無知の涙

おじさんの独り言

KTM

2010年06月06日 | 
いきなりお下品ワードが
これでもかと並んでおりますが、
そういう店に行ったわけではありません。


※以下、下ネタと称される類の表現を含みますので、女性や苦手な方は読み飛ばして下さい。




写真の下の方を見ればすぐ分かりますが、そう焼肉屋ですね。


昨日は地元の焼肉屋に友達と行って来ました。


なんでも評判よろしいらしい。


で、20時に入店。
メニューを見て衝撃が走り、
激写に至った次第であります。


キンタマ食うの!?
ちょっ、考えただけで、
足の力がスーッと抜け、
いててて!となる。


共食いじゃねぇか!
いや、意味わからないけど、
何かこう切実な共感を覚える。


誰しも男に生まれたら、
その瞬間からコイツを背負い、
背負いというかブラ下げ、
死ぬまで共に生きてゆくのだ。


しかもこの自由な、
何ものにも縛られないコイツは、
およそ有り得ないくらいに無防備な場所でフラフラしてるくせに、生卵くらいにすごくデリケート。

コイツに何かの物体が衝突しようものなら、その形容できないほどの痛みに涙を浮かべながらひざまずき、その痛みが去りゆくまでブルブル体を震せ、しまいには僕はどうして生まれて来たのだろうという、生命の根源に帰するような大きなテーマに辿りつくことになる。


だからプロ野球の珍場面などで、選手が球を玉にぶつけ悶絶してる、痛々しいチン場面なんかを見ていると、心の底から同情する。

見世物では、ないのである。

それどころか、あろうことか、「ウー、マンボ!」のテーマで何回も巻き戻したりして笑いを誘おうとするなど言語道断である。


僕が幕ノ内一歩なら、そのブラウン管にデンプシーロールを叩き込んだであろう。


そんな危うい存在であるが、
しかしこの存在なしでは、
種の繁栄ができない生物がいる、
我々人類もその一種である。
人類みな兄弟。

或いは人類が神と崇めているのは、コイツなのかもしれない。

それは我々の生活そのものであり、そこかしこにソレは顕るのである。

桜木町の踏み切りあたり、
新聞の隅、
向かいのホーム、
こんなとこにあるはずもないのに。


脱線しすぎ。
まーそんな訳でキンタマを喰うか喰わないかの話しになったのですが。

困ったことに店員さんが、みんな若い女性。

「あのう、キンタマください」なんて言えない。言えない名前をつけるな。せめて睾丸だろ。

おっぱいバレーを思い出した。


KTMでも可、にしてください。

友達「マタンキでいいんじゃね?」

いや、ダメだろ。