JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

その他の転移は縮小

2017-01-30 12:29:35 | 日記
何だか自分の今後の人生をひたすら納得しなくちゃ
という1か月でしたが
金曜日に胸部CTを撮りました。
結果はとっても良好。

え?という感じ。

きっと主治医の先生方も
肺の転移も悪くなっているだろう。
アバスチンも効かなくなったのか
という悲観的な予想でしたが
アバスチンは効いてくれていたのです。

ただ、脳には抗がん剤は多くの場合効かないのです。
脳の機能を守るため
抗がん剤は毒ですから。
それで脳の機能を壊してもらってはダメなわけで
そういうものを排除した血液のみが
脳内に入れるわけです。

しかし、がんは自分の体の細胞と同じですから
騙されてというか
段々がんが進行していくと
脳内に血液と一緒に入り込んだりしてしまうわけです。

不思議な現象だ。

で、とても悲観していたのが
ちょっと光が差し込んだ状態となり
あれ?もしかしてもうちょっと頑張れるかも
まだ、肺に大きな転移巣が出来て
呼吸が苦しくならなければ
まだ数年歌っていられるかも。
そんな風な感じになりました。

ただ、そろそろ血管が疲れてきているので
ここで一度休みたいところ。
抗がん剤は結構副作用が多いので
体力温存の為に
ちょっと休憩を入れて
最後悪くなったら、という感じでしょうか
次に抗がん剤になる時には
そろそろポートを入れなくちゃいけないかも

このポートも年々新しいものが出てきて
脳転移している私は
MRIも撮れるポートが有難いのですが
そういうものも出始めて
もう少し良いものが出てくるのを待ちたい心境も。。。

まあ、そういうことで
脳は脳で様子を見なくてはいけませんが
全体的には明るい方向になっています。

そんな明るいニュースですが
放射線治療の副作用は色々出てきて
2月いっぱいは何もできないかも、みたいな。

頭皮は相変わらずヒリヒリですが
言葉が少したどたどしいというか
直ぐに色んな事に反応できない自分が歯がゆい状態です。
ぼぉーっとしてる風に見えます。
まあ、こんな感じで「ヨーダ」ですね。



そして、直ぐに眠気が襲ってきます。
車で天神へ行くのは危ないです。
帰りは本当に眠気との戦いで、とても怖いです。

目が少しかすんでいます。
そして、耳がものすごく痛いです。
おそらく、少し難聴です。
指はイライラするほど動きません。
歩く速度もものすごく遅いです。

まあ、これもしばらくは仕方ないかも。
そんな感じですが
ゆっくりと、色んなライブの構想を練っている所。
それと、頭皮に優しい毛糸の帽子を編んで、、、
週末には遊びに行ったりもしますが
全く外出しませんね。

そして、9年前に買ったウィッグが一つ壊れて
修繕に出しましたが
コイツも寿命が来ているかも。
派手なウィッグだけだと
お葬式の時等に困りますからね。



まあ、そんな所で
ひとまず、ホルモン治療になりました。

以前にちょっと唇が腫れたかも、という症状が出た薬。
当時は介護問題でとても大変で
毎日色んな施設を見学したり
両親のヒステリーに悩まされたり
本当にストレスフルでしたから
今なら、試してみて、使えるかもと。

アロマシンですが
これはアフィニトールという抗がん剤と組み合わせても使えるので
もし、うまく奏功してくれたら
ちょっと寿命が延びるという事です。

寿命が延びて脳転移が進むと
これはこれでややこしいことになりますが
とりあえず、今、時間稼ぎができます。

やれやれ・・・

放射線全脳照射治療終了

2017-01-26 12:21:05 | 日記
昨日で放射線治療が終わり
終了後、早速済生会福岡病院へ戻りました。
胸部CT検査は明日。
それから、今後の治療が決まりますが
先ずは、脳転移が見つかった緩和ケア外来で主治医の先生の診察。

