JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

ちょっとした身辺整理

2014-05-31 11:27:40 | 日記
乳がんにかぎらず、がん患者は
初発が早期発見で最終的な治療から10数年経過すると
若年性でない限り
そこそこ「老いる」まで生きられる・・・ようだ。
初発年齢が若年だとわからない。
また新しいがんも出来てしまう可能性もあるし
油断はできないのだが・・・

がんの治療って短ければ3年位?

他のがんがどうなのかがわからないけれど。

乳がんの場合は早期でも5年位ホルモン治療はしなくてはいけない。

それで普通の生活に戻る人は多く
現代の医療はたいへん進んでいるから
がん=死 とはならない。

私のように再発転移をすると一生闘病。
飽きたってどうしたってがんと付き合っていかなくてはならない。
そして、薬がなかなか効かない場合もある。
急に悪変する可能性もある。
初発年齢が普通の40代~50代だと
「老いる」まで生きられるかどうか、ちょっとわからなくなってくる。

そして、遠隔転移(私の場合は肺だが)が見つかると
手引書みたいなものには
必ず「身辺整理を始めましょう」と書いてある。

これがね・・・・なかなか進まない。

一つタンスを開けると
その引き出しを開けると、色んな思い出が蘇って
それに浸って、一生のお別れをしなくてはいけない。
もちろん、さっさと捨てるタイプの人も多い。
最近はやっている「断捨離」というやつ。

実は私はあの言葉はあまり好きではない。
「半年使わないものは一生いらないもの」
じゃあ、写真とか本とか楽譜とかCDとか・・・
滅多に出しはしないけれど、必要じゃないのか?
人間関係も「半年会わないなら必要がない人」というが
そうだろうか?
会いたくでも会えない人もいるし
年に1回とか、数年に1回しか会わない友達だってたくさんいる。

調理器具だって年に一度登場するくらいの大きなおでん鍋とか持っているが
あれがなくては、家族全員が揃った時に
お土産に余りを期待している娘や息子に分けてあげられないし
一度プワーっと膨れる具材をちゃんと料理できない。
其の都度買うには高価だ。

まあ、そんなこんなを考えていると
本当に進まない。

でも、地味に少しずつやってはいる。

最近は手術痕や喘息で肋骨の近辺が痛くなるので
下着難民で、買ってはみるものの、やっぱりダメ、みたいなものが増えて
ちょっと下着入れを整理。

病気になった時に一度泣く泣くやったのだけど
やっぱり捨てられなかったものとかがあったりして・・・。
きれいなレースのキャミソール。
結構収集していたのよね。



それで思い出したことがあった。

7年前(あ、もうすぐ乳がん発覚記念日ですね)
乳がんと判って、色んな音楽の仕事もキャンセルして
1年から1年半くらいはステージには戻れないと思う、と挨拶に回った。
当時は色んなお店に出ていたし
トラを探したり、店長に挨拶をしたり
色んな事で正直に「乳がん、中期だそうでそんなに簡単には現場復帰できない」と。
そう言わない限り「元気にしてるのなら、今日の演奏頼める?」とか
そんな人が多かったし、ファンも多かったから
「出来ないんですよ」と言うしかなかった。
其の件について後輩ミュージシャンの間では
「自分だったら絶対病気のことは隠し通す」と非難を受けていいた。
抗がん剤で髪が抜けだした時
ちょっと気分の良い日にカツラでお店に遊びに行った。
「すごくいいカツラですよね。自分たちは貧乏だからそんなものは買えない。
だいたい医療用ってのじゃダメだったんですか?」と言われたことがある。
また、カツラの留め具が痛くてきれいな大判スカーフを買って
それを撒いていた時もあるが
「スカーフって高いですよね。たかだかハゲ隠しにそんなもの買わなくても」とか。

心無い人達の発言ではあるが
それまでステージに立っていた私にとって
脱毛は本当に悲しかったし、二度とステージに戻れないかも、と
そういう思いもあって、少しでも気分が良いように
家族が気遣ってくれたものだ。

それと、がん保険もしっかり入っていたから
「上等カツラ」も買って、高いスカーフも買って
治療費も十分出るくらいだったし。

何だか嫌だな、と思う日々の中のささやかな楽しみというか
本当に小さなお洒落だった。

当時は健康な人にそういうことを言われて
とても腹が立ったが
今はその人達にちゃんとアドバイスできる。
「まず、がん保険にできるだけ手厚く入りなさい。
そして、検診をマメに受けなさい。
闘病をしていたって女なのだから、おしゃれを楽しめるくらい
それくらいの金銭的にも精神的にも余裕をもっていなさい」

綺麗なキャミソールはスーパーの大きなレジ袋満タンくらい。
サヨナラ、レース。
(レースのものを付けられなくはないが、闘病生活でどんどん肌が弱くなってシンプルで面100%ってのしかダメになっちゃったのよ)

何だか介護日誌?

