰に課せられたわけでもなく、自己調整能力が失せてしまったからではないかと考えたりいたします。
ダブルブッキングしてしまったと思ったり、逆に予定の約束をすっかり忘れて当日になっても気付かずに先方に迷惑をかけたりとそんなことも何だかここのところ続いて、緊張感の緩み現象かとひとりで考え込んだり悩んだりもいたします。
そしてそれもこれも酷暑のせいと思考力や記憶力が落ちていることを夏の暑さのせいにしたりもしましたが、これからの涼しい季節はそんな理由づけもできず、またしなくてすむようにさわやかにゆとりを持って過ごしたいと思います。

それにしても1ヶ月があっという間。
本当は20日位までにと依頼を受けている仕事がいつもいつも24、5日になってしまっている習癖も改めようと思っていますが、「えっ、もうこんな日にち?」と、毎日毎日がまるで“光陰矢のごとし”です。



秋田余目のファミリーとの再会

2007年09月23日 | Weblog

夏に私がお世話になった秋田余目のファミリーが稲毛、西千葉にいらっしゃいました。(左からちあ、次女ユキさん、お母さんのスミコさん、長女結香さん)。

朝10時15分にスミコさんが稲毛駅に到着。その足で私の家に来ていただきました。
我が家で少し休んでいただいた後、西千葉に向かって出発。
今回は日程の関係で、「ちあハウス」の宿泊ご利用はありませんでしたが、「こんなところですが、次回何かあったときにはどうぞお気軽にいらして下さい~」とそんな思いを普段の私の暮らしをみていただくことで込めました。 

高校3年生、2年生のユカさん、ユキさんは千葉大生のナツコさんとゆりのき商店街の海保さんのご案内で千葉大の看護学部のキャンパスと松波キャンパスを視察。
そのあと、ゆりのき通りにある「ぎやまん亭」で地域の方とも合流し、ランチタイムを一緒に楽しみました。

結香さんは、昨日試写会が行われた映画のイメージソングを歌う歌手でもあり、オーデションの中から選ばれ、曲を与えられ、それに自らが歌詞をつけ歌うというもので、昨日はそのお披露目のために母子で上京されました。(映画のタイトルやCDのご案内はあらためてお知らせします)。
レッスンのために秋田から新幹線で日曜日ごとに都内のレッスン会場まで日帰りで通っているバイタリティーにあふれた女子高生でもあります。

私はゆりのきの「地域通貨・ピーナッツ」の方々と6月、7月と秋田余目を訪問し、まったく初対面ながら深いご縁をいただき、そして今日の再会がかないました。 
あわただしい日程の中での再会でしたが、ずっとずっと昔からの知り合いであるようなそんな懐かしさを覚え、また今日から余目の方々とのよき関係を築いていきたいと思います。



故松下竜一さん、22日付朝日新聞「be」に登場

2007年09月22日 | Weblog


今、我が家は「朝日新聞」を購読していないために友人の千恵さんが今日の朝日新聞の「be」を我が家の玄関に下げていてくれました。
外出先にメールが入り、「松下さんのことが載っていますので玄関に下げておきます」とあり、赤い水引草と風船かづらがいっしょに袋に入れられていました。

今日の写真は1999年に私が写した松下竜一さんです。松下さんは3年前に67歳で亡くなりました。
2ページにもわたって全国版に採り上げられた今日の松下さん。生きていたら、どんなコメントを出されるでしょうか?そんなことを考えながら私も感慨がひとしおです。
朝日新聞の記事(写真入)をどうぞ、ご覧下さい。
紙面で見たほうが迫力が違いますが、ネットでも読むことが出来ます。

松下さんは大分県中津市に住んでいて、日常のことも、またこんな日常とちょっと違うことも、毎月送られてくる「草の根通信」で通信の読者は松下さんが書くエッセーの中で共有することが出来ましたが、松下さん亡きあと、35年続いた「草の根通信」も終わりさびしい限りです。
記事の中に松下さんの妻洋子さんのことも書かれていましたが、私も松下さんの「洋子病」の一端に触れることが出来、それも懐かしい思い出です。
今日の新聞記事で、松下さんの著作が少しでも売れ、新しい“松下ファン”が誕生することを願っています。

