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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

秋の信州ドライブ・4~万治の石仏

2012-10-18 | 旅行記

「夫婦喧嘩」をきっかけに

上社と下社に分かれてしまった

すわ大社 ですが、

「奥様の神様」がくらす、春宮の周辺には

かくれた名所が

そんざいします

それは、

Img_8920 春宮となりの小川ぞいにある、

「まんじのせきぶつ(かんじ:万治の石仏)」

 

Img_8928 フンイキ・あります

言い伝えでは、

「江戸末期(万治3年)、

 春宮に石の大鳥居を作ろうと、この石に

 ノミを入れたところ、

 石が血を流した

そこで、

石を、「阿弥陀仏」として

まつったそうです

・・・・・

けっこう若い仏さまだな・・

Img_8924 おくさまの神様ったら、こんな若いツバメをかくして。。

 

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秋の信州ドライブ・3~諏訪大社と御柱

2012-10-18 | 旅行記

松本から、すわ(諏訪)にいどうした・クリンたち

あこがれの

すわ大社を たずねます

Img_8917 <下社・秋宮>

Img_8909 (お清めの水は、なんとお湯でした

すわ大社は

すわこ(諏訪湖)のまわりの

4つの神社の そうしょう(総称)

4社とは

・上社(前宮と本宮)

・下社(春宮と秋宮) です。 

Img_8910 「昔、夫婦の神様がいて、ある日、2人は大ゲンカ

奥様の神様は

ダンナの神様に『別居』を言いわたし、

下諏訪に行ってしまったそうです

クリンたちが

まずおとずれたのは、

Img_8912 おくさまのお宅(※現在、奥様は、こちらの秋宮に いらっしゃいます。)

「この諏訪旅行で、

 美味しい食べ物に出会えますように・・」

Img_8915 祈る・クリンでした

とてもステキな 秋の下社 Img_8916

ここから

Img_8919 お車で5分くらいの所に

Img_8931 おくさまの「第2の住まい・下社春宮」があります。

春になると 

おくさまは

こちらのお宅に うつってくるらしい

Img_8932 ダンナとわかれて、ぜいたく・してます

さて

つまに

家から出て行かれた ダンナの神様はというと

かみすわ(上諏訪)の本宅に

住んでます

 

Img_8944 <上社の本宮>

さすが、おくさんに二つの家を

もたせているだけあって

 

Img_8943 すごいリッパなお社です(敷地も広い)

ろうか(廊下)なんて、

Img_8948 Img_8945

 

どこまでも・長い

使ってる人のかずも

下社にくらべ

多いみたいImg_8947(参道)

このフウフ(夫婦)、

二人そろって

ごうてい(豪邸)に住んでいるので、

どろぼうに

入られないようにするために

Img_8914 「社殿」のまわりに、「御柱」という

ぶっとい・モミの木を4本立てて、

守っています

すわ大社は

4社×4本ずつ

「結界」となる・おんばしらが

ひつよう(必要)

計・16本のモミの木を

山から切り出す時に 人がびんじょう(便乗)したのが、

「御柱祭り」だったのです

Img_8933 そういえば、「諏訪湖」の近くをとおりかかった時

みずうみにうかぶ小島にも Img_8940

四すみに「御柱」が立ってたのを、

Img_8938 クリンたち、見つけました

・・・・・

セキュリティ万全な

ごうてい(豪邸)で、

ダンナは通いの

一人ぐらし・・

Img_8949 「クリン、そんな暮らし、さびしくてやだ。」「うちは別居なんか、絶対ないぞ

 

 

 

 

 

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秋の信州ドライブ・2~松本城と「おひさま」

2012-10-18 | 旅行記

早朝、

「長野県・松本」についた、クリン家一同

お車を止めて

まつもとじょう(松本城)へと 

向かいました

Img_8904 (日の出の時間

おしろの向こうから

朝日がのぼり、

地元の人が

からすじょう(烏城)とよぶ 黒いおしろが

その全ボウを あらわしはじめます。

Img_8905 おおぅ・・・

みなも(水面)にうつる

うつくしい 

明けガラス・・

国宝の天守が

おほりにうつり、

信州の すんだ空気にあらわれて

とてもキレイ。

おほりの周りをさんぽする人たちも

みんな、

しばし・見つめます

「松本の人がほこるの、分かるね~」

「『おひさま』でもさ、陽子たちがお兄さんたちに

 松本城に連れて行ってもらうシーン、あったよね。」(NHK朝ドラ

(そういえば・・)

