JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

遊びすぎていますが・・・

2013-10-28 13:35:37 | 日記
先週末はいろんな遊びのスケジュールで
ちょっと遊び疲れている今日ですが・・・。
色々な友達も出来ました!!

金曜は魔女会。
久しぶりでした。
飲めないから、と言っていた奴は誰だ・・・
しっかり強い酒も飲んでいたし。
でも、本当に久々でお互い元気でよかった。

土曜はダブルでした。

昼は乳がん患者の会。
といってもお食事会で華やかなんですが。
というか、暗くなくちゃいかん!的な会は嫌なんです。
中にはやはりお亡くなりになったそうよ、という話もお聞きしますが
まあ、それは神様の決めることですからね。
その会にはあまり再発転移者がいないのですが
気楽で良いです。
たまにはね。
細かい数値のことや、あれしちゃダメ、これしちゃダメ
ということばかりを言う患者が多い乳がんですが
いろいろ副作用もあるけど
上手に付き合うというか、まあ、たまに泣くけど、時々はオシャレして
楽しい会合へ出向くというのもいいかもしれない。

あんなこと、こんなこと色々喋って
すっかり疲れたところで
夜のお出かけ。。。

二日市のJazz工房Nishimuraへ。
高樹レイさんのライブでした。
そして、アイドル、圭ちゃんの古希の祝い。

たくさんの友達が出来ました。
こういうのって楽しいですよね。
この年になって新たに友人ができて
東京へ行ったら高樹さんと食事する予定です。

さてさて、遊んでばかりいるわけじゃないです。



11月16日のライブ。
得意ナンバーにいろいろ仕掛けをしております。
ベスト盤みたいな選曲ですから
あんなことや、こんなことや
めいっぱいも混んでおりますので
どうぞ、いらしてくださいね。

久々我が家のチャリたち

2013-10-25 18:03:45 | 日記
我が家には2台の自転車があります。
主に私が乗っている、一番乗りやすいミドリ=♀
そして、名義はダ~リンで主には娘が乗っていて
少し小さめの気弱な銀丸=♂

ずっと前に自転車の会話を書いていたのですが
銀丸は娘にこき使われ
しかも、駅の駐輪場に忘れられ
駐輪場泊1週間以上なんてこともしょっちゅう。
それで、家にめったにいないなぁ~なんて思っていたら
娘が全く乗らなくなって
草が絡まり、これまた可哀想な状態にすぐになったりして・・・
気弱な銀丸と強気のミドリ
娘が一人暮らしをして夫婦ふたりになったので
どちらも最近は平和に暮らしています。

チリリン・・・・キキッ!!
ガシャン!

銀丸「あ、若主様だ」
ミドリ「ホントだ。しかも別のに乗ってる」

トトトト・・・・・バタン!

ローズ「は~~~い!はじめまして!私はローズよ!」
銀丸・みどり「あ・・・はじめまして」
ローズ「な~~んかしけた顔してんじゃん。もっと明るく生きなよ。」
みどり「べ・・・別にしけてなんか・・・大人なだけよ!」
ローズ「あ~ら、大人ねえ。そっか、おばはんだもんね。」
銀丸「失礼だよ、君。」
ローズ「あら、あんたが銀丸ね。私は若主様の新しいチャリちゃんよ。よろしく。」
銀丸「はあ、よろしくです。若主様が買ったんだ。」
ローズ「そう!初めて自分でお金出したって感じ?」
みどり「じゃあ、もう『おいてきぼり』の洗礼は受けたの?」
ローズ「な~にそれ?」
銀丸「あ、いやいや、大したことじゃないんだよ。
ただ、時々若主様は駐輪場に僕を忘れていってしまうってこと。」
ローズ「そんなことあるわけないじゃない!
だって、私は若主様の唯一の足なんだもん。会社だって買い物だってずっと一緒よ」
みどり「へえ~~~、じゃあ地下鉄の駅っての知らないわけね。」
ローズ「そんなところ知らな~い。」
銀丸「じゃあ、練習とか飲みに行く時とかは君に乗ってるの?」
ローズ「ずーーーーっと遠くまで行くことだってあるわよ。
遊びにく時はマンションの駐輪場に止めてから出かけてるみたいだからお留守番」
銀丸「え?そんな遠くまで連れてってくれるの?」
ローズ「そうだよ。いろんな道通ってさ~1時間くらいかかる所もあるよ。」
銀丸「そうなんだ。僕はせいぜい30分ってのが一番遠いところだったかな?」
ローズ「だから~、私は可愛くって足も立派なのよん。」
みどり「そんなこと!私だってママ主様をいつも乗っけてるから力は強いのよ」
ローズ「ふふん。それでどこまで行ったのよ。」
みどり「西新まで行ったことあるわよ。」
ローズ「キャ~~~~ハハハハハ・・・西新ってちょっとそこまでじゃん。」
銀丸「ぼ・・・僕は一度六本松まで行ったもん。」
ローズ「何だか、あんたたちって随分体なまってるのね。
若主様は私に乗ってるから、最近ちょっと軽くなったのよ。
つまり~、ダイエットにも貢献してるってこと。」
みどり「(ママ主様もダイエットして欲しい・・・)」
銀丸「それにしても、若主様、ピンクの自転車選んだんだ。。。」
ローズ「ピンクじゃなくってフランス語でローズって言ってよ。」
みどり「け・・・・フランス語だって~?」
ローズ「あ!若主様だ!じゃ、またね。仲良くね。」
銀丸・みどり「あ、じゃあね。気をつけてね。」