私の出逢った「水俣」も松下さんの影響大です。
松下さんの思いを一小市民の私がどんな感じで受け継いで行けるか、「何か」を受け継いで行かなければとそんな思いに駆られています。それは思想だったり、言行一致でぶれなかった松下さんの生活や暮らしそのものだったりです。
亡くなったとたんに世の中から消えて行く作家や人々が多い中で、松下さんは混沌とした今の社会の中で、ひとつの生き方を示す指標軸として、これからますます社会の中でクローズアップされ、生き続けることでしょう。


水俣のこと・・・・・・

2007年09月21日 | Weblog
タワーホール船堀でひとり芝居「天の魚」(てんのいを)を観ました。ひとり芝居といえどもお芝居を観るのは本当に久しぶりです。
「天の魚」は仮面劇です。ひとり芝居の主人公であるひとりの爺が仮面をつけて登場し語り演じます。
原作・石牟礼道子「苦界浄土」より、水俣病患者の世界を故砂田明氏が演劇化した舞台です。主演は川島宏知さんで14年ぶりの復活公演だそうです。

ひとり芝居の中で、水俣病に冒されている孫に向かって漁師の祖父が語りかけます。
「魂が深かばい おまえが一番のほとけさまじゃ ほとけさんのごたるじゃい よだれ垂れ流したほとけさまじゃ」
「おるが家にゃ神さんも仏さんも、よその家よりゃうんとおらすばって、おまえこそが一番のほとけさまじゃわい。爺やんな、お前ば拝もうごたる。」と。

私はたくさんの水俣病の話を若いときからいままでにも何度も聞きながら、深く捉えることもなく今日まできてしまいました。
原爆投下から今年で62年、水俣病の「公式発見」から50年です。逃げれば追いかけられるかのごとく今また水俣病のことが私の前に立ちはだかります。
学ばなければいけないこと、関心を持たないといけないことは地球温暖化など環境問題の中にもにもたくさんありますが、私の中の原点は水俣のような気がして仕方がありません。若い頃、恩師の誘いで水俣のこと、土呂久のこと、四日市の公害のことなど、学べるチャンスがたくさんあったのに、私はなぜかそのことを自分の手に掴み取ることなく今日まで来てしまいました。

「水俣病を子供達に伝えるネット」の田嶋さんと今日初めて会場で会い、私にも何か出来るのではないかと思い始めています。まずいただいた資料を読み解くことから始めなければなりません。
何事もきちんと知ることからしか始める術はなく、「水俣学」は時間をやりくりしながらも私がこれからきちんと学んで行きたいと思うことのテーマのひとつです。


 

メガネケース+防災グッズ笛

2007年09月18日 | Weblog


最近様々な事件や事故を見聞きします。
私の友人や知人でひったくりにあった人たちも多く、待ち合わせの場所に約束の時間になっても来ないなあと携帯に電話を入れても応答なしで、仕方なく先に出かけると数時間後に「私、ひったくりにあって~~。家の鍵もお財布も携帯電話も全部バックごとなくなってしまって~~」と、そんなことも何回か経験しました。
また、オレオレサギの電話を受けたという人は「え~、あなたも?」というほど多く、その被害も後を絶ちません。

以前このブログで町内の防犯のために花づくりをしているスズキマコトさんの話を書きましたが、私もスズキさんを見習って「笛」を調達しました。
スズキさんは「笛は100円ショップでも売っていますよ」と言っていましたが、女性の場合、キーホルダーも含めてほとんどのものをバックの中に入れて持ち歩いているのが難点で、何とか笛をバック以外のもので持ち、とっさに笛が吹けるように工夫出来ないものかしらと考えていました。
運動会のときに先生が笛を吹いていたのを思い出すとやはり首から下げているのが一番いいと思いましたが、用もないのに笛を下げるということにもちょっとかっこわるいなと抵抗を感じていました。

