buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

宋慶齢の住居

2011年09月03日 | 旅のお話



孫文の奥さんであった宋慶齢の住居を今回北京で見ることができました。
下町の胡同を三輪車でめぐるツアーに申し込みましたので、
日本語がわかるガイドさん付です。
友人のAさんと私にひとりのガイドさんがついてくれました。

宋慶齢は『宗家の三姉妹』の2番目。
お父さんの友人であった孫文の秘書となり、
その後,20歳以上も年上の孫文と結婚しました。

しかし,孫文とは10年ほどしか一緒に暮らすことができなかったと言います。

宋慶齢の邸宅は以前は皇族が住んでいたところ。
北京の后海のそばにあります。
柳の木や海堂の木があり、緑の芝生がきれいに整えられた
洋館です。


宋慶齢住居の中庭の海堂の樹



宋慶齢は88歳のとき、この自宅で亡くなりました。
大きな執務室兼ベッドルーム。
仕事をしては,ベッドで休み、隣の小さな台所で軽食を作って食べていたそうです。
もちろん,外国のお客様が来たり,政府の方が来たとき用の
大きなリビングもありました。

上海でも宋慶齢の住居を見学したことがあります。
そして,神戸の移情閣。
孫文の記念館になっています。


移情閣からみた明石大橋



このころの中国と日本の歴史がとても興味深いです。
趣味としてこれからもいろいろな文献を読んだり、旅行で訪ねたり
してみたいな~,と思います。



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活躍する若い先生たち

2011年08月27日 | 旅のお話


中国の天津の学会にはおよそ2000人の参加者があったとのことです。
さらに、会場の大学のボランティアの学生、他も含めると、3000人は会場にいたのでは、、、(?)

北京のエコな旅でずっといっしょだったA先生は日本語教育、特に子どもたちへの日本語教育では
活躍している方。
とても顔の広い先生ですから、たくさんの知り合いから声をかけられていました。

さて、私も会場で何人か知っている人たちに会いましたが、
その中に私の勤める職場に実習生として来た先生と大学院生がいました。

700名もいる発表者の中からふたりの発表を探し出し、聴きに行ったのですが、
Bさんは突如、前の人が欠席で時間が繰り上がり(そんなことあっていいのかな?!)
私が行った時にはもう次の人の発表が始まっていました。
残念!
今回の大会ではこの『繰り上がり』がけっこうあったようです。

Cさんは映画を使っての授業実践を発表していました。
30~40人ぐらいの人が集まっていました(すごい!)
堂々としたわかりやすいプレゼンで、報告からは実践の効果もあったように思いました。
Cさんに係わったひとりとしては、ちょっと鼻高々でした。

帰国してからさっそくふたりの指導教官にメールをして報告をしました。
指導教官、本当に嬉しそうでした!
それはそうですよね、一生懸命育て、卒業させたふたりの学生が
『世界大会』と名打っている学会で口頭発表したのですから。

BさんもCさんもがんばっています。
このような若い先生たちが自分自身の実践を発表し、
さらに成長していけるといいな~、と本当に思います。





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北京天津B級グルメツアー

2011年08月25日 | 旅のお話


北京の地下鉄崇文門駅から徒歩3分(新世界百貨店すぐ裏)
『大碗居』の餃子、目から涙が出てくるほどおいしくて、、、
ぷるんぷるんの水餃子から出る湯気が食欲を誘います。
20個で230円。

残念、写真なしです!
写真を撮るより先に食べ終わってしまいました。

ここのおすすめ料理、鶏肉ときくらげ、やさいの炒め物
これはちょっとピリ辛でしたが、本当においしい!




そしてとろみと塩味のハーモニーが忘れられない豆腐と青菜のスープ



これに青菜のあえものを頼んで、ふたりでビールを飲み、合計1600円ぐらいでした。

「大碗居」は泊まったホテルのフロントのスタッフが口を合わせて
「この店が絶対におすすめ!」と太鼓判を押した店でした。

下は天津の川べり、イタリア風情区の『易宴』の青菜 
見た目にもとても綺麗です。



鶏肉のだしと白いキクラゲ、マンゴーのアジアンスープ。
ちょっと甘い味でした。



青菜と豆腐干の炒め物



ホウレンソウとにんじんの包子。


安くておいしい、地元の人もおすすめのB級グルメの紹介でした。



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最初の写真はこの時期絶対に飲んでみたいスイカのジュース
日本では本当に贅沢ですよね。
ホテルで400円ぐらい、外のジューススタンドでは60円。











