無知の涙

おじさんの独り言

東北のいま~陸前高田~

2011年07月20日 | 2011年7月 東北

一路、陸前高田市へ。

 

 

 

 

 

陸前高田市は太平洋に面しており、美しいリアス式海岸が見られる。ただ、311の際にはそのリアス式海岸が波の力を強める形になってしまい、大津波が襲った。市中心部は市庁舎もろとも壊滅し、市の全世帯中の7割以上が被害を受けたという。

 

震災当時。

 

運転をしながら、311のあの悪夢が甦る。どうしてこんな事になってしまったのか。一体何が悪いのか。誰が悪いのか。何のせいでもない。運が悪かったのだろうか。なぜ東北だったのだろうか。海洋プレートの上に浮かぶ島。どこで巨大地震が起こっても不思議ではない。自然にとってはほんの少しの違いが、時に何万という人間の命を無慈悲に奪ってゆく。

自然から生まれ、生かされて、長い時間を掛けて造りあげたものを、全部その自然に奪われるように壊されて、消されてしまった。自意識を持つ人間が生涯考えるであろう、自分は何の為に生きているのか?という問いかけを嘲笑うかのように。何の為でもないし、何の意味もないよと。白けてしまうほどの現実。

 

辿り着いた僕の眼前に広がっていたのは、そんな光景でした。

本当に5階建てくらいの建物も波に飲まれている。

 

 車を停めて、呆然と歩く。

本当にかつて此処に人々が暮らしていたのだろうか、と思ってしまうほど、何もかも壊されていました。

この破壊され、うず高く詰まれた残骸こそ、人が暮らしていた何よりの証である。

 

足元に木の棒が打ちつけられていました。赤い印がある。ここに遺体が埋まっていたのだろうか。

突然に波に襲われ命を奪われる恐怖というものは、一体どういうものなのだろう。どれほど苦しいのだろうか。そして子供を失った親、親を失った子供の無念さは。今朝まで笑顔で生きていた人が、なんの前触れもなく永久に消えてしまう。とても多い数の人間が色々な理由で日々亡くなってゆくが、これはどういうのだろう。

寿命を嘆くこともできず、他者を憎むこともできず、決意された死を痛ましく思うこともできない、身近な人の死。天を呪っても仕方がない。本当に全知全能の主というものがいるとするなら呪って怨んでも良いのだろうが、残念ながら所詮我々は生きる条件が整ったが為に誕生した生き物にしか過ぎない。そんなものに祈ったり呪ったりしたところで何の解決にもならない。

だから生き残った人たちは、懸命に瓦礫を集め、運び、かつての日常を力強く取り戻そうとしているのだ。

そんな事を考えながら、地面に打ち込まれた木の棒を眺める。ふとその先を見ると、ポツンと向日葵が咲いていました。

 

「条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いものもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何ももてないんじゃないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ? 強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」

 村上春樹 風の歌を聴け より抜粋。