先日飛行機に乗るために羽田空港に行き、時間があったので空港内のショップをウロウロとしました。
そうしたら、何と「書斎館」に「トロイカ」(TOROIKA GERMANY)がありました!!!
「書斎館」(Shosaikan 羽田空港店)の商品案内ページ



もともとは携帯電話を首から下げるためのもので、くさりに付随して笛が付いていたのです。それを見た瞬間私は「やったぁ!!」と声を上げ、旅にかかる費用の後先も考えずに買い求めました。
私が買った商品は上のホームページには掲載されていませんが、スワロフスキーストーンの付いたオシャレで洗練されたデザインでWhistleもそれとは判らない位シャープでモダンに作られていて脱帽しました。こんな商品が世にあるということは、やはり必要な人が世界にもいるということなのですね。まあ、ひったくりにあったときや地震で埋められたときなどに助けを求める他に、イベントなどでリーダーシップを発揮する時には笛を吹く必要はあるのでしょうが。

私は自分が作った「首から下げるメガネケース」にこのWhistleの部分をつけ、アクセサリーのような気分で持ち歩いています。(ネックチェーンも付いた商品ですので、ネックレスのように下げることも出来ます。)
このメガネケースは全部で6個つくりましたが、先日岩波ホールに行ったついでに私の気になる「水晶などの石」や「東洋医学系の本」や瞑想などにまつわる自然治癒などに関連する本を扱っている神田のお店のオーナーが目を留めてくれ、試しにJIRO先生と相談の結果お店に並べるためにまた6個ぐらい作ってみることにしました。うまくいくかしら???

自分で作ったものを日常持ち歩き、それに違った用途を織り交ぜてお気に入りグッズとし、それがもうひとつ防犯にも役立つとしたら、本当にうれしいことです。

 


充実した二日間

2007年09月16日 | Weblog
昨日今日と何やら忙しく、何もしていない私がなぜこんなに忙しいのかしら?と思いながら動き回り、パソコンの前にも座りました。
 
15日はここに来てほとんど毎土曜日が埋められてしまう受講講座の日でした。
朝9時から夕方5時までびっちりカリキュラムが組まれ、若い方に混じって内容を理解しついていくのはなかなか大変ですが、とても刺激的な感触を持っています。
そのあと、西千葉の「山口画廊」に行き、今開催されている「小林健二展」に小林健二氏が来廊し小林氏のギャラリートークが開かれるということで参加しました。
山口画廊で小林氏の作品に初めて触れ、大きな感銘を受けましたが、小林氏の話も本当に凄くて、息つく暇もないほどのハイテンションで、作品のことや製作のこと、日常考えている生き方から宇宙観、宗教観のようなものまでを聴くことが出来、大満足しました。

小林氏は確かこんなことを言いました。
「今ここにある机も100年~200年前には、机が欲しかったら作るしかなかった時代がある。机を作るには、木を見つけるしかなく、木を見つけたらそれを切り、かんなをかけたり乾かしたりしながら引き出しを付け加えたりしてだんだん机の形を成していく。途中でそり具合から真っ直ぐな平面が出来ずに失敗したりを繰り返しながら……」と、そんなことを。
自分の心惹かれるものを自身で探求し生み出してきた人の純粋な言葉に私は心酔しました。
中学生か高校生になる頃、小林氏は自分の机を自分で作ろうと決意しますが、その前にお母さんが机を買って来てしまいます。机を見た小林少年は、スチールの机ながら引き出しも付いているしとその机を受け入れます。
と、ここまで話したところで何かの拍子に別の話題に移り、私はその続きをどうしても訊いてみたいと思い、頃合いを見て小林氏に質問しました。
「お母さんにものづくりを否定されて……」と、ここまで私が話したところで小林氏は瞬時に私に向かって、
「否定されたのではないのです。これからです。これから出来ますよ。あなたも好きなことが。一生は短い。しかし遅くはない。これからです。これからやりましょう。若い時にはできなかったことが今は出来る。生きていても好きなことが見つかっていない人がほとんどです。これから出来ますよ。」と言われました。
私は自分の心のうちを見透かされたようでしたが、反面この言葉は私にとって大きなカタルシス効果を私の内にもたらしました。
小林氏は続けて、「私は母の買ってきた机にブルーのペンキを塗りました」と笑いながら応えてくれました。
小林氏は「小さく小さく自分の周りをしっかり見つめて……。それが大切です」と、そんな内容のことも言われたように思います。
私は小林氏の話にとても感動して、はるかに未熟な私が共感と言うとおこがましい気もいたしますが、本当に心から共感できて、また居合わせた人々を包み込む優しくて偉大な力を小林氏は持っていて、私は話のたびに小林氏と5~6回以上も握手をしたように思います。
山口画廊では自力整体の千代先生とも合流し、千代先生ともまたまた不思議なめぐり合わせを共有し合いました。

