buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

同世代の食事会~ベトナム風鍋

2011年02月26日 | 食いしん坊
連続食事会の2日目。
(もちろんメンバーは異なりますが、、、)

今回は195×年に生まれた人の食事会です。
つまり同年代の同世代が集まっています。
今まで、中華料理(火鍋)、韓国料理、タイ料理、もつ鍋(私は不参加)と
続いてきましたが、今回はベトナム料理。

ベトナム料理のレストランには
冬季限定のベトナム風鍋料理がありました。
これは火鍋と同じように白いパイ湯スープと赤いスープを
同時に楽しめます。
火鍋と異なるのは赤いスープがなぜかタイ料理のトムヤムクンの
味ってことです。

最初の写真はデザートで食べた焼きバナナとバニラアイスクリーム
すごいボリュームでした。
これはおいしかった!

駅直結で、きれいなオフィスビルのレストランですから、満席でした。
お料理は可もなく不可もなく、、、。

ところで同世代の人のお話はトムヤムクンスープのごとく大沸騰。
おもしろいですが、、、5名のうち2名がお酒が飲めない人たち。
私もビール一杯でもう十分、というタイプなので、
酔っぱらわないであそこまで話題について来られるとは、、、、
すごいグループです!

写真はふたりのメンバーのから、それぞれみなさんにプレゼントされた
招き猫とかわいいJALの飛行機。



招き猫で右手を上げているのは『お金を呼び寄せる』
左手を上げているのは『人を呼び寄せる』のだそうです。
我が家はみんなネコ好き。うれしかったです。

それから、JALの飛行機。
もうすぐ赤いマークが鶴のマークに変わるそうですが、、、。
携帯電話のストラップにつけました。
かわいいですよ~。


次回は私も何かおもしろグッズを持って行ってみようかな~。
桜の咲く頃、ミャンマー料理を食べにいく予定です。



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バーニャカウダ

2011年02月26日 | 食いしん坊


3日連続の食事会の1日目。
ナポリピザと南イタリア料理のお店で、昨年開店したばかりのレストランです。
平日の夜6時半でほぼ満席。
女性客が多いですね~、、、とは
大手化粧品会社でマーケティングを担当している
友人です。
南イタリア、特にナポリを中心とした料理は海鮮あり、ビザあり、パスタあり、
山海の食材を豊富に使っているのだそうです。

今回のメニューは
アンチョビのあたたかいソースに生野菜をつけて食べるバーニャカウダ
野菜の風味にあったアンチョビソースが、なんとも言えぬ味わい、、、
おいしかったです。

それから
お店のスタッフご推薦のアンティパストミスト(盛り合わせ)

パスタは
牛ほほ肉のナポリ風ジェノベーゼバッケリ(きしめんのような太いパスタ)
石釜で焼いたこの店のおすすめピザマルゲリータ
メイン料理は
魚のアルフォルノ(石釜焼き)

料理もおいしかったのですが、お店のホスピタリティーは◎
開店したばかりなので、至れり尽くせりのサービスでした。
ワインの種類が多いのもこの店の特徴なのだそうです。

メンバーは
キャリアコンサルタント、産業カウンセラーつながりの会社員の人たち。
次回からキャリア関係のスタディーグループを立ち上げることになり、
その打ち合わせを兼ねた食事会でしたが、
同じ方面に興味を持っている人たちなのでおいしい料理と合わせて、
とても楽しい会になりました。

メンバーの年代も60代、50代、30代と多様。
専門分野も異なり、今後の活動が楽しみです。
そのうちひとりは、大学の専攻が心理学、日本語教員の資格があり、
中国人のカウンセリングに興味がある人で、ほぼ私の関心と重なります。
いい出会いがあったと、とても嬉しくなりました。

考えてみると、いろいろな味わいを持った人たちが
『キャリア』というキーワードでつながっています。
ちょこっとですが、バーニャカウダっぽい、とそんなことを思いました。





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30年前の生活に戻る

2011年02月22日 | 青春時代


昨日はマテオリッチの弟子調べに、ついついハマってしまい、
貴重な試験の採点時間を失ってしまいました。
今日は,まじめに家で採点作業に励んでいます。

今週は週末,連続して人と会い,食事をします。
こんな時にだいじょうぶなのかな~、とは思いますが、
おいしいものをいただくので,元来『食いしん坊』の私には外せない集まりです。

