松本から、すわ(諏訪)にいどうした・クリンたち
あこがれの
すわ大社を たずねます
すわ大社は
すわこ(諏訪湖)のまわりの
4つの神社の そうしょう(総称)
4社とは
・上社(前宮と本宮)
・下社(春宮と秋宮) です。
奥様の神様は
ダンナの神様に『別居』を言いわたし、
下諏訪に行ってしまったそうです
クリンたちが
まずおとずれたのは、
おくさまのお宅
(※現在、奥様は、こちらの秋宮に いらっしゃいます。)
「この諏訪旅行で、
美味しい食べ物に出会えますように・・」
ここから
春になると
おくさまは
こちらのお宅に うつってくるらしい
さて
つまに
家から出て行かれた ダンナの神様はというと
かみすわ(上諏訪)の本宅に
住んでます
さすが、おくさんに二つの家を
もたせているだけあって
ろうか(廊下)なんて、
どこまでも・長い
使ってる人のかずも
下社にくらべ
このフウフ(夫婦)、
二人そろって
ごうてい(豪邸)に住んでいるので、
どろぼうに
入られないようにするために
ぶっとい・モミの木を4本立てて、
守っています
すわ大社は
4社×4本ずつ
「結界」となる・おんばしらが
ひつよう(必要)
計・16本のモミの木を
山から切り出す時に 人がびんじょう(便乗)したのが、
「御柱祭り」だったのです
四すみに「御柱」が立ってたのを、
・・・・・
セキュリティ万全な
ごうてい(豪邸)で、
ダンナは通いの
一人ぐらし・・
「クリン、そんな暮らし、さびしくてやだ。」「うちは別居なんか、絶対ないぞ
」
早朝、
「長野県・松本」についた、クリン家一同
お車を止めて
まつもとじょう(松本城)へと
向かいました
おしろの向こうから
朝日がのぼり、
地元の人が
からすじょう(烏城)とよぶ 黒いおしろが
その全ボウを あらわしはじめます。
みなも(水面)にうつる
うつくしい
明けガラス・・
国宝の天守が
おほりにうつり、
信州の すんだ空気にあらわれて
とてもキレイ。
おほりの周りをさんぽする人たちも
みんな、
しばし・見つめます
「松本の人がほこるの、分かるね~」
「『おひさま』でもさ、陽子たちがお兄さんたちに
松本城に連れて行ってもらうシーン、あったよね。」(NHK朝ドラ)
(そういえば・・)
よう子は
「旧制松本高校」にかよってた 『初恋の人』に
このおしろ(城)で
手をとってもらって
ドキドキしてた・・
「明日は長野のりんごがどっさりあるので、アップルパイを作る・・」
と
3日前、
ジェマちゃんのメールにありました
ところが、
ぐうぜんにも
「秋ドライブの計画」をねっていた
おにいちゃんとチットが
「今年は長野に行くよ。」と
言い出したのです
・・・・・
(目下、「お菓子抜き」ダイエット中)
まさか
「大戦末期なんて
食べるものなくて、芋ばっか食べてた。
都会の人たちは空腹で空襲から
逃げまどってた。
飽食の現代人は反省すべき」
というのが
れきしにくわしいチットの
りろんです・・
東京の人たちの
そかい先として
「長野」は わりと、ポピュラーだったらしい・・
<下道で多摩から4時間、松本着>
・・・
ながのには
しぜんのめぐみが いっぱいありそうなのに
そういうものに
ありつけるんだろうか?このたび(旅)・・
クリンがおそれをなしていると
おにいちゃんが
こっそり・耳打ちしてきました
「事前に、諏訪の美味しいアップルパイの店、チェックしてきたぞ。あとで行けるようにするから。」 「ほんとう?おにいちゃん
」
こうして、
ながのたび(長野旅)は スタートしました
ラストは、「福岡県・門司観光」です
フグの町・下関から、
目とハナの先にある
モジ。
そこはもう
べつの国・・
ようかん(洋館)チラホラの
じょうちょ(情緒)ある、
みなと町
明治・大正のフゼイを、のこしています。
