buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

天津の7つの租界

2011年08月30日 | 歴史の中の1ページ


中国「天津」は北京から130キロ、国際的な港町として開け、現在も中国の5つの直轄都市となっています。
もともと天津という街の名は「天子が海河を渡った渡し場」という意味。


19世紀後半から20世紀前半にかけて、天津にはイギリス、フランス、アメリカ、日本など、9か国の租界があったそうです。
今回、私が何度も訪れた天津外国語大学は
租界の中、歴史的建造物群に囲まれた『馬場道』というばしょにあります。

天津には現在でも数千軒の歴史的な建物がそのまま残っており、様式はバロック、ロココ、ゴシックなど様々です。
また、建物は西洋建築で、庭は中国の庭園風という当時の西洋人の自由な発想からできた折衷建物もあります。
実は「ここはどこ?アジア?それともイタリア?」というような
錯覚を起こす一画もあります。
9カ国もの租界があった天津ですが、それぞれの租界は国の威信をかけて、街作りを競い合ったということです。



しかしその中で、街作りにはほとんど関心を持たなかった国があります。それが日本、、、です。
明治維新後、わずか40年弱、
街作りは質素、あるいは雑然としていて、欧米の租界に比べると明らかに見劣りしたものでした。


ラストエンペラー・溥儀は、北京を追われた後の1925年に家族や従者を大勢連れて天津にやってきました。
溥義は日本租界にある『静園』の中の洋風建築の建物(1921年完成)に住んでいました。
そのため、天津には溥儀や皇族の邸宅もたくさんあります。

さて、現在の天津。
イタリア政府の後援のもと、イタリア租界の歴史的建造物は見事によみがえりました。
天津の租界は、上海の外灘の建物群と比べても見劣りしません。
なぜ、もっともっと有名にならないのか、ちょっと不思議な気がしています。


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中学校の先生たちといっしょに

2011年08月30日 | ボランティア


厚生労働省は外部人材としてのキャリアコンサルタントを公立中学高校の学校現場に入れ、キャリア教育の充実を図るため
キャリアコンサルタントと中学教師を一緒にして、一定の研修を実施しています。

私のところにも8月上旬にお知らせのメールが回ってきました。
週末、2日間の研修に参加しました。

参加者は外部の専門人材、キャリアコンサルタントが45名ほど、
中学校教師が15名ほどです。
すべて申し込み制で、抽選で選ばれたラッキーで熱意のある人たちが集まりました。

中学校の教師たちは、校長先生や教頭、副校長、学年主任、3年生担任など
中学校に3年間系統立てたキャリア教育が絶対に必要だ、とひしひしと感じている公立の先生たちです。
キャリアコンサルタントの方はもう様々です。
人材関係の会社のコンサルタントが多かったですが(ビジネスチャンスの拡大を狙っているのかな?)
大学や専門学校の教員、また大学のキャリア支援センターのスタッフの人たちもいました。
年齢も若い人から70台まで様々。
それから厚生労働省のキャリア支援室の方も来ていました。

会場となった荒川区立諏訪台中学の校長先生は、中学校にキャリア教育の拡充を図ろうという
全国組織の会長さんです。
10年後につながる、家族、地域、社会の一員として役割を担える人材を育てよう、ということで
熱心な活動を展開しています。

http://www.aen.arakawa.tokyo.jp/SUWADAI-J/ 諏訪台中学ホームページ

ところで、この研修に参加して、専門人材のキャリアコンサルタントが
中学高校の現状というものをあまり知らない、ということに気がつきました。
それだから、この研修の必要性があるのですが、、、。

もちろん子どもを中学に通わせた親であるコンサルタントもいます。
また、私のように息子が不登校になった経験を持つ親にとっては
中学がどのように変わろうとしているのかは、とても興味があります。

大学生や専門学校生を見ていると、時に何のために進学したのか、
どのように何をして働きたいのか、を明確に語れない人がいます。

このあたり、小学校中学校の義務教育の段階で、しっかりと系統立てた
キャリア教育が必要なのではないか、と感じました。

中学校におけるキャリア教育実践講習
https://career-edu-jhs.jp/overview/index.php



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活躍する若い先生たち

2011年08月27日 | 旅のお話


中国の天津の学会にはおよそ2000人の参加者があったとのことです。
さらに、会場の大学のボランティアの学生、他も含めると、3000人は会場にいたのでは、、、(?)