よう子は

「旧制松本高校」にかよってた 『初恋の人』に

このおしろ(城)で

手をとってもらって

ドキドキしてた・・

Img_8906 あの、天守かく(閣)で

 

 

 

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秋の信州ドライブ・1

2012-10-18 | 旅行記

「明日は長野のりんごがどっさりあるので、アップルパイを作る・・

3日前、

ジェマちゃんのメールにありました

Img_8961 いいなあ・・(うらやむクリン)

ところが、

ぐうぜんにも

「秋ドライブの計画」をねっていた

おにいちゃんとチットが

「今年は長野に行くよ。」と

言い出したのです

・・・・・

(目下、「お菓子抜き」ダイエット中)

まさか

Img_8901 「戦時中ダイエット」・そかいへん(疎開編)

「大戦末期なんて

 食べるものなくて、芋ばっか食べてた。

 都会の人たちは空腹で空襲から

 逃げまどってた。

 飽食の現代人は反省すべき

というのが

れきしにくわしいチットの 

りろんです・・

東京の人たちの

そかい先として

「長野」は わりと、ポピュラーだったらしい・・

<下道で多摩から4時間、松本着>

Img_8903 おやきの店がある

・・・

ながのには

しぜんのめぐみが いっぱいありそうなのに

そういうものに

ありつけるんだろうか?このたび(旅)・・

クリンがおそれをなしていると

おにいちゃんが 

こっそり・耳打ちしてきました

Img_8902 「事前に諏訪の美味しいアップルパイの店、チェックしてきたぞ。あとで行けるようにするから。」 「ほんとう?おにいちゃん

こうして、

ながのたび(長野旅)は スタートしました

 

 

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門司港観光~山口ドライブ旅行・最終章

2012-08-13 | 旅行記

ラストは、「福岡県・門司観光」です

フグの町・下関から、

目とハナの先にある

モジ。

Img_7813 かんもんばし(関門橋)や、

Img_7864 かんもん(関門)トンネルを とおれば、

Img_7867 (軽自動車100円

そこはもう

べつの国・・

Img_7836 北九州市の中でも、「門司区」は

ようかん(洋館)チラホラの

じょうちょ(情緒)ある、

みなと町

Img_7835 「門司港レトロ」と言って、

明治・大正のフゼイを、のこしています。

こうわん・とし(港湾都市)らしく、

Img_7829 まちなみは、赤レンガで、

えきしゃ(駅舎)からして、

レトロ・シック。(門司港駅)

Img_7852 ここから・おりたち、町をめぐると

フンイキ・あっぷです

今もちゃんと、Img_7847

Img_7849 えきは、生きていました

モジは、

えき・まわりに

すべてのかんこう(観光)場所が あつまってるので、

トホで・こと足ります

そんな

ぎょうしゅく(凝縮)の レトロ地区は

こじん・びじゅつかん(個人美術館)の

おもむきです

Img_7837 <VIPの社交場、旧門司三井倶楽部

Img_7824 <旧大阪商船の2階:わたせせいぞうギャラリー>

Img_7842 みなと町に、ロマンの風をふかせる、

わたせさんの絵

その・大人の男女の デート・シーンは、

モジをブタイに

ものがたりが てんかい・していました

Img_7833 クリンも、デートの れんしゅうします

しものせきと、モジは

こんなに近いのに、

フグりょうり(料理)のこと、

なんか・わすれます

Img_7943_2 アイスコーヒーとか、そういうの・合っています

つまり、

ハイカラ・ろせん、なのです

 1195087_1 (ご当地グルメ:焼きカレー)

小さな・みなと、レトロ地区。

しずかな・やけい(夜景)に つつまれて

クリンも

Img_7816 ハート・カクテルな、キブンでした

 

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下関観光・巌流島~山口ドライブ旅・7

2012-08-13 | 旅行記

お昼を食べた、クリンたち

お店の前に広がる海を 

見ていたら、

フェリーのりばが 目にとまりました

Img_7879 Img_7878

・・・

ここから、がんりゅうじま(巌流島)に わたれるみたいよ

チットをよぶと、

「そうらしいの。

 2人が付き合ってくれたら、行ってみたいな・・」

打ち明けました。

Img_7880 みずくさいじゃん

もちろん、

クリンとおにいちゃん、付き合うに決まっています

わあ~ Img_7881 (大人400円)

島までは、

フェリーで10分。(30分おきに出発)

