JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
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尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

看病の年末?

2012-12-30 08:52:44 | 日記
昨日は仕事納めの後
ダ~リンは口腔外科の手術。。。
難しい言葉は判らないのですが、歯周病がひどい状態になり
奥歯の骨が溶けてきている状態。
更に、その中に親知らずのでっかいのが3本
泳いでるというか、その中で横向きに居座っているというか・・・

数か月前に「歯が痛い」と自分で色々触っていたら
ポロっと歯のかけらが出てきて
その時に行けばいいのに
というか、もっとずっと何年も前から調子が悪かったわけですよ。

最悪の事は整形外科医ではあるけれど、歯科医ではないのに
「どうも、歯肉炎をおこしているみたい」とかで
鏡を見ながら自分で歯茎に麻酔を打ち
メスを入れるとか・・・すんごい暴挙を何度もやってたんですね。

餅は餅屋なんですよ。

ってなことで、今年春に17年間歯医者に行かなかった私を
あ~~れだけバカにしていたダ~リン。
もう、仕方ないわ、とへそくり大放出で私は前歯16本を綺麗に治したのですが
「貴方も行けば?」に素直に応えなかったし・・・。

難いものが噛めない、と上等肉を食べたり
野菜を食べなかったり
ん””~~~~も~~~~

とうとうどうしようもなく痛くなり歯科へ行ったのが26日。
「奥歯がもう使えません。骨が溶けてしまう前に手術しないとダメです」
ということで
ダ~リンの職業柄の事も考えて
あちらも仕事納めのはずだったのに、昨日手術となりました。

奥歯5本くらいの骨の中の清潔と土台作り。
前歯も骨の修復とか色々・・・
全身麻酔の歯の手術となりました。

前日からブツブツ・・・内心怖いとか。。。
「お前って良く何回もこんな全身麻酔の手術したよなぁ~」とか。
きみ~~~~!
麻酔でコテッとなって目覚めたら悪い所は消えてるってだけだよ!
って余裕君の事を私に言ったのはいつでしたっけ~~~?

まあ、そうは言いながらも一人で入院準備できない(なぜできない!)ダ~リンを手伝い
いちおう全身麻酔なので付き添いに行き。
院長室で「あれ?」

そうです、そこは私の胸のインプラントを入れたKD学病院の形成外科教授の弟さんの所なのです。
教授は私の手術の主治医というか、執刀医ですね。(教授は主治医にはならないから)
兄弟そろっていらっしゃるではありませんか。
ああ、どうも、いつもお世話になっております云々。
挨拶と軽い説明があり、ちょっとお話をしてお兄様ご帰宅。

そこは1室入院室があり、全身麻酔の治療もできる歯科口腔外科医院なのですが
入院室で、またダ~リンブツブツ・・・。
「患者には何度も手術したけど、俺、手術嫌いなんだよなぁ」

・・・・・・・・

そして、手術室へ消えていきましたが、1時間もしたころに先生がバタバタと入って来られて
「前歯が開いてみると中で折れているんですよ。
インプラントしかないとは思うのですが、どうしましょう?」
え??そんな事私に聞かれても・・・。でも、どうしようもないのなら・・・・
本人は麻酔で寝ているので聞けませんから、奥さんの判断で!」
え?私って自分の事でさえ「家に帰って主人と相談して参ります」なのに私?
仕方がないから、じゃあ、インプラントで・・・しかないっしょ。

ずっと病室で読書に耽っていたら、時々ドタバタと足音が聞こえたりして・・・
2時ごろ手術開始、当初1時間くらいの予定でしたが
「終わりました」と言われたのが5時半くらい。

終わりましたので、と先ほどお帰りになったはずの
お兄様教授も一緒で「?」
「いやぁ~、想像していたよりずっと大変で、兄も呼んで手伝ってもらいました」
あら・・・・
いやいや・・・・
どうも、ありがとうございました。

「開けてみると、思ったより重症でしたね」というお話。
もう少しで、大たい骨を移植しないといけない状況だとか云々。
まあ、そんな話って多いよね。

っていうか、全く関係ないけど
兄弟でそんなに近くに住んでるんだ。
まあ、確かに教授の奥様の皮膚科もすぐ近くだし、K市にも教授だからマンションを持ってあるだろうけど
この近所に集中してるわけね。。。

どうでもいい話ですが。

その後、麻酔から少し覚めた、でも眠っている状態でダ~リンは部屋へ帰ってきました。
麻酔科の先生や看護師さんが色々お世話をしてくださっている間で
私は軽妙なお喋りを・・・。
音楽仲間のM先生やJ先生とかO先生とかご存じだそうで
あ~~~、そうなんですね~とか。


あ”あ”~~~~~大変だったよ~
と翌日ダ~リンの代わりにダ~リンの実家へ行く息子夫婦に車を渡すため赤坂へ。
(あ!今思い出した!ガソリン代渡すの忘れた)
あーだこーだと用事を言いつけて、やっと帰宅。

やれやれ、と思ったらダ~リンの妹さん(と言っても私より10歳も年上)から電話
あれこれ色々聞かれたり、注意を受けたりしながら
長話をどこで切ろうかと思っていたら娘が帰宅。

あれ?飲み会だって言ってたのに、9時前だよ?

