JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

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尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

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2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

怒涛の日々の中

2014-10-27 09:11:28 | 日記
毎日毎日、父は色々文句が出るものだ。
おそらく、認知症になってきているのだろう。
そして、母と二人で毎晩、私を怒鳴りつける。
ああ、こんな生活嫌だ。

「どうしてお前は優しい言葉だけ言えないのか」
ってそれは私が色んな事を実際世話しているわけで
私の仕事時間もじゃんじゃん電話してくるくせに
何を言っているんだ・・・という状況。

果ては「仕事などしなくていいんだ!お父さんたちのことが一番優先だ!」
そう、私の治療のことも何もかも捨てて介護せよと
そんなわけには本当は行かないんだよ。

私は別に頼まれても居ないのに動いているわけではない。
不動産にしても、どこか良い買い手が見つかるように
私の知り合いに色々調べてもらっている。
だけど、売るのは父なのだから、その人を連れて紹介しなくてはいけない。
「買ってくれる相手を見つけて連れてくればいいんだ!」
というけれど、そんな簡単な問題では無いのよね。
だって、私の持ち物ではないのだから
所有者に直接依頼されなくては、不動産屋さんも動けない。
これは金融機関でも一緒。
父は「自分が死んだらお父さんの口座から勝手に出金すればいい」
というが、カードもないから、そんなことは出来ない。
多額の振込等も本人が来なくては出来ない。
ましてや、「死亡しましたので」と言おうものなら
口座は凍結され、全てが相続の対象になるのだ。

父の頭は何十年も前で止まっている。
通帳に私が月々送金していることも知らないだろう。
銀行は親切で電話対応で残高を教えてくれているが
これは特別待遇なのだ。

この2ヶ月で相当認知症も進んでいる。
きっと、わからなくなるのだろう。
両親とも認知症になった場合
私は成人後見人制度を利用しようと思っているが
この時も、またモメるだろう。

「お前が金を搾取しようとしている」
「魂胆があって世話をしているのじゃないか」

悲しい人だ。
私は両親に対する色々な思いを耐えながら世話をしている。
少しでも安心できる生活に
長生きしてよかったと思える日があるように、と
あれこれ考えているのだ。
遺産を私にやりたくないなら、それでいい。
私は何も魂胆を持たないし、そんなに残された時間が長いわけではない。

毎日いやというほど電話で怒鳴られる。

気が変になりそうだ。

ライブの準備は何とか夜なべ仕事で頑張っているが
毎日「生きていたくない」と思う。

和子は優しかったという。
姉はこの渦中には居ないから。
そんなことで比べられても立つ瀬がない。
私に一切何もして要らないなら
今度入る施設のことも自分で準備ができるのか?
私が色々探して見つけてきたところだ。
そんなに調べあげて見つけることが出来たというのか?

死んでしまいたい。

いい加減、ライブのことに集中させてくれ

2014-10-23 00:39:27 | 日記
まだまだ介護問題は深刻。

父は呪文のように
「治療よりも親の面倒だろう」と言い続ける。

こうなると薬も喉を通らない。
実際、今度の薬の副作用は軽いのかもしれないが
それはそれで副作用はある。
こんな状態で副作用と付き合っていけるのか?
多分出来ない。
私の精神はそこまで強くはない。

そして、私の誕生日に父は私を罵倒した。

私の存在を根本的に否定した。

そして、この毎日かかってくる電話は自分はかけていない、と。
貴方以外の誰がかけてきて
誰が施設の紹介を頼んだのだ?
いろいろ調べたのは、父の頼みがあったからではないか。
お節介もたいがいにしろ
お前なんかの言うことは聞きたくもない
お前の力を借りずとも二人で生きて行ける
お前なんか何の力もないくせに
いっその事死んでくれたほうが良かった

などなど。

自分の誕生日に聞きたくなかった。

もう死んでしまいたいくらいに落ち込んだ。
この数ヶ月
誰のために寝不足になり
体調も壊し
時間の工面もしながら実家へ通い
また、父の日に10回にも及ぶ愚痴の電話に付き合ったのか。

そして、大事な話があると言って呼び出し
私は通院も断り実家へ行く。
叔父がフォローしてくれたのに
「親が子供になんか謝ることなどない」
「親は子供を好きにしていいんだ」

