声はだいぶ出るようになったものの
まだ、スムースに出るわけではなく
疲れないように
傷めないように
慎重に練習をしています。
歌本体の練習というより
発声ですが・・・
私は大変長いフレーズをブレスなしで歌っていたので
そういう長年しみついた癖を
修正しなければいけないわけで
ロングトーンを短めでブレスをちゃんとできるようにする・・・
これって結構治すのは大変なんですよ。
今でもどこかで息が続くと思っているわけで
それをかすれたり
揺れたりしない前に切る「くせ」を体に覚えさせなくては!!
まあ、そんなこんなで
慎重に声の出る時間を無駄にしないように
日々、ちょっとずつ焦りながら過ごしております。
ひまわり・・・
悲しい映画でしたね。
あのひまわり畑をバックに
新しい家族と暮らしている夫の姿を見つけて
乗り込んだ汽車で泣き崩れるシーン。
そして、さらに悲しいのは
周囲の乗り合わせた人たちが
「どうしたの?そんなに泣いて。何が悲しいの?」と
ソフィアローレンを慰めて・・・
ラストシーンのソフィア・ローレンの美しいこと!!
そして、この曲は「中本マリ 3」というレコードに収録されていて
所謂名盤というやつですが
それを初めて聞いたときに
日本人でもこんな風にJAZZを歌えるんだ、と
私は密かにJAZZ SINGERになろうと思ったわけです。
若かったですね。
というか幼い?
中学生か高校生の時でした。
で、中学生、高校生時代というのは
まあ、もちろん私は音楽活動を始めていたわけですが
普通の生活はと言えば
「At Seventeen」の物語そのものでした。
中学時代、憧れの先輩とかがいて
その人が通るであろう道をわざわざ通ったり
毎日音楽室で窓を開けっぱなしてピアノを弾いたり
絵にかいたような片思いをしていたわけです。
その憧れの君の写真をゲット出来て
隠し持っていたりして
それを眺めながら、色々空想して詩を書いたり
色々していたわけで。
まあ、作詞作曲の中の物語って「絵空事」ですからね。
大人になって本当に体験したことも多少はありますが
大体自分の本当の話というのは曲になりにくい
何だか感情的になっちゃってダメなんですよ。
だから、友人の恋話とかが丁度よくて
それをさも自分の体験のように曲にして
感動的に歌い上げるという。
裏事情を知れば「うそつき」です。
話は戻りますが
憧れの君の写真がある時姉に見つかってしまいました。
姉は「わぁ~い!玲子ってこんな人が好きなのね!お母さん~~ん!」
と、一番知られたくない人に知られることに。
母は美人で、不細工が恋をするなんてことを許しませんからね
それはそれは酷く傷つくことを言われて
「あんたは鏡を見たことあるの?」
「こんなことより勉強です!」
「この人は頭がいいの?あんたと釣り合うと思ってるの?」
まあ、いろいろ言われて
目の前でやっとゲットした写真を破られたりしたわけですよ。
姉は「ごめんね」と小さく謝ってくれたけれど
その時の私には、そんな言葉で済むわけはなく
数日間、口を利かなかったと思います。
そして、高校時代なんかは
高校へ行くのは大学進学のためだけで
良い成績をとって、条件の良い内申書をゲットして
家を出て大学へ行くことだけを夢見て過ごしていました。
かわいくないです。
恋愛感情は普通にありましたが
そんなのはきっとうまくいかないんだと
ちょっと仲良しになった男の子とも
何だか、感情が深入りする前におしまいにしたりして。
一生、恋は出来ないものだと思ってました。
空想の恋人がいれば
私にはそれで十分だと。
だって、そのころ、自分の本とかノートにサインしてた名前は
ugly duckling Reiko ですよ。
自分の容姿の醜さはものすごくよく分かっていました。
ただ、大人になって思ったのは
容姿を超えるものがあるのだ、と。
それは40代とかになるともっとよくわかります。
母は「その人はきれいなの?」とよく聞きます
いい年をして「ブスのくせにあんな良い旦那様がいて、良い暮らしをしている」とか
美人がなんでも最高だと思っている人が
何だか悲しく見えてきました。
30の半ば過ぎから
自分の顔には自分の生き方が表れるものです。
その人がどれだけ輝いて生きているかが
全体的な美しさとなっていくのではないか、と。
まあ、そんな風には思うのですが。
とりあえず、私の青春時代は結構悲惨な感じでしたから
今度のライブで歌う「At Seventenn」は
私の若い頃のテーマソングだったというわけです。