武道・禅の心で臨床を読み解く(武道、禅、心理療法、ボディワークを学ぶ理学療法士)

21年間の運動指導・700冊の書籍からリハビリ・トレーニングを読み解きます。
良書の書評、稽古・訓練方法、研修報告など

本当の達人とは

2010年08月25日 | 文献抄読
保江氏の鳴海社『武道の達人』を昨日読み終えました。
保江氏は私の定期購読書である月刊秘伝に連載もしている物理学者兼武道家です。

氏の本は達人技を物理学者として解明しようと試みています。合気道の解説DVD(合気テクニカル BABジャパン)も出していてこちらもとても面白いです。
さて、この本『武道の達人』でのコラムコーナーでこんな文がありとても感銘を受けました。理学療法士に是非とも欲しいポリシーだと思います。


--以下引用--
不可能を可能にするそんな超人技があれば、もう向かうところ敵なし。まさに神業を示す達人の前に、全ての人間が平伏して教えを乞うはず。そして、人々をさらに感嗅させるため、後ろ向きに放った矢を的に命中させたり、二本の矢で同時に的を射抜くなどの離れ業を生み出していく。だが、こんなことができる超人を、達人とは呼ばない。むしろ、芸人と呼ぶのが相応しいだろう。
達人が達人と呼ばれる所以は、オイゲン・ヘリゲルに弓術の心を教えた弓道の達人阿波研造師範のように、不可能を可能にするような超人的レベルに決してとどまることなく、その先へと歩み続けることにある。
実際、ヘリゲルが師事した頃の達人阿波師範は、既に『不射の射』を実践していたのだ。心眼で的を捉え見えない的の中心を射抜くという不可能を可能にする超人的な技を手にしたならば、如何なる的も百発百中。多くの優れた武道家達はこの境地にとどまるのだが、達人は達う。もはや、百発百中であるなら、的を射抜くこと自体には何の意味もない!そう考えた達人は、的に向かって矢を放つことをしない『不射の射』の高みへと昇り、己の心の奥探くに生きとし生けるもの全てに対する仏陀の慈愛を見出すのだ。矢で相手の心臓を射抜くという最も殺裁的な武道であるはずの弓道の達人は、こうして全く正反対にしか捉えられることのなかった禅の境地にも似た極意に達する。だからこそ「達人」と呼ばれるのだ。このような話は、スポーツ化した剣道の源流となった刀で斬り殺す武道としての剣術の達人にも多く伝えられている。本来は[殺人剣]を磨く目的であるはずの剣術修行を重ねた剣の達人が、何十人もの剣士達と真剣勝負をして斬り殺した末に行き着く境地。それが、殺伐とした「殺人剣」ではなく敵をも活かす[活人剣」だったというもの。
--以上引用終わり--


武術を面白がって理学療法に取り入れる人は多いと思います。しかし、それは達人ではなく芸人でしかないのではないでしょうか?武術を紹介している人は世の中に沢山います。でも慈愛の為に武術や理学療法技術を伝えている人ってどれだけいるんでしょうか?
私は万人、万有を愛する気持ちを持った達人的理学療法士になりたいと常々考えてます。まだまだ道のりは長いなぁ、と思いますが目標とする師範はいるので楽しみながら邁進できてます。

皆さんは達人と芸人のどちらになりたいですか?

さあ、私はこれから娘と合氣道の稽古です。

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