2014-05-27 18:46:50 | 日記
この所、私生活というか
レコーディングを除く生活では介護問題で悩まされて
もうヘトヘト状態。

一言では言えない
長い長いお話で
其の家族の歴史みたいなものも理解しないと
何故そんなふうになっているのか分からないから
ここでも言えないのだけど
本当に困ってます。。。。。

七夕LIVEの準備にかからなくちゃだし
(まあ、そこそこ進めてはいますが)
秋にはもうひとつくらいLIVEをしたいところだけど
両親の様子では無理かも・・・。
一つ予定を入れると少しずつ無理をしていくので
やはり11月30日のANIME-JAZZにかけるか・・・・

でも本当はクールなLIVEをもう1本やりたい気持ちなんだけど。

無理だよなぁ。

私は乳がんになってから
闘病だけではなく
両親の過干渉や姉のことで
鬱になりました。

姉独りだけでも健康であれば
そんなにひどくならなかったのだけど
姉のことでも親が過干渉で
姉が頚椎損傷で倒れ、初期の何も話せなかった数カ月間の間
私は姉の代弁者として
親に言わねばならないことが色々あったわけで・・・
姉妹にしかわからない事って
私達にはたくさんあったものだから
言葉の通じない相手と話すことで私はストレスを貯めこんでしまいました。

話せない姉と文字盤でやりとりしながら
お互いに疲れて
ICUでベッドの縁を枕に眠ってしまったことも有ります。

あんな状態でももめたのだから

今はもっとです。

あ~~~現実逃避したい。

今のところ両親は自分たちのことで精一杯で
私の病状に口出しをしないのは良いことです。
母は先日「私はがんだから短い一生て死ぬのよ」と言っていました。
母は尿管がんの早期だったけれど
70歳で発症だし・・・
今は83歳で短い一生というのだろうか?
認知症だから反論もしないけれど
姉は56歳で死んだのだし
私も60歳までも怪しいかもしれないのに。

今は「痴呆」とは言わない。
「老耄」ってのは使うのかな?

とにかく、年を取ると自制心で普通に保ってきたものが
全部フリーになってしまうことなので
相手の精神状態などお構いなしで色んな嫌なことが起こる。
「それでも親なのだから」というが
暗い歴史のある家族だってあるのだ。
そう簡単にいかない。

そして、父はまだ自分で何かできると思っている。

もう、手遅れなんだよ。

だから、早い時期に色々手を打たないとダメだといったじゃない。

家のことにしてもそう。
余力があって
まだ元気なうちに
自分が弱ってきた時のことを考えて改築なりしないと
どうしようもなくなるのだ。

いつか階段も登れなくなる。
いつか車いすの生活になる。
いつか誰かの世話になる。
そうなった時に、過ごしやすいように

今、私達は考えているのよ。

それは親が失敗したからかもしれないけれどね。

アーティストって?

2014-05-24 11:45:19 | 日記
私達、ジャズ系の人間は
自分たちのことを「ミュージシャン」ということが多い。
その他、ピアニストだとかヴォーカリストだとか
自分の楽器というか、パート別に自己紹介をしたりする。

ロック系の人や
レゲエだの今風の音楽をやっている人たちは
自分たちのことを「アーティスト」という。

ふう~~~ん、そうなんだ。

ってなくらいの話なのだが
で、何の分野のアーティストなのか?と尋ねると
結構ムッとされる。
何故?え?だって、わかんないじゃん。

「アーティスト」と大きな分類で言われると
音楽をやっている人
油絵などの2次元純粋芸術をやっている人
陶芸家
彫刻家
デザイナー(これも色んなデザイナーがある)
演劇人(これも新劇や古典や色いろある)
書家も入るかもしれない
何をやっているのか分からん・・・・

ッて思うのは私だけなのかな?

