染田秀藤1995「大航海時代における異文化理解と他者認識-スペイン語文書を読む」渓水社
大航海時代は、15世紀末から18世紀末にかけてである。
その幕開けからほぼ1世紀の間にあった、インディオの本質か何かという「インディアス論争」。
インディオの文化について最初にヨーロッパ人が記載した宣教師ラモン・パネーらの文書。
また被征服者であるインディオ自身が書き綴った記録はないために、インカ帝国の出来事を記したキープ(結縄文字)の保管と解読とを担当した役職キプマカヨの口述のスペイン人による記録から成る。
第1部、インディアス論争。
1493年5月3日付けのローマ教皇がスペインに領有権を認めた贈与大教書における「物分りのよい」インディオという記載が最初と言われている。この時点ではコロンブスの第1回航海記を踏襲したはずである。
1512年に、最初の殖民法として制定されたブルゴス法では、「生まれついて怠惰」なインディオを使役すること、スペイン人に対して従属するものとして規定した。エンコミエンダ制の導入により、労働力を必要とした「発見者側」の思惑によって作られた、インディオ像という指摘がある。スペインによる征服は、国家の規制によるのではなく、指揮官個人の主導によって、私的な事業として征服の内実が作られていった。1530年に宣教師たちからの請願を受けて「奴隷化禁止令」を出しながら、34年には植民者の請願から、それを撤回していることにも伺える。
インディオは「行政組織・主君・法律・専門的な職人・交換経済・1種の宗教を持つなど、彼らなりに理性を行使している」が「スペイン人と同等に行使できる状態にない」と述べたのは、サマランカ大学教授ビトリアであり、ピサロが策略の末、インカ王アタワルパを捕らえ、約束どおりの身代金を支払ったにもかかわらず絞首刑にした事実が知らされた後である。
インディオ擁護の運動で名高いラス・カサスは、さまざまな文書を残しているが、1552年の「インディアスの破壊についての簡潔な報告」で、「創造主から、素朴で悪意を抱かず、陰日向がなく、恭順かつ忠実で、謙虚で辛抱強く、温厚かつ口数が少なく、粗衣粗食に甘んじ、野心や欲望を抱かない性質を授けられた従順な羊の群れ」に、「スペイン人は、残虐きわまりない手口で、切り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へ追いやっている」と書いた。
このラス・カサスと「バリャドリード論戦」を繰り広げたのが、神学博士号を持ち、教皇庁公式翻訳官として当時名高かったセプールペダで、アステカの都について「虫けらでも、見事な作品を作り上げる」と言ってのけ、自然法は、理性に欠ける自然奴隷とみなしたインディオには適用されないとし、征服を正当化した。
著者は、「スペイン人が、インディオは決して彼らと同じ文化水準には達しない存在なのである。このような他者認識が殖民支配を支えるイデオロギーであり、それがスペインだけでなく、後発の殖民国家にも共通したものとなった」と結論付けている。
大航海時代は、15世紀末から18世紀末にかけてである。
その幕開けからほぼ1世紀の間にあった、インディオの本質か何かという「インディアス論争」。
インディオの文化について最初にヨーロッパ人が記載した宣教師ラモン・パネーらの文書。
また被征服者であるインディオ自身が書き綴った記録はないために、インカ帝国の出来事を記したキープ(結縄文字)の保管と解読とを担当した役職キプマカヨの口述のスペイン人による記録から成る。
第1部、インディアス論争。
1493年5月3日付けのローマ教皇がスペインに領有権を認めた贈与大教書における「物分りのよい」インディオという記載が最初と言われている。この時点ではコロンブスの第1回航海記を踏襲したはずである。
1512年に、最初の殖民法として制定されたブルゴス法では、「生まれついて怠惰」なインディオを使役すること、スペイン人に対して従属するものとして規定した。エンコミエンダ制の導入により、労働力を必要とした「発見者側」の思惑によって作られた、インディオ像という指摘がある。スペインによる征服は、国家の規制によるのではなく、指揮官個人の主導によって、私的な事業として征服の内実が作られていった。1530年に宣教師たちからの請願を受けて「奴隷化禁止令」を出しながら、34年には植民者の請願から、それを撤回していることにも伺える。
インディオは「行政組織・主君・法律・専門的な職人・交換経済・1種の宗教を持つなど、彼らなりに理性を行使している」が「スペイン人と同等に行使できる状態にない」と述べたのは、サマランカ大学教授ビトリアであり、ピサロが策略の末、インカ王アタワルパを捕らえ、約束どおりの身代金を支払ったにもかかわらず絞首刑にした事実が知らされた後である。
インディオ擁護の運動で名高いラス・カサスは、さまざまな文書を残しているが、1552年の「インディアスの破壊についての簡潔な報告」で、「創造主から、素朴で悪意を抱かず、陰日向がなく、恭順かつ忠実で、謙虚で辛抱強く、温厚かつ口数が少なく、粗衣粗食に甘んじ、野心や欲望を抱かない性質を授けられた従順な羊の群れ」に、「スペイン人は、残虐きわまりない手口で、切り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へ追いやっている」と書いた。
このラス・カサスと「バリャドリード論戦」を繰り広げたのが、神学博士号を持ち、教皇庁公式翻訳官として当時名高かったセプールペダで、アステカの都について「虫けらでも、見事な作品を作り上げる」と言ってのけ、自然法は、理性に欠ける自然奴隷とみなしたインディオには適用されないとし、征服を正当化した。
著者は、「スペイン人が、インディオは決して彼らと同じ文化水準には達しない存在なのである。このような他者認識が殖民支配を支えるイデオロギーであり、それがスペインだけでなく、後発の殖民国家にも共通したものとなった」と結論付けている。