熱がある。。。。。。

39度近く。。。。。。
え?君も病気?インフル?
お父さんいないのに、薬って風邪の時くらいのしか判らないわよ。

とりあえず、薬を飲ませて寝せて
でも、心配だから、娘が水を飲んだりトイレに起きたりするたびに起きだして
「どう?」と。

そのまま朝になり、早朝に娘は熱は37度8分まで下がった。
しばらくしてダ~リンはタクシーで帰宅。

「なんもできん」

それはわかっとう!

もう、何だか闘病中の私が二人の看病+両親の世話という
人生の中で一番忙しい年末年始になりそうです。

年末ですね

2012-12-28 11:12:14 | 日記
今日は年末の支払いで朝から忙しくしておりました。。。

昨日から準備を、と思っていたのですが
昨日は死んでました。

二日酔いです。。。。。。

やらかしたぁ~
ひっさびさです。
何年ぶりかで点滴のお世話になりました。
ゲロゲロになって
あ・・失礼。

私は一応病人だという事をすっかり忘れてしまっていたのですね。

楽しかったんですけどね。

最近、少し酒を控えていたりしたものだから
こんな量で?ってなもんで

多分、抗がん剤も手術も終わった後に
急いで復帰ライブをやれとか、あーだこーだの時に
お店が潰れて
その時にやらかして以来だと思います。

腕がダメになってきてはじめてなので
とにかく腕が痛い。
もう、どうしていいかわからんほど辛くて
そして、咳も加わって大変でした。
自業自得ですが。

ああ、もう無理はせん!!

夜中に胸が痛くなってきて
本当に心から後悔しました。

主治医に見つかったら、すっごく怒られると思います。
まあ、一応1月の注射の時に申告しますが
・・・・やっぱ黙っとこうかな?

ダ~リンから「乳腺に電話する」と脅されたりして。

というダ~リンは酷いことになっています。

以前から奥歯が痛いと言っていたので
私の事もありますからね
早く歯医者に行く事をお勧めしていたのです。
今年、お世話になった先生の所はとても腕がいいから、と。
それで、どうしようもなくなって
とにかく、柔らかいものしか食べられなくなって
昨日やっと行ったわけです。

ざっと診察してもらって
来年でもゆっくり治療しようか、と。

先生が「すぐに手術しないとダメ」ということで
明日の午後、急遽手術になりました。

骨が溶けてきているらしい。

私も17年間歯医者に行かなかった人なので大きな事言えませんが
ほ~ら!見てみい!

この年末にとどめの大出費となりました。

できれば来年のほうが良かったのになぁ。
ってのは先日のCT検査の時もそうでしたが・・・
まあ、どうせこれで終わるまいから
税金の還付は確実な所となりました。(来年も)

私だけでも1回3万ちょっとの注射が4週間に一度だから40万近くはかかるだろうし
その他、検査があったりするとどっとかかるから
今年にへそくり大放出でしたが
来年も還付金はあるだろう・・(もう来年度の決算の話?)

それにしても、、親も大変だし
もう、年末の掃除は諦めました。
とにかく目標は無事に正月を迎える事です。

大晦日には実家へ行って正月の準備をしなくてはですが
おそらくダ~リンは痛くて使い物にならないので
娘出動です。
ああ、無事に年も越せるのか心配。

その上、ここにきて
両親はやっと私の心配を。
叔父が「肺転移でも深刻だ」という話をして行ったそうで
まあ、そうなんですよね。
結局砂時計は落ち始めたわけですからね。
そんなに長生きできないという事が決定したわけで
初発から15年位の闘病で死ぬという事になりそうですからね。

今頃かい?

父は母の膀胱に転移した5ミリのものの事しか考えていなかったようで
じつは私の治療を優先しなくてはいけないなどと
今まで思いもしなかったというか
気が付かないというか
そこまで頭が回っていなかったのです。

はぁ・・・・
もう私の中では大分決着のついた話だったんですけどね。
下手すると5年くらいで死ぬかもしれんし。

それでも、やっぱり老人は正月の準備は無理なのですよ。
もう、いっそのこと動きやすい所に引っ越してほしいくらい。
日本家屋ってややこしいですからね。
頑張らねば~~~!!