次男は家から1時間ちょっとの場所にある大学に4月から行く予定です。
3月末,大学から徒歩5分のアパートで一人暮らしを始めることになりました。
まあ,こうなるまでにはいろいろな事情があったわけですが、

夫の「自分で生活できるって言うなら、やってみなさい。」のひと言で
家を出ることが決まりました。
心配ですが,我慢して口を出さず見守ることも必要なのだ、と、、、。

アパート探しをして,驚いたのは
大学の近辺には、新品の家具家電付のアパートで、敷金礼金0円、手数料50%オフ
なんて、信じられない物件があるのですね。
次男のかりる部屋は、バス付ワンルーム、新品のエアコン、冷凍冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、机、
ベッド、カーテン、カーペット、薄型のテレビ、なべ、やかんなどがついて1ヶ月
4万8000円です。
ちなみに大学は最寄り駅から歩いて20分(路線バスなどなし)
風景,空気ともかなりよいところです。

次男の一人暮らしとともに
4月から我が家は夫婦2人、ネコ2匹、カメ1匹の生活が始まります。
30年前の生活に戻ります。


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マテオ・リッチ(Matteo Ricci/利瑪竇)の弟子

2011年02月21日 | 歴史の中の1ページ

上海のアンティークな建物を検索しているうちに
徐光啓という明の時代の宰相のことを知りました。
私が以前興味を持ったイエズス会の宣教師マテオリッチにも縁の深い人です。
今日はこの徐光啓という偉人について紹介したいと思います。

1562年、中国の上海に生まれた徐光啓は博学多才な人物で、1597年、
35歳のときに中国の官吏の試験、科挙の中の『郷試』に合格しました。
『郷試』に合格する、ということは国の政治を動かす官吏への第1歩です。
彼はとても頭のいい人だったということですね。

その後,徐光啓は南京で活動していたイエズス会の
イタリア人司祭マテオ・リッチ(Matteo Ricci/1552 - 1610/中国語名:利瑪竇)の
話を聞き、ぜひともリッチの西洋の教えを受けたいと南京に向かいます。

当時、マテオ・リッチは南京で中国語や中国の習慣を学びながら、布教活動をしていました。
同時にヨーロッパの天文学や数学などを中国の人々に教え、ヨーロッパから送られて来た
珍しいおみやげ品を役人に贈り、
中国人との交流を様々な手段を用いて深めていきました。

念願の南京に到着した徐光啓はイエズス会の宣教師たちと交流を深めながら,
自分自身がキリスト教に大きな影響を受けていました。
そして、とうとう1603年に宣教師ヨハネ・ソエリオ(羅如望)の手で洗礼を受け、
キリスト教徒となったそうです。

その後、当時の試験では最も難しい『進士』の試験に合格、国の政治に直接関わる官吏となりました。
彼はじょじょに頭角を現し、ついには式部省の頭となり、明朝の宰相となるのですが、、、

徐光啓とリッチとの交際はますます深く広くなり、天文学,地理、物理、水利、
暦数などについても学んでいきました。
特にユークリッド(Euclid)の「幾何学原論(Στοιχε?α/Elements)」をリッチとともに中国語に訳し、
「幾何」「点」「線」「面」「平行線」「鈍角」「鋭角」といった用語を中国で初めて使ったそうです。
また,彼の著書や翻訳書は非常に多く、日本にも大きな影響を与えた農書『農政全書』などが有名です。


徐光啓の学問の師匠であり、信仰の指導者であるマテオ・リッチの宣教活動は
中国の服を着て中国人と同じような生活を送り、その土地の習慣をよく研究し
キリスト教に中国古来の習俗や人々が信奉する儒教を取り入れ、すりあわせながら
伝道する方法でした。

徐光啓はさまざまな功績を残すとともにリッチの伝道活動を支え,援助していました。
彼はカトリックの教えは儒教を補うものと考えており、そのため迫害を蒙らずに、
明朝の政治の世界で高位に昇ることができた、と言われています。
恐らく、徐光啓はマテオ・リッチの宣教の形をそのまま受け入れたのではないでしょうか。

