buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

学生時代のウォークマン

2011年05月21日 | 青春時代

聴く

初代のウォークマンが押し入れの向こうの方から出てきました。
学生時代に買ったものですから、かれこれ30年以上前のもの。

あまりの音の鮮明さ、響きのよさに驚いた記憶があります。
30年経てば、iPodに取って代わるのですが、
ウォークマンが出てきた頃の驚きとは比べ物になりません。


見る

『英国王のスピーチ』を見ました。
決して派手ではないのですが、心に残るいい映画です。
レディースデーの3日前に予約して真ん中の列の真ん中の席をゲットしました。
中心地域ですから、人がいっぱい。
隣に座ったのは20代後半ぐらいの女性。仕事帰りでしょうか。
途中で、いびきの音が、、、、。
『SP』か何かだったらよかったのかもしれませんが、静かな映画ゆえに、
けっこう聞こえてくるものですね。
5、6分経って、彼女の目が覚めてくれたのがラッキーでした!


読む

『御雇い外国人』梅渓昇 講談社学術文庫
1965年の著作です。
御雇い外国人にハマっている私としては外せない1冊。 



にほんブログ村 ライフスタイルブログへblogram投票ボタンにほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へ






















30年前の生活に戻る

2011年02月22日 | 青春時代


昨日はマテオリッチの弟子調べに、ついついハマってしまい、
貴重な試験の採点時間を失ってしまいました。
今日は,まじめに家で採点作業に励んでいます。

今週は週末,連続して人と会い,食事をします。
こんな時にだいじょうぶなのかな~、とは思いますが、
おいしいものをいただくので,元来『食いしん坊』の私には外せない集まりです。

次男は家から1時間ちょっとの場所にある大学に4月から行く予定です。
3月末,大学から徒歩5分のアパートで一人暮らしを始めることになりました。
まあ,こうなるまでにはいろいろな事情があったわけですが、

夫の「自分で生活できるって言うなら、やってみなさい。」のひと言で
家を出ることが決まりました。
心配ですが,我慢して口を出さず見守ることも必要なのだ、と、、、。

アパート探しをして,驚いたのは
大学の近辺には、新品の家具家電付のアパートで、敷金礼金0円、手数料50%オフ
なんて、信じられない物件があるのですね。
次男のかりる部屋は、バス付ワンルーム、新品のエアコン、冷凍冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、机、
ベッド、カーテン、カーペット、薄型のテレビ、なべ、やかんなどがついて1ヶ月
4万8000円です。
ちなみに大学は最寄り駅から歩いて20分(路線バスなどなし)
風景,空気ともかなりよいところです。

次男の一人暮らしとともに
4月から我が家は夫婦2人、ネコ2匹、カメ1匹の生活が始まります。
30年前の生活に戻ります。


にほんブログ村 子育てブログ 高校生以上の子へblogram投票ボタン








































人と人との関係

2010年08月28日 | 青春時代

上海から戻りました。
朝9時半(時差があるので日本時間の10時半)の飛行機で羽田着が13時10分。
自宅着は14時。近いですね~。

さて
ここ数日、上海はお天気が不安定で、
どしゃ降りの雨や夕立で、日中、とても涼しかったです。
東京の方がずっと暑く感じました。

昨日は息子の留学する大学に一緒に行きました。
そこの国際交流センターには12、3年ぶりに会う友人のAさんがいるのです。
以前、仕事の合間に彼とハイアットホテルの87階のスカイバーでお酒を飲んだことがあります。
彼は次の日、彼女にプロポーズする!、ということで
どんなふうにプロポーズしたら効果的か、ふたりで相談したのです。

今考えると、本当に可笑しいですよね~!
でも、当時はとってもまじめに作戦を立てていたのです。

さて、彼は現在は主任に昇格。
交流センターの中心でばりばり働いていました。
なんと、彼の子どもは小学生になっているのだそうです。
プロポーズは大成功だったみたいです!

我が家の長男の留学も何かと力になってくれる、とのことで、
「あ~、よかった!」とほっとひと安心。
上海には友人が多いので、本当によかったです。

やはり中国では、人と人との関係がとっても大切。
あ、でもこれは中国だけじゃなく、世界中同じかもしれませんね。


にほんブログ村
にほんブログ村 高校生以上の子
FC2ブログランキング


写真は長男の留学する大学の彼の部屋
ちょっと狭いところにふたり。
新築できれいです












沈黙の期間(silent period)

2010年08月14日 | 青春時代
レポートを整理していますが、
20年以上前に書いたものが見つかりました。

当時、私はアラサー(?)世代。
日本語教育をはじめ、語学には今以上に(?)関心のあった時代です。

友人の紹介で,当時東京都品川区の品川埠頭にあった国際救援センターで仕事をしました。
救援センターは法務省、文部省、外務省の管轄。
日本にボートでやってきたベトナム難民が収容され、3ヶ月ほど日本語を勉強するのです。
私の家からは自転車で20分強。
新幹線の停車場のもっと奥の、ほとんどコンテナを運ぶ大型トラックしか来ない
品川埠頭にセンターはありました。
隔離されていた、と言ってもいいほどの陸の孤島です。