いつもは元気に楽しい会話の診察なのですが
渋いお話。
5年以上生きられるとか
そういう夢は見ませんが
1年ちょっとというデータばかりで
何だかめげそうだという事とか
脳に放射線というのは
段々気分が悪くなるというか
段々元気じゃなくなって、昨日はもっと元気だったのに、と思うことがあるけど
これは一時的な事ですよね?とか

色々ありますが
とにかく、あまり長い寿命ではないので
後悔しない人生の終わり方を考えねばならない時期に来ました。
終末期に足を踏み入れた感じでしょうか。

さて、放射線治療が終わったので
どんな治療なのか。

私のブログをご覧の方は乳がん患者さんも多いと思うので
もし、私と同じ状況になったら
こういうことなんだ、と参考にしてくださいね。

これは治療前
アバスチン+パクリタキセル 50%量の治療を受けていましたので
少し髪が薄くなっていますが
まあ、帽子で遊べるくらいの髪の量はありました。



同じ画像がないので
よそから持ってきましたが・・・
こんな風に頭を固定して、放射線治療を受けます



これは私の型ですね。
終わったのでもらってきました。
鼻も口もムギュ~~~!と押しつぶす感じで作られて
そういう型にまたムギュ~~~!と押されるので結構息苦しいです。





この型は治療が終了したら廃棄されます。
んで、もらってきたわけです。
「持って帰った人はあなたが初めて」と言われました(笑)

治療開始の頃は全く何もない感じでした
しかし、数日でちょっとしんどくなってきました。

前にも書きましたが、段々体力がなくなっていきます。

しかし、鎖骨下に際の放射線治療に比べると
色んな副作用で、はるかに楽な感じでした。
一応、医師から説明された治療中に怒る副作用は
・放射線皮膚炎
・全身倦怠感、食欲不振、吐気
・白血球減少、その他血球成分の減少
・耳の炎症
・脱毛(まれに永久脱毛)

放射線皮膚炎は2週目くらいから酷くなり
ヒリヒリと痛く、帽子も毛糸によっては痛いので
色々不便になってきます。
寒いからお風呂にゆっくり浸かりたいけど、頭が温まると痛い。
でも、指や腕がちゃんと動くためには
肩までじっくり暖めなくては、とか
なかなか調整は難しい。

倦怠感は段々増していきますが、薬のせいか食欲はありました。
白血球は確かに減っているのかも。
喉も痛いし、鼻の奥の方も痛くて
直ぐに鼻血が出るし
包丁で怪我をしたところが、ほんのちょっとした傷なのに数日間痛い。
まあ、これくらいは仕方ない。
耳は少し聞こえ辛いけど
数日で元に戻るんじゃないか、とか。

脱毛の様子ですが
おそらく、私の元々の髪質からいって
もう二度と生えてこない感じがします。
それに、生えそろっていくのに1年くらいかかるわけですよ。
そしたら寿命じゃないか?と。
そんな時期に生えても、ちっとも嬉しくないので
4月に娘と一緒に東京へ派手なウィッグを買いに行きます。

写真で説明します。
脱毛は、抗がん剤治療では「落ち武者」になっていき
サイドはちゃんとあるのに、トップはない、という感じで
先日まで抗がん剤治療だったから、頭頂部が少ないけど全体的に抜けます。



治療が半分済んだところで、どさっと抜けました。
洗髪をするとドサッと行くので
排水溝の掃除が必要です。



脱毛が始まると、ハラハラと落ちるのが気になるので
私はムースかスプレーで固めて、その上に帽子です。



日に日に「ヨーダ」風に



これが今日の私



まあ、髪の毛が抜けることくらいはなんてことはないです。
4度目ですからね。
でも、他の人から見れば
「とてもみじめ」な姿なのだと思います。
でもね、みじめではなくて、ちゃんと闘っている証なんですよ。
「勇敢な姿」だと思ってくださると有難いかな。