こうわん・とし(港湾都市)らしく、
えきしゃ(駅舎)からして、
レトロ・シック。(門司港駅)
フンイキ・あっぷです
モジは、
えき・まわりに
すべてのかんこう(観光)場所が あつまってるので、
トホで・こと足ります
そんな
ぎょうしゅく(凝縮)の レトロ地区は
こじん・びじゅつかん(個人美術館)の
おもむきです
わたせさんの絵
その・大人の男女の デート・シーンは、
モジをブタイに
ものがたりが てんかい・していました
しものせきと、モジは
こんなに近いのに、
フグりょうり(料理)のこと、
なんか・わすれます
つまり、
ハイカラ・ろせん、なのです
小さな・みなと、レトロ地区。
しずかな・やけい(夜景)に つつまれて
クリンも
お昼を食べた、クリンたち
お店の前に広がる海を
見ていたら、
フェリーのりばが 目にとまりました
・・・
ここから、がんりゅうじま(巌流島)に わたれるみたいよ
チットをよぶと、
「そうらしいの。
2人が付き合ってくれたら、行ってみたいな・・」
と
打ち明けました。
もちろん、
クリンとおにいちゃん、付き合うに決まっています
島までは、
フェリーで10分。(30分おきに出発)
その間、
「船内アナウンス」で
むさし・VS・こじろうの けっとう(決闘)について
せつめいがあります
はんめい(藩命)により
「剣豪・宮本武蔵」と
たたかうことになりました
そのブタイが、「巌流島」
しあい当日、
むさしは、
おそくまでネンネしていて、
おきたと思ったら、ごはん食べたりして、
「約束の時間」に おもいっきり・おくれました
(おそいぞ!武蔵)
イライラまってた・こじろうは、
あたまに血がのぼっちゃって、
まけたのです
ぐるっと一回りすると、
ちょうどいい・さんぽコースの
この島、
「関門海峡」をのぞみ
しものせきと、モジ(門司)が
てきとうに、休める
「あずまや」もあり
タヌキも ウロウロしてたり、と
ともかく、
島のはじっこまで行くと
たのしいね~
さらに・さらに
そのおくには
「だまし討ちするような奴、嫌いだ。」
とかって言ってた
おにいちゃんですが、
血がさわいだようです
かまえた
ふりおろす
・・・・・
いとうひろぶみ(かんじ:伊藤博文)によって、
「ふぐ料理・公許1号店」になった、
しゅんぱんろう(春帆楼)
その、
入り口のところに
山口に来たら、
ふぐを食べなきゃ・はじまらない
って
かいてありました。
「 ふく食わぬ 者はとおさぬ ふくの関 」
・・・・・
ふと見れば
この・かいわい、
ふぐをかかげる、店だらけ
場内には、いけすが たくさん
そのよこの、
シーサイド・スポット、「カモンワーフ」にも
ふぐが あふれてます
目を見はる・クリン
それを見た
おにいちゃんが、
「グリン、フグは、今回の旅行のメインだぞ」
と言い
グルメ本を とり出しました
そして、つれていかれたのが
市場の外れの行列店、
ポンズ(酢)がきいてる、
女性向けの味と食べごたえで
クリンにぴったりでした
おにいちゃんは
話によれば、
「フグの旬は冬。
でも、今は
養殖あるから 一年中食べられる。」
とのこと
はずみがついた、クリンたち
その後も、ふぐざんまいで もり上がります
(夜:ふぐ御膳)
(翌朝:ふぐ雑炊)
ほか、
しものせきは、くじらも名物とのことで、
今度は、
冬にアンコウ食べに来たいなあ
ばくまつ、
「倒幕」にもえて、日本中を シンカン(震撼)させた
長州
つまり 今の山口県ですが、
なかでも 下関は
古来より、
かずかずの 「歴史の舞台」になってきました
その一つが
「源平合戦・平家滅亡の地」である
だんのうら(かんじ:壇ノ浦)
赤間神宮が、たっていて
だんのうらに入水した、
平家の血すじ・「安徳天皇」や、
さらに
本堂よこには、
「耳なし芳一像」まで
あんち(安置)されています