夜8時過ぎに西千葉の「ぎやまん亭」に移動し、ここで無農薬野菜を作る「熱田農園」の熱田さんと久しぶりに会いましたが、熱田さんが農業や今の暮らしを通して感じている話しが、先ほどの山口画廊での小林氏の話とピタリピタリと重なり、まったくやっていることも農業とアートとステージは違うけれど、真摯に孤独にモノヅクリに挑む人に共通する世界観を私はここでも教えてもらったような感動がありました。

そんなことで15日は通常の私の1週間分位の密度の濃い時間が過ぎました。

そして今日は、今日中には終わらせなければならない3件ののひっかかりをパソコンに向かい必死で進め、ひと段落しました。
今、やれやれと大きく深呼吸をしているところです。

バレーシューズタイプのウオーキングシューズ

2007年09月14日 | Weblog


自転車で少し遠出をしました。
「歩く」ことと「自転車に乗る」ことと、出掛けるときにその選択にいつも迷いますが、今日は思い切って自転車で出かけました。
たくさんのポイントに寄ることができて自転車にしてよかったと思います。



自転車は歩いているときとは違うスピードで走り過ぎて行きますが、それでも道端の花などを立ち止まって眺めることができます。本当は気ままに歩きながらというのが一番性に合っていますが、いくつかの用事を1日で片付けたいと思うと断然自転車が優位ですね。

私は夏の終わりのデパートの靴売り場のバーゲン会場で、バーゲンではなかったけれど、秋冬物の靴の中に、もしやこれは私の足にもフィットするかもしれないなと思った靴を見つけ、思い切って購入しました。
この10年くらい、足のサイズの長さの割りには幅広でなかなか合う靴がなく、仕事柄歩くことも多くて、ウオーキングシューズをいかなるときもずっとずっと履き続けてきました。もちろん場面に応じてドイツ製の革のスニーカーを履いたりとそれなりに気を使いながらでしたが。
去年池袋西武の「スマートピンク」でデザイナーの横森美奈子さんが私のウオーキングシューズ姿を見て「おみ足が悪いんですか?」とコーディネートアドバイスで声をかけてこられたほどです。以来、私は自分に合う歩きやすいお洒落靴がきっとあるはずだと探し続けてきました。

14日付の新聞に、「ウオーキングシューズに新風 オシャレ重視 散策に食事に」と大きな見出しが躍っていました。家庭面ではなくて経済面に載っていて「浅履きのデザインで、靴ひもがないバレーシューズタイプのカラフルなもの」が今年は続々登場しているそうです。

私は夏の終わりに買った新作の靴をすでに何度も履き、パンプスを履いたときの脳天に響くような痛みが足にまったくないことで夢見心地でいます。
私の買ったバレーシューズタイプの靴の靴底を出来るだけ減らさないで済むようにと、それが自転車で出かけた本当の理由のひとつですが。
この靴に出会ったおかげで、今までタンスの中に眠っていて出番の少なかったスカートもブーツのシーズンまで待たずにこれから気軽に穿いて外出ができそうです。


虫の声

2007年09月13日 | Weblog


気が付いてみるとあれだけ姦しかったセミの声がいつしか途絶えています。
夜窓を開けていると虫の声がどこからともなく聞こえてきます。わずかな我が家のベランダガーデンの草群れの中にも秋の虫はひそんでいるのでしょうか?