その間、

「船内アナウンス」で

むさし・VS・こじろうの けっとう(決闘)について

せつめいがあります

Img_7883 江戸時代はじめ、「細川家の剣術指南役・佐々木小次郎」は、

はんめい(藩命)により

「剣豪・宮本武蔵」と

たたかうことになりました

そのブタイが、「巌流島」

Img_7888 「あれだね

しあい当日、

むさしは、

おそくまでネンネしていて

おきたと思ったら、ごはん食べたりして、

「約束の時間」に おもいっきり・おくれました

(おそいぞ!武蔵

イライラまってた・こじろうは、

あたまに血がのぼっちゃって、

まけたのです

Img_7916 その・たたかいのブタイに、クリン上りく(陸)

ぐるっと一回りすると、

ちょうどいい・さんぽコースの

この島、

「関門海峡」をのぞみ

しものせきと、モジ(門司)が

両方見わたせます  Img_7891

てきとうに、休める

「あずまや」もあり

タヌキも ウロウロしてたり、と

Img_7907 とても・わくわく する所

ばいばーい Img_7909 (ムシされました)

ともかく、

島のはじっこまで行くと

Img_7893 むさし・こじろうのぞう(像)があるので

きねん・さつえい Img_7895

たのしいね~

さらに・さらに

そのおくには

Img_7897 あっ!あれは

むさしがのって来た、木舟では?Img_7898

「だまし討ちするような奴、嫌いだ。」

とかって言ってた

おにいちゃんですが、

血がさわいだようです

Img_7903 アンヨがイタイのも・わすれ、

かまえた

Img_7904 むさしです

ふりおろす

 

Img_7905 タアーーッ

Img_7906  ボンッ

・・・・・

Img_7889  バカッ

もう、かえるからねImg_7911 (小次郎墓)

 

 

 

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下関のふぐ料理・「河久」その他~山口ドライブ旅行・6

2012-08-13 | 旅行記

いとうひろぶみ(かんじ:伊藤博文)によって、

「ふぐ料理・公許1号店」になった、

しゅんぱんろう(春帆楼)

その、

入り口のところに

Img_7942 「ふく料理の由来」っていう、かんばんがあり、

山口に来たら、

ふぐを食べなきゃ・はじまらない

って

かいてありました。

「 ふく食わぬ 者はとおさぬ ふくの関 」

・・・・・

ふと見れば

この・かいわい、

ふぐをかかげる、店だらけ

Img_7922 道をはさんだ、向かいの からと(唐戸)市場にも

Img_7924 巨大なふぐの・オブジェがあり、(※もちあげてるつもり)

場内には、いけすが たくさん

Img_7872

そのよこの、

シーサイド・スポット、「カモンワーフ」にも

Img_7918

ふぐが あふれてます 

Img_7921 Img_7920

目を見はる・クリン

それを見た

おにいちゃんが、

「グリン、フグは、今回の旅行のメインだぞ

と言い

グルメ本を とり出しました

そして、つれていかれたのが

市場の外れの行列店、

Img_7876 「かわく(河久)」

Img_7874 気どらない・お店の名物は、

ふぐ刺し・ぶっかけ丼 Img_7873 (800円)

ポンズ(酢)がきいてる、

女性向けの味と食べごたえで

クリンにぴったりでした

おにいちゃんは

Img_7875 コロモが甘い、ふぐ天丼が、気に入りました

話によれば、

「フグの旬は冬。

 でも、今は

 養殖あるから 一年中食べられる。」 

とのこと

はずみがついた、クリンたち

その後も、ふぐざんまいで もり上がります

(夜:ふぐ御膳)

Img_7952 ふぐさし・ズザザッ (ゆめでした)

(翌朝:ふぐ雑炊)

Img_7958 ゴゴゴッ (いっきのみ)

ほか、

しものせきは、くじらも名物とのことで、

Img_7954 むろん、いただきました

今度は、

冬にアンコウ食べに来たいなあ

 

 

 

 

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下関観光・赤間神宮と日清講和記念館~山口ドライブ旅行・5

2012-08-12 | 旅行記

ばくまつ、

「倒幕」にもえて、日本中を シンカン(震撼)させた

長州

つまり 今の山口県ですが、

なかでも 下関は

古来より、

かずかずの 「歴史の舞台」になってきました

その一つが

「源平合戦・平家滅亡の地」である

だんのうら(かんじ:壇ノ浦)

