部屋の乱れは心の乱れとはよく言ったもので
仕舞わなくてはいけない電気ストーブやホットカーペット
クリニーングに出せないでいる冬物の汚れた衣服
うっすら埃が溜まった家具。
新聞屋が3月の整理袋を入れ忘れたので新聞は山積みになって倒れそうだ。
しかしこうやって汚さに感覚は麻痺して、
この汚さでは、男も部屋に呼べない→
まてよ、呼びたい男が浮かばない→
ならばこの汚さでもいいんじゃね→
いいさ、いいさ、なんくるないさ~
と最後は全て明日への架け橋とする。
さすがにとりあえず新聞山は何とかせねばなと始めると
日付は3月11日から新聞が溜まっていた。
11日の朝刊はなんと平和なんだろうかと眺める。
この後に境に世界が一変するとは誰が予想しただろうか。
それでも今私は普通に生活出来、仕事に行き、家族も友人も無事で
表面的には何一つ変わらない生活を送っているのに
なぜこんなに色々虚しく思うのか。
震災直後の不安感からある種の興奮状態で、
息つく暇のなかった仕事が少し落ち着いたからか
すっぽり気が抜けてしまったプチ鬱状態なのだ。
スーパーでちょっと立ち読みした週刊誌に、津波で両親を亡くした小学生の話が出ていて
ハラハラ涙が出てくるのに驚きダッシュで家に帰る。
追い討ちかけたのが、その夜見た夢の中で自分が
子供を津波で亡くす母親になって、自分を責め続けて号泣していた。
「こりゃあかん…」とこう見えて意外と繊細なのさを再認識。
気分転換に、岡本太郎先生の目玉見て生きる力をと出掛けたが、
入場制限かかるほどの人の列に待つ気力もなくあっさり諦め、
竹橋から地震当日不安の暗い中を歩いた道を、再び新宿まで歩いてみた。
皇居の桜は葉桜になっていたものの、少し遅れた桜がまだちらほら。
お堀にはボードが浮かび高速には車が走る。
日差しは眩しく冬はすっかり去った。
無理やり元気になる必要もないかと思うが、
自ら進んで落ちる必要もないかと少ない見頃の桜を見上げる。
一人暮らしを始めて早7回目の春。毎年こうやって桜を見上げてたではないか。
季節的なものもあるのだ、落ちて落ちたら後は上がるだけだと。
あの日暗い中では気がつかなかった景色や建物。
東京MX「五時に夢中」のスタジオも発見し、
「うぉ~ポールの後ろに映る場所はここかぁ!!」とテンションが上がる。
そんなもので簡単に上がれるのだ。
すっかりしまい込んだ楽しみ方思い出さねば。