中国高速鉄道の乗り心地

2011年08月24日 | 旅のお話


北京ー天津間の中国高速鉄道に乗りました。
まさに快適。
特等席ということもありますが、2等席も決して悪くはありません。

ただ、ひとつ問題があるとすれば、
日本では予約から切符の購入、乗って下りるまで
あまりストレスを感じることはありませんが
中国では、切符を買うのが一苦労。

何しろ、ものすごい人が駅にはいるのです。
行列してせっかく自分の番が来ても、間違っていれば
「ここじゃない、あっち!」ぐらいの説明で、
切符を買うことができません。

行きの北京はまだそれでも新幹線の切符売り場がわかりやすかった、、、。

帰りの天津は、北京のようにその場でチケットが買えるかと思ったら、
それは『とても難しい』とのこと。

それで当日の朝6時半にタクシーで天津駅までチケットを買いに行きました。
ガイドブックには『自動販売機』で買える、と書いてありましたが、
それは×。
中国に住んでいるという証明カードがなければダメなのです。

ということで、たくさんの人にまじって行列すること40分。
恐ろしく対応の悪い女性の窓口の係から、
やっと切符を手にすることができました。
それもお昼ごろの新幹線の切符です。
ストレスが溜まった~、、、。

中国では何でも自力でしなければなりません。
ただ、ぼーっと並んでいるだけでは何もできないのです。

そんな厳しい環境の中国から外国に留学した学生たち。
中国人の学生に接する教師たちは
中国がどんなところか、一度ぐらいは体験してみる必要があるのではないでしょうか。

ハードはけっこう整ってきた中国。
でもソフト面、特にホスピタリティーなどはまだまだこれからに期待しなければならないようです。


写真は中国高速鉄道。
尖っている部分の後ろが特等席です。
特等席は僅か8席しかありません。




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旅の基準~物価比較(北京・天津)

2011年08月24日 | 旅のお話


円高ですから、1万円を中国の『元』に両替すると
806元になります。
一時は600元台のときもありましたから、『とても高い』ということになります。

写真は新幹線(中国高速鉄道)の始発駅『北京南駅』の上島コーヒー店で飲んだ
コーヒー45元(500円ぐらい)と
高速鉄道特等席(グリーン)のチケット94元(1000円ぐらい)
北京天津間は時速300キロで30分。だいたい115キロぐらいということです。
これは東京ー沼津(約120キロ)と同じぐらいです。

つまり、上島コーヒー2杯分(スターバックスコーヒーなら3杯分)が
東京ー沼津間の新幹線代、というような感じです。

基本的に洋食はとても高い中国ですが、コーヒー45元はなかなかです。
(でも、日本で言えば、『普通』の飲みやすい味でした)

中国の交通料金はとても安いので、比較にはならないかもしれませんが、
インパクトのある差ですよね。


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世界の日本語、中国の日本語

2011年08月23日 | 旅のお話



人民网•天津视窗 8月18日
http://www.022net.com/channel/10jpn/

この大会に参加するのに本当にすったもんだの珍道中でした。
下記はメインの会場となった天津の大学の校舎




とってもお金のかかっているフラッグ
あちこちで見ました。








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北京B級グルメツアー1 エコな旅

2011年08月20日 | 旅のお話

18日に「格安航空券」を使って北京に入りました。
今回は中国は初めてというA大学のB先生といっしょです。

朝、8:30発羽田発のC航空のエコノミーは、TVなし、アルコールなし、お手拭きなし。
食事も朝食ということで軽食です。
免税品も売らず、入国審査のカードもくれません。
でも、羽田発でとにかく安い、、 文句は言えません。

飛行機は定刻に北京に着きましたが、1時間後のANAで来るB先生をピックアップするため、
飛行場で待機。
揃ったところで、空港から市内に地下鉄を使って移動。
環状線に乗り換え、崇文門から数分のホテルに。
その後、徒歩で30分。故宮の到着後、見学。
故宮は巨大な歴代皇帝の皇居ですから、もちろん徒歩で見学、2時間。
帰りは、さすがに疲れてトロリーバスでホテルに帰りました。