銀丸「メチャ綺麗な子だったね。」
みどり「あんた、面食いだったの?」
銀丸「いや、そんなんじゃないんだけど。。。若主様はもう僕に乗ってくれないんだなぁ。」
みどり「駐輪場に何泊もするよりいいんじゃない?」
銀丸「まあ、あれはあれで仲間も出来たし、楽しかったんだけどね。」
みどり「まあ、綺麗な子だから拐われたりしないように若主様もしっかりしなくちゃね。」
銀丸「んだんだ」
みどり「あんたじじいになってるよ!」

そして、夜も更けて
二つの自転車は静かな生活に戻るのでした。

ああ、胃が痛い

2013-10-20 13:43:29 | 日記
昨日は本当にうんざり・・・という感じで
やっぱり夜中から胃がシクシクと痛み出した。
私は両親から離れない限り
長生きはできないと思う。
だけど、彼らは自分たちが長生きしたいので
私が介護しなくてはいけなくて
私は死ぬまで介護から逃れる日はないのだろう。

何だかなぁ・・・

と思いつつ
こういう時は忙しいに限るから
音楽室にこもって仕事に没頭。
煮詰まりつつも
何とかいろんなことが少しずつ形になるのは嬉しい。

そして、休憩中に電話。

最近多い保険の勧誘。
「いらないです!」と切るのだが
ちょっと意地悪をしてみた。
事故、怪我の保険らしい。
「私はがん患者なので入れません」
「いえ、早期発見で治療済んでますから入れるんですよ」
「へえ~、私は転移したのでまだ治療中ですが?」
「え?でも抗がん剤じゃなければ入れます」
「それは確実なのですか?基本的にがん治療中、
再発転移して治癒が不可能な人は現在加入している生命保険以外追加の保険には入れないはずですよ」
「治療というのは抗がん剤でなければ入れます。直接の治療ではないので」
「ふう~ん、直接の治療じゃないってどういうことですか?
ホルモン治療というのですが、大きな括りで言えば抗がん治療ですけど?」
「それでも、事故やケガとは関係がないので、入れると・・・」
「それって誰が言ったのですか?」
「え?あの、私はオペレーターなので・・・」
「じゃあ、生命保険証券等取り扱いの人ではないわけですね?」
「あ、上に変わります」

しばらくして

「あ、お電話変わりました」
「私はがん患者で、再発転移して死ぬまでずっと治療になりますが
それでも保険に入れるとのことでしたが?」
「あ、申し訳ございません。そういう方はお断りしているんですよ。」
「でも、あなたの方から勧誘のお電話がかかったんですよ?」
「いえ、そのようなことはないと思いますが・・・」
「この電話ですよ!!うちからかけていないでしょ!」
「あ、何かの手違いだったと思います。
安らかな日々が送れますように・・・。
では失礼します」

ん?

