ペンシルハウス物語~東京日和~

-gozar de tokyo-きまま そのまま なすがまま 

春の名残

2011-04-17 | 暮 Life

部屋の乱れは心の乱れとはよく言ったもので

仕舞わなくてはいけない電気ストーブやホットカーペット

クリニーングに出せないでいる冬物の汚れた衣服

うっすら埃が溜まった家具。


新聞屋が3月の整理袋を入れ忘れたので新聞は山積みになって倒れそうだ。

しかしこうやって汚さに感覚は麻痺して、


この汚さでは、男も部屋に呼べない→

まてよ、呼びたい男が浮かばない→

ならばこの汚さでもいいんじゃね→

いいさ、いいさ、なんくるないさ~

と最後は全て明日への架け橋とする。

さすがにとりあえず新聞山は何とかせねばなと始めると

日付は3月11日から新聞が溜まっていた。

11日の朝刊はなんと平和なんだろうかと眺める。
この後に境に世界が一変するとは誰が予想しただろうか。

それでも今私は普通に生活出来、仕事に行き、家族も友人も無事で

表面的には何一つ変わらない生活を送っているのに

なぜこんなに色々虚しく思うのか。

震災直後の不安感からある種の興奮状態で、

息つく暇のなかった仕事が少し落ち着いたからか
すっぽり気が抜けてしまったプチ鬱状態なのだ。
スーパーでちょっと立ち読みした週刊誌に、津波で両親を亡くした小学生の話が出ていて

ハラハラ涙が出てくるのに驚きダッシュで家に帰る。

追い討ちかけたのが、その夜見た夢の中で自分が
子供を津波で亡くす母親になって、自分を責め続けて号泣していた。

「こりゃあかん…」とこう見えて意外と繊細なのさを再認識。

気分転換に、岡本太郎先生の目玉見て生きる力をと出掛けたが、

入場制限かかるほどの人の列に待つ気力もなくあっさり諦め、

竹橋から地震当日不安の暗い中を歩いた道を、再び新宿まで歩いてみた。

皇居の桜は葉桜になっていたものの、少し遅れた桜がまだちらほら。

お堀にはボードが浮かび高速には車が走る。

日差しは眩しく冬はすっかり去った。

無理やり元気になる必要もないかと思うが、

自ら進んで落ちる必要もないかと少ない見頃の桜を見上げる。

一人暮らしを始めて早7回目の春。毎年こうやって桜を見上げてたではないか。

季節的なものもあるのだ、落ちて落ちたら後は上がるだけだと。

あの日暗い中では気がつかなかった景色や建物。
東京MX「五時に夢中」のスタジオも発見し、

「うぉ~ポールの後ろに映る場所はここかぁ!!」とテンションが上がる。
そんなもので簡単に上がれるのだ。

すっかりしまい込んだ楽しみ方思い出さねば。

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