Img_7933 今、だんのうらを見下ろす高台には、

赤間神宮が、たっていて

Img_7927

だんのうらに入水した、

平家の血すじ・「安徳天皇」や、

平家・一門が まつられています。Img_7928

Img_7932 ヤタのカガミも しずみました

さらに

本堂よこには、

「耳なし芳一像」まで

あんち(安置)されています

Img_7929 赤間神宮がたつ前、

ここは

「阿弥陀寺」というお寺だったそうです

そこに住んでた、ほういちは、

ビワ(琵琶)の名手で、

「鬼神も涙をながす」

と いわれるほどの

平曲の語り手

でも

それが・わざわいして

Img_7931 平家のボーレイ(亡霊)にとりつかれ、

ヨナヨナ、

はかの前で うたわされたあげく、

耳を もぎとられて・しまったのです

Img_7985 ・・・  (小泉八雲「耳なし芳一の話」)

そんな・いわくつきの、

あみだ寺ですが、

その方丈のあった所に

明治になって・たったのが、

「料亭・春帆楼」

(赤間神宮のとなりにたってます)

Img_7941 こちらは、「日清戦争・講和の舞台」になってしまいました

明治時代、

日本と、しん(清:今の中国)は

「朝鮮は、オレのものだ」って 

言い合って、

せんそうしました

かった・日本が、

負けた方の代表を 

よびつけたのが

ここでした。

02201 <清国全権、りこうしょう(李鴻章)>

当時、しゅんぱんろう(春帆楼)は

「ふぐの名店」として

首相(伊藤博文)の お気に入り

いとうは

自分の地元のこの店で、

Img_7934 こうわ(講和)をむすび、

しものせき(下関)条約を とりかわしたのです

Img_7936 <内部に再現された、講和会議場>

「教科書に載ってる、絵と同じだ!」

れきしにくわしい・チット、コウフン

Img_7938 「富国強兵」を すすめた日本が、

はじめて その実力をためされたのが、

「日清戦争」でした。

Img_7987 いろいろ・あったらしい・・

でも

ここでの・かいぎ(会議)で がっぽりと

「賠償金」を まきあげた日本が、

50年後に たどったうんめいは、

ヒサンでした

・・・・・

うら手の 「李鴻章道」を歩き、

日本のこと、

れきしのこと、

Img_7940 かんがえちゃった・クリンです

 

 

 

 

 

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萩観光・城下町&指月公園~山口ドライブ旅行・4

2012-08-12 | 旅行記

吉田しょういん(松陰)や、

シシ(志士)をはぐくんだ・町、「萩」

Img_7806 毛利のおとのさまの、「城下町」には

・武家屋敷に、 Img_7805

Img_7811 ・町人屋敷や土蔵、(豪商・菊屋家)

・高杉晋作や桂小五郎の家などが

Img_7808 江戸時代の地図そのまんまの 町すじぞいにならび、

おうじ(往時)を今に 伝えています

Img_7800 (萩焼工房もならびます)

そして

町の北がわ・指月山の ふもとに

「輝元」がたてた、

毛利のしろ(城)が たっていました

Img_7801 <萩城址>

ほりと石垣が、のこるのみ。。

なのに、

はいご(背後)に座る、指月山が

まるで、本丸のよう

「 西国の

  つわものどもが 夢のあと 」

って、かんじです

Img_7804 おほりに注ぐ水をたどって歩いていけば

そこは、海 Img_7803

とてもキレイな 海水で

「菊ヶ浜」って よばれ、

海水浴場になっています。

Img_7796 (背景:指月山)

白砂・青松の ビーチは、

その昔、「阿武の松原」ってよばれ

うたに 

よまれたそうです

こんなイイ海だから、

Img_7794おいしい・かいせん(海鮮)丼が、つくれるんだね

(浜料理・がんがんにて)

 

 

 

 

 

 

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萩観光・松陰神社&松下村塾~山口ドライブ旅行・3

2012-08-12 | 旅行記

「津和野の藩校・養老館」に

石州ブシ(武士)・ここにあり 

せいしん(精神)を見た、クリンたち

ですが

おとなり、山口県・はぎ(萩)には、

ばくまつに

多くのシシ(志士)を 送り出した

「私塾・松下村塾」が、あります

Img_7783 <松陰神社の境内に、

Img_7784 売店や、旧宅、記念館、そして

松下村塾が建っています>Img_7789

はぎの「藩校」は、

「明倫館」ですが

それよりも有名なのが

ここ・しょうかそんじゅく(松下村塾)

ばくまつに

「思想家・吉田松陰」が、

身分を問わず、若者に、

「これからの日本」について、おしえた所です

Img_7791 みじかい間に、しょういん先生の教えをうけた者の中には

・高杉晋作

・久坂玄瑞

・伊藤博文

・山縣有朋

など、

いしん(維新)をもたらし、明治政府でもかつやくした

お侍が、いたそうです。

先生は

若くして、ばくふによって・処刑され、

今は まつられていますが、Img_7793

多大なる・えいきょうを、

与えただけの人ではあり、

今もなお

そのことばは、「格言」として

伝えられています

たとえば

 