北京のエコな旅でずっといっしょだったA先生は日本語教育、特に子どもたちへの日本語教育では
活躍している方。
とても顔の広い先生ですから、たくさんの知り合いから声をかけられていました。

さて、私も会場で何人か知っている人たちに会いましたが、
その中に私の勤める職場に実習生として来た先生と大学院生がいました。

700名もいる発表者の中からふたりの発表を探し出し、聴きに行ったのですが、
Bさんは突如、前の人が欠席で時間が繰り上がり(そんなことあっていいのかな?!)
私が行った時にはもう次の人の発表が始まっていました。
残念!
今回の大会ではこの『繰り上がり』がけっこうあったようです。

Cさんは映画を使っての授業実践を発表していました。
30~40人ぐらいの人が集まっていました(すごい!)
堂々としたわかりやすいプレゼンで、報告からは実践の効果もあったように思いました。
Cさんに係わったひとりとしては、ちょっと鼻高々でした。

帰国してからさっそくふたりの指導教官にメールをして報告をしました。
指導教官、本当に嬉しそうでした!
それはそうですよね、一生懸命育て、卒業させたふたりの学生が
『世界大会』と名打っている学会で口頭発表したのですから。

BさんもCさんもがんばっています。
このような若い先生たちが自分自身の実践を発表し、
さらに成長していけるといいな~、と本当に思います。





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北京天津B級グルメツアー

2011年08月25日 | 旅のお話


北京の地下鉄崇文門駅から徒歩3分(新世界百貨店すぐ裏)
『大碗居』の餃子、目から涙が出てくるほどおいしくて、、、
ぷるんぷるんの水餃子から出る湯気が食欲を誘います。
20個で230円。

残念、写真なしです!
写真を撮るより先に食べ終わってしまいました。

ここのおすすめ料理、鶏肉ときくらげ、やさいの炒め物
これはちょっとピリ辛でしたが、本当においしい!




そしてとろみと塩味のハーモニーが忘れられない豆腐と青菜のスープ



これに青菜のあえものを頼んで、ふたりでビールを飲み、合計1600円ぐらいでした。

「大碗居」は泊まったホテルのフロントのスタッフが口を合わせて
「この店が絶対におすすめ!」と太鼓判を押した店でした。

下は天津の川べり、イタリア風情区の『易宴』の青菜 
見た目にもとても綺麗です。



鶏肉のだしと白いキクラゲ、マンゴーのアジアンスープ。
ちょっと甘い味でした。



青菜と豆腐干の炒め物



ホウレンソウとにんじんの包子。


安くておいしい、地元の人もおすすめのB級グルメの紹介でした。



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最初の写真はこの時期絶対に飲んでみたいスイカのジュース
日本では本当に贅沢ですよね。
ホテルで400円ぐらい、外のジューススタンドでは60円。











中国高速鉄道の乗り心地

2011年08月24日 | 旅のお話


北京ー天津間の中国高速鉄道に乗りました。
まさに快適。
特等席ということもありますが、2等席も決して悪くはありません。

ただ、ひとつ問題があるとすれば、
日本では予約から切符の購入、乗って下りるまで
あまりストレスを感じることはありませんが
中国では、切符を買うのが一苦労。

何しろ、ものすごい人が駅にはいるのです。
行列してせっかく自分の番が来ても、間違っていれば
「ここじゃない、あっち!」ぐらいの説明で、
切符を買うことができません。

行きの北京はまだそれでも新幹線の切符売り場がわかりやすかった、、、。

帰りの天津は、北京のようにその場でチケットが買えるかと思ったら、
それは『とても難しい』とのこと。

それで当日の朝6時半にタクシーで天津駅までチケットを買いに行きました。
ガイドブックには『自動販売機』で買える、と書いてありましたが、
それは×。
中国に住んでいるという証明カードがなければダメなのです。

ということで、たくさんの人にまじって行列すること40分。
恐ろしく対応の悪い女性の窓口の係から、
やっと切符を手にすることができました。
それもお昼ごろの新幹線の切符です。
ストレスが溜まった~、、、。

中国では何でも自力でしなければなりません。
ただ、ぼーっと並んでいるだけでは何もできないのです。

そんな厳しい環境の中国から外国に留学した学生たち。
中国人の学生に接する教師たちは
中国がどんなところか、一度ぐらいは体験してみる必要があるのではないでしょうか。

ハードはけっこう整ってきた中国。
でもソフト面、特にホスピタリティーなどはまだまだこれからに期待しなければならないようです。


写真は中国高速鉄道。
尖っている部分の後ろが特等席です。
特等席は僅か8席しかありません。




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旅の基準~物価比較(北京・天津)