1633年、徐光啓は亡くなり、上海の「徐家匯」に埋葬されました。
「徐家匯(xu-jia-hui)」とは、「徐家」の水路の集まるところと言う意味で、
1978年に、政府はこの辺を「南丹公園」と名づけ、
1983年には徐光啓逝去350周年の記念として、公園の名を「光啓公園」に改称しました。
このことから考えても、徐光啓は中国政府も認めた偉人のひとりだと言えるでしょう。

「徐家匯」には1906年から6年間かけて建築された聖イグナチオ教会
(徐家匯教会と通称されている)があります。
とても素敵な教会堂で、現在もミサが行われています。

明や清の時代のお役人は,科挙という信じられないくらい難しい試験に合格した学者ばかりです。
徐光啓は政治の世界で活躍しながら、西洋の新しい科学を中国に取り入れるという
偉業を成し遂げた人です。
本当はどんな人だったのでしょうか、、、すごく興味があります。


さて、私の趣味の分野の長文におつき合いくださりありがとうございました。
3月にはまた上海に行く予定です。
その時には,徐光啓の公園に行ってみたいと思っています。


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自費出版の本

2011年02月19日 | 本・映画・音楽・美術のページ


ここ1週間ほど、試験の採点地獄です。
特に音声の試験は録音されたものをひとつひとつ聞いて採点するので、
手間がかかります。
来週初めには成績を出すので、
それまで1年で数回の最も集中した時間を過ごすのかな~、

肩こり、ひどくなってきました!


主人の父が自費出版で回顧録を出しました。
90歳。
戦争と経済成長の時期を大手の建築会社の中で駆け抜けて来た人です。

回顧録は主人の父の子ども~青春時代のお話が多く、仕事の話はわずかです。
最も思い出の多い時間だったのでしょう。

私がもし自費出版の回顧録を出すとしたら、、、
30代から40代にかけてのお話がおおくなるのかな~。
今考えれば、今のように経済発展していなかった中国を
行ったり来たり、最も自由で、楽しく刺激のあった時間を過ごしたように思います。

主人の父は「ちょっとすごい」です。
90歳のエッセイ。
父もいい人生を過ごして来たのだと思います。



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人の不思議

2011年02月17日 | 友だちの友だち



人はどの国で、どんな両親のもとに生まれるか、自分で決めることはできません。
なぜ、この家のこの両親のところに生まれてきたのか、不思議な縁ですよね。

もう20年以上前の(元)学生は
故郷の中国の村では『神童』と呼ばれていたそうです。
ただ、家はとっても貧しかったので、彼が北京の大学に進学が決まったとき、
両親は牛を売って北京に行かせました。
その彼も、今は中国の企業の社長さんです。

彼は涙を流しながら、酔っぱらうと両親の話をし、両親に感謝しています。
親孝行な息子です。

毎月のお小遣いが30万円の中国のひとりっ子世代の学生。
30万円の中には家賃は入っていません。
洋服や食べ物にお金を使い、毎月、お金に困っていました。
そんな学生ですから
せっかく入った大学も半年でやめて、帰国しました。
結局日本で日本語学校も含め3つの学校に通いましたが、どこも卒業できませんでした。


どこまでが両親の責任で、
どこからが自分の自立の道なのか、それはきっと人によって異なるのだと思うけれど、
その学生のことを考えると、複雑です。


やはり中国人の学生。
両親は離婚して、それぞれが再婚。
中国にいる場所がなくなったと感じたようです。
日本に留学して、アルバイトをしながら大学院まで修了しました。
今は大きな会社に勤め、日本人と結婚し、なんと30代半ばですでに3児の父です。
やっと自分のいるべき場所が見つかった、ということで日本国籍を取りました。
家族のいるところが自分の国だ、と嬉しそうに話していました。


我が家のふたりの子どもたちもそれぞれの自立が近づいています。
心配です。
いつでも親は子どものことが心配ですよね。
(父は84歳ですが、子どもの私をやっぱり心配しています)

喧嘩をしても何でも、やっぱり自分の子どもは自分の子どもなのですから。


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旅立ちの季節

2011年02月16日 | お仕事いろいろ
卒業生から続けざまに連絡が入りました。

ひとりは日本で契約社員の仕事を見つけ、2年ほど仕事をしましたが、
『いろいろ考えて、やめる決心がつきました。』
職場が近かったため、よく食事を一緒にしていたのですが、、、
さびしい~

もうひとりは昨年12月、クラスメートと結婚(つまり夫婦とも卒業生)
なんと!奥さんは現在妊娠中だとか、、、
そういえば、一昨年結婚した欧米人と日本人のカップルも、つい最近パパママになりました!