ここは
「阿弥陀寺」というお寺だったそうです
そこに住んでた、ほういちは、
ビワ(琵琶)の名手で、
「鬼神も涙をながす」
と いわれるほどの
平曲の語り手
でも
それが・わざわいして
ヨナヨナ、
はかの前で うたわされたあげく、
耳を もぎとられて・しまったのです
そんな・いわくつきの、
あみだ寺ですが、
その方丈のあった所に
明治になって・たったのが、
「料亭・春帆楼」
(赤間神宮のとなりにたってます)
明治時代、
日本と、しん(清:今の中国)は
「朝鮮は、オレのものだ」って
言い合って、
せんそうしました
かった・日本が、
負けた方の代表を
よびつけたのが
ここでした。
当時、しゅんぱんろう(春帆楼)は
「ふぐの名店」として
首相(伊藤博文)の お気に入り
いとうは
自分の地元のこの店で、
しものせき(下関)条約を とりかわしたのです
「教科書に載ってる、絵と同じだ!」
と
れきしにくわしい・チット、コウフン
はじめて その実力をためされたのが、
「日清戦争」でした。
でも
ここでの・かいぎ(会議)で がっぽりと
「賠償金」を まきあげた日本が、
50年後に たどったうんめいは、
ヒサンでした
・・・・・
うら手の 「李鴻章道」を歩き、
日本のこと、
れきしのこと、
吉田しょういん(松陰)や、
シシ(志士)をはぐくんだ・町、「萩」
・高杉晋作や桂小五郎の家などが
おうじ(往時)を今に 伝えています
そして
町の北がわ・指月山の ふもとに
「輝元」がたてた、
毛利のしろ(城)が たっていました
ほりと石垣が、のこるのみ。。
なのに、
はいご(背後)に座る、指月山が
まるで、本丸のよう
「 西国の
つわものどもが 夢のあと 」
って、かんじです
とてもキレイな 海水で
「菊ヶ浜」って よばれ、
海水浴場になっています。
白砂・青松の ビーチは、
その昔、「阿武の松原」ってよばれ
うたに
よまれたそうです
こんなイイ海だから、
(浜料理・がんがんにて)
「津和野の藩校・養老館」に
石州ブシ(武士)・ここにあり
の
せいしん(精神)を見た、クリンたち
ですが
おとなり、山口県・はぎ(萩)には、
ばくまつに
多くのシシ(志士)を 送り出した
「私塾・松下村塾」が、あります
はぎの「藩校」は、
「明倫館」ですが
それよりも有名なのが
ここ・しょうかそんじゅく(松下村塾)
ばくまつに
「思想家・吉田松陰」が、
身分を問わず、若者に、
「これからの日本」について、おしえた所です
・高杉晋作
・久坂玄瑞
・伊藤博文
・山縣有朋
など、
いしん(維新)をもたらし、明治政府でもかつやくした
お侍が、いたそうです。
先生は
若くして、ばくふによって・処刑され、
多大なる・えいきょうを、
与えただけの人ではあり、
今もなお
そのことばは、「格言」として
伝えられています
たとえば
「親思う・心にまさる・親心」(処刑前に家族に宛てた、「永訣書」)
クリンのお気に入りは、
「立志尚特異」
(こころざしを立てるためには、
人と・ことなることを、
おそれてはならない)
っていうイミです。
東京から、車で出かけたクリンたち
まず、向かったのは
「山陰の小京都」と よばれる、つわのです。
ずいぶんな、
山の中にある町だということ
もっと、平たんな所にある
もっと、たんたん(淡々)と、
キレイな町だと
思っていたのですが、
そこに・あらわれたのは、巨大な「赤鳥居」
町を見下ろす高台に、
ここから見ると、
つわのって、山間の小さな村。
そして、
自分たちだけで、がんばってきた
「完結した自治体」
という・かんじがします。
なんだか、どくとく(独特)なのです。
古い・どちゃく(土着)の
日本文化をかんじさせ、
ちょっと こわいです・・
「津和野駅」の前の
メイン通りの両サイドに、
見所のすべてが、あつまっている