突っ込んでやったはいいけど
こいつら、何も分かっていないのか?
こんな奴らが保険を売っているの?
信用できんよなぁ。

そんなことしてたら
また胃が痛くなってきた。

誕生日に・・・

2013-10-19 09:53:10 | 日記
いろんな方からお祝いメッセージをいただき
ああ、ありがたいな、と思ったり
ダ~リンから毎年恒例のバラの花束をもらい
おお!太いぞ!と思ったり

娘と息子からは言葉だけだったけど
どちらとも金欠病だから仕方ないな、と。
そんな一日を過ごしていたのですが
実家から電話。

嫌な予感。

まず、祖母の命日を忘れていたでしょう、とギャンギャン。
いや、覚えていましたけどね。
だからその日に祖母の羽織をリメイクした服を着てました。

きっと死んだ人のことなんてどうでもいいのでしょう。
あんたっていつでも自分勝手で、何もしてくれないし

死んだ人のことはそれはそれで思っているけれど
私はすくなくとも毎週、2~3回は実家へ行っているし
色んな用事も痛い足を引きずりながらこなしている。

そして、「和子の命日はいつだったか?」
え?娘の命日を忘れているの?
親の命日はしっかり覚えていて
それを私たちもちゃんと覚えていろとやかましく言うくせに。
「いくつで死んだのか?」
はあ?年も覚えていないの?
56歳だよ。私と4歳違いで1月の誕生日前だから。

さらには

「だいたいお前の方が先に死ぬはずだったのに」

「あと1年生きたら和子より長生きになるじゃないか。
それをどう思うのか?」

それって、早く死んでくれということですか?

まあ、年寄りだし、認知症もあるから仕方ないけど。
私は昨日自分の誕生日に「死にたい」と思ってしまった。
きっと、1年前まで飲んでいた錠剤の治療薬だったら
そのまま、全部ゴミ箱行きとなり
主治医から諭されるというか、手を握って慰められる
「なんで捨てたの?自分の命は大切じゃないの?
家族はご両親だけじゃないでしょ。一番はご主人とお子さんたちでしょ。」
という毎度のパターンだっただろう。
今は4週間に一度の注射だから「否応無し」
私にはこれしかないと主治医も思っているから
この薬が明らかに効用がなくなってくるまで投与を考えているようだが。

姉は私が乳がん宣告を受けてから1年後に頚椎損傷で全身麻痺になった。
両親は気も狂わんばかりに嘆いた。
私はしんどい時もあったが
だいたい1ヶ月に一度東京へ行った。
両親も連れて行ったことがある。

母は祖父が可愛がった子供で
どんな理不尽な我が儘でも祖父は娘の願いを聞き入れていた。
だから、私は祖父の眠る納骨堂へ通い、願をかけた。
「私は早く死んでもいから、母の溺愛する姉を助けてください」
私にはちょっとした霊感があるのだ。
だから、きっと願いは届くはずだと思った。

姉はその後奇跡的な回復を遂げて
絶望的と言われた状態から、拙いながらも文字を書き、車椅子で生活できるほどになった。
元気になったので私の上京回数も減ったが
毎日電話で長話をしていた。

私は鎖骨下に乳がんが再発した。

とうとうやってきたんだな、と思った。

両親には内緒にした。
ただ、追加で放射線治療を受けるとだけ。

この時に、姉は祖父に願をかけた。
「私の守護神ならば、麻痺した状態で一生暮らすのは私は耐えられない。
私の命を差し出すから、残った時間を玲子にあげて」

姉妹揃って自分の命をかけたのだ。

そして、姉は末期の大腸がんと分かり
半年後に他界した。

その間に私は痛む放射線治療痕をかかえ、何度も両親を連れて上京。
二つの車椅子を押しながら
私の人生を彼らはどう考えているのだろうか?と思った。

その当時、同じような状況の人っているのかな?と
調べてみたが、やはり結構悩みながら過ごしている人はいた。
そんなに多くはないが
自分の治療か、介護か。
治療は諦めて短命を選べばそれまでだが
介護は自分が死んだら、だれが我侭な親を看るのだろうか?
その中の数人とは今でもメールのやり取りをしているが
本当に難しい。