私の心なんて
私の命なんてどうでもいいんだ。

いや、生まれてほしくない子供だったからそうなんだろうけれど
ああ、その為に雑巾のように使うわけね。

和子はもう死んでしまったから可哀想。
カス子より長生きしている妹は
もともと要らない子だったし
それが和子より長生きしているのだから
親のために命を短くしたっていいんじゃないか。

そういうことね。

結局、私が一生懸命さがした施設に入ることになりそうだが
それも、自分が見つけたとか
叔父が見つけてくれたとか

私が見つけてきたんだよ。

今更親の愛情などは期待しないけれど

私はもう、音楽しかない。

夫や娘、息子は誕生日にそんな言葉を浴びせられた母親を
本当に気遣ってくれていて
私はこの家族のために生きなくてはいけないのだけれど
毎日毎日繰り返される
「治療はやめろ」の言葉に
段々、治療は辞めるべきなのかも、と思ってしまう。

とりあえず、薬は2週間で2錠しか飲めていない。。。
これでは悪変を招くよね。
でも、全部捨てていないだけマシかも。

子供が死んでも、平気な親もいるんだよ。

老人の積木くずし

2014-10-12 08:44:34 | 日記
積んでは壊し
積んでは壊し
もう、取り返しがつかないほど壊れているのに
父は私が組み上げた積み木を壊し続ける。

父のやっていることは彼の我儘だ。

この2週間「施設を探してくれ」と言われて
あれこれ調べて父に提案したが
昨日、「余計なことをした」と言われてしまった。

夜中しか自分の仕事をする時間を取れない。

何?
今年に入ってから何回となくこの調子。
「助けてくれ」と朝だろうが夜だろうが電話をしてきて
駆けつけると、相変わらずの様子で
父の疲れたという愚痴なのである。

だから言ったではないか
母は認知症だから、早期の時期には専門医にかかれ
そして、薬を飲ませろ、と。
長い人生にとってはほんの少し良くなっただけかもしれないが
色んな手立てを考える時間稼ぎにはなったのだ。

そして日々重症になることは見えていたのに
専門医のいうことは聞かない、信じない。
自分の若い時の知識でしか診断をしない。
その度に色々その道の信頼できる医師を紹介していたダ~リンは
「お前の言うことなんか信用ならん」と罵倒される。
それでも、こらえてね、とずっと面倒を見ていたじゃないか。

施設を真剣に検索しだしてから
父は「そんな牢獄に入れるつもりか!」と私をなじった。
そうではない。
私はおそらく長生きするであろう両親を看取ることは難しいだろうから
その為に一生暮らせるような施設を探していたのだ。

サービスはタダではない。
手厚いサービスを受けようと思うと対価はそれ相応にかかる。
それでも、もう私に財産を残してもその時の存命しないのだから
自分たちで使ってしまって
葬式代くらい残って
親族皆でハワイ旅行できるくらいのお金は残るであろう、と。
それくらいの綿密な計算をしたのに。
私はそういう計算に抜かりはないのに。
何故、たったひとり残った娘を信用出来ない?

母の世話をすることに関して
私は自分の中で決着の付かない問題を抱えている。
父にしてもそうだ。

それを飲み込んで両親の世話をするのはそれだけでストレスになっている。
この状態で、ベストの所を選ぼうと
今年になってどれだけ奔走したと思っているのか。

色々こうしては?
と提案する度にある時はその話に乗った体で
急がずに、見学をしようと予約等をとる。
その間にここに入るとしたら、どれくらいのお金が必要かはじき出す
どうせ家を売るのだから、良いではないか、と言い
家を売ったら十分な資金も出来るではないか、と何度も説得した。
私の計算では父も母も105歳まで生きるという設定なのだ。

ちゃんとプリントして
資料と一緒に何度渡しただろう。

全て、この2週間に捨てられた。

私の意見の何が気に喰わないのか?
見学にも行かないで、何が不満なのか?
「月5万くらいでないのか?」
あるだろう。
だけど、風呂もトイレも自室にはない。
4畳半くらいの部屋ならあるだろう。
何故だと怒り狂う。
今は学生の一人暮らし用マンションだって5万位は十分する。
それにサービスが付いたら倍以上になるのは当たり前ではないか。
エレベーターを取り付けるのにも何千万もかかるのだ。
手厚いサービスは「ただ」ではない!