Img_7788 「親思う・心にまさる・親心」(処刑前に家族に宛てた、「永訣書」)

クリンのお気に入りは、

「立志尚特異」

(こころざしを立てるためには、

 人と・ことなることを、

  おそれてはならない)

っていうイミです。

<ふかく、感じ入るクリン>  Img_7982

Img_7787 おにいちゃん!まわりの目なんか・おそれたら、ダメ

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津和野観光~山口ドライブ旅行・2

2012-08-12 | 旅行記

東京から、車で出かけたクリンたち

まず、向かったのは

「山陰の小京都」と よばれる、つわのです。

Img_7756 行ってみて、びっくりしたのは

ずいぶんな、

山の中にある町だということ

もっと、平たんな所にある

もっと、たんたん(淡々)と、

キレイな町だと

思っていたのですが、

Img_7757 やっとこさ、一山こえたら

そこに・あらわれたのは、巨大な「赤鳥居」

町を見下ろす高台に、

Img_7758 へびのように、「千本鳥居」が、うねっていました。

Img_7779 まずは、その「太鼓谷稲荷神社」へ行って見ます。

おいなりから、町をイチボウ(一望)Img_7780

ここから見ると、

つわのって、山間の小さな村。

そして、

自分たちだけで、がんばってきた

「完結した自治体

という・かんじがします。

Japanshimanetsuwanotaikodaniinariji 「伏見稲荷」から分社したから、「小京都」といえるのですが、

なんだか、どくとく(独特)なのです。

Img_7766 でんとう(伝統)の「鷺舞」も、

古い・どちゃく(土着)の

日本文化をかんじさせ、

ちょっと こわいです・・

Img_7984

 

「津和野駅」の前の

メイン通りの両サイドに、

見所のすべてが、あつまっている

「効率の良い観光地・津和野」

Img_7768 風光メイビな、つわの川が流れ、

そのすぐ近くの

白かべ(壁)のとおりに、

Img_7762 こい(鯉)の ほりわりや、

カトリック教会や、Img_7760 (中は畳敷き)

つわのはん(津和野藩)が、ほこる

「藩校・養老館」が

ならんでいます。

Img_7769 「亀井矩賢」をはじめ、れきだい(歴代)の

つわのはん(藩)主は、

ブンブ(文武)に秀でた

武士の国・石州、を

めざしました

決して、かんきょう(環境)にめぐまれたとは 言いがたい

石見の国を、

がんけん(頑健)に きたえるために

Img_7764 ようろうかんをたて、はんし(藩士)育成につとめたのです。

Img_7983 (ちなみに、石州は、半紙も有名)

「幕末~明治」にかけ、

この、ようろうかんからは、

2人のけん(賢)人が

出ました

一人は、もりおうがい(かんじ:森鴎外)。

もう一人は、にしあまね(かんじ:西周)。

Img_7772 <鷗外記念館と、隣接の旧家>

Img_7771 おう外は、亡くなる直前に「津和野生まれの自分」について書いていますが、

今回それをよんだチットが、

「まさに文豪の辞世文」と 

かんどうしていました

そして、おう外の

Nishi_amane_poststamp  しんせきに当たる、西あまねの生家も

すぐ近くにあります Img_7776


西あまねは、

医者の家に生まれ、

ようろうかんに通い、

あたまが良くて、目立ちました

そして・オランダにりゅう(留)学し、

「最後の将軍・慶喜」に仕えました。

Img_7774 ばくふがつぶれて、明治になってからは

ゆきち(福澤諭吉)や

ありのり(森有礼)たちと、

明六社を立ち上げて

「文明開化」の 

にない手に、なったのです

こんな・田舎から、

そんな・れきし的人物が、ふたりも・・

Img_7775 ばくまつ、「津和野藩」は、

となりが長州はん(藩)だったにも、かかわらず

中立をたもったそうです

・・・

すごい。

Img_7763 おそるべし、つわの

 

 

 

 

 

 

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車で東京~萩・津和野・下関~山口ドライブ旅行・1

2012-08-12 | 旅行記

山口旅行から 昨日、きたく(帰宅)・いたしました

Img_7981 <おみやげはフグ関係

こんなに長く、たびをしたのは、

久しぶりです。

うちのおにいちゃんは、足がわるく、

あまり・あるけません 

だから

何泊もしたり

何ヶ所も かんこう(観光)したり、

できないと思われて、いたのです

でも

「全行程を車移動」にすることによって、

なんとか・なりました

・・・・・

もしかしたら、

おにいちゃんみたいな人、けっこういるんじゃ・なかろうか

クリンたち、

お車で行けるよってこと、

おしえた方が、いいんじゃないかな?

