JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

機材バーゲン

2019-07-16 17:06:05 | 日記
大分ブログ更新をサボっております。
何しろ、体力というか体調というか
日に日に弱っている感じで
グズグズしていたら、本当に死んでしまう。。。と。

まず、家族の他の人たちは処分できないだろう機材から。



スピーカー、スピーカースタンド
アンプ、ケーブルのセットです。
小学校、中学校で使えるくらいのケーブルの長さです。
ミキサーに関しては、持っていく楽器によるし
私は弾き語りが主だったし
ちっちゃなミキサーはまだほかの接続に使えるので(6チャン)付けられません。

品番は





丁寧に使っていましたから美品です。

このセットを全部で5万でいかがでしょうか?

それから、マイクスタンド、3本あります。



これを2000円くらいで。




譜面台も2本ありますが2000円くらいでいかがでしょうか?

ご希望の方はまず、私にメールをしてください。
そこで住所や電話番号等お知らせいたします。

私の命もさて、どれくらい持つのでしょうか?
ベッドに寝ていることの方が多くなり
一応、まだ抗がん剤治療は続けていますが
酸素なしではどこへも行けない状態となり、声も出ないし、歩けもしない状態です。

生きている間に色んな人たちとお会いしたいのですが
それもなかなか難しい感じです。

まずは、機材の処分から。
どうぞよろしくお願いします。

価格に関してはご相談に応じます。

こんな時でも

2019-06-01 02:08:25 | 日記


これは夜中に目が覚めて
iPodかわりのiPadで音楽を聴いてるところ
今日は抗がん剤治療も有ったし





二日ほどて続いた大鼻血で貧血気味なので無理は禁物だが
何となく気になって。。。

もう歌えないのも承知してる。
そんなに長く生きられないのも。
だけど、曲だけは残して死にたい。

それで、今気になっているのは矢野顕子
夜中の空気に絶妙に会う。

こんな状態でもミュージシャンをやめられない。

酸素は今はしんどいので3リットル
具合が悪いから仕方無い。
そして耳にはイヤホン。
本当は良いヘッドホンがいいけど酸素は24時間だから。
今日も病院ではずしていると色んな人に注意されたし。
肺が真白らしいから、真面目につけておかないとね。

私は馬鹿よね。

やり残した仕事

2019-04-13 17:53:42 | 日記
3ヶ月前、突然先生方の様子がバタバタと忙しくなり
主人も呼び出され、かなり危ない状態で
とてもタイトな余命宣告を受けて
病室へ運ばれながら「私はもっと頑張れます‼️」と叫びましたが
何とか頑張れています。
外へ出ると元気そうにしないと嫌なので
いつもニコニコ、シャキッとして、と心がけていますが
「とても元気そうじゃないか」とかね。

損な性分です。

で、そろそろ動き出さねばなのが残してしまいそうな企画。

私の頭の中では「PARADISE」と、雪女企画で音楽人生の集大成と考えていました。
それは今でも変わらないのですが
何しろ声が出ない。。。
でも、曲だけは仕上げねば‼️

で、よく誤解されるのだが、「雪女」の話だと。
違うのですよね。
雪女に代表される様な女の持つ恐さと切なさと訳の分からなさを
色んな曲調で、色々な言葉でつむいでみよう、と。
あと数ヶ月でできるかな?

部屋の住み心地

2019-03-19 16:12:02 | 日記
介護部屋を住みやすくするため、色んなグッズを揃えた。
私もシンプルな部屋が好きなんだけど、
シンプルにするには不便さも享受しなくてはダメ。
まず、病人には無理なこと。
手の届く所に色んな薬(いつも使う薬でも6種類以上かな?)
水も欠かせない。ティッシュも。
その他、インターホンや電話や携帯など。
全部が手を伸ばせば取れる所にないと
一人で部屋で過ごせない。

亡くなった姉が過ごしていた介護部屋は参考になった。

嫁入りタンスは扉を取り外し(じつはここが一番良い素材でタンスの価値を決めるところだが)
カーテンにする。これは私が裁縫をするから、姉の所よりずっと高級感がある。。。
何歩も動かずに化粧台に行ける。
テレビは便利に見れる。
後々はベッドテーブルにPCも持ち込むことになるだろう。
配線はしているので、これはいつでもOK。

楽しいのか悲しいのか分からない作業だけど、ナースコールを除いて、だいたいの配置も決まった。

主人の寝室と比べると狭いし、ごちゃごちゃしているようだが、用途が違うので仕方ない。
その代わり、私にはピアノ室、オーディオがあるし。
酸素供給機なんて予想外のものがやってきて、邪魔だ〜と思うが、何れ設置しなくてはいけないものだったのだろう。
まだ収納に苦労してないから。

声が出ないのがなんとも歯がゆい。
もう二度と喋れないのか、と思う。
大人しく養生すれば少しは良くなるのかな?
歌えなくても仕方ないけど、話もできないというのは大変なストレス‼️
声、もどらないかなぁ。




声が出ない

2019-03-08 12:49:35 | 日記
歌う事は諦めているが、話も出来ない。
掠れて、聞き取れない音しか出ないのだ。
夜中に咳き込むのでこういう状況になるのだが
咳込みがあるからといって、プレドニン(ステロイド)はそう毎日は使えない。
とてもしんどい時しかね。

あとは医療用麻薬、レスキューに頼るしかない。
普通の風邪ではなく、がんが気道に侵食してきて咳き込むので、何かをしたら止まるというわけでもなく
ただ、嵐が過ぎる様に睡魔が咳に勝つのを待つだけ。
それに最近は酸素もなので、これで鼻の中が乾いて、たまに酸素なしでトイレに行ったりすると
乾燥していた鼻の中が一気に暖まり
鼻水がどっさり、というか、何回ティッシュを変えるでしょう、というくらい出て
鼻をかみ終わったら、あースッキリという感じ。

まあ、ここまで悪くなったのだから、無理は言えないのだけど
一緒に演奏していた人たちやお店に行きたい。
ちょっとしたバカ話なんかして楽しみたい。
だけど、一人で行けるのかが問題。

セッションとかは出来ないけどね。

まあ、酸素連れて行ったら、誰もが納得するだろうけど。
歌えないのー?どんな声でもいいけんうたったら?とか以前は言われていたけど
この掠れた話し声では、もう誰も言わないだろう。

ただ、自分のライブが終わって直ぐに具合が悪くなってるから
ちゃんと挨拶しておかないと、「いくら体調悪くてもねー…
挨拶なしって失礼じゃない?とか言われそうで。
ああ、この肝の細さよ。
以前に寝込んでいるのに「大袈裟なんじゃない?それか、それ程悪くもないのに体調が悪いふりしてるとか。自分だったらどんなでも人に言わないし、悟られない様にする」と非難を受けて
それがかなりトラウマになってる。
死ぬ前に一目会っとかなくちゃいけない人が沢山だ。

耳鼻科診察

2019-02-18 15:12:42 | 日記
声はハッキリ言って、戻らないそうです。
あまりに傷つきすぎていて
そのままずっと咳が出ない、
喋らない、使わない、
という事なら戻るかもだけど
そんなことできませんからね。
お早うから始まっておやすみなさいまで
挨拶だってあるし、自分の病状説明もしなくては、だし
引越しに関するあらゆる交渉事もあるし。
聞こえ辛いだろうな、と思うから余計に声を張り上げて喋るとか…
何だか結構あっさりと歌えないことに関して諦めました。

年末のライブ、すごく出来が良かったのが、神様からのプレゼントだったのだと思います。
そして、今後の生き方はまだ考えていないけど
折角作りかけている「YUKIONNA企画」があるので
その曲を作ってしまわなければ❗️
歌詞もちゃんと作らなければ❗️

入院当初の悲惨なデータです。








入院してます

2019-02-16 05:29:47 | 日記
1月25日の診察で癌性胸膜炎と判明しました。
予後はかなり悪いようです。
あと1ヶ月とか1年以内とかいう話を主治医達が主人にしていました。

ネットで詳しく調べてみてもらそこから無事元どおりに生還した話はありません。

おそらく、あと2年くらいではないかと思われます。
それでも1ヶ月という話は受け入れられないし、思わず「私はもっと頑張れます❗️」と叫んで、今まで良く奏功してくれたアバスチンとパクリタキセルの抗がん剤治療をしています。
今のところ、よく効いているようです。
一つの治療で3ヶ月もはもたないかもしれないので、あまり長く生きられるとは思いませんが
まだ、少しやり残した事や、父の遺品の整理や残して行く母の事も色々しておかねばなりません。
もう少し生きねば、と思っています。

皆さんは元気になって歌に復帰を、と励ましてくださいますが、歌えないでしょう。
声は掠れたまま、喋る声でさえ戻りませんから。
そういう運命だったということです。

人生集大成のCDをライブをいくつか開いて、販売する予定でしたが、何処へも行けません。
後日、宣伝もHPにアップするつもりでしたが、時期はわかりません。

「PARADISE」2800円
クールなオリジナル曲(主には英語歌詞)
また、オリジナルアレンジのスタンダードナンバー
クイーンの曲やジョー・サンプルの曲など収録しております。
ご注文はメールでお願いいたします。

buchimama1018@yahoo.co.jp

来週に退院予定てますが、退院するだけでその後は車椅子、酸素にも繋がれた状態なので、なかなから皆さんに会うというのも難しいかと思います。
色々遅れてしたい、御迷惑をおかけいたしておりますが
宜しくお願いいたします。

またサボってましたね。

2019-01-22 16:56:29 | 日記
クリスマスあたりから具合が悪くなり
そのまま年明け、だんだん咳が酷くなり
もうピークか、と言う所で父が急逝したので
益々忙しさが増し、そんな中、ゆっくりするどころか色んな人が色んなことを言ってきて
父の施設の部屋も片付けなくちゃ。
母の様子も見に行かなくては、父の死をどれだけ理解しているかわからない。
まあ、理解していなくても良いのだけど。幸せに過ごしていればね。

家の改築も進み、本格的に引越し準備にとりかからなくては、なのに、寝込んでいます。

吐くほど、呼吸が出来ないほどの咳って体力を奪います。
声は歌うどころか、喋るのも大変でとても聞き取りにくい声で弱々しく話すだけです。
熱は大体平熱ですが、週に2日くらい37度台の微熱が出るくらい。
インフルではないと思いますが、かなりしんどい状態です。

薬はありとあらゆるものを貰っていますが
あんまり続けて飲んじゃいけないのだろうな、という5ミリ×5錠、25ミリのステロイド剤が一番良く効きます。
だけど、続けると抜くのが大変だから、最終兵器に残しておいて、と。
それでも腹筋や肋間筋が痛くなるくらい咳込むので、ここの所、よく使っています。。。
ダメよね。。。

父については
昨年、勝手に大きな病院へ行き、検査をして、胃の幽門閉塞と言われ1ヶ月以上入院してバルーンの治療を受けたのですが
何か改善するどころか、流動食しか食べられないくらいになり
「こんな事なら行かなけりゃよかった。お父さんは美味しいものが食べたいんだ!」と。
その後も我儘爺さんを続けて施設でも我儘を通していました。

主人は幽門閉塞はがんしか考えられない。と言っていましたが、病院からはがんではないと。
こちらもそう言われたのだから、そんなに駄々を言わないで
大人しく過ごしなさい、と言う感じでした。

私は丁度レコーディング中で忙しかったからあまり出向きはしなかったけど、電話はいつものことなので、話してはいました。
だけど一度の電話で30分以上なので、あまり楽しい話はしなかったかもしれない。
それから一時期私の体調が悪くなり、また復活して12月の人生集大成のライブを終えて…
本当に最後のライブになるのかも、というこの調子の悪さです。

1月は正月明けにガンマナイフの施術があり、その間も咳はあまり止まらず
もう、モグラ叩きみたいなんですけど、と先生に言うと
まあ、実際そんなもんだよ。でも転移が小さいうちに叩かないとたいへんだからね、と。
分かりますけどねぇ。
脳転移で死にはしないらしいけど、だんだん物忘れも酷くなるし、常に頭を働かせるのも休養は出来ないのです。

私が退院した翌日、父が福岡の中心部のA病院へ運ばれる事に。
施設に隣接する病院の診察で「がんでは?」と疑われ、即入院。
施設から、すぐに来いと言われましたが、私は前日に退院してきたばかりで、なんてこと!と。

A病院に着くと、父は上機嫌。
やっと願いが叶って綺麗で自分の言い分を聞いてくれて、ホスピスまで揃っている理想の病院に入院出来たので満足そうだった。
「医者でしたからね、そこいらの病院で死にたくないんですよ。
やっぱりちゃんとなのある病院で、出来ればホスピスで死にたいと思ってます。」とても機嫌がよく、あんしんしていたのですが。
ホスピスが空き次第、移るということでその為の面談を翌日に控えた夜、父は息を引き取りました。
あんなに機嫌が良かったのに。

父はもしかしたら、これで死ぬかもしれないから、後のことは頼むぞ!お母さんのこと、頼むぞ、と私と主人にいいおきました。
そして肌身離さずいつも持っていたポーチを渡されて
「この中から使いなさい。入院費もここから出しなさい」と。
珍しいこと。誰にも渡さなかったのに。
(翌日何が入ってるか見ると、同じ銀行の同じ名義の通帳が何種類も。主には母の名だったが母は事務能力のない人だったから、然もありなん)
父のは一度、施設に入った時に私から怒られて1銀行1つだったが、郵便貯金通帳は何冊もあった。
もう。。。。。

院長先生も、機嫌も良かったし快方に一度向くかと思ってました。と。
いや、父は安心して力が抜けて逝ってしまったのでは?
我儘爺さんから、善い爺さんになって、神様が「よし、じゃあ天国へとおしてあげよう」と。
姉が亡くなって本当にがっかりしていたし、姉が全身麻痺になり不自由ながらも何とか暮らせるようになったのに、末期がんで死んでしまった。
命を換えっこしたい、と言っていた。
それから母の認知症は急激に進み、もう施設に入らないとお世話も何もできない!と私と大々的にもめて2年後くらいに施設へ入る事を承知。
家も売り、と言ってもこれがなかなか難航したが、何とかいい条件で売れたし、何とか高級老人ホームへ入り
その後、母の認知症が酷くなり、別の部屋に分かれて住むということになり
結構、我儘で文句の多い人だったけど、色んな趣味を始めて、それなりにエンジョイしているようだった。

面白くない!と言ってたが、施設の文化祭という日には他の入居者のお友達と楽しそうに話していた。

人間。なかなか100歳まで生きるって難しいね。
父は来月97歳を迎えるところだった。

私は酸素量も今のところ足りてなくて、我儘入院でもしたいところだが
やらねばいけないことが多いのと
経理関係というか税金も銀行も私しか出来ないことが多いので、そんなにノンビリは出来ないのです。
主人も一応銀行の通帳繰越や窓口での振込は出来るようになったが、まだ小口のATMからの振込等出来ないので、私がせねば。。。
休養できん!
数日、ちゃんと寝たら治る気もするけど、数時間でも電話が鳴る、メールが来る、ファックスが来る、宅急便が来ると階下まで受け取りに行き、
改築の細かな事も決めねば!
なんでこんなに色々重なるのか
もっと暇な時だってあるのだから、忙しさは分散させてほしい(涙)

風邪ひきと魔女会

2018-12-29 14:18:12 | 日記
風邪は結構しんどい風邪で、久しぶりに喉が痛い。という状況でした。
いつもはそこまでこしらせずにいるのですか、
薬を飲むのが1日遅かったかな?

テレビ番組は無事放映されて
色んな方から「テレビ見ましたよ」と声をかけられました。
私が乳がんステージ4であることやプロのジャズシンガーだという事も知らない方々から声をかけられて、戸惑うというか、どう答えたら良いのかわからない感じです。
今は末期の患者でも治療が出来て完治はしないまでも、何年も生きられる時代です。
それを「奇跡」と呼ぶのもどうかと思うし
そういう事で歌い続けているわけではなく、私は元々ジャズシンガーで仕事していたわけだし。
がんが発覚して1年は休業したけど、家の経理の仕事はしていたから、デスクワークの仕事はこなしていたわけ。
2〜3日に一度は銀行の用事もあったりして忙しくしていたから、皆んな誤解してるよね。

まあ、それはそれとして
本当にライブはとても調整に時間がかかったけど、声も枯れる事なく、伸びやかに歌えて良かった良かった。
先日の魔女会でもそんな話が出て、テレビ局に捕まってお客様に挨拶に行けなかったのよ、と。
魔女会…まあ、二人の魔女ですが、恐い会ではありません。
大人の女性が将来見込みのある男性と一緒に美味しいものを食べ、美味しい酒を飲むだけです。
何が美味しいのか、美味しい店はどこか、美味しい酒とは?などなど
生贄の男性をちゃんとお育てする会なのですよ。
最初はちょっとした呑み会から始まりましたが、たまに食べるのなら美味しいものの方が良い、と。二人になって店もランクアップ、お金もそこそこかかる店に…。
そして、割り勘などと無粋な事はせずに「ここは私が払うから、この次によろしくね」と。
それくらい余裕のある心持ちで行くのが「魔女会」なのです。
時事問題など話しながら時には真剣な話も。大半は楽しい話ですが。
大人になって親友が出来るというのは珍しい話ですが、そんな珍しい関係の「魔女会」。
また、いつ開催されるか分かりませんが、私の数少ないプライベートな楽しみの一つです。


ご来場有難うございました

2018-12-12 14:53:41 | 日記
こんにちは。
やっとライブが終わり、ホッとするとともに
風邪気味で寝込んでいる私です。。。

全体はこんな感じ



私は久々にパワフルに歌っております。





最後に皆さんにご挨拶



今回、テレビの取材も入り
色々気が立っている時に
質問攻めにあったり
結局休憩時間にお客様にあいさつできなかったし
終わっても質問

娘から電話があり、テレビ局の人が主人たちを探していると
婿の実家のお父さんから連絡があったそうで
こら、えらいことが起こってるのか?と

いやいや、あんまり個人的な家族のことは話したくないのよ。

だって、ずっとミュージシャンだった私が
たまたま主人と結婚して
また、不幸なことに中期の乳がんになって
1年間の休業の後、仕事やライブシーンに復帰。
再発転移して末期がんの仲間入り。
だけど、治療もできるし
酒も飲めるし
ライブもできるし

多少落ち込みはあるものの
シンガーとして活動してます。だけじゃ何故だめなのか?

色々情報は提供しましたよ。
緩和ケアってのは、という話とか
最近の抗がん剤治療というのは通院だとか
がんが脳に転移しても脳に転移したことでは死なない、とか
近い将来、年齢的にも歌えなくなる時が来るだろうけど
それからどうするのか決めてないとか

患者ってのは、もっと可哀そうじゃないといけない?

今までは密着機関1か月以上で
報道番組の中での特集だったけど
今回は密着といっても数日。
最初の取材から1週間ちょっとで放映。
時間をかければ良いというものでもないけど
あまりに短くないですか?新聞じゃないんですよ。
新聞記事でも1日の取材だけではなく
色々何回も電話がかかったり、またやってきたり、と
結構丁寧に取材するのになぁ。。。
ま、いいけど。

私はもう少しマメにブログを更新して
読者に色々伝えることですよね。
(先日色んな方から「ブログ楽しみにしてるんだから更新してよ」と指摘されました。