2011年08月24日 | 旅のお話


円高ですから、1万円を中国の『元』に両替すると
806元になります。
一時は600元台のときもありましたから、『とても高い』ということになります。

写真は新幹線(中国高速鉄道)の始発駅『北京南駅』の上島コーヒー店で飲んだ
コーヒー45元(500円ぐらい)と
高速鉄道特等席(グリーン)のチケット94元(1000円ぐらい)
北京天津間は時速300キロで30分。だいたい115キロぐらいということです。
これは東京ー沼津(約120キロ)と同じぐらいです。

つまり、上島コーヒー2杯分(スターバックスコーヒーなら3杯分)が
東京ー沼津間の新幹線代、というような感じです。

基本的に洋食はとても高い中国ですが、コーヒー45元はなかなかです。
(でも、日本で言えば、『普通』の飲みやすい味でした)

中国の交通料金はとても安いので、比較にはならないかもしれませんが、
インパクトのある差ですよね。


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世界の日本語、中国の日本語

2011年08月23日 | 旅のお話



人民网•天津视窗 8月18日
http://www.022net.com/channel/10jpn/

この大会に参加するのに本当にすったもんだの珍道中でした。
下記はメインの会場となった天津の大学の校舎




とってもお金のかかっているフラッグ
あちこちで見ました。








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北京B級グルメツアー1 エコな旅

2011年08月20日 | 旅のお話

18日に「格安航空券」を使って北京に入りました。
今回は中国は初めてというA大学のB先生といっしょです。

朝、8:30発羽田発のC航空のエコノミーは、TVなし、アルコールなし、お手拭きなし。
食事も朝食ということで軽食です。
免税品も売らず、入国審査のカードもくれません。
でも、羽田発でとにかく安い、、 文句は言えません。

飛行機は定刻に北京に着きましたが、1時間後のANAで来るB先生をピックアップするため、
飛行場で待機。
揃ったところで、空港から市内に地下鉄を使って移動。
環状線に乗り換え、崇文門から数分のホテルに。
その後、徒歩で30分。故宮の到着後、見学。
故宮は巨大な歴代皇帝の皇居ですから、もちろん徒歩で見学、2時間。
帰りは、さすがに疲れてトロリーバスでホテルに帰りました。

交通費は全部で28元(=365円)でした。
エコな旅です( ´ ▽ ` )ノ

というのは、建前。
地下鉄は実に便利でしたが、北京ではタクシーに乗車拒否されたり、来なかったり。
それで仕方なく徒歩やトロリーバスに乗ったのです。
政治都市だけあって、タクシーなど車両は交通規制が複雑なようです。

でも、地下鉄やタクシーを使ったら見られない様々な景色を堪能し、
中国人との会話も楽しめた一日でした。

今日は写真なしですが、帰国後アップする予定です。
(天津にて)



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中国高速鉄道に乗る旅

2011年08月15日 | 旅のお話


友人のAさんと中国へ行くことになりました。
Aさんは初めての中国。
所用より1日早く中国へ行き、北京の故宮博物館などを見学することにしました。
やはり初めての人は抑えるべきスポットを抑えておかないと、、、ということです。
定番ですが、、、。

2日目は北京から中国の高速鉄道に乗ります。
もともと中国の鉄道事故の前にこのプランを立てたのですが、
変更せず、そのまま鉄道を使うことにしました。

私たちが利用する区間は事故区間とは全く異なる線。
乗車時間も30分。
まあ、こんな時期だから慎重に運転しているでしょう、ということで、
乗車決定となりました。

さて、どうなるか、、ちょっと楽しみです。
あさっての朝8時半の便で中国へ出発です。
(念のため、保険、かけました)



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通と異なる

2011年08月14日 | 本・映画・音楽・美術のページ


お芝居を見に行きました。
友人の娘さんが主演です。

友人は同じマンションの下の階に住んでいて、息子たちとそこの娘さん、Kちゃんは
幼なじみ。長男のひとつ年上です。

私にとって、ミュージカル以外の舞台を見るのは、初めてです。

小さな劇場で、新進の脚本家の舞台です。
劇場の(私の)そばに座っていた芝居通(のような)の人の話が聞こえてきました。
『面白い台詞が飛び交ってたよね。』
『いい脚本だね。ことばの遊びっぽい、、』
『舞台の使い方もおもしろいね~.』