って

話しました

Img_7741 このたび、クリンたちが目指したのは、本州の「西端」です。

・島根県の津和野

・山口県の萩・下関

・北九州の門司

「東京都多摩市」からそこまで行くには、

ふつう、ひこうき(飛行機)や 

てつどう(新幹線&特急&バス)

をつかいますが、

アンヨ・イタイタの場合、

自宅から、車にのったほうが

歩くキョリ(距離)が少なくてすみます

Img_7742 つわの(津和野)まで、片道1000kmあるので、まず・「給油」 

(ガソリン代は、軽自動車で 往復14000円 ※L・135円前後)

外せないのは、

夜・出発すること 

と、

ナビをつけること

じゅうたい(渋滞)に まきこまれたら

たいへんです

クリンたちは、

往路:「横浜町田IC」から、東名~中国自動車道→津和野

(高速でスイ~)

Img_7744 <快適な新東名高速道路>

<翌朝、島根県入り> Img_7753_2

目的地まで、

ノン・ストップで、11時間

休けいしたり、

ねたりするので 15時間

でも、

「高速料金・ETC深夜割引」のおかげで、

7000円、と おトクです

(つまり、往復15000円)

 

復路は、

中国自動車道~山陽自動車道~中央道 

(混むまで下道でゆっくり)

このルートを使ったのは、

かえりみちに、

「錦帯橋」によれるからです。Img_7966

山口と広島のさかい目にある、

岩国市。

そこは、日本一有名な、はしの町

Img_7969 <橋の通行料、300円>

下から見上げるのがお約束 Img_7970

Img_7967 すばらしい・「太鼓橋」

こんなのが、かえるついでに見られるのだから

さいこう

その後は

Img_7974 広島まで、ガラガラの下道を走り、

Img_7975 お好みやきを食べてから、高速にのりました。

 

さっさと高速にのらなかったので、

行きより・時間がかかりましたが、

Img_7781 とちゅう、道の駅よったり、

Img_7746 サービスエリアで、おかいものしたり、

Img_7751 ねむかったら、ねたり

Img_7495 ねむ気ざましに、スナック食べたりしていれば、

<翌朝:諏訪湖SAにて>

Img_7976_2  すぐです 

パックのツアーも安いけど、

自分たちのペースで行けて

なおかつ安い、

この方法

大家族や、学生さんにも おすすめです。

ひとつ、気をつけたいことは

Img_7755 夏場は、日中あついので

エアコンをつけてても、

水分ほきゅう(補給)は ひんぱんに

ときどき、

アイスで一気に冷やしましょう Img_7964

 

 

 

 

 

 

 

