buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

誰でもはじめの一歩がある

2010年07月05日 | おもちゃ箱


初めて教師になって教壇に立った時、
ホントにドキドキしました。
頭の中で何度もシミュレーションして、
挨拶をしたら、ちょっと明るく雑談をして、それから授業に入る!と決めました。
でも、実際には大失敗。
上がりに上がって、どんなふうに授業が終わったのかよく覚えていません。

当時の学生には『土下座』して謝っても、謝り足らない、、ごめんね~、ってよく思います。

誰でもはじめの一歩があります。

我が家の夫はバンドを組んでいてベースギターを担当しています。
うまいか下手かは別にして、25年ほど、同じメンバーで活動しているのだからたいしたものです。
ベースギターがこうじたのか、子どもが小学生の時、
小さな家に2メートルほどのウッドベース(コントラバス)を運び入れ、
クラシックの先生について練習しはじめたときは驚きました。

彼のベースに対する熱意にではありません。
コントラバスって、こんなぎギーギーした音だったのか、と初めて知ったからです。

最初、興味津々だった子どもたちも、一気にウッドベースへの興味を失いました!
『あ~、また始まった、、、』
練習の音が聞こえた来たときの、夫を除く家族3人の,,心の底からの気持ちです。

誰でももちろんはじめの一歩があるのですが、、、。

1980年後半、私は北京の大学で日本語を教えていました。
今の中国とは大違い、まだまだ素朴な悠々とした空気の流れる中国でした。
でも
外国人教師と中国人学生の授業以外の接触は、何となく何となくやりにくい感じでした。

ある日、ひとりの学生が私の部屋の水道の水漏れを直しに来てくれました。
嬉しかったな~。
お礼に,彼と彼の友人、クラスメートの何人かを呼んで、
『カレーライス』を作ってご馳走しました。
学生との交流の「はじめの一歩」です。

「先生、日本人はいつもこんな貧しい食事をしているのですか?」
秀才のAさんが言いました。
「先生、おかず作るよ。」
とは水道を直してくれたBくん。
「一品しか料理がないから(かわいそう)。」

あ~、彼らは学校にたったひとりしかいない日本人の私を通して
日本を見ていたはずです。
きっと、日本人は食生活に乏しいって思ったんでしょうね。
でも
このカレーライス食事会を機に、私と学生たちはどんどん打ち解けていきました。

誰でもはじめの一歩があるんですよね。
最初は失敗だらけ、それでもその一歩を踏み出さなければ、何も始まらないのです。
最近、授業のやり方に悩んでいる新人の先生を見ていて、
ちょっと昔のことを思い出しました。

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