無知の涙

おじさんの独り言

免許更新

2007年10月13日 | イベント・行事

もうすぐ誕生日DEATH・・・。はぁ、もう32年間も生きてしまったのか。

建物ならとっくに老朽化です。

建物なら建て替えれば良い話ですが、人間はそうはいきませんからね。

かの哲人ニーチェと同じ誕生日だということだけが、唯一で全く無意味な誇り

まぁ誕生日なんかどうでも良いのですが、今年は免許の更新があったので、金曜日に休みをもらって免許センターまで行ってきました。

休みをもらったのに午前中は仕事してましたけど(-_-;)

昼前くらいに免許センターへ行ったのですが、かなり混んでましたねぇ

でも非常に免許センターの職員の方たちの手際が良くて、スイスイ進みましたが。あれは立派なものですね。親切にいろいろと教えてくださるし。

手続きで1時間、講義で1時間くらいでした。

講義の時間に「飲酒事故、破滅への道」とかいうDVDを見せられました。

講義の方がしきりに「このビデオは里見浩太郎が出演してる」とか「このビデオに出てる里見浩太郎はいま水戸黄門をやってますね」とか、すっかり里見浩太郎談義みたいになってました。

僕としては、いやソレDVDだよ、という思いでイッパイだったのですが。

実際にDVDを観たら、確かにスゴイ。出演してる人達みんな俳優ですか?

里見浩太郎さえ知らないので、他の方たちは全く知らないのですが、演技力がスゴイ。子供もスゴイ。

普通に昼ドラくらいのクオリティ。

おかげで泣きそうになりましたよ。映画館ならまだしも、免許センターで講義用のDVD見て泣くわけにはいきませんから、そこは我慢しましたが。

で、観終わったあとに、ようやく新免許を頂きました。

なんでもナントカカントカというのが免許に入ってるらしく、ちょっと厚い。キャッシュカードみたいな感じです。暗証番号が登録されているのです。スゴイですね。

思えば6年前ですか。早いなぁ。人間的な成長が完全に停止してるので、ぜんぜん実感ないです。

そう、僕は26歳の時に免許取得したのです。遅いですねぇ。

18歳のときに免許センターへ通ったことがあったのですが、教官とモメてしまい、そのまま辞めてしまいました。本当にあの頃は明らかなる阿呆でした。

それから改めて免許を取りに行こうと思うまで8年間の月日を要したワケです。

免許は合宿で取りました。

今の仕事について1年半くらい経過した時でしたかね。

人が増えて仕事がなかったので、ヤメるキッカケになるかな、と思ったのですが。

もともと手伝いというような話で、3ヶ月くらいだろう、ということだったのですが、あれよあれよとズルズルズルズルなってましたので。今も続いていますが(-_-;)

合宿場所は山梨にしました。富士山を見ながら教習なんて、なかなかオツかなと。

期間は15日ほど。

山梨行きの電車に乗ったときの、あの全てから開放された感覚は忘れられません。

とにかくこの1年半、全く本を読む時間が無かったので、合宿先では本を読みまくろうと考えていました。

読まないまま積まれている本を全てバッグに入れたら、もう重くておもくて腰砕け状態でした。ハードカバーでも10冊くらいありましたから(^_^;)

実際に到着して、まず驚いたことがド田舎

教習所と古いアパートみたいな宿舎しかない。あと小さな食堂。

30分くらい歩くとコンビニやらスーパーがありますが、あるのはそれくらいのモノです。

ほとんど静養のつもりでしたので、まぁそれはそれでいいかな、と思いましたが。

でも最初の1週間くらいはバタバタしてましたね。

1日ずっと教習所にいました。講義を受けて、車乗って、また講義受けて、と。

最短で教習を終えられるように、全て教習所側でセッティングしてくれていて、僕はそれに従うfだけでしたから楽でしたね。

1日中ずっと教習所にいるって言っても、18:00には終わってしまいますからね。

平日の18:00に部屋でボーっとしているなんて、1年半なかったコトでしたから、どうしていいのか最初は戸惑いました。予定通り、ずっっと本読んでましたけど。

教習所が用意してくれる食事は朝御飯だけです。昼、夜は自分で用意しなければなりませんでした。

やはり夜は晩酌がしたくなるものです。

宿泊している施設のそばにある小さな食堂で朝御飯を食べてたのですが、そこが夜になると居酒屋みたいになるので、教習が終わると風呂入ってから、そこで本読みながら酒飲んでました。

酔っ払うと、帰って寝る。

もうユルッユルな生活でしたね。

その宿舎には僕の他に若い悪ガキ連中が6人くらいいました。

まぁ、教習所には付きモノですね。

その連中からコトあるごとに「地元のキャバクラへ行こう」と誘われて困ったモノでした。

そんなもんワザワザ山梨に来てまで行きたくない

じゃあ、夜中帰ってくるからカギあけてくれる?と悪ガキ共のリーダーみたいなヤツから言われました。門限が決まっているのです

時間になると、教員がやってきて戸締りをしてしまうのです。

それならいいよ。

開けるも何も閉めなければ良いのです。

何故か教員の人たちから、勝手に責任者のような仕事を任されていたので、カギの施錠もフロの時間も僕の思うままだったのです。

何を勘違いして僕にそのような大役を任せてしまったのか全く理解不能ですが、

おかげで無法状態

僕はただ心静かに本を読んでいられれば良かったのです。

10日もすると、けっこう講義も消化してしまい、暇な時間が多くなりました。持ってきた本も読み尽くしてしまいました。

昼間でも3時間くらいは待機。

車に乗るばっかりでした。

しかしあのマニュアル運転の楽しいことったら

最初はドキドキでしたが、慣れてくると、あのペダルの踏む感覚と、ギア操作ガンダムの操縦みたいな感じで興奮しまくりでした。

極度の方向音痴なので、道順を覚えるとか苦労しましたが。

初めて高速に乗ったときはかなり感動しましたね。山梨の方なので、全然混んでない。360°開けた視界に、加速するスピード。

気分はもう「モビルスーツの性能の違いが戦力の決定的差でないということを教えてやる!」状態でした。調子に乗りすぎて教官から怒られましたが

そしてついに最終日。

正確に何日要したのか忘れてしまいましたが、最短だったと思います。試験という試験は全く問題なく全てパスしてましたので。

合宿生特有なのか分かりませんが、けっこう試験ありました。

僕より前からいるハズの悪ガキ連中はまだ卒業できないようでした。

まぁキャバクラ行って遊んでた罰ですな。僕はきちんとテスト落ちないように勉強もしてましたから。昼間の暇な時間は買い物行く以外は勉強してました。

バカだから勉強しないと全く覚えられません。

最後の試験。その日は僕がこの土地に来て初の快晴でした。

山の中だったせいか、本当に連日の悪天候で、せっかく山梨にいるというのに全く富士山が見れなかったのです。

最後の最後に富士山を見ながら、車を運転しているとちょっと胸が熱くなりました。

そうして僕の合宿生活は幕を閉じました。

東京に帰ってから、すぐに筆記試験を受けに行ったのですが、なんと不合格(-_-;)

あれはショックでした。自信満々でしたから。あまりにショックで何故かアネキに電話してました。

いま考えてみても不思議だ。何故あそこでアネキに電話したのだろう。