提案をする
1時間後に「それに決めた」と
2時間後に「全部白紙撤回だ」
3時間後に「お母さんが興味を示したからやっぱり見に行く」
4時間後に「そんな所ではやっぱりダメだと思う」
5時間後に「余計なことをしないでくれ」
そして、翌日には「一切の交流を断る」と手紙が来る。

そして、その2日後に「助けてくれ」と電話が来る。

1日に10回程度電話がなる。
私は音楽の仕事が出来ないではないか。
疲れてでなければ、他の人に電話をかけまくる。

何時でもお構い無しだ。

叔父や姪にまで夜中に電話をかけているらしい。
「お父さんは起きているんだ!」
そう、貴方は起きているだろうが
皆は疲れて寝ている時間なのよ。

1日、電話に出なかっただけで
色んな人に電話をかけまくったので
これ以上、皆さんに迷惑をかけられない。
私がかぶるしか無い。

きっとストレスで、あまり病状にはよく作用しないであろう。
私はもしかしたら、死ぬまでに自分の作品を作り上げることが出来ないかもしれない。
命の時間が急ぎ足になるかもしれない。
だけど、私はあなた達を道端に捨てたりはしない。
私の気持ちがどうであろうと
私の悲しい決意が両親にはとうてい理解できないだろう。

積んでは壊し
積んでは壊し
もう、取り返しがつかないほど壊れているのに
父は私が組み上げた積み木を壊し続ける。

やっぱり音楽しか無いんだ・・・

2014-10-07 13:33:30 | 日記
昨日は昼過ぎから「昨日言ってたじゃない!」と
いつものことだが
父は前言を撤回して(全部じゃないけれど)
もう少し様子を見るだの
ケアマネさんからは「弱気になって施設に入りたいそうですが、お嬢さんが忙しいから進まないとか仰っていました」なんて言われて
え?私は私で色々進めているけど?
何?その話?
一体父は何をやっているのだろう。。。

父が「風邪でしんどいから月曜から動きたくない」と言ったのに
私は熱もあるが、仕事はしているし
バリバリバリバリ色んな事を進めているよ。

母はまた頓珍漢な電話をして来た。
「おじいちゃまが家にいて、お父様は出て行った」だと。
そう母は自分の父親を一番信頼していた。
そして、祖父も普通そんなことは許されんだろう、という
明らかに100%母に否があることも父が悪いからだと
呼びつけては父を非難していたくらいだから
慕うのも仕方なかろうけれど。

そういった意味で、祖母は「ダメなものはダメ」な主義だから
母にとって甘えられない親だったのかもしれない。

父は母に惚れ腐っている。
一般的にそれは夫婦としては良いことだが
それは通常の神経であれば、というものだ。
どんなことがあっても、子供を犠牲にすることはあっても母を犠牲にしない。
どんなに理不尽であっても。
姉はそれで何度か勘当になり、実家に出入り禁止になっていたこともある。

そして、今は
「玲子しか子供は居なくなったのだから、君しか頼れないんだ」と
そうだろう。そんな事はもっと前から判ってる。
私しか居ないから、私はとても頑張っているのに
それをずっと否定していたじゃないか。
私の家族の存在をずっと否定してきたではないか。
私はそれに対して平気だったとでも思うのだろうか?

もう、疲弊してしまって
昨日はどーでもいいや。死んでしまってもいいや。
位な心境だったので
案の定、眠れなくて、ずっとピアノを弾いていた。

弾く、というより感情をぶつけていた。

はて、と思いついたフレーズ。

結局、朝までかかって1曲作り上げた。

まだ、日本語の歌詞しかついていない。
別の物語にはなるけれど、英語の歌詞もところどころ思いついたから
英語の歌詞バージョンも出来るかも。

こんな時にでも、私は作曲して歌う心境になるんだ・・・
呆れてしまう。
色んなフレーズやリズムや・・・コードはこっちがいいな、とか。
そんなに冷静に作れる自分。
本当に呆れてしまったけれど
これが私なんだ、と思う。