交通費は全部で28元(=365円)でした。
エコな旅です( ´ ▽ ` )ノ

というのは、建前。
地下鉄は実に便利でしたが、北京ではタクシーに乗車拒否されたり、来なかったり。
それで仕方なく徒歩やトロリーバスに乗ったのです。
政治都市だけあって、タクシーなど車両は交通規制が複雑なようです。

でも、地下鉄やタクシーを使ったら見られない様々な景色を堪能し、
中国人との会話も楽しめた一日でした。

今日は写真なしですが、帰国後アップする予定です。
(天津にて)



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中国高速鉄道に乗る旅

2011年08月15日 | 旅のお話


友人のAさんと中国へ行くことになりました。
Aさんは初めての中国。
所用より1日早く中国へ行き、北京の故宮博物館などを見学することにしました。
やはり初めての人は抑えるべきスポットを抑えておかないと、、、ということです。
定番ですが、、、。

2日目は北京から中国の高速鉄道に乗ります。
もともと中国の鉄道事故の前にこのプランを立てたのですが、
変更せず、そのまま鉄道を使うことにしました。

私たちが利用する区間は事故区間とは全く異なる線。
乗車時間も30分。
まあ、こんな時期だから慎重に運転しているでしょう、ということで、
乗車決定となりました。

さて、どうなるか、、ちょっと楽しみです。
あさっての朝8時半の便で中国へ出発です。
(念のため、保険、かけました)



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白馬のペンション

2011年08月07日 | 旅のお話


「去年は本当にお客さんの来ない、最悪の1年と言われていたけれど、
今年はさらに悪い。」とは、白馬で泊まったペンションのご主人。

「1977年から白馬でペンションをしている。
最初のころはペンションブームもあって、一日に30人以上のお客さんが来たこともある。
そんな日は、人を頼んで手伝ってもらっていた。」

「オリンピックのころ、白馬には250軒のペンションがあった。ブームでたくさんのペンションが建った。
でも、今はたったの50軒。」

「息子は東京の大学を卒業し、東京で就職した。
このペンションを継ぐ気持ちはないようだ。」

「だから、自分と家内ができるところまでペンションを続け、
もう無理、というところで廃業するつもりだ。」

「今は部屋も5部屋、多くても1日4組しかお客さんを取らない。
それが夫婦ふたりでペンションを経営して行く限界。」

「大規模なペンションはみなつぶれてしまった。
クローズしているペンション、廃業してそのままほったらかしにしているペンションが
ここには山ほどある。」

と、訥々と語ってくれるオーナー。
飾らず、さりげないもてなしがとっても気に入りました。

食事はボリュームたっぷりの信州牛のステーキと北海道産のほたて。
こんなにおいしい料理は久しぶりでした。



デザートは甘さ控え目の手作り。





どんな業界にも不景気の波が押し寄せています。
それでも、こんなに感じのいいペンションは続けてほしいな~、って思うのです。



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7月からの旅立ち

2011年08月06日 | 旅のお話


7月は悲しいことがいくつかやってきました。
ほんと、いろいろありの月でした。
そこで、7月からの旅立ちをするために、夜行列車の旅に出ました。
今回は、信州栂池高原の栂池自然園を訪れ、日光キスゲを見る、のが目的です。

夏の時期は臨時列車が増発されます。
私が使ったのは『ムーンライト信州』新宿午後11時54分発、白馬午前5時40分着の
快速電車です。
同じく夏の期間はお得な乗車券『青春18きっぷ』が発売されます。
ということで、指定席料金も含めて、僅か2810円で白馬に到着です。

午前6時の臨時バスに乗り、栂池高原へ。
そこでちょこっとお弁当を食べ、7時に動き始めたゴンドラに乗って
標高1900mの栂池自然園に向かいます。
ゴンドラでの空中散歩は、鳥の目になって、木々を真下に見られます。
このあたりは栂の木というクリスマスツリーになるような松が群生しています。
樹の高さは10m以上のものもありますが、この時期、樹のてっぺんに紫色の松ぼっくりを
つけます。紫色ってとても珍しいと思うのです。