そこでは『TPR』(Total Physical Response Approach)
という教授法を採用していました。

TPRは言語以外の要素にも目を向けながら、人を育てていく考え方に基づいています。
1960年代にアメリカの心理学者(→言語学者ではない!)
James J. Asherが提唱た言語習得法です。 
幼児は話す力を習得する前に、膨大な時間を『聴く』ことに費やします。
そして、動作と結びつけながら言葉を身につけていきます。
Asherはこのような幼児の言語習得のプロセスに注目し、
そこから外国語を習得させようとしたのです。
つまり
口頭での練習に入る前に、まずは聴解練習を中心に行い、
言語と身体動作を結び付けていくというやりかたです。

センターで学ぶベトナム人たちは、大学で教育を受け英語もぺらぺら、という人から
学校で勉強したこともほとんどない、という人まで、
年齢もまさに老若男女がごっちゃ、という感じでした。
ひとクラスは25名。
でも、一番人が多いとき、私は50名のクラスをこのTPRで教えました。

「~してください,という指示」

TPRは教師が日本語で指示を出し、学習者はその言葉を聞いて身体で表現します。
たとえば、「立ってください』と指示を出します。

「たってください」の日本語を初めて聞くベトナム人たち。
最初は何が何だかわからないのですが、そのうち、勘のいい人が
気がついて立ち上がります。

嘘のようですが、何回やっても、誰かが気がつくのです。

立ち上がった人に向かって、にこにこして「はい、そうです、そうです」
と反応してあげます。
すると、他のメンバーも「立ってください』の意味がわかり、
次にその日本語で指示を出せば、ほとんどの人が
(周りの人を見ながらでも)立ち上がるようになります。
これを繰り返し何回も行います。

この応用で、『歩いてください』「とまってください」『跳んでください』
形容詞と組み合わせ
『高く跳んでください』『早く歩いてください』など、
いろいろな指示に学習者が反応するようになります。


「はい、今から私が10数える間に、AさんはBさんに教科書を読ませてください.』
なんて、使役形の入った複雑な指示にも(マジックのようですが)
従うことができるようになります。

↑でも、これは教師自身のトレーニングが少々必要となりますが、、、。

私も実際に韓国語のTPRの授業を受けたことがあります。
最初は『どうしよう~、、自分だけわからなかったら』なんて心配ですが、
誰かの反応を見て、先生が嬉しそうにしていたら、それが正解なのです。
だから自分が鈍感でも大丈夫。
次からはよ~く『聴いて』その指示に従えばいいわけです。
ちょっと安心、恥もかかないし、、、。


沈黙の期間

TPRでは、幼児が言語を習得する際、口から言葉が自発的に出てくる前のプロセスとして、
「沈黙の期間」があると考えているようです。
TPRの学習法は、教師の指示通りに身体を動かすことが基本で、
強制的に発話させる、話させる、ということはありません。
黙って、聴いて、聞いて,聞いて、いるうちに
ちょっと楽観的に思えますが、いつか自発的に話すことができるようになると考えられています。


学習の転移

TPRでは、聴解力がいずれ他の技能に転移していくと考えられています。
教師の指示通りに体を動かせるということは、聴解力が形成されていると考えらているのです。


学校の授業で学習者同士がディスカッションする時
ずっと黙って発言しない人がいます。
でも、かれらは怠けていたり、発言したくないのではありません。

発言したり、表現したりというのは、さまざまな情報や経験を自分の中に取り込んでいるうちに、
自然に身につく部分が大きいと思います。
私自身も専門ではない分野のミーティングで、すぐに発言したりすることは(恐くて)できません。
情報が理解できるまで、またはよっぽどの疑問がわいてくるまで、慎重に黙って聴いています。

だれでもが、沈黙の期間に自分の考えを熟成させているのかもしれません。


品川の国際救援センターは2年前、その役目を大方終えたということで、閉鎖されました。
このセンターを通して第3国へ出たベトナム人は日本に定住したベトナム人より多かったそうです。
その理由のひとつは『日本語の難しさ』(←やっぱり!)だということです。

センターで私自身が学んだ『TPR』の教えかたは、SEGや体験学習を経て
その後の私の教師人生に大きな影響を与えたように思います。
いい経験を品川のセンターで積ませてもらったと、振り返って感謝!


たまには、昔のレポートなどを整理してみるのも悪くありませんね。


にほんブログ村
にほんブログ村 高校生以上の子
FC2ブログランキング


写真は白神山地のブナの木
聴診器をブナの木に当て、よ~く聴いていると『水の流れる音』が伝わってきます。








銀の雨

2010年08月13日 | 青春時代


レポートをまとめています。
外も暑いし、とにかくやるべきことはやってしまいましょう!

机の上にはマシュマロ、バターピーナッツなど、私の好きなお菓子。
マグカップにコーヒーをなみなみと注ぎ、
そして、音楽は,,今日は『松山千春』です。

あ~、快適!  こりゃ、絶対に太るパターンです。

最近、選挙応援に行ったり、結婚式で歌ったりと忙しいようですが、
今の千春さんより、やはり80年代の千春さんがいいですよね。

髪も長髪で、、、かっこいい!
最近は年輪を重ねたのでしょうか、感情を込め、しっかりためて歌っていますね。
3分の曲が5分になったり。
でも,若いときののびのびとした歌声がやっぱり好きです。
そうそう当時は『ニューミュージック』っていうジャンルだったんですよ。

あらら、外は雨、、。
『銀の雨』でも聴いて、一緒にくちずさみましょうか、、、。



にほんブログ村
にほんブログ村 高校生以上の子
FC2ブログランキング