卒業式が近づいてきました。
旅立ちの季節ですね。
今年は就職も厳しく、母国に帰る人がたくさんいます。

それぞれの季節がやって来て、新しい旅立ちがはじまる、春ですね。


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さて、現在は卒業試験の真最中。
採点やら評価やらでてんてこ舞いです。

ちょっとだけ、私は『最近疲れているな~』って思うのです。
前はあまり感じなかったのですけれど。











親の気持ち

2011年02月13日 | 家族(息子・夫・ネコ2匹)



長男が上海に戻って
何だか寂しくてしょうがない。

そばにいる時はいなくてもいても、まだ安心。
でも、遠くに行ってしまうとその存在の大きさに驚く。

人生50年にして、初めて味わう気持ち。
これがきっと親の気持ちなのだ。








本当に情けないが、もう3月の上海行きのチケットを購入してしまった。
夫さえも
『そんなに寂しいなら上海に行って来なよ。』と。






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みんなに支えられて、いい人生を過ごしている。











雪の光景

2011年02月12日 | お散歩



雪の光景

海沿いの品川では雪が降ることはめったにありません。
ましてや積もるなんて。

でも、結婚したての30年ほど前は
御殿山の坂に雪がつもり、なぜかスキーの跡がついていたことも。

地球がだんだん暖かくなっているのですね。


今日は雪の中、明日上海に戻る長男と一緒にお寿司を食べにいきました。
夫も一緒でした。
本当に寒かった~。

長男が上海に戻るのは当然のことなのですが、
何だか気分が重いというか、寂しい感じ、、、。

子離れできない親です。



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羊の料理

2011年02月11日 | 食いしん坊



現在の仕事場から近い新宿、代々木界隈は若かりし頃にもよく来ていた場所で
私にとっては懐かしくて居心地のいい場所です。

「ひつじや」というレストラン、、、が、代々木にあります。
ひつじ料理専門店ですが、無国籍っぽい感じ。

実はひつじ料理は中国、モンゴルからシルクロードを越えて、
トルコ、アフリカまで食されているのです。
初めてひつじ料理を食べた中国人がそのおいしさに感動して
『ひつじ、大いなるかな!』と叫んだとか叫ばなかったとか、、、
羊+大(いなるかな)=美(しい)
羊=美食 おいしい食べ物、
ということになるのでしょうか、、、。

日本で羊料理と言うとジンギスカンが有名ですが、
ジンギスカンはどうやら北海道で作られた日本の料理のようです。
中国の北京では羊肉のしゃぶしゃぶ、
モンゴルでは「チャナサンマハ」という塩ゆでした羊肉の料理、
そのまま西に向かってトルコに入ると、シシカバブなどが有名ですよね。

さて、ひつじやさんの話ですが、
お店の中はとってもエスニック。
インドやアフリカ系のウェイターさんたちが活躍しています。

料理もさまざま。
子羊のたたき、羊肉の餃子、アフリカのシシカバブ、シルクロードの肉いため、ケイジャン料理
極めつけの、羊の脳みそなどなど

肉はあまり、、という人には
韓国風サラダ、青菜の炒め、北京風レタス炒め、地中海のこりこりジャガイモ、クスクスのトマトソース
スパゲティー、など、韓国からイタリア、地中海まで料理でワープできます。

私はクスクスが大好き。
名前の響きもいいですよね。

エスニック料理が食べたくなったら、お薦めのお店です。




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この店を紹介してくれたのは、友人の商社の役員Aさんです。
羊があんまり好きじゃないのに、なぜかひつじやがとってもお気に入り。
おもしろい人です。





















若い学生にチョコ!

2011年02月09日 | 授業


留学生の学習の手伝いをしてくれる大学学部4年生の人たちの実習が
ほぼ終わりました。
今日はA大学の2人の男子学生が、留学生の卒業研究発表に立ち会ってくれました。

ひとりの学生は商社に就職が決まり、
もうひとりの学生は高校の先生になるそうです。
おめでとう!