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吉野の桜、4月中旬開花状況とお土産

2012-04-21 | 旅行記

高野山で、

「佐伯眞魚」こと、空海の 

れいりょく(霊力)を、浴びたチット

そして

チット同よう、パワーかんじたユネスコは、

「紀伊山地・熊野・吉野」を

せかいいさん(世界遺産)と しました

しかし

この山エリアには

空海だけでなく、もう一人

れいりょく(霊力)みなぎる・おじさんがいるのです

<役行者>

Pic_ennogyouja 山伏たちの「親玉」

うちのチットは、

この、空海よりも先に出てきた

超人のこと

気になるみたいです

・・行者ニンニク、好きだもんね。Img_6506


二人のなわばり(縄張り)は、主に

・和歌山県=空海

・奈良県=役行者

そんなら、

どっちか片一方の山だけ行く、というわけにはいかない

チットは 公平をきすために、

ナラの吉野も、たずねました

<金峯山寺・蔵王堂と、金剛蔵王大権現>

Img_6441 この中に、ひぶつ(秘仏)の、真っ青な仏さまがいらっしゃいます。

Img_6435 去年、しんさい(震災)がおこったことで、「ご開帳」になった、ド迫力の仏さま

「拝観料」は、1000円ですが

これだけは、

必見です

Img_6499 お札もついてくるんだ・・

もともと、

きんぷせん(金峯山)と言われていた、この山で、

えんのぎょうじゃは

しゅぎょうし、

「蔵王大権現」のお告げを 受けました

その時、

ごんげんさまのお姿を

桜の木にきざんだことから、

のちの人々が、さくらをうえるようになり

いつのまにか全山、

さくら

そして、名所になりました

Img_6461 シロヤマザクラが中心なので、白く、上品な けしきになります

吉野のさくらは3万本。

ふもとから、

下千本・中千本・上千本・奥千本の

4つのエリアに分かれてて、

時間差で咲くので、

3月末から5月上旬まで たのしめる♪

ってことになってます

今年は咲きはじめがおそく、

下千本エリアでも

4月2週目に入って

やっと咲きはじめたらしい。

Img_6427 <七曲りにて>

チットたちがおとずれたのは、4月19日。

下千本のさくらは

ちって、ちって、

さくらふぶきでした

先ほどの、「蔵王堂」があるあたりが

中千本エリアですが

ちょうど、見ごろをちょっとすぎたかな?

という、ピークで、

花見客は、ぜっけい(絶景)求め、

「上千本・奥千本方面」にむかう、

ロープウェーに列をなしていました。

「奥千本」あたりは

団体客が行かないので、

とてもしずかで、

ひなびたたたずまいの、良いところ

まさしく

「花さか爺さん」に会えそうな、さくらの世界です

ですが、

ハイキングはムリ!

って人におすすめなのは

中千本~上千本あたりをながめ、

ざおうどうにおまいりし、

おみやげを見たり、ランチしたりすること

とにかく、店が多いので

どんなに人出が多い日でも、

食べられないこと、まず・ないです

Img_6449

Img_6446 「吉野葛入りそうめん、柿の葉寿司、くずもち」など、ていばんで、キメてください

Img_6430 屋台も、山道らしく、

山でとれた、ぜんまいやImg_6491

こごみなんかも、売ってました Img_6492

食べ歩き用の、

おかし・おにぎり・たきこみごはん・軽食も

あるので、

とうげのあたりで

さくらの下、すわってたべても、いいかんじ

Img_6460 この方たちの、目の前に広がるのは、

このふうけいです Img_6457

ちょっとだけ・歩きますが、

「五郎兵衛茶屋」(峠)から見たけしきは、

さいこうです。

Img_6465 上千本をのぞむ。

いくら人がいても、

とりの声がきこえるしずけさ。

広々として、すてきでした

アンヨ・イタイタで来られない・おにいちゃんのことを思い、

チットは、このけしきが 

かなしかったそうです

でも

一目見たほうがいい、さくらを見ることできてよかったな

とも、思ったそうです。

時間のない「観光客」は、

「蔵王堂・吉水神社拝観」と、

みやげさがしで

おわり、

こちらの、吉水神社からのさくらをながめて、

「おお~!(カシャッ)」

って、よろこびます。

Img_6471 もちろん、言うことのないすばらしさ。

Img_6474 「後醍醐天皇居所~南朝朝廷跡~」である、吉水神社も、おもしろいです

が、

ランチタイムもふくめ、4時間はとらないと、

「吉野に来た」というだけでおわってしまう。

と、チットは言います。

ぜったいに、「五郎兵衛茶屋」のあるとうげまでは、

いかないとダメ

ハイキングコースもいっぱいだから、

うんどうぐつ(運動靴)で来ないとダメ

おみやげも、目うつりするほど たくさんあるので

大きなバッグで来ないとダメ

Img_6483 (かるくてイイのは、記念切手)

おみやげに、

くずのおかし(秋は柿のおかしも)は、

マストですが、

Img_6490 くず入りそうめんや、

そうめんふし(切れ端)がおすすめです。Img_6489

 

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高野山奥の院~空海のかくれ場所

2012-04-20 | 旅行記

「おとうふのけんきゅう(研究)なんか

 口実で、

 こうやさん(高野山)には

 りょこう(旅行)で行ったんでしょ

クリンは問いつめました

するとチット

「確かに豆腐は二の次で、高野山には

 ずっと尊敬していた方に 

 会いに行ったの。。」

と、言いました。

チットがせつめいするには、

その方の名は

「さえき・まお(かんじ:佐伯眞魚)」

しんごん(真言)宗の お坊さんで

すごい長生き。

いまだ、全国ツツ・ウラウラに 出かけては、

人々のため はたらいている、えらい人

Img_6406 <佐伯さんの住む、高野山奥の院>

ぼち(墓地)と

杉木立にかこまれた、

リッパなお堂の 地下室に

さえきさんは住んでいます

「戦国大名の墓の六割は、ここの墓地にあるんだって」(チット談)