お話はある地方都市の普通の一家の出来事。
『これはどうしようもないくらいくだらなくて、だけど愛しい我が家のお話』
と、パンフレットに記されていました。

芝居でも映画でも小説でも
いろいろな感想があっていいのだ、と思うのですが、
感性が麻痺しているのでしょうか?
私には脚本家が伝えたい意図がよくわかりませんでした。

通とは違う、、、感想。

主演女優はいつもの階下のKちゃんという感じで
違和感がありませんでした。
また、まわりの俳優さんたちの個性も光っていました。

そう考えると、役者の個性を引き出す脚本だったのかもしれませんね。
もうわからなくなってきました、、、。

下の写真は、公演の前にKちゃんのお母さんと一緒に食べた夕食。
自然食バイキングでした。






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山にかかわる3つの『K』

2011年08月14日 | 歴史の中の1ページ


山と外国人に関わる3つの「K」のつくリゾート地
軽井沢(KARIZAWA)を別荘地として発展させたカナダ人宣教師アレギザンダー・ショー




アメリカ人宣教師ポール・ラッシュ博士の清里(KIYOSATO)



そして上高地(KAMIKOCHI)を登山基地として紹介したウォルター・ウェストン。




先日訪れた栂池自然園の資料室で、明治時代に日本に来たイギリス人宣教師、ウォルター・ウェストンの展示を見つけました。
ウォールター・ウェストンはイギリス山岳会の会員であり、 日本アルプスを世界に紹介し、
日本山岳会の創設にも深く関わった人物です。
1861年、イギリスのダービーで生まれ、ケンブリッジ大学クレア・カレッジを卒業後、リドレーホール神学校で学び
1988年(明治21年)27歳のときに英国聖公会・ 教会伝導協会派遣の宣教師として
日本にやって来ました。

ウェストンはもともと山が大好きで、 聖職に就いた25歳頃よりスイス・アルプスで
本格的な登山をはじめヴェッターホルン、マッターホルン、ブライトホルンなどの登頂のほか、
アイガー、ユングフラウ等にも挑んでいたそうです。

ウェストンは宣教師として3度来日、熊本、神戸、横浜に居を構え、宣教活動の合間に日本各地の山々に登り、
日本の山村の風俗・ 習慣などを本に書き、海外に紹介しました。

上高地の宿、清水屋にはウェストンが残した外国人登山者のための署名簿「クライマーズブック」が残っています。
そこには以下のような記述があります。

「クライマーズブック」(登山者の本)-上高地温泉場にて- 
1914年8月23日ウォルター・ウェストン牧師(英国アルパイン・クラブ・日本山岳会・スイス山岳会所属)より
ヨーロッパやアメリカからこの地を訪れる登山者の為に、この本を残します。
上高地は日本アルプスの中で登山基地として、登山者の間に広く知れ渡るようになりました。
そこで、ヨーロッパアルプスと同じように、日本アルプスの登山記録を残すことが必要だと思います、、、、、

この後の記述は1891年のウェストンの槍ヶ岳初登頂の年から1914年までの登山日誌のような形で書かれているそうです。
ルートの紹介やキャンプの場所、景観の良いスポットの紹介など、後の登山者への指南書のような役割も果たす内容になっています。

さて、明治のころは日本人に『山歩きをして楽しむ』というような習慣はありませんでした。
日本人は山は聖なるものとし、ウェストンが登山をしようとした時、『外国人に山を汚されてしまう』と
入山を拒んだ村もあったそうです。
その後、彼は日本山岳会創設にも尽力し、日本古来の信仰登山からスポーツやレジャーとしての登山、
ハイキングへと人々の意識を変えました。
日本の近代登山発展のための貢献ははかり知れないものがあり、日本の近代登山の大恩人なのですが、
一方で教会の反感を買うほど登山に夢中になり、最後には教会の職を辞してしまいます。

ウェストンが登った山は以下です。

1891年 浅間山、槍ヶ岳(試登)、御岳、木曽駒ヶ岳
1892年 富士山、乗鞍岳、槍ヶ岳、赤石岳
1893年 恵那山、富士山、大町から針ノ木峠超え、立山、前穂高岳
1894年 白馬岳、笠ヶ岳、常念岳、御岳
1902年 北岳
1903年 甲斐駒ヶ岳、浅間山
1904年 地蔵岳、北岳、千丈岳、高妻山、妙高山、八ヶ岳、富士山
1912年 有明山、燕岳、槍ヶ岳、奥穂高岳
1913年 槍ヶ岳、奥穂高岳、焼岳、霞沢岳、白馬岳
1914年 立山温泉から針ノ木峠超え、燕岳、大天井岳、富士山