姉が他界し、母の認知症は進んだ。
「あんたなんて、最初から早死する子だったのに、まさか和子が死ぬなんて」
まあ、そうでしょうね。
だけど、姉にとって私は自由な表現という翼を持った希望だったのだ。
だから、いつも「玲子は自慢の妹だから思いっきり歌って、紅白にでも出てよ」
紅白には出ないが・・・(もうメジャー展開はできないから)

実家へ行けば毎回「和子は美人で命が短かった」と。

父はずっと意識はしっかりしていたのだが
昨日はあんな言葉を。

認知症になるということは
意識的に良識で抑えている感情が、そのまま出てしまうということ。
相手の思いとか、相手の悲しみなどを感じられなくなるのだ。
責任のない言葉がぽんぽんと出てくる。
それらに対していちいち傷つくことはないのだが
私はそういう感情の処理が下手だ。

姉が生きていれば
「玲子~、ダメだよあの人たちの言うことに惑わされたら。
もう接触しないことだよ」と言うだろう。
接触したくないが、介護者は私しかいないので
私が行くしかないのだ。

お前が先に死ぬはずだった。
姉より長生きしてはいけない。

誕生日のプレゼントは悲しい。

今回はしんどい・・・

2013-10-10 10:20:10 | 日記
火曜日に治療だったのですが
お尻というか、今回は足の付け根の裏というのかな?
いわゆる「太もも」の一番植えみたいなところに打たれて
診察の時も
「我慢できないほどじゃないけど、ヒリヒリする」と。

そして、だいたいしばらく痛かったち痒かったりでウダウダな数日を過ごすのですが

今回、マジで痛い!!!

5分以上立っていると足がダル重になり
20分を過ぎる頃にはジーンと足がしびれて
歩行も足の感覚がないので、ちょっと怖いかも。

もっと怖いのは自転車。
左足がちゃんとこげているのかが自信ない。

いつも以上に幹部が腫れて
夜も足がしびれてなんだか変な感じ。

しびれ=痛み というのはダ~リンに以前言われたから。
ずっと痛い、ということなんだ。
とりあえず消炎鎮痛剤を飲んで過ごしてみるが
こんなにひどい痛みは初回くらいじゃないかな?

で、行動制限。
危ないからね。
当然、あっちこっちをウロウロというのは出来ずに
おとなしく家で過ごしていたわけです。

おとなしく?

そんなことができる訳もなく
お出かけしなくても楽しいことをやろう!

まずは昨日の昼ごはん。
前日のカリフラワーとアスパラのサラダの残りと
オイルサーディンでスパゲティ。
オイルサーディンのスパゲティは同じことを考えた人が多くて
久留米の某店で出て「うちもこれと同じようなもの作ってます!」と。



そして、熱病のようにはまっている裁縫。
というか、アレンジ作業が暗礁に乗り上げていて
なんだかなぁ~・・・なので
気分転換です。

新たな生地はなく
実家の箪笥から物色してきた祖母の着物たち。
母は色が黒いので、私に似合うものが少なく
あ!というのがあっても、とても高価なものなので
もうちょっと腕が上がってからにしようか・・・と。

祖母の着物も大正時代なので、化学繊維のものはなく
先日、ドレスに直した写真を見せたら「シルクですか?」と尋ねられたけれど
この時代の着物で残っているものは
基本的に正絹とか、紗とか絽とか、名前は忘れたけれどもっと高価なもの
そこらへんですね。
木綿のものは戦時中にもんぺに化けているので。
一般的には「シルク」ですが「正絹」です。

羽織だったのですが、え?こんな柄がこの時代に?という柄で
普段着にでも作り替えようとか思っていましたが
羽織の解体に大変苦戦。
おばあさま、やはり、縫い目が細かい・・・・。
でも、このイタタで何もできない時期なので
丹念に解体して
チェニックワンピに作り替えました~~~!



そして、作っていると、ちょっと地味かな?と
残った布でブローチも。

何やってるんでしょうね?私って。

ああ・・・それにしても痛いというか、しびれる。
ジーーーンというかズーーーーンというか
病院に電話してみようかとも思ったけれど
もう、打ってしまったものは仕方ないのだろうし
痛みが引くまで我慢するしかないかな?
来月の治療の時に報告することにしよう。