いつもニコニコして、授業のサポートをしてくれました。
実はサポーターの役割は学生の支援をするだけでなく、
授業で孤独な教師のサポートもしてくれているのです。

二人がずっと来てくれたおかげで、どんなに励まされたか。
ありがとうございました。

二人の今後のご活躍を心から願っています。

今日は二人に心ばかりの小さなチョコを渡しました。
何年かぶりに若い男性に渡すチョコ、って、、、なにかいいですよね~。




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カフェめぐり

2011年02月06日 | お散歩



今日は近くのフリーマーケットをのぞいて、カフェをはしごして読書をしましたが、
なぜか2軒とも人で一杯、満席でした。


カフェはおもしろいですね。
勉強をしている人、読書をしている人
それから外国人の先生と英会話の練習をしている人もいました。

一軒目

私は15人ほどかけられる、大きな丸いテーブルに座りましたが
左隣は3人グループでレポートを書いている大学生、
右隣は資料をかさかさ音をたててめくりながら、何かをせっせと
書き込んでいる(落ち着きのない)女性でした。
とっても焦っているのか、ちょっと怖い感じのオーラが出ていました。
後ろの方の英会話の練習が気に障るのか、小声で
『ホントにうるさい!』

ということで、私はカフェから退散。
読書もままならなくなってしまったので。

2軒目

ニューオーリンズのベーニエを出してくれる
お気に入りのカフェです。
こちらは個室のようになっているテーブルがあいていたので、
ゆっくりと読書ができました。
もちろん、ベーニエ食べました!






今日は
上海から春休みで戻っている長男と夫は
おじいちゃんおばあちゃんたちと、大江戸温泉物語(←っていうんだとおもいますが)という
お台場の温泉へ。
次男は主人の父(おじいちゃん)とお昼を食べに行き、
我が家はネコ2匹がお留守番でした。






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写真は上海のおしゃれなカフェ。
こちらも勉強する人あり、読書する人あり。




遺跡はどちらのもの?

2011年02月06日 | おもちゃ箱

タイとカンボジアの国境で争いが起きているようです。
心配ですね。
タイとカンボジアの間の歴史は侵略したり、されたりの繰り返しだったようです。
隣同士の国々。
だから文化にも独特の融合が見られます。

カンボジアのアンコールワットやアンコールトムの遺跡の中の彫刻にも
タイとカンボジアの戦争の様子が描かれていたように思います。






どちらの国の人たちも穏やか。
でも、国境はどこか、国境近くの遺跡(カンボジアが世界遺産に登録)はどちらのものか
それは複雑な問題で、死者も出る争いに発展してしまいました。

残念です。



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アメリカの小さな街からのメール

2011年02月05日 | 友だちの友だち


1982年、といえばかれこれ30年前になりますが、
そのとき知り合ったアメリカ人の夫婦、Aさん、Bさんと連絡が取れました。
二人は私たち夫婦と同じ年齢で、結婚した年も同じ。

1982年の夏、彼らはアメリカからやって来た学生グループ10名ほどの
リーダーでした。
約1ヶ月余りを日本で過ごしたのですが、その中の数日間交流をしたのを思い出します。
ただ余りにも昔の話ですからね、
『楽しかった』意外にはあまり記憶にないんですけれど、、、。

そのころはアメリカ人と話をする、っていうことが珍しいことでしたし、
今考えれば、
彼らとの交流が現在の私の仕事に結びつく要因のひとつだったかもしれません。

ご主人は現在大学のカウンセラー、奥さんは美術の先生をしているとのこと。
ほぼ同業者ですね。

彼らは3人の子ども(大学院生、大学生、高校生)に恵まれ、
現在はアメリカのイリノイ州の静かな街に家族仲よく暮らしているよう、、、
彼らは、私の想像する(映画の中のかもしれませんが)幸せなアメリカ人家庭
そのものかもしれません。

ところで、A夫妻の子どもたちは、あまり日本に関心がないようです。
お寿司は好きみたいですけれどね。
我が家の息子たちも、アメリカにほとんど興味なし。

そんなものなのかな~、、、。

とりあえず、私たちは時々近況を報告し合うことにしました。
(メール交換に私の英検3級の文法はけっこう役に立っています)

最近は少々忙しかったけれど、その中でひとつ嬉しかったことです。





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