頭がヒリヒリするし、ちょっと視力が落ちていて
何だかフワフワした感じがあるので
外出は必要最小限しかしません。
だいたい、腕や指の動きがまだ全然戻っていないので
自転車はブレーキをかけられず、とっても怖いのですよ。
で、車の運転もすっごく緊張して
近所までなのに帰って来たらどっと疲れています。
良く寝ているかも。
というか、とても眠いです。

でも、認知症になる人もいるというので
なるべく目は覚ましておこうか、と
普通の病人のように
ベッドでテレビを見ています。
それか、PCの前に座っているか。。。
あとは春に向けての帽子を編んでます。
毛糸が細いので、なかなか進みませんが。

薬は
イソバイドシロップ30g(毎食後)
ベタメタゾン0.5㎎×4(朝)
これが脳転移が判明して、その為に出ている薬です。
全身カピカピになってしまいますが
脳に浮腫が出るのはいけないので
暫くは辛抱です。というか、ずっとかもです。

脳転移はQOLがとても下がるので
とにかく、普通の生活が送れるように
最後までちゃんと自分の生き方をできるように
色んな事が考えられているようです。

今後、私の病状は劇的に良くなることはなく
反対にラッシュで劇的に悪くなる可能性はあるわけで
そういう時に初めて「痛みのコントロール」に入るよりも
もう、すでに医療用麻薬など有効に使うことを学んでいるので
痛みを我慢することなく
最後まで穏やかに過ごせるかも、と。
そんな事を主治医と話して帰りました。

「貴方は大丈夫よ」とよく言われますが
根拠のない「大丈夫」は余計に傷つきます。
もう少し元気になったら、ライブをジャンジャンやりますので
また、人生の集大成を1年以内にCDとライブと開きますから
ずっと応援してくださいね。


親の介護と自分の治療

2017-01-17 12:50:38 | 日記
先日から父の文句が止まらない。

毎度のことなんだが
私はだんだん気分が悪くなっているから
こういうのは遠慮してほしいんだが。。。
って言っても判らないんだよね。
だって、認知症なんだもん。

これが彼の認知症のベクトルなのだという事を
本人は全く理解していない。
そして、誰彼に文句をぶつけ
施設の人達にも、きっと嫌われていると思うよ。。。

うちの両親は昔から「付け届け」に拘る人だ。
何にしても賄賂のように付け届けをする。
学校関係も全部。
母は特にそういうものに対して負けん気が強いのか
何だか、よくわからないが
大学入試の時も教授に付け届けをしたくらいだ。

私が受けた大学に関しては
知り合いの教授が居ないので
「付け届け」は出来なかったのだが
姉の時は酷かった。
姉は一年浪人したが
初年度の入試結果について
付け届けをしたから、点数と順位を教えてくれたのだ、と。

いや、違うね。

国立だが
後日点数等教えてくれという書類を出すと
その点数を教えてくれるシステムだったと思う。
私が受験をした時には
願書を出す時点で、それを希望すると
確か返信用の切って等揃えれば、書類が送ってきていた。
4歳違いだから、姉の受験時にもそのシステムはあったと思う。

私は自分で願書を書いたのでよく覚えている。

姉はもっと難関大学を受けたいと最後まで粘っていたが
母に押し切られた感じで
ブスくれていたから、願書は母任せだったかもしれない。

それで、受かってその大学へ進学し
ちゃんと立派に心理カウンセラーになったのだが
後に(本当にものすごく後に。きっと40歳を過ぎてから)
父が姉に「お前は裏口入学だったんだ」と暴言を吐いた。

当時、色んな問題で姉も悩み事が多く
精神的にも参っている時期だったのに
実の父が、自分の娘を陥れるようなことを言って
暫く、姉の生活は荒れた。
「そんなことがあるわけないじゃないのよ!」
姉に何度言ったか分からない。
私はヤマカンで大学までいった感じだが
姉はちゃんと勉強して「学力」本当に実力で行ったのだ。
だいたい、国立大学の入試がそんな「付け届け」で裏口入学できない!
教授の人生をかけた金額なら怪しいところだが
当時の10万くらいでそんなことが出来るわけないじゃないか!!!
まあ、もっと包んだとしても彼らの相場だと30万以下だ。

当時でもそういう不正をしようと思うと
数百万から1千万くらいのお金が動いたであろう。

何を考えている!