「効率の良い観光地・津和野」
そのすぐ近くの
白かべ(壁)のとおりに、
つわのはん(津和野藩)が、ほこる
「藩校・養老館」が
ならんでいます。
つわのはん(藩)主は、
ブンブ(文武)に秀でた
武士の国・石州、を
めざしました
決して、かんきょう(環境)にめぐまれたとは 言いがたい
石見の国を、
がんけん(頑健)に きたえるために
「幕末~明治」にかけ、
この、ようろうかんからは、
2人のけん(賢)人が
出ました
一人は、もりおうがい(かんじ:森鴎外)。
もう一人は、にしあまね(かんじ:西周)。
おう外は、亡くなる直前に「津和野生まれの自分」について書いていますが、
今回それをよんだチットが、
「まさに文豪の辞世文」と
かんどうしていました
そして、おう外の
西あまねは、
医者の家に生まれ、
ようろうかんに通い、
あたまが良くて、目立ちました
そして・オランダにりゅう(留)学し、
「最後の将軍・慶喜」に仕えました。
ゆきち(福澤諭吉)や
ありのり(森有礼)たちと、
明六社を立ち上げて
「文明開化」の
にない手に、なったのです
こんな・田舎から、
そんな・れきし的人物が、ふたりも・・
となりが長州はん(藩)だったにも、かかわらず
中立をたもったそうです
・・・
すごい。
山口旅行から 昨日、きたく(帰宅)・いたしました
こんなに長く、たびをしたのは、
久しぶりです。
うちのおにいちゃんは、足がわるく、
あまり・あるけません
だから
何泊もしたり
何ヶ所も かんこう(観光)したり、
できないと思われて、いたのです
でも
「全行程を車移動」にすることによって、
なんとか・なりました
・・・・・
もしかしたら、
おにいちゃんみたいな人、けっこういるんじゃ・なかろうか
クリンたち、
お車で行けるよってこと、
おしえた方が、いいんじゃないかな?
って
話しました
・島根県の津和野
・山口県の萩・下関
・北九州の門司
「東京都多摩市」からそこまで行くには、
ふつう、ひこうき(飛行機)や
てつどう(新幹線&特急&バス)
をつかいますが、
アンヨ・イタイタの場合、
自宅から、車にのったほうが
歩くキョリ(距離)が少なくてすみます
つわの(津和野)まで、片道1000kmあるので、まず・「給油」
(ガソリン代は、軽自動車で 往復14000円 ※L・135円前後)
外せないのは、
夜・出発すること
と、
ナビをつけること
じゅうたい(渋滞)に まきこまれたら
たいへんです
クリンたちは、
往路:「横浜町田IC」から、東名~中国自動車道→津和野
(高速でスイ~)
目的地まで、
ノン・ストップで、11時間
休けいしたり、
ねたりするので 15時間
でも、
「高速料金・ETC深夜割引」のおかげで、
7000円、と おトクです
(つまり、往復15000円)
復路は、
中国自動車道~山陽自動車道~中央道
(混むまで下道でゆっくり)
このルートを使ったのは、
かえりみちに、
山口と広島のさかい目にある、
岩国市。
そこは、日本一有名な、はしの町
こんなのが、かえるついでに見られるのだから
さいこう
その後は
さっさと高速にのらなかったので、
行きより・時間がかかりましたが、
<翌朝:諏訪湖SAにて>
パックのツアーも安いけど、
自分たちのペースで行けて
なおかつ安い、
この方法
大家族や、学生さんにも おすすめです。
ひとつ、気をつけたいことは
エアコンをつけてても、
水分ほきゅう(補給)は ひんぱんに
ときどき、
高野山で、
「佐伯眞魚」こと、空海の
れいりょく(霊力)を、浴びたチット
そして
チット同よう、パワーかんじたユネスコは、
「紀伊山地・熊野・吉野」を
せかいいさん(世界遺産)と しました
しかし
この山エリアには
空海だけでなく、もう一人
れいりょく(霊力)みなぎる・おじさんがいるのです