Img_6404 <家康次男・結城秀康石廟>

「秀吉」や「お江」

有名人や、

きぎょう(企業)の はかとならんで

こんなおはかも、見つけました

Img_6399 <シロアリ対策協会が建てた供養碑>

佐伯さんは

 若いころから優秀で、中国に官費留学してたエリートでね。

 帰国してからは、

 仏教だけでなく、学校開いたり、

 温泉見つけたり、

 土木工事を指揮したり

 社会事業家としても活躍されたんだよね。

 しかも、能書家で、字が上手いのよ。」

Img_6503 <佐伯さんの書>

さえきさんは、

「諸国を行脚」してるので

ふだんは、会えない。

でも

五色のまく(幕)がたれ下がっている、

今なら、お宅にいるはず

そう、言われています。

ただ、

さえきさんは、シャイなのか

地下室に こもりっきりで、

「朝夕のご飯を運ぶ人にも、姿を見せないんだって。」

チットも、やっぱり会えなかったそうです。

・・・・・、

なんか、この人の話

どこかできいたような・・

(トコトコトコトコ ガタッ、バサッ

あった・・

「讃岐の国、屏風ヶ浦の佐伯直田公のやかたでは、(中略)

 お告げのとおり、男の子が生まれました。

 後に、お大師様となられるお方です。

 幼い時の名は『真魚』様でしたが・・・」(教育まんが「お大師さま」(大道社)より)


さえきさんって・・

002 くうかい(かんじ:空海)じゃん

 

               

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高野山宿坊・宿泊体験

2012-04-20 | 旅行記

春休み中、

「豆腐料理」に こっていたチット

<豆腐百珍の本>

Img_5851 江戸時代は、とうふブームがありました。

江戸っ子は、

「三白」といって、

「大根・米・豆腐」を食すことを、

イキと かんがえていたらしい。

Img_5852 こんな「料理本」が生まれ、

みんなこっていた、もようです

Img_5853 チットも、10しゅるいくらい、作りました

「シネマ歌舞伎」で

「高野聖」を見た えいきょうもあり、

後半、

こうやどうふのアレンジに

力入っていた、チット

「クリンたちに、より美味しい豆腐料理を食べさせたい。

 ついては、

 休みを利用して

 高野山に、研究に行って来るわ

言いのこして

わかやまけん(和歌山県)に、たび立ちました

<西門院>

Img_6413 チットが泊った、さいもんいん。

「標高1000メートル」の所にある、

しんごん宗のお寺です

高野山には、

ひらかれたお寺がいくつもあって、

いっぱん人も、泊めてくれる。

こういうの、「宿坊」って、言うらしい。

泊りに行くと

おぼうさんの すてきな生き方を見て、

しんしん(心身)がきよめられる

そんなこうか(効果)が 

あるそうです

<高野豆腐煮物>

Img_6420 目ざしたのは、これだね

<ごま豆腐>

Img_6419 ぜんでら(禅寺)には、欠かせないごちそう

(こちらのお方は、「講師」かしら・・)Img_6415

                        ※「高野山ゆるキャラ・こうやくん」

Img_6421 <すがすがしいお玄関>

4月半ばとはいえ

朝の「高野町」は、

5℃くらい。

まだ、さむいけど

しんじん(信心)ぶかい・チットのこと、

朝のゴンギョー(勤行)なんかも、がんばっちゃったに

ちがいない。

クリンは かんしんしてました

しかし、

チットが言うには、

「朝のお勤めは、自由参加だよ。

 足を崩しても大丈夫ですよ、って言ってもらえるし、

 食事中も、

 おかわりやお茶をお給仕してもらえて

 至れり・つくせりで、申し訳なさが兆した。

Img_6418 <二の膳付きの、豪華・精進料理>

<朝のお食事>Img_6422

そこに、

きびしさは 

みじんも 見当たりません

おへやにも

Img_6416 ふすまえ(かんじ:襖絵)に囲まれてねむる、きちょうなたいけん。

・ストーブ

・電気敷き毛布

・お茶セット

・テレビ(見なかったけど)

・浴衣・丹前・歯ブラシ・ドライヤー・自販機

など、

何でも、そろっていたそうです。

<般若湯を売るお店 at 高野銀座>

Img_6395

みんなが

 わがままなこと言うから、

 宿坊側が、お慈悲で用意してくれてるんだ」

と、

かたるチット。

ちょっと、まって、チット・・

アンタこそ

「豆腐料理」のけんきゅう、してなくない

家ぞくのため、

って言ってたのに

これはもしや、ただの

「旅行」・・

Img_6497 ゴマかされたのかも・・

 

 

 

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