彼は山に登り、何を考えていたのでしょうか。

詩篇121篇1・2節を思い出します。
 「私は山に向かって目を上げる。
  私の助けは、どこから来るのだろうか。
  私の助けは、天地を造られた主から来る。」

山に登ると、ちょっとだけ他の人より天に近くなったような
そんな気が、私はします。





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白馬のペンション

2011年08月07日 | 旅のお話


「去年は本当にお客さんの来ない、最悪の1年と言われていたけれど、
今年はさらに悪い。」とは、白馬で泊まったペンションのご主人。

「1977年から白馬でペンションをしている。
最初のころはペンションブームもあって、一日に30人以上のお客さんが来たこともある。
そんな日は、人を頼んで手伝ってもらっていた。」

「オリンピックのころ、白馬には250軒のペンションがあった。ブームでたくさんのペンションが建った。
でも、今はたったの50軒。」

「息子は東京の大学を卒業し、東京で就職した。
このペンションを継ぐ気持ちはないようだ。」

「だから、自分と家内ができるところまでペンションを続け、
もう無理、というところで廃業するつもりだ。」

「今は部屋も5部屋、多くても1日4組しかお客さんを取らない。
それが夫婦ふたりでペンションを経営して行く限界。」

「大規模なペンションはみなつぶれてしまった。
クローズしているペンション、廃業してそのままほったらかしにしているペンションが
ここには山ほどある。」

と、訥々と語ってくれるオーナー。
飾らず、さりげないもてなしがとっても気に入りました。

食事はボリュームたっぷりの信州牛のステーキと北海道産のほたて。
こんなにおいしい料理は久しぶりでした。



デザートは甘さ控え目の手作り。





どんな業界にも不景気の波が押し寄せています。
それでも、こんなに感じのいいペンションは続けてほしいな~、って思うのです。



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7月からの旅立ち

2011年08月06日 | 旅のお話


7月は悲しいことがいくつかやってきました。
ほんと、いろいろありの月でした。
そこで、7月からの旅立ちをするために、夜行列車の旅に出ました。
今回は、信州栂池高原の栂池自然園を訪れ、日光キスゲを見る、のが目的です。

夏の時期は臨時列車が増発されます。
私が使ったのは『ムーンライト信州』新宿午後11時54分発、白馬午前5時40分着の
快速電車です。
同じく夏の期間はお得な乗車券『青春18きっぷ』が発売されます。
ということで、指定席料金も含めて、僅か2810円で白馬に到着です。

午前6時の臨時バスに乗り、栂池高原へ。
そこでちょこっとお弁当を食べ、7時に動き始めたゴンドラに乗って
標高1900mの栂池自然園に向かいます。
ゴンドラでの空中散歩は、鳥の目になって、木々を真下に見られます。
このあたりは栂の木というクリスマスツリーになるような松が群生しています。
樹の高さは10m以上のものもありますが、この時期、樹のてっぺんに紫色の松ぼっくりを
つけます。紫色ってとても珍しいと思うのです。

栂池自然園は今、高山植物の花が何種類も無数に咲いています。
よく目についたのは
白い5つの花びらを持った『三葉黄蓮・ミツバオウレン』
「キヌガサソウ」も白い花です。
白い線香花火「オガラバナ」
同じく『ヤグルマソウ』
淡いピンクの「チングルマ(果穂)」
紫が鮮やかな「ひおうげあやめ」
濃いオレンジ色の「車百合」
かわいい黄色の「シナノキンバイ」
そして梨木香歩さんの小説『西の魔女が死んだ』(小説の方)に出てきた「銀竜草』

70種類以上の花が咲いているそうですが、見つけられなかった花の方が多くて、残念。

朝露って銀色に輝くんですよ。
本当に美しく光っていました。写真じゃあらわせないけれど、、、



ワタスゲ湿原の日光キスゲはほぼ満開。
日本で一番遅く咲く場所だそうです。


栂池自然園の散策は標高1900mあたりを約3時間から4時間かけて歩きます。
到着が午前8時、花の名前を確かめながら、木道を1周しました。
刻々と変わる風景。
途中で会った自然園のスタッフが『山は朝が一番です。昼間は見られないものが見られますよ.』
と言っていました。


霧が晴れた湿原

ゴンドラに乗って、麓に下りたのはお昼。
ゴンドラ下の手打ちそばやさんで地元のそば粉を使ったそばを味わいました。

この日は白馬に泊まりました。



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