<役行者>
うちのチットは、
この、空海よりも先に出てきた
超人のこと
気になるみたいです
二人のなわばり(縄張り)は、主に
・和歌山県=空海
・奈良県=役行者
そんなら、
どっちか片一方の山だけ行く、というわけにはいかない
チットは 公平をきすために、
ナラの吉野も、たずねました
<金峯山寺・蔵王堂と、金剛蔵王大権現>
この中に、ひぶつ(秘仏)の、真っ青な仏さまがいらっしゃいます。
去年、しんさい(震災)がおこったことで、「ご開帳」になった、ド迫力の仏さま
「拝観料」は、1000円ですが
これだけは、
必見です
もともと、
きんぷせん(金峯山)と言われていた、この山で、
えんのぎょうじゃは
しゅぎょうし、
「蔵王大権現」のお告げを 受けました
その時、
ごんげんさまのお姿を
桜の木にきざんだことから、
のちの人々が、さくらをうえるようになり
いつのまにか全山、
さくら
そして、名所になりました
吉野のさくらは3万本。
ふもとから、
下千本・中千本・上千本・奥千本の
4つのエリアに分かれてて、
時間差で咲くので、
3月末から5月上旬まで たのしめる♪
ってことになってます
今年は咲きはじめがおそく、
下千本エリアでも
4月2週目に入って
やっと咲きはじめたらしい。
チットたちがおとずれたのは、4月19日。
下千本のさくらは
ちって、ちって、
さくらふぶきでした
先ほどの、「蔵王堂」があるあたりが
中千本エリアですが
ちょうど、見ごろをちょっとすぎたかな?
という、ピークで、
花見客は、ぜっけい(絶景)求め、
「上千本・奥千本方面」にむかう、
ロープウェーに列をなしていました。
「奥千本」あたりは
団体客が行かないので、
とてもしずかで、
ひなびたたたずまいの、良いところ
まさしく
「花さか爺さん」に会えそうな、さくらの世界です
ですが、
ハイキングはムリ!
って人におすすめなのは
中千本~上千本あたりをながめ、
ざおうどうにおまいりし、
おみやげを見たり、ランチしたりすること
とにかく、店が多いので
どんなに人出が多い日でも、
食べられないこと、まず・ないです
「吉野葛入りそうめん、柿の葉寿司、くずもち」など、ていばんで、キメてください
食べ歩き用の、
おかし・おにぎり・たきこみごはん・軽食も
あるので、
とうげのあたりで
さくらの下、すわってたべても、いいかんじ
ちょっとだけ・歩きますが、
「五郎兵衛茶屋」(峠)から見たけしきは、
さいこうです。
いくら人がいても、
とりの声がきこえるしずけさ。
広々として、すてきでした
アンヨ・イタイタで来られない・おにいちゃんのことを思い、
チットは、このけしきが
かなしかったそうです
でも
一目見たほうがいい、さくらを見ることできてよかったな
とも、思ったそうです。
時間のない「観光客」は、
「蔵王堂・吉水神社拝観」と、
みやげさがしで
おわり、
こちらの、吉水神社からのさくらをながめて、
「おお~!(カシャッ)」
って、よろこびます。
「後醍醐天皇居所~南朝朝廷跡~」である、吉水神社も、おもしろいです
が、
ランチタイムもふくめ、4時間はとらないと、
「吉野に来た」というだけでおわってしまう。
と、チットは言います。
ぜったいに、「五郎兵衛茶屋」のあるとうげまでは、
いかないとダメ
ハイキングコースもいっぱいだから、
うんどうぐつ(運動靴)で来ないとダメ
おみやげも、目うつりするほど たくさんあるので
大きなバッグで来ないとダメ
おみやげに、
くずのおかし(秋は柿のおかしも)は、
マストですが、
「おとうふのけんきゅう(研究)なんか
口実で、
こうやさん(高野山)には
りょこう(旅行)で行ったんでしょ」
クリンは問いつめました
するとチットは
「確かに豆腐は二の次で、高野山には
ずっと尊敬していた方に
会いに行ったの。。」