色々調べると

2012-12-25 19:16:54 | 日記
乳がん患者の最新情報みたいなのを
この頃はチェックしていなかったかな?と
色々調べていて・・・

今の所
私が使っている薬の結果等は反映されていないし
5年くらい前の治療とか
そんな感じですが

結構肺に転移した人も長生きしていないことを発見。

え?

そうなんだ?

私は10年くらいはあるだろうと思っていたけれど
もっと短いというか
5年くらいしかないかも。

まあ、これは個人差もあるし判らないけど
5年半で肺転移まで来ているという事は・・・と思うと
そうのんびりできる状況ではないという事が判明。

でも、どこかで今の薬に大変期待してるから
5年は歌えるとか・・・

甘いのかなぁ?

それでも初発から10年だから
結構頑張った部類には入ると思う。
と思うってだけだけど。

先生に聞いても「判らないよね」とおっしゃるだろうし
まだデータがないもんね。
本当にわかんないけど
短かったらどうするよ?

っていうか
10年歌えるってことは
相当元気に長生きしましたという事らしい。

本当に肺転移から2~3年で亡くなった方が多くて
がっかりしてしまう。

私はこんなに元気なのになぁ。

ってそういうことを亡くなる1か月前まで書いていた人もいたし
死ぬなんて全く思わずに
ずっと仕事をしていた人もいたし
いや・・・これはちょっと計画を練り直さねばいけないかも?

病院選びについて

2012-12-23 12:08:30 | 日記
自分の体だから
当然自分の病気の事は心配なのだが
色んな人から良く聞かれること

「病院選び」について

私は済生会福岡病院の乳腺外科に通っています。
主治医は執刀した先生から、今の先生に一度変わりました。
これは大学病院の人事の問題もあるし
ダ~リンも大学病院時代は転勤は色々あったので
そういう大きな病院にかかると仕方がありません。

ずっと一人の先生に診てもらえないのに、何故そこを選んだのか?

私は一度ペニシリンショックで死にかけました。
それからというもの薬に関しては成分を良く確認しないと飲まないことにしています。
また、若い頃に外傷で麻酔をされた時に
当時は160センチに48キロなので結構細かったのですが
3日間くらい嘔吐に苦しみ
もう、死ぬんじゃないか、というくらいしんどかったことがあります。
その当時の先生曰く「何かの薬にアレルギー反応したのかも」とか
原因不明でしたが・・・。
今のように太っていると麻酔が全身に行きわたりすぎて覚め際が良くないことはあります。

ということで
手術するとか
強い薬を使う治療になるだろう、と想像されたので
乳がん検査の時から済生会病院でした。

ダ~リンの知り合いの先生が多いというのもありましたが・・・。

所謂総合病院での治療でなくては
何かが起きた時の対応が遅れると死に至ります。
ペニシリンショックでは、本当に助かって良かった、というくらいでしたから。

乳腺外科の患者さんは殆どが女性です。
乳腺専門の個人病院も市内にはいくつかあります。
婦人科と一緒になっている所もあります。
もちろん、入院設備のないクリニックもあります。
中にはとても有名な個人病院もあります。

結構、色んな所で知り合った同じ病気の方は
その有名な個人病院にかかっている方が多いです。

個人病院の方が食事も美味しいし
部屋も全室個室だったり
病院全体が女性向に作られているので、快適です。

「何故〇○病院にしなかったの?」

よく言われます。

もし、今まで薬のアレルギー等起こさなければ
或いは、そういう選択肢もあったでしょう。
でも、前述のような理由で総合病院の方が安心だったからです。

そして、もう一つ
何故「がんセンター」ではないのか。

がんと言えば、皆さんがんセンターに行かれます。
当然そういう事も考えましたが
交通の便もあります。

当時、娘は運転免許取得中。
息子は市内中央区に一人暮らし中。
うちから地下鉄でもバスでもタクシーでも
さほど遠くない所。

近くに私大の大学病院もありましたが・・・

そして、入院する時に個室を比較的沢山保有している所。
もちろん、個室が綺麗だ、という事も。

何かがあった時にさっと病院へ行ける距離でないと
私としては安心ではない。
かといって、近くの大学病院は当時工事中だったし
個室の数が少ない。。。

病気の時くらい一人になりたい。

我儘と言えばそうだけど
ずっと気を遣うのは苦手なんですよ。
それだけでストレスで不眠症になってしまう。

という理由で
今の病院を選んだわけです。
満足しています。

「神の手」の先生に遠方からかかりに行く患者さんもいます。
その人の価値観で、その人が満足すればそれでいいと思います。

でも、治療は患者と主治医の信頼関係が一番で
そこそこの腕があるからこそ、総合病院の乳腺外科の長で出ているわけですから
信頼して診ていただく事が大切じゃないか?

おそらく、私がこの世を去るまで
主治医は何人か変わるのだと思います。
でも、私はきっとブランド志向みたいな主治医の選び方は市内だろうな、と思ってます。