栂池自然園は今、高山植物の花が何種類も無数に咲いています。
よく目についたのは
白い5つの花びらを持った『三葉黄蓮・ミツバオウレン』
「キヌガサソウ」も白い花です。
白い線香花火「オガラバナ」
同じく『ヤグルマソウ』
淡いピンクの「チングルマ(果穂)」
紫が鮮やかな「ひおうげあやめ」
濃いオレンジ色の「車百合」
かわいい黄色の「シナノキンバイ」
そして梨木香歩さんの小説『西の魔女が死んだ』(小説の方)に出てきた「銀竜草』

70種類以上の花が咲いているそうですが、見つけられなかった花の方が多くて、残念。

朝露って銀色に輝くんですよ。
本当に美しく光っていました。写真じゃあらわせないけれど、、、



ワタスゲ湿原の日光キスゲはほぼ満開。
日本で一番遅く咲く場所だそうです。


栂池自然園の散策は標高1900mあたりを約3時間から4時間かけて歩きます。
到着が午前8時、花の名前を確かめながら、木道を1周しました。
刻々と変わる風景。
途中で会った自然園のスタッフが『山は朝が一番です。昼間は見られないものが見られますよ.』
と言っていました。


霧が晴れた湿原

ゴンドラに乗って、麓に下りたのはお昼。
ゴンドラ下の手打ちそばやさんで地元のそば粉を使ったそばを味わいました。

この日は白馬に泊まりました。



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ちょこっと海

2011年06月12日 | 旅のお話



海を見に行きました。
もともと東京湾に近いところに住んでいるのですが、伊豆の海もそう遠くはありません。
電車で2時間半ほどで熱海や伊東に着きます。

写真はあいにくの雨の熱海。
海を見ていると、何となく地球は丸い、ということがわかります。

そして、下の写真は伊東の松川遊歩道。



明治の詩人、画家、そして医学者であった木下杢太郎の作品が遊歩道沿いに紹介されていました。



おいしい夕飯もいただき、温泉に入り、ちょっとだけリフレッシュして
普通電車に乗って、戻ってきました。









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葛飾北斎の小布施から

2011年05月29日 | 旅のお話


小布施を3年ぶりに歩きました。
長野県で一番小さな市と、ガイドさんから聞きましたが、
江戸の雰囲気が街中で感じられる落ち着いた場所です。

今回は28年前に訪れた葛飾北斎の『八方睨みの鳳凰図』のある岩松院に行きました。
この図は何と畳20畳に描かれ、天井に吊るされています。
28年前には本堂に寝転がって、じっくりと観賞しましたが、今回は椅子に座って見ることになっていて
少々首が疲れてしまいました。

『八方睨みの鳳凰図』は北斎晩年の作で、88歳から89歳にかけての作品です。
よくその年齢で畳20畳の大作を描けたものです!

鳳凰図はその名の通り、どこから眺めても鳳凰が自分を睨んでいるように見えるのです。
確かに迫力あり!
使われた絵の具や金粉、金箔などは150年以上の歳月を経て、かなり剥落してきているそうです。

鳳凰の目は燦々と黄金に輝いています。目の部分の絵の具はヒ素がふんだんに使われている、ということでした。
だから、、、ね。と納得してしまうほどの『睨み』方で、ずっと見ていると、ちょっと怖くなってしまいます。

その後、北斎館という北斎の作品を集めた美術館にも行きました。
北斎は1814年頃から、『北斎漫画』という主に町民の生活や人々の表情、動植物などを描き始めました。
北斎館に収蔵されている北斎漫画は1ページに10から20ぐらいの小さな絵がかいてありますが、
その中に描かれている町民の表情が生き生きとしていて、思わず笑ってしまうほどです。
ここでの『漫画』の意味は『思いつくままに描いた絵』ということだそうです。

北斎の『北斎漫画』はヨーロッパ、特にパリで注目を集め、
『ジャポニズム』(日本ブーム)が巻き起こったそうです。
では、北斎漫画はどのように欧米に伝わったのでしょうか。
実はヨーロッパに輸出した日本の陶磁器を包装した紙が「北斎漫画」だったということです。
面白いエピソードですよね。