そう、親に意見したが
父は「お母さんがそういったんだ」ときかない。
こういっては何だが、というか、私の親はおかしいので
「お母様は嘘つきだから、全て噓よ。
そして、ずっと嘘を信じてるから自分の中で本当になって
嘘だと思って聞き流す度量はないのか?
子供の人生より、お母様の人生を取るなら。それでいいけど
誰もあなたたちを信用しなくなるよ」

姉は色々傷ついて、それでも両親を許していったのだが

私はどうしても、この年になっても
この状況になっても
彼らを許せないし
色々言われるたびにキリキリと胃が痛くなる。

私の家族が福岡に帰ってきて
色んな病院へかかる時も
「付け届け」に煩かった。

もちろん、色々お世話にはなるし
主人の関係で無理を言っているところもあるし
気を遣わせているだろうから
そういう「気遣い」くらいはしている。

しかし、それは一番初めに渡すものではなく
退院する時や、退院してしまってから
お礼で渡すものであり
「これだけやったのだから、便宜を図らえ」的なものではない。
看護師さん達への気遣いも
入院中だと決して受け取らないから
退院時にお部屋に残っていたお花を置いていくだの
後日詰所あてにジュース類を届けるとか
通院中に手作りのリースとかを送るとか
自分の気持ちを伝えるものだ。

見返りを求めるものは決して気持ちの良いものではない。
感謝の気持ちだけで送るのが「贈り物」だろう。

それで、今回、父の電話では
「皆、施設に色々菓子折りなどを持っていっているから
お前から月に一度くらいの割合で付け届けをせよ。
そうすれば、自分の言う事を介護士がきく」
という感じで
「そんなことは今時ないのよ!」

施設の方々は本当に、よくしてくださる。
父が問題を起こしても
私の所までは伝わらない。
「それは、よくあることで、何でもない事です」
どういう状況で、家族が施設に預けているのか、よく理解してくださっている。
私が今、大変な状況だという事も判っているから
父がどんなに嫌な事を言っても決して私には言わない。
本当に感謝している。

でも、「付け届け」をしたからといって
父の我儘や、暴言に介護士さん達は従わない。
というか、そんなことに従っては本人のためにはならない。
「これは違うでしょう?」とか
「様子を見ましょうね」と何とかなだめて
平穏な生活をさせるのが施設なのだ。
正しいことっていうのかな。。。。(いや、正しいことって一体なんだ?と思うから表現が違うな)

気分もすぐれなかったが
ちょっとした手土産を持って施設へ行った。

父は私の具合を尋ねた。
脳に転移すると、という話を再度したのだが
「それは困るんだ。
お父さんやお母さんの世話はどうするんだ!
何とか長生きして、世話を全部してもらわないといけないのに。
長生きして、なるべくここに来て世話をしろ」
みたいな話になって、ため息をつきながら帰った。

私への心配はない。
私の人生に対しての想いもない。
認知症だから、仕方ないだろうが
娘は二人とも早く死んでしまうのだ。
自分たちの生活が可哀想ともうだけで
娘への気持ちはない。

そういえば、姉の葬儀の時も
居眠りしたり、「疲れたからホテルに帰る」とか
うちの娘と「呆れるよね」と話していたっけ。

空しい。

だんだん沈没

2017-01-13 14:25:49 | 日記
何だかだるい、が今日はしんどいに変わり
まあ、暫く横になれば回復する程度ですが
頭痛までしだして
やっぱり放射線治療をなめちゃいかんね。

それでも、一般状態はまずまず。

一応、色んな事はゆっくりだけどできる。

焼き鳥と焼き肉が食べたい、という
そういう欲求もあるし。

色々ネットで調べて
ネットの情報はとても膨大で
そのままでは信じてはいけないというか
振り回されてはいけないものも沢山あり
自分と大体同じくらいの症状の人のデータを探すのは至難の業。
それに、最近の人ではなかったら
治療方も全然違うし。