と、言いました。
チットがせつめいするには、
その方の名は
「さえき・まお(かんじ:佐伯眞魚)」
しんごん(真言)宗の お坊さんで
すごい長生き。
いまだ、全国ツツ・ウラウラに 出かけては、
人々のため はたらいている、えらい人
ぼち(墓地)と
杉木立にかこまれた、
リッパなお堂の 地下室に
さえきさんは住んでいます
「戦国大名の墓の六割は、ここの墓地にあるんだって」(チット談)
「秀吉」や「お江」
有名人や、
きぎょう(企業)の はかとならんで
こんなおはかも、見つけました
「佐伯さんは
若いころから優秀で、中国に官費留学してたエリートでね。
帰国してからは、
仏教だけでなく、学校開いたり、
温泉見つけたり、
土木工事を指揮したり
社会事業家としても活躍されたんだよね。
しかも、能書家で、字が上手いのよ。」
さえきさんは、
「諸国を行脚」してるので
ふだんは、会えない。
でも
五色のまく(幕)がたれ下がっている、
今なら、お宅にいるはず
そう、言われています。
ただ、
さえきさんは、シャイなのか
地下室に こもりっきりで、
「朝夕のご飯を運ぶ人にも、姿を見せないんだって。」
チットも、やっぱり会えなかったそうです。
・・・・・、
ん
なんか、この人の話
どこかできいたような・・
(トコトコトコトコ ガタッ、バサッ
)
あった・・
「讃岐の国、屏風ヶ浦の佐伯直田公のやかたでは、(中略)
お告げのとおり、男の子が生まれました。
後に、お大師様となられるお方です。
幼い時の名は『真魚』様でしたが・・・」(教育まんが「お大師さま」(大道社)より)
さえきさんって・・
春休み中、
「豆腐料理」に こっていたチット
<豆腐百珍の本>
江戸っ子は、
「三白」といって、
「大根・米・豆腐」を食すことを、
イキと かんがえていたらしい。
みんなこっていた、もようです
「シネマ歌舞伎」で
「高野聖」を見た えいきょうもあり、
後半、
こうやどうふのアレンジに
力入っていた、チット
「クリンたちに、より美味しい豆腐料理を食べさせたい。
ついては、
休みを利用して
高野山に、研究に行って来るわ」
と
言いのこして
わかやまけん(和歌山県)に、たび立ちました
<西門院>
「標高1000メートル」の所にある、
しんごん宗のお寺です
高野山には、
ひらかれたお寺がいくつもあって、
いっぱん人も、泊めてくれる。
こういうの、「宿坊」って、言うらしい。
泊りに行くと
おぼうさんの すてきな生き方を見て、
しんしん(心身)がきよめられる
そんなこうか(効果)が
あるそうです
<高野豆腐煮物>
<ごま豆腐>
※「高野山ゆるキャラ・こうやくん」
4月半ばとはいえ
朝の「高野町」は、
5℃くらい。
まだ、さむいけど
しんじん(信心)ぶかい・チットのこと、
朝のゴンギョー(勤行)なんかも、がんばっちゃったに
ちがいない。
クリンは かんしんしてました
しかし、
チットが言うには、
「朝のお勤めは、自由参加だよ。
足を崩しても大丈夫ですよ、って言ってもらえるし、
食事中も、
おかわりやお茶をお給仕してもらえて
至れり・つくせりで、申し訳なさが兆した。」
そこに、
きびしさは
みじんも 見当たりません
おへやにも
ふすまえ(かんじ:襖絵)に囲まれてねむる、きちょうなたいけん。
・ストーブ
・電気敷き毛布
・お茶セット
・テレビ(見なかったけど)
・浴衣・丹前・歯ブラシ・ドライヤー・自販機
など、
何でも、そろっていたそうです。
<般若湯を売るお店 at 高野銀座>
「みんなが
わがままなこと言うから、
宿坊側が、お慈悲で用意してくれてるんだ」
と、
かたるチット。
ちょっと、まって、チット・・
アンタこそ
「豆腐料理」のけんきゅう、してなくない
家ぞくのため、
って言ってたのに
これはもしや、ただの
「旅行」・・