北斎はとってもユニークで洒落た江戸っ子だったようです。
またお金に無頓着で、一生お金が流れてしまう、、つまり貧乏生活が続いたそうです。
引っ越し魔として有名で、一生に93回も引っ越しをしたそうです。
名前(画号)が変わることも30回。
北斎は人物画、風景画、歴史画、漫画、春画、妖怪画、百人一首、あらゆるジャンルに作品を残していますが、
それらに挑戦する時に、自分の実力を試すため、名前を変え新人の振りをしたそうです。
すごくチャレンジングな人だった、ということですね。

<参考>http://ja.wikipedia.org/wiki/葛飾北斎 ウィキペディア『葛飾北斎』





さて、小布施は『栗』で有名です。
おみやげは旅の楽しみのひとつ。
今回は最も歴史の古い『甘精堂』で栗羊羹を買い、栗アイスクリームを食べました。
また、おばあちゃん(主人の母)おすすめの『竹風堂』のくりどら焼き10個を購入。
竹風堂のお向かいの造り酒屋『桝一市村酒造場』で北斎ゆかりのアトリエの名を取った
「碧い軒」(いの字はパソコン上になしです)という大吟醸生酒を買いました。
ちょっと辛口。試飲させてくれます。





さて、最後に小布施の穴場スポット。
昭和9年建造の新生病院礼拝堂。
蔦の絡まるチャペルとして有名でしたが、昨年改修工事が終わったそうです。
ガイドブックには古い礼拝堂が載っていたのですが、行ってみると新しいの礼拝堂になっていました。
(ちょっと残念!)

新生病院はカナダの聖公会から派遣された若き医師スタート博士が結核治療のために来日。
この地に病院と礼拝堂を建て、結核撲滅を願い、地域医療活動を進めたそうです。
ここのところ、神戸や築地、立教女学院などで、聖公会のチャペルを見る機会に恵まれていますが、
昭和、あるいは昭和以前に建てられたチャペルはデザインに共通点があるような気がします。

小布施では教会と病院がしっかりと地域に根付いているような気がしました。





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北信濃から

2011年05月27日 | 旅のお話


学校の研修旅行で長野に行っていました。
ここのところちょっと疲れていたので、仕事でしたけれどもけっこうな息抜きにもなりました。

写真は長野県飯山市の北竜湖です。
遅咲きの菜の花が満開でした。
一面黄色。

水が澄んでいて、樹々が湖面に写っています。





北竜湖から見た北信五岳。
まだまだ雪が残る妙高山も見えました。



朝、湖の周りを1周しました。
1周はゆっくり歩いて40分。
朝の風景と夕方の風景はまた趣が異なります。

何だか、自然を見ているとほっとしますね。




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外国人教師の弟子たち

2011年05月16日 | 旅のお話



外国人に日本語を教える仕事を長くし、最近では留学生のキャリア形成にとても興味を持っています。
留学生の就職、進路についていろいろ検討しているうちに、明治以降日本に来た外国人たちは
どのような働き方をしていたのかに、興味を持ちました。
というわけで、幕末から明治初期に日本に来た『お雇い外国人』にハマっている最近です。

さて、
先日は神戸旅行に出かけましたが、そこで明治34年河合浩蔵設計の『旧小寺家厩舎』を見学しました。

河合浩蔵は
安政3年、東京の下町(本所)生まれ(一部の資料では武州東葛飾郡=埼玉県の生まれ、とあります)です。
工部大学校造家学科で日本の近代建築の父と呼ばれているジョサイア・コンドルに建築を学びました。
コンドル先生の弟子のひとりということになります。

ところで、明治時代、工部大学校とか、工部省とか、よく出てくる名前ですが、どんなところなのでしょうか?
調べてみました。

明治になって西洋の科学技術を導入するための官庁として置かれたのが工部省です。
工部大学校は虎ノ門にあり、世界でも珍しい実学重視の高等教育機関として設立され、
日本の近代化の礎を築く数多くの技術者を育てました。
伊藤博文の命を受けて、カリキュラムを組んだのはイギリス人の技術者のヘンリー・ダイアーで、
校長就任当時はわずかに24歳だったそうです。
お雇い外国人が数多く出入りし、全国から俊才が集まってくる工部大学校は、
新たな時代を象徴する新名所でしたが、明治21年に本郷に移され、東京帝国大学工科大学になりました。