ぴったり一緒の人というのはいないけれど

とりあえず、調べた結果
脳に転移したからといって
それが原因で死に至るわけでもない。
ただ、脳に転移があるとQOLがとても下がるので
最後まで自分の生きたい人生を生きる為に
脳の放射線治療を行うもので
脳の腫瘍をなくすという目的ではない。

何故、脳転移をした人の予後が悪いのかというと
「転移が脳にまで達した」ということ。
小さな転移巣がすでに体中に広がっていて
それが死に至る程度まで達しているよ、ということらしい。

だから、ここで
もし、その体中に広がっている転移巣を
しばらく、再度コントロール下におけたら
それで何年生きられるかが違ってくるよ、と。
そういうことらしい。

結局、放射線治療が終わって
済生会へ戻って
胸部CT などを撮って検査して
どれくらい広がってしまったのかを確認しなくては
次なる治療はわからないということ。

その上に、私は腫瘍マーカーに反応しにくいタイプで
悪変がなかなか見つからないので
画像でしか判断できないのかも、と。

まあ、そんな所です。

それにしても、皆さん、あっけなくあの世に召されていて
ちょっと落ち込みますが
いや、もう少し何とかなるんじゃないか、と。
甘い夢を見ているわけではないのですが
そんな気がしています。

放射線全脳照射治療1週間

2017-01-12 17:27:24 | 日記
1月4日に治療を開始して
およそ1週間経ちました。

最初の2~3日は全然平気じゃん
な~んて、平気だな、と思っていたのですが
ここ2日間くらいはだるいです。
疲れやすいです。
何ともいえず、ちょっと不調。

だけど、吐気とかはない。
胃が痛い。

食べ過ぎではないはずだが・・・。

ぼぉ~っとしていると、とても気持ちがいい。
こらこら!認知症になったらいかんよ!と
無理矢理でもピアノ室へ行って
色んな曲を弾いてみたりする。

しかし!!

指がもっと動かなくなっている。

これは仕方ないな。

髪の毛はだいたい抗がん剤治療で大分少なくなっていたし
金髪にしていたりしたから
日焼けした感じでパサパサになってきているので
今度の日曜日にでも
長目の坊主にしようかと思っている所。


そして、時間があれば
色々なキーワードで脳転移について調べる。
今は情報量が多いから
多いなりに色々調べて、だいたいの平均値というか
平均的な意見として自分で受け止めようと思いますが。

厳しいです。

自分にぴったりのデータはなかなか見つかりませんが
だいたい同じ状況かな?という患者さんのブログや
色んな質問など集めて
自分がどれくらい生きられるか
一応の覚悟は必要です。

頑張って2~3年という感じです。

やっぱりそうか、という感じですかね。

数字を甘く見ていると
結局やり残す仕事が出てくるので
それは冷静に受け止めて
いつまでに何をやるのか、しっかり決めねばです。

やらねば、と思っているのは
今年の歌手生活40周年ライブ
来年の還暦ライブ
最後のジャズジャズしたCD
そして、葬式用のバラード集。

大きなライブに関しては
もう、あと1回しか出来ないだろうと思う。
体力的な事と
観客動員。
100人を超える集客は大変だから
それなりに宣伝にも体力が要るので。

その時にレコ発にするとして

CDの企画を先行しようかな、と思っているところ。

自分の命の長さもあるから
2~300枚作れば十分かな。

バラード集は葬式用で
会葬お礼で渡すので、100枚ってところかな?

まだ死ぬ気はしないけれど
一応の見通しはたてておかないと
夢を見ては生きてはいけないですからね。

もっと生きれたら
歌う体力がある限り、色んな歌を歌っていたいと思うけど
一応、覚悟はしておかないと。

なんてことを思いながら日々を過ごしています。