御雇い外国人のジョサイア・コンドルは明治時代にイギリスから来日、日本の近代建築の基礎を築き、
日本人の優秀な設計者を育てた人です。
コンドル先生は東京大学工学部の前身、工部大学校の教師でした。
その第1期生で、工部大学校を首席で卒業したのが辰野金吾です。
辰野はその後、コンドル先生の故郷、ロンドンに官費(国費)留学、西洋建築の学びに励みます。
帰国後は精力的に仕事に集中し、日本銀行本店、日本銀行大阪支店、京都支店
中央停車場(東京駅)大阪市中央公会堂などを設計しました。
赤煉瓦に白い花崗岩の横縞が見事な調和を見せるデザインは、辰野金吾が得意とした
ヴィクトリアン・ゴシックに影響を受けたもので、現在は「辰野式」とも呼ばれています。
上の写真は東京駅、下の写真は日本銀行本店
写真を見ると、赤れんがの建物はいかにも頑丈そうですよね。
そんなところから辰野は辰野『堅固』と名前をもじってあだ名で呼ばれていたそうです。
さて、現在上映中の映画『プリンセス・トヨトミ』の原作本
万城目(まんきめ)学の同名の小説の195ページから、辰野金吾の設計した建物について触れられています。
実は大阪城や国会議事堂、赤れんがと白い花崗岩の洋風建築はこの物語の大切なポイントです。
(ネタバレになるので、ここまでにしておきます)
原作はけっこう引き込まれる面白さですが、映画は、、、
ミスキャストかな~、、という感じ。
原作のよさを描き切れなかったような感じがしますし、原作の変更の仕方に少々違和感を覚えます。
映画は原作を越えず、、、なのかな~
しかし、本を読まずに映画だけ見れば、なかなかの作品のようですよ。
(↑夫の話)
話を辰野金吾に戻しますが、
彼は九州唐津藩の貧しい武士の子どもでした。
彼の英語の師匠は有名な『高橋是清』で、彼のつてで上京し、工部大学校で
コンドル先生の第1期の教え子として学ぶことになります。
辰野金吾は貧しい下級武士の息子であり、彼を除けば同期生はみな上席の武士の息子か縁者でした。
ですから、辰野は明治という新しい時代を利用し、以前の身分を越えて
活躍しようというチャレンジ精神に燃えていたのではないでしょうか。
辰野金吾はあるとき、コンドル先生に言います。
『私は東京に3つの建築を残したいと思います。』
「それはなんですか。」
『まず第1に、日本の中央銀行です。次に東京中央駅、そして最後にいつか開かれるであろう国会議事堂です。』
これらの建物は近代国家を代表する建造物です。
3つの建物を造るということは、まさに国家的事業に必ずや参加したいという辰野の野心を表しているように思えます。
また、実際にその3つの建物のうち2つを設計し完成させるのです。
コンドル先生をはじめとする御雇い外国人に教育を受けた辰野らは、日々学び、技術を身につけ、経験を積んでいきました。
彼らが成長するにつれて、当然の流れかもしれませんが、日本の国家的事業は次第に外国人の手から離れていきました。
さて、最後に下の写真ですが、日本銀行本店のドアです。
頑丈そうですね。
もちろん辰野『堅固』の作品です。
それから、上のドア、『プリンセストヨトミ』の映画に出てきた地下通路に続くドアに
どことなく似ているような気がします。
<参考文献>
辰野金吾 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E9%87%8E%E9%87%91%E5%90%BE
畠山けんじ『鹿鳴館を創った男 御雇い建築家ジョサイアコンドルの生涯』河出書房新社
梅渓昇『御雇い外国人~明治日本の脇役たち』講談社学術文庫
万城目学『プリンセス・トヨトミ』文春文庫