さて、話を元に戻して、
河合浩蔵は1882年(明治15年)工部大学校を卒業(4期生)、工部省に入りました。
この頃の日本は、首都に国会議事堂や諸中央官庁を集中して整備し、その偉容を内外に示し、
不平等条約の改正につなげようとする壮大な官庁集中計画を立てていたそうです。
河合はその計画に参画することになります。
その実施計画を担当したのは、ベルリンのエンデ&ベックマン建築事務所です。
ベックマンはこの大事業の実現には、日本の建築技術者を養成が不可欠であると考え、
建築家、そして建築を担うレンガ、セメント、装飾などの職人のドイツ留学を建議しました。
河合をはじめ妻木頼黄、渡辺譲ら14名はベックマンの口添えで、
のちにドイツに留学することになります。

2年間のドイツ留学は河合にどのような変化を与えたのでしょうか?
帰国した河合は、エンデ&ベックマン建築事務所で作成された原設計を元に
司法省(現法務省赤レンガ棟)の実施設計と工事監理を行います。
河合はその際に外国人技術者の手を借りず、細部の納まりまでも自らの力でこれを完成させます。
「気骨の建築家」であり、
ベックマンの『日本の建築技術者の育成』が不可欠、と考えたその意思をしっかりと受け継いだ
のではないでしょうか。

河合の設計したビルは東京よりも大阪、神戸に多く残っています。
河合はドイツ・ルネッサンス風の大阪控訴院(明治33年)、神戸地方裁判所(明治37年)を完成させたあと、
そのまま神戸に定住、栄町通に建築事務所を開業しました。

旧居留地の海岸ビルヂング(旧日濠館、明治44年)、海岸ビル(旧三井物産神戸支店、大正7年)、
旧小寺家厩舎(明治40年代、国重要文化財)、水の科学博物館(奥平野浄水場、大正6年)、
毎日新聞神戸ビル(旧横浜火災海上保険神戸支店、大正14年)等、
神戸らしさを演出している代表的な建築が、河合の手によるものです。

今回の神戸街歩きでは、旧居留地、相楽園を訪ね、河合浩蔵の代表的な建築をみることができました。
そして、河合浩蔵も『御雇い外国人の弟子のひとり』だったということが確認でき、
かなり満足のいく旅行となりました。

写真は重要文化財 旧小寺家厩舎





参考文献など
ウィキベディア http://ja.wikipedia.org/wiki/河合浩蔵
偉人館 http://www2s.biglobe.ne.jp/~stakers/arch/arch.html
関西今昔建築散歩 http://kenchiqoo.net/archives/000380.html



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神戸の洋館

2011年05月14日 | 旅のお話

国の重要文化財である神戸の『旧ハッサム住宅』と「旧小寺家厩舎」を見学しました。
場所は相楽園という神戸市所有の庭園の中にあります。
ここは2年前に時間がなくてよれなかった場所。今回の旅行でどうしても寄りたかったところです。




旧ハッサム住宅は明治35年、イギリス人建築家ハンセルが設計したということで、
1階のアーチ、そして2階のベランダが明治時代に建てられた神戸の洋風建築の特徴を表しているそうです。



また、1階は接客もできる応接室や居間があり、2階は家族の生活の場で、寝室や浴室があり、
使用人や厨房は別棟ということで、生活する家族のプライバシーが守られていたようです。







住宅は北野の異人館街から昭和38年に移築され、神戸市の管轄に入り、近代洋風建築保存の先駆けとなりました。
ボランティアガイドのAさんが、常に洋風建築保存には莫大なお金がかかるんですよ、と
言っていましたが、明治の建物を現在も当時の姿を失わせずに守っていくことは、お金の面、保守技術の面で
相当な苦労があると思います。
阪神淡路大震災の時にレンガ積みの煙突が室内に落下して、屋根や天井、床が破損したそうですが、今はきれいに
補修されています。



小寺家の厩舎は明治43年頃建築されたそうで、河合浩蔵氏の設計です。
全体的にはどっしりとした感じですが、円形の塔や急勾配の屋根、と屋根の小窓など変化に富み
ヨーロッパの雰囲気が感じられます。






さて、その後、元町の方に坂を下っていきました。
途中、フランスルネサンス様式の建物で明治45年にできた兵庫県公館を見学。
(自由に入れます)



自分自身はとっても満足のいく、神戸のお散歩となりました。




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最初の写真は旧ハッサム邸2階から見た小寺家厩舎の円形の塔