ずっと音楽の中で生きていたから
「本当の言葉」はすべて音楽だったから
こんなに疲れきっていても頭の中に美しいメロディが浮かぶのかな。

久々の徹夜でちょっとボーっとしているが
ANIME-JAZZのアレンジと楽譜作成の間で
曲を作るという作業が新鮮だった。
ライブが終わったら、ちゃんと仕上げよう。



ひらひらと
ひと片の 花弁が舞うよ
あれは、そう
いつかの夢の花だね

風のまま
きらきらと 月灯り浴びて
綺麗だね
二度と枝に咲かずとも

君の愛が欲しいと
泣きじゃくり
しゃがみ込み
欲しい、欲しい、欲しい、欲しい・・・と
地団駄踏んだ。

ポロポロと落ちてゆく
叶わぬ心よ
涙はね
いつでも側に居るから

困った親たち

2014-10-05 19:38:31 | 日記
あれほど言ったじゃないか!なことが1ヶ月経たぬ内に起きて
その度に私は振り回されて
ヘトヘトに疲れてしまう。

老いるというのは子供に帰ることではない。
大人のまま脳が退化していくのであって
子供のように純真だったりはしない。
とても嫌なことがたくさん起こる。
それが介護につきまとう心労になる
このまま私一人で抱えてやっていけるのだろうか?

父の入浴中に母から電話がかかる。
訳のわからないことを言っている・・・・のだが
その中に過去の真実がある。

「私の恋人が来るから」
「私は貴方を産みたいと思ったことはない」
「貴方の父親はお父さんじゃない」
「貴方なんか幸せになんかならないから」
「和子(姉)だけが望んだ子供だったのよ」
「貴方をずっと呪ってやる」

もう・・・
毎日毎日、よく色々思いついてくれるものだ。
というか、ほぼ真実で
それを脳が働く間に私に伝えたかったのかもしれないが
そんな言葉を聞いて、飲み込んだまま
彼女の介護は心境的にとても難しい。

私は心がせまいのかもしれない。
だけどどうしても許せない過去もある。

こんな気持で親の世話をしていたら
きっと、また自分を追い込んでしまう。

すでに鬱になりかけているし
音楽のこと以外、何も出来ないし
何を言われても虚ろだ。

主治医は「介護問題で治療を辞めた人は居ない!」と言ったが
おそらく、再発転移していない人の中にはたくさんいるだろう。
私は再発転移しているから、立場が違うし
今治療をやめるのは大変危険だということは判っているが
何だか長生きしなくてもいいや、と。
いや、もう少し生きてやりたい事などはあったりするけれど
そんな事がとても虚しく感じてしまう。
合法的な自殺願望なのかな?

両親はどこかで感知している。
私が過去の問題で親の介護に不安を抱いていること。
私は親を許していないこと。
それらが親子であっても許されることではなかったこと。

姉がいたら・・・
寝付きの悪い夜が増えて
姉との会話を思い出す。
喧嘩もしたし、大人になってからは「そんなの最低!」なんて
お互いを非難したこともある。
だけど、私達は親の問題で困ったときには
肩を寄せあって
「嵐はいつか過ぎるものなんだよ」と
ずっと慰め合い、支えあってきた。

小さい頃からそうだったのだ。

父はすっかり忘れているけれど
母は自分の我儘が通らないとすぐにヒステリーを起こした。
とても生みの親とは思えないような汚い言葉で罵り
傷ができるほど殴り、蹴り、叩いた。
そして、子供の行事に参加したことは殆ど無い。

私の小、中学校の入園卒園式には祖母が一緒に写っている。
姉は「玲子、ママに来てって言おうよ」と
姉からも頼んだのだが
私の行事には来なかった。
母の中には「望まない子供」の行事など忘れ去りたいことであったろう。

それでも、子だから
老いた親の面倒を見なくては、と思う。
親を思って、というよりも
他人にご迷惑がかからないように
私の代までで、こんなことは終わらせてしまいたいから。

父は私の心情を解らない。
私がどんな悲しい決意をしたのか
彼の心には届かない。

不安そうな幼い私に「大丈夫だよ」と姉が寄り添っている。
これは地獄巡りの時



姉は天国から私をどう見ているだろうか。
本当に容量の悪い子だ、と
また呆れているのかもしれない。