今日は久しぶりに山口画廊に行き「小林健二展」を観ました。
前から関心のあった小林氏の作品をぜひ一度観たいと思っていましたが、パワフルでモダンでしかも土着を感じさせる懐かしさもあってとそんなヒタヒタと静かなしかし大きなエネルギーに包まれた作品群に惹き寄せられました。展示作品のひとつひとつが観た瞬間から脳裏にくっきりと焼き付けられたとそんな感じです。解説の詳細は、山口さんの画廊通信「夢に目覚めるものへ 小林健二展」を山口画廊のホームページでご覧下さい。
9月15日17時、作家小林健二氏が山口画廊に来廊されます。「画家にして科学者、豊穣な感性の詩人にして、広範な博学の使徒」と山口さんが語る小林健二氏のギャラリートークに私も参加したいと思います。皆さまもお気軽にどうぞ。

山口画廊のとなりは手作り生ロールケーキが評判のケーキ工房ルーレ
今日は私も定番のロールケーキハーフサイズを買って帰りました。

今日の写真はルーレの玄関先で元気に育っているハーブです。
人と植物はどうやら繋がっていて、人が元気だと植物も元気、そのまた逆もありで不思議ですねぇとそんな話をルーレのかおりさんとしました。

夏の間バテバテだった人も植物も動物も、涼しい風が吹くと一気に元気を取り戻しますね。


傘の行列、夕方には燃える夕景

2007年09月12日 | Weblog

朝から昼過ぎまで激しい雨が降りました。
ベランダから下のバス停をみると、長い長いバスを待つ人たちの傘の行列が出来ていました。(写真)
私は、昨日は土砂降りの雨と外出が重なりずぶぬれになりましたが、幸いなことに風がなかったので少し助かりました。通勤時の雨風は有無を言わずに出かけなければならない働く人たちには大変ですね。

日暮れが早くなって、夕方は晴れ渡った空にオレンジ色の真っ赤な夕焼けが空を染めていました。まるで空が燃えているような夕景に見惚れました。

安倍総理が辞意を表明したニュースが流れ、しばしニュースに釘付けになりました。
「美しい日本」「戦後レジームからの脱却」「平和憲法改正決議案」などこの1年間にメディアを賑わしたこれらのコピーは人が替わると瞬く間に影をひそめるのでしょうか?最近の何かを決意したような孤独な宰相の姿に痛々しさを感じていたのは私だけでしょうか。あれだけマスコミや同僚政治家に言葉で叩かれればよほどの頑健な精神があったとしても神経症になっても不思議ではありませんね。
それにしても所信表明演説が終わり、これから国会質問が繰り広げられるという矢先のスッポカシともとれる突然の辞意表明にはよほどの何か隠された事情があったのでしょうか。驚きました。

窓を拭く

2007年09月11日 | Weblog

だらだらと過ごした夏のつけが回ってきたのか、少し日常があわただしくなりました。「山に登ろう」と決めて、その準備のために夏の間狂いっぱなしだった生活習慣を正常なサイクルに戻す努力をまずやらなければなりません。
やろうと決めれば出来るし、決めなければ何も出来ないということも言い古されてきたことです。

何をやったかというと、しかし大したことは出来ず、台風で汚れた窓を拭きました。そしてカーテンを洗いました。汚れていないように見えても夏の間窓を開けっ放しにしていたことも多かったせいか結構汚れていました。
洗濯機をガラガラ廻し、きれいさっぱりとしました。

昔の人はいいことを言いました。「水に流す」と。名言ですね。
水仕事をしていると、汚れた衣類から食器類まで、本当にきれいに汚れが落ちていくのは快感です。その作業を通しながら心に溜まった澱や汚れもいっしょに洗い落としてスッキリサッパリ。こんな瞬間を私は幸せだなあと思います。
衣替えにはまだ少し早いけれど、普段はあまり手をかけない家事も丁寧に行いたいなと思います。