確かに息子は「グラフィックデザイナー」というふうに言うし
娘は「芝居をやっています。」と言うし
絵を描いている人は「画家」だと言うし
他の人達は自分を「アーティスト」だとは言わないから
「アーティスト」と言われたら
音楽関係のことをやっている人だと思わないといけないのかもしれない。

だけど、何だか腑に落ちないのよね。

もし、私が自分のことを「アーティストです」なんて自己紹介をしたら
それを他の人が見ていたら
「ブッ!!今日はな~に気取ってるの?」と言われそうだ。

情報番組の介護問題なんて

2014-05-22 10:34:19 | 日記
いつも通り
両親が問題を起こしてくれると
私は鬱になって籠もる。

気楽に愚痴を言えた娘もいないし
ただ、ひたすら薄皮の剥がれてしまった傷が
少しずつ乾いていくのを待つ。

だけど、そんな時に必ず両親はその薄皮に塩を塗るのよね。
痛いからやめて。
そんな言葉なんてもうとっくに通じない。
音楽「なんか」やめてしまえばいいんだ
和子みたいにずっと天井を見て過ごしたらいいんだ

そんな事なんか出来ない。
私には音楽しかないんだもの。

和子姉は天井しか見ることが出来ない自分は過去の自分の努力不足で
玲子は死ぬまで歌うんだよ。
私はこうやって子供が成功した未来や、玲子が大きなステージで歌っている姿や
玲子の娘が大女優になるとか、息子が世界的に有名なデザイナーになるとか
昔好きだった人と結婚してたらどうだったのかしら
こんな子供が居て、こんな家庭があって・・・
ってずっと想像して長い長い時間を過ごして
夜になったら、ああ、もう想像しなくていいんだってほっとする。

本当はね。そんなことを言っていたんだよ。

そして、何気なくいつも書類の整理をしながら見ている情報番組
老人介護の問題は定番のように出てくる。

「無理をしない、ストレスを溜めない介護」

そんなものはわかっている。
それができればね。
出来ない状況の人はたくさんいる。
出来る状況の人はラッキーなだけ。

親の認知症の度合いが問題ではなく
それによって、老いた親の「一番嫌な部分」が出てくるのだ。
特に軽度の場合。
家庭を引っ掻き回して、人間関係も壊して
そういうものに疲れ果てた状態で、寝たきり老人の介護がやってくる。

その中でどこで「ストレスをためないで介護を」するのだ?

老人ケア施設でも「老人同士が友だちになれる」というが
友達を作りたくないパーソナリティの人もいるのだ。
私の両親はそのタイプだ。
小さい頃からよく聞かされた「人生に友達は必要ない!」
そんな人も少なからずいるんだよ。

充実した施設に入って、楽しく暮らし
時々子供がやってくる。
時々って1ヶ月に一度とか・・・もっと間のある人も居たりするけど
それでいいの?
忙しい盛りならば無理はなかろう。
施設が遠いところしかなければ、それも無理はなかろう。
「お陰様で私は一度もおむつを替えなくて済んでます。オホホホ」
明るく笑う家族の姿が映し出されたりする。
って、それって良いことなの?

私は姉もおむつも一度替えたことがある。
そんなことはなんでもない事じゃないか。
だって、自力でトイレに行けないからおむつをしているのだもの。
大人だからそんなに簡単じゃないから
面倒だし、姉は軽いし、風呂場へ行って洗浄して
タオルケットにくるんでベッドで体を拭くことにしたり
正式なやり方からすればダメダメなんだけど
それでも、スッキリした。

親のおむつも替えると思う。
どういう親子関係であっても、私はなんとも思わない。
大変なことは大変だが、一度も替えないって・・・?

所詮テレビだ。
介護もあるけど前向きに生きてます、的なものにしないとダメなんだろう。
「前向き」って?

子供世帯が全員健康である人だけ取り上げて
それが「さあ、皆さん、明るい介護生活をしましょう」というのは
あまりにも綺麗事過ぎるのではないか?
ROMしている乳がん患者のブログには
やはり、私と同じように転移もしているけれど、親の介護もある。
その上に子供がまだ成人していない、という人達がいる。
別のがん患者でもそういう人たちは結構いると思う。
治療を取るのか介護を取るのか。
誰だって「もちろん治療だろう」と言うけれど
介護者が自分しか居なかったら、色んな副作用と治療は本当に両立できるのか
そして、双方とも結構お金はかかるのだ。

先日友人が言っていた「介護って後ろ向きなのよ」
そう、だんだん良くなることはなく、悪くなっていくだけ。
「後ろ向きの努力」というのはやりきれないものなのだ。
そして、「やって当たり前」
「だって、自分を産んで育ててくれた親でしょ」
「何を捨ててでもやるべきよ」
「ほら、最近は介護のために退職する人もいるわよ」

みんな他人事なんだよ。

治療を辞めたいと思う時

2014-05-21 15:46:52 | 日記
今の治療にはとても満足しているし
病院にも不満はないし
主治医のこともとても信頼しているし
フェソロデックスが1年半も効いてくれていることは有難い。

だけど、時々「治療なんかやめてやる!」と思うことがある。

闘病よりも深刻な親の介護問題。

これがなければ、私はもう少し平穏な闘病生活が送れる。

元々の親子関係に問題があるというか
私の親は支配的で
とても身勝手で
虚言癖がある(両親とも)。
また、自分の偏見でしか人を見ない。
隣の芝生は常に青く
自分の家がみすぼらしいのは誰かのせいだ、と
常に大きな敵を作り
耐えすその人を攻撃する。

そのターゲットは身近な人なのだが・・・

これが大きな悩みの種。

この問題は自分たちに起因することではないので
両親が思い改めてもらわなくてはいけないのだが
そんな事は老齢だから無理。
そして、なんだかんだと忙しい時期に私は呼び出されて
親と一緒の意見でないとなかなか帰宅できない。
上手く調子を合わせるのも限度があり
それが自分の家族であるととんでもない。
反論して「あなた方の考えはおかしい」と
無意味な議論で疲れ果てる。

ああ、早く死んでしまいたい。

そう言えば、他界した姉が
余命半年と言われて大変だった時も
実現不可能なことを言い出して姉ともめた。

東京から福岡へ帰って治療する、と。
全身麻痺の患者の輸送って大変なのだ。
生活用品だって揃えなくてはいけないし
東京の姉の家も、姉が頚椎損傷になって大改築して
車いすで全て行ける状態までした。
それを「改装しなくても、離れに閉じ込めておけばいい」

え?

座敷牢にするの?

そして、基本的な姉の世話はヘルパーさんや色んな人がやってはくれるものの
他の世話は「玲子がいるから」
私ですか?
私は乳がんが転移して結構大変な時期なんですが・・・
その私が姉の世話もするの?

「玲子を道連れにはしない!」
「なんで自分の夫や子供と離れて暮らさなくてはいけないのか!」
ということで散々もめていた。
あと半年しか生きられない娘を糾弾して何が楽しいのだろう。
まあ、それも認知症の一つなのだろうが。

先に天に召された姉は
「もし、天国で現世に少し力を加えられるなら、玲子の重荷を解いてあげる」
そう言ってたよね・・・。
何だか姉は天国でイケメンでも見つけて
シャンパンなんか飲んでるんじゃないか、と。

なんとかしてくれ・・・。

胃が痛い。
その割に酒量は増える。
いかんよね。

精神科のカウンセリングにも通っていたが
どうしても、親のこととなると
「まあ、それでも貴方の親なのだから、親に対する愛情はあるでしょう・・・云々」
という話になった時点でダメだ、と思う。
私がどう思っていようが、介護はやってくるから
受け入れようとはしているのだが
親が私を認めない限り、無理なのだ。

親に合わせる=家庭崩壊

というのは、やはりどう見てもおかしいだろう。

そう思うと私は長生きなんかしなくていいから
親より早く死んで
自分たちの始末が自分たちだけで付けられないのだと
完全に悟ってほしい。

治療やめます・・・って言えないよな・・・。

うちの家族内で大波乱が起きるし
主治医も納得しないだろう。
「治療は上手く行っているのに?」

そう、精神的な問題なのよね。

これはこれ、
それはそれで上手く決着が付けられて
私は音楽に専念できる状況になり
負担に思うことなく出来る限りの介護をすればよいし

それでもね、私は親より早く死んでしまう可能性は
結構高いんだけどね。

ため息も出ない。