JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

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「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

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2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

いよいよ、明日がライブです。

2017-04-14 11:50:18 | 日記
5ヶ月ぶりのライブとなりましたが
まあ、最近はだいたい12月ごろに体調が下り坂になるので
桜の季節に復帰という感じです。

さて、今回のテーマは「blue Prelude」
これは中学生の頃
ニーナ・シモンの歌で感動しました。

彼女のこの歌はとても沈鬱な
とても悲しい重苦しいものでした。
当時のレコード等には訳詞も書いてあって
それを読みながら
そうか、別れる前の嫌な雰囲気の
そんな歌なんだな、と思ったのを覚えています。

家庭の事情をばらして良いのか?と言われそうですが
もう、時効というか
それでも一応、一緒にいるのだし
母は認知症だし
ま、いいか。。。。と。

当時、私の両親は離婚問題を抱えていました。

毎日、冷戦というのか
口もきかない
食事も一緒の取らない
寝室も別
とにかく、家族一緒に何かがあるという状態は全くなく
私たちが暇そうにしていれば
父か母が子供部屋へやってきて
学業に障りはないという話や
この家でずっと暮らしていい話や
どちらについてくるのかと言う話をしていた。

そもそも、何故そういう問題が起きたのかは
事情が複雑で公表は控えたい。
夫婦の間で本当はじっくり話し合うべき話で
両親の親や、他人を巻き込んだので
大変複雑になってしまった事だった。

数年そんなことが続いただろうか。

私と姉はいつも
どちらがどちらについていくかを話し合っていた。
離れて暮らすことになるけど
私たちはたった二人の姉妹なのだから
いつも連絡を取り合おう」。
出来れば、2週に一度はちゃんと会おう。
問題があればすぐに連絡しよう、などなど。

ただでさえ情緒不安定な年ごろなのに
そんなんだから
ニーナ・シモンの歌がジーンと心にしみていたのかもしれない。

両親は姉の大学合格と同時期に元のさやに納まり
何事もなかったかのような
それまでの数年間は何だったのか、という生活に戻った。

思い返してみると
もし、明るい、健康的な家庭環境だったら
私はニーナ・シモンを毎晩毎晩聞くことなく
色んな詩を毎日何篇も書くことなく
ジャズに傾倒することなく
普通に明るめの作曲をする
普通の(作詞作曲をすること自体そう普通じゃないけど)中学生だったかもしれない。

20歳前半までの頃を思い返して
今回のライブの選曲をしたのだが
本当に年に似つかわしない曲が多くて
(いや、ある意味似つかわしい。
だって、尖がっていたい年齢だから
背伸びしたい年齢だから
大人びた感情が善しと信じていた年齢だから)
うーん、これはどうだろう、と自分でも悩んだ。

今なら、こう歌うよ、という
この年齢になって、新たに挑戦する昔のレパートリー。

多少、ステージ用に編曲もしているが
そういうナンバーを
今回はお楽しみいただきたい。

皆さん、是非、いらしてくださいね。


取材する側される側

2017-04-09 00:32:45 | 日記
先日、路上で息子がテレビ局の人に声をかけられた。
とても軽いコーナーの取材だった。
そこで、私と息子のLINEのやり取りを見て
「そのお母さんを呼ぼう」という軽いノリで
結局、私がジャズシンガーであることや
乳がん闘病中であることや
今度ライブが近々あることや
2時間以上取材され、詳細情報を送ってくれというので、
それもいろいろ送ったのだが
私たちのところはボツになった。

ところが、6日に急に取材をしたいという連絡が入り
ライブ前ではあるし
私は皆さんに知ってもらって、お客様でライブにいらしていただき
ファンになっていただきたく、という職業で
メディアの取材はだいたいウェルカムだ。

今回のライブは少し地味な企画なので
集客に大変苦戦しているし
どうぞ、どうぞ、ではあったのだ。

しかし、全く予習なしというのは初めてだった。

色んな話をして、私がどういう経歴で、どういう人生を歩いているのか
今の状況も説明したり
その中で翌日乳腺外科の検査と診察がある、という話をしたら
「取材したい」と。
まあ、そう言うだろうと思ったけど、昨日の今日はさすがに無理なんじゃないかと
いろいろ知恵を出しつつ、病院との交渉。

病院側も取材は大いに結構なのだが、こんな急にはOKできないし
まず、待合室風景は撮れないというのが常識なのだが
何となく人がいる的な撮り方なら、とは思っていただろうと思う。
例えば、ライブ会場だったり、イベント会場だったりで
大勢の人たちを撮影する気持ちでいると大間違いだったりする。
患者は微妙なのだ。
中には自分が病気であることを隠している人もいるし
心中穏やかではないところを撮られるのは嫌だろう。
特に、99%が女性という待合で
カメラが回るというのは、思いやりに欠くところとなる。

「患者さんが全員いなくなってからか、診察室の中でしか撮影できないかも」
という話はしたものの
基本的に、先生に許可を取っていないし
先生がOKだったら、その次に病院に交渉という
そんな順番が守れないこの時間の無さ。

思い付きで取材するのか?

と思わず突っ込みたくなった。
まあ、最近の人たちのやることなので、なんとも・・・・

しかも、取材される側なので
そうそう意見も言えない。

あと、ライブも取材したいというので
局の人は当然取材できるだろうと思っていただろうが
私はメンバーに連絡し、お店にも連絡し、了解を得た。
途中でこんな事まで私がやる必要はないかも、と思ったが
きっと、あの軽いノリでは、そこまで気が付かないかも、と。
練習したい気持ちはあったが
時間も相当取られたし疲れてしまって
楽譜の訂正もできずに寝てしまった。

そこまでして、検査、診察日に臨んだが
やはり、昨日の今日で、病院側も「来週にできないのか?」と。
当然であろう。
主治医の先生には検査の前にお会いして色々話して
やはり、あまりに急だから対応できないけど
別の日ならOKという了解は得ていた。

検査を待ちながら、考えたのは
ここまで、私が動く必要があったのかな?
だいたい先方の予習不足だし

検査結果を聞く前に担当者と待ち合わせで時間があったので
私はちょっと局の人に意見をした。
あまりに取材時間が短いし、準備が出来ていない。
これで、何を伝えたいのだろうか?等々。

聞くと、普通1日くらいの取材で7日後くらいに7分以内の映像で放映
というのが番組の方針だというのだ。
そんな事で私の取材はできないというのは
病院側の対応や、私との会話で何となく伝わって
ほどなく
「じゃあ、今回のお話はなかったということで」
と、またしても、取材はボツとなった。

このテレビ局とは相性が悪いらしく
以前にも取材を受けたのだが
なんだか急に撤収という感じで

え?
あなた方が取材したいって言ったのに
後ろ足で砂をかけられたみたいな感じで
私が悪かったの?
みたいな。
そんな後味の悪いことが過去にあった。

まあ、私がおばさんだから。

そんな感じだった。
(代わりにというか、そのすぐ後にテレビに取材されて放映されたのは
若くて、人気のある歌を始めたばかりのシンガー見習いだった)

重い人生を背負っている人は取材対象にならない。
そんな言葉が聞こえてきそうな出来事だった。

他局の取材は3回ほど受けた

私がどういう状況で、どういう経歴なのか
あらかじめ、ちゃんと予習をして取材に来ていたので
色々、病院へ行かねばならないことや
時にはちょっと精神的に参ってしまうことや
体力がそこまでない時もあるとか
いろいろ理解してくれる記者の人がいた。

病院や先生方やお店いもいろいろ配慮していただいた。

新聞の取材も色々受けたが
2人ほど、ちょっと違うんじゃないかな?という記者の人がいたが
フォローの人が代わりに取材を引き継いだりで
今まで、実際に取材を受けた人たちとは
その後もとても親しくお付き合いをしている。

以前にフリーの記者もどきの人から取材の申し込みがあったが
大変失礼な話で
「可哀そうながん患者」のストーリーではないという事で
申し込んでおきながら、向こうから蹴ってくるという
ああ、最近はそんな感じの人が多いんだな、と思われることがあった。

今回も、なんだそれに近いかも。

今回のテレビ局の人は
自分たちの局は情報番組しか持っていなくて
報道番組ではないので、と。
情報って楽しげな情報しかいらないんだな。
がん検診しましょうとか
こんなクリニックがあって、きれいなところで乳がん検診できますよとか
おしゃれに闘病もできますよ的な
そういう情報しか、一般的にはいらないのだな、と実感。

「10年も長生きしてるじゃないですか」

そう言われたが、私はまだ58歳だ。長生きしているのか?
乳がんは闘病期間が長くて、10年以上闘病している人はざらにいる。
10年生きたけど、脳転移まで来てしまったから
さて、還暦まで頑張れるのか。いつまで闘えるか疑問だし歌える期間はもっと短いだろう。
10年間だって、色んな時期があったのだ。

私は多分、見かけよりずっとずっと真面目なのだと思う。
固いというか・・・。
だけど、平たく報道されがちながん患者。がん治療。また、歌い手としての人生。
実情を理解していただけるよい機会だと思うから取材はOKしている。
今はがんが進行しても、いろんな治療があること
そして、それは患者主体で患者が治療を選べるし、期日も選べる。
痛みや吐き気や色んな副作用も軽減する薬がたくさんあり
まあまあ普通に生活しながら長く闘病できる。
緩和ケアも早くからちゃんと受けていれば
死ぬまで、ずっと先生方が見守って、痛みもなく安らかな死を迎えることができる。
そういう医療の中で
私は自分の人生を自分らしく終えたいと思っている。
バリバリとソウルフルに歌う歌手としての人生を。
(歌手だけではなく、アレンジャーとしても?
総合的にミュージシャンとしてというべきだろうか?)

面白くない人生なんだろうか?

取材される側だったのに
自分の人生を否定された気分になった出来事だった。

そんな事がありましたが
ますます、今回の渋い企画、希少価値があると思います。
ステージとして地味すぎるので
ちょっと曲目を変えましたが
多分、こういう曲を一気に聞ける機会はないと思います。
みなさん、来週の土曜日、是非いらしてくださいね。


Knockin' On Heaven's Door

2017-04-02 17:29:20 | 日記
今度のライブでは新たな曲を入れないつもりでいたが
やはり、なんとなく
今、この歌を歌わないと歌わないんじゃないか、と。

ボブ・ディランの名曲
Knockin' Heaven's Doorを
少し遅めというか
私らしいテンポで、リズムでお届けします。

ノーベル平和賞をとったボブ・ディランですが
彼は最初、アイドル的な売り方をしようと思われていたんです。
きれいな顔をしているじゃないですか。
私が中高生の時かな?
音楽系の雑誌で、彼の写真が出ていたのを見て
「かっこいい!」と思いました。

その後、彼は自身の世界を築いていくわけですが
彼の理想とするものがとても美しい。
そして、現実はなんて汚れているんだ、と思わせます。
中学時代、英語の勉強もかねて(兼ねていたのか???)
ピーター、ポール&マリーの歌をコピーしていました。
大学生に交じって英語を教わりながら歌っていたころがありました。

色んな人が「なんでニーナ・シモンとフォークソングが同居できるの?」
と聞いてきましたが
ニーナも人権運動をしていましたからね。

人間、考えることはそんなに相違はないわけですよ。

近年、銃による犯罪が起こると
テレビでこの曲が流れることが多く
アヴィレル・ラビーンという若い歌手が歌って若い人にも知られるところとなり
クラプトンもカバーしていたことも有名で
昔の曲だけど、最近よく耳にするようになりました。

だけど、この曲はビリー・ザ・キッドの歌なんだということを
若い人で知らない人は多いのