JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

夢の話

2013-08-31 16:02:35 | 日記
毎晩ではないけれど
私は良く夢を見る。
眠りが浅いのかもしれないけれど・・・。

そして、所謂デジャブも見る。

行ったことのない街
その中の商店街でこの道を曲がったらこういう店があり
この時にこういう人とぶつかったり・・・
というのを見て
数年経ってから旅行で同じ光景の街に行ったりして
{あれ?」と思い
夢の中で歩いた道を歩く
あ、この店があった
そして、夢と同じようにちょっと人とぶつかって「ごめんなさい」と。
あれ?いつの夢だったろう?と。

それは予想して助かったという夢じゃなくて
何の役にも立たなかったりするんだけど
自分が乳がんになる前に
やっぱり、乳がんになる夢を見たことがある。

そして、気になったのは知人が乳がんになった夢を見てしまったこと。
何の関係もないかもしれないが
本人に言うとびっくりするだろうから
ちょっと言い出せない。
気になるなぁ・・・。

でも、本当にデジャブだったら
早く病院に行って検査した方が良いのだけど。。。
それほど、ものすごく親しいわけでもない知人というのは
こういう時に戸惑ってしまう。
気になるけど。。。

さて、夢の話に戻るが
最近見た夢で、ちょっと笑えるものもあった。

私とダ~リンはベッドをくっつけて寝ていて
その間くらいの所にエアコンのリモコンを置いている。

で、時々ダ~リンは自分でガツン!とリモコンを操作してしまう事があるのだ。
それでも、すやすやと眠れるダ~リンは羨ましい。。。
だいたい、消されてしまって
暑くなって目が覚めたりするのだけど
先日は温度が下がり過ぎていた。
23度・・・・ピュ~~~~・・・・寒すぎ。

そして、私は寒い、寒い、凍える、とずっと思っていたのだ。

その時に自分の凍えた経験。
胸のインプラントを入れる手術後、ものすごいシバリングでガタガタ震えて
寒いです・・・・と歯をガチガチ言わせながら訴えたことがある。
手術室って20度以下くらいにしているらしいし・・・。
猛烈に寒い。。。。
ああ、冷たい、冷たい、凍え死にそうだ、と。
寝ている時に凍えたから、その時の事が蘇ったのだ。
「寒い・・・寒い・・・・」
当時の主治医のイケメン医師がにこやかに私の顔を覗き込む(無駄なにこやかさだ)
「大丈夫ですよ。温めてあげましょう」と私の手を両手で包んでくれた。
冷たい!!
その先生の手は滅茶苦茶冷たくて
凍えた私はもっと凍えてしまった!!
何が大丈夫なんだ!すっげぇ冷たい手じゃないか!
無駄なにこやかさだ・・・・。

そこにちらっと娘の顔が見えた。

お!!

助かった!!

「あやこ!お父さんを呼んできて!」

そして、ダ~リンがやってきて私の手を握ってくれた。
ああ、暖かい。。。
ああ、ぬくいわぁ~。

という所で目が覚めると
私は体中冷えていて
手はダ~リンの背中の下に潜らせていた。
なるほどね。

頬紅

2013-08-29 11:33:34 | 日記
私は幼少から体が弱かった。
それで、色が白いというより
顔色が悪い、という時代をずっと送っていた。

小中学校では大分元気になり
プールに海にと遊んだから
それはそれで黒くなったりもしていた。

大学時代は「サーファー」という格好が流行っていて
わざわざ家で焼いたりなんかして
(海で焼くとそれはそれは悲惨な事になります)
自分の色の白さなんて何も考えなかった。
しかし、冬になるとさっさと夏の日焼けは消え失せ
白くなっていく。

「色が白いね」と言われることは多かった。
ファンデーションも日本製のでは少し色が黒くなるので
舶来品のものを使っていた。

いや、所謂白人のような白さではなくて
あくまで、日本人の白さですよ。

結婚して、ダ~リンの実家へ遊びに行った時
「色が白いわね~」と大合唱された。
ダ~リンの親戚は義母を除いて皆黒かった。
地黒と言っては失礼だが
家から一歩も出ない生活をしている人もそう白くはなかった。

じつは私の母も姉も地黒だった。

母は自分の肌に合わない真っ白な白粉をつけていた
大人とはそういうものだ、と思ったりしたが
自分が大人になってみたら、いや、もう少しなんとかしようよ・・・。
姉も黒かったが、重いアトピー性皮膚炎で
肌が透けるほどまで薄くなり
他界する前1年は暴飲暴食もないし
「人生初めて色白な私よ!」と笑っていた。

私は乳がん治療が始まって益々白くなっていった。
というか、顔色がすごく悪くなっていった。
ハゲだし、眉もまつ毛もないので
お絵かきの様な化粧をする。
最後にほほ紅。

これが、なかなか発色しない。
というか、ピンク色についても
白っぽい土色の肌になかなかのってくれないのだ。

普段の何倍使ったことか・・・。



当時の写真を見ても
わあ、もう二度と見たくない、というほど顔色が悪い。
当時に会った人は
「この人ってこんなに顔色の悪い人だったっけ?」と思ったらしい。
復帰しても1年くらいは、何となく血の気が無い感じで
とにかく紫外線にとても敏感になり
益々白くなってしまった。

そして、今は
やはり紫外線が痛いので、外に出る時間は最小。
通院に天神へ行くのが唯一の遠出だったり・・・。
まあ、知り合いのライブ等にも出かけてはいくけど
それは夜だから。

で、ちょっと体調を崩しているここ数日は
化粧が終わると
「げ・・・顔色悪い」という感じ。
それで、頬紅をばっちりつけて
ま、普通かな・・・。

頬紅なんて、若い頃はつけなくても平気だったけど
今は頬紅様様。

鏡に映る自分の顔が少し元気そうだと
何となく元気になったような気分になれる。
気分だけ。
色んなストレスで何とか耐えてきたものが
今、どっと出てるんだろうな、と思う。
そんなに一生沈んではいないのだから
頬紅ひとつで少し元気になれるのなら
毎日活躍してもらっておこう。

西日本新聞の朝刊

2013-08-26 13:02:17 | 日記
今日の西日本新聞の朝刊に
先日のライブ時の記事が載りました。
ライブ後の報告記事は
6年前???の朝日新聞以来の事。

記者の方の想いに感謝です。



とても良い記事で
何だか少し照れますが・・・同時に親に黙っていたこともばれました(笑)
たぶん、気付いていたと思うのですが。

私は自分の活動の絶頂期に乳がんが発覚しました。
まだ歌えるのに・・・
当時は無念感ばかりで、もう二度とステージに立てないとか思っていました。
何しろ、最初のハゲ体験ありの
体力も一気に無くなりの
その上に片乳はなくなりのですから
人生あれだけ落ち込んだ時はないと思います。
復帰が少し早かったため
ちょっと失敗しました。

歌えるのだけど
体力が戻っていないし
昔と同じように歌えるほど体は回復していなかったのに
気持ちだけが焦ってしまい
「元に戻れない自分」に苛立ち
まあ、同病の方が殆ど味わううつ病も体験。

よく、乳がんの方のブログを読みますが
やはり抜群に再発前の方が多く
「再発が恐い」とあります。

確かに再発しなければ、もしかして、ずっと生きられるかも、と。
そればかりを願っていたわけですが
再発してしまえば
ああ、残念。
でも、まあ、何とか少しずつ生き延びられたらいいんじゃないか、とか。

時々「病気にならなければ」とメソメソしたりしますが
涙腺のお掃除程度で
とにかく、生きている間に思い切り歌わねば!!
前向きのようですが、そう前向きではなく
攻撃的なだけです。

のんびり、ゆったり、というタイプではないですから。

今のところ
私と同じような人たちの平均的な余命というか
自分で調べた限りでは5年程度らしいのですが
今使っている薬も新薬だし
私はもう少し生きられるかも、と甘い考えではあります。

主治医に10年計画の私の仕事を話したら
「う~~ん・・・それに短中期的な計画も入れたらどうかな?」と言われたので
10年計画は練りなおして5年計画を取りあえず立てて
もし、それ以上に生きたら
オマケの企画をやっていこうか、と。

だって、何もなければ
私の今の声の状態では65歳を過ぎても歌っていられそうなんですもの。

いや、もちろん、これを維持するのは大変なんですよ。
呼吸法から発声法から色々。
2オクターブ半強という音域も維持するのは
生半可な努力ではないんですよ。
闘病もありますからね
結構練習時間の確保に気を遣います。

体力的にダメダメな時に歌いすぎてはダメ。
声をキープするのみで
今日は元気だぞ!という時にみっちり歌って
でも、声が疲れるほどやってはダメ。
まあ、色々あります。

別に乳がんを売りにしているシンガーではないですが
色んな病気と闘っている方
看病している方
そんな方々に、こんなに攻撃的な生き方もあるよ、と思っていただけたら、と思います。

雨の日とダル重・・・

2013-08-25 14:27:58 | 日記
雨の日と月曜日は、ではなく
ダル重です。
これは多分めまいと副作用とどちら供からやってきて
最近ダメダメになります。
久しぶりの雨で思い出すこととなりました。

その昔カーペンターズが歌ってヒットしました。



もちろんレパートリーで
弾き語りをしていてもリクエストの多い曲です。

雨の月曜日は何となく気持ちがブルーになるという歌ですが
今や、雨の日は肩と足がダル重になる。。。

自分でもあ~あ、な現実になってしまいましたが
それでも日常生活は送れるし
旅行もいけるし
何より歌える。
ライブだってできる。
CD録音もできる状態であることは有難い状態です。

鎖骨下に再発してから肺のリンパに再発転移するまで
さほど時間はかからず
この調子だと結構速いスピードでダメになるのか?と思いましたが
ここで少し止まってくれているような気がします。
(あくまで気がするだけですが)
主治医からは渋いことを言われましたが
おそらく、今では私は結構頑張れるんじゃないか?と
そう思っていらっしゃるのではないか・・・
(これもあくまで予想ですが)

でもですよ
このだるさ・・・辛いっす。
肩に鉛が貼ってあるような感じがして
腰から下
注射した所から下ですが
これまた鉛を付けて歩くような感じで
体重も重いのですが
そういう感じではなく
台所仕事をしている最中でも座り込むくらいだるくなります。

それでも、まだ、だいぶましなのよね。

これから使う薬がどういう薬なのかはわからないけれど
色々調べると
今使っているフェソロデックスは副作用の少ない薬なので
これから変わる時を思うとドンと気持ちは落ちます。

ま、その時に落ち込むことにして。

こんな雨の日に、息子は引っ越しです。
来年二人目が出来るので
うちの近くに、少し広い所に引っ越してきます。

孫は可愛いが
抱き上げることが出来ないので
どうしても、世話が出来ません。
男の子って乱暴な事が好きだし
あんまりこじんまり育ててもダメですからね。
嫁にはゴメンね。

さて、これから家族が集まるので、夕食の準備をしなくては!!

ツクツクオ~シ

2013-08-23 18:52:12 | 日記
こんなに暑いのに
昔から変わらず、この時期になると鳴きだす。
やっぱり夏休みの宿題をやれ!って
そう言ってるみたいな気がする。
夏の宿題は弾き語りバラード集でしたね。
完全に遅れています。

いつでもやれるという気安さから
何だか延び延び・・・。

さて、昨日は頑張って
「野菜不足な食卓」を改善すべく
あれこれ作りました。



そして、今日はばてております。

眩暈の前兆みたいな感じで
フワフワとしています。
肩を触るとガチガチに固まっていて
ああ、これはダメだわ。

眩暈を起こしてしまうと
気持ちが悪くて、どうしようもないので
何とかフワフワ、視野の端がちょっとユラって所で止めておきたいもの。
眩暈の薬を飲んでずっと寝てました。

何だかなぁ~
元気なんだけど
頑張った翌日はダウンするという感じです。

それで、皆さんが出かけているツアーもですね
こんな状態では自信が無く
また、お腹具合も良くないので
サービスエリアごとに止まって頂かなくては・・・とか
やっぱり無理よね。です。

こんな風になるのだったら
もっと若いうちにライブ中心の活動して
ツアーとかに行くんだったなぁ。
遅いんだけどね。
その頃には美味しい演奏の仕事がいっぱいあったから
なかなかそういう風に変えられなかったのよね。

咳もなかなか止まらなくなったし
薬の効用が切れて来てるのかなぁ?
まだ、もう少しこの薬で頑張りたい所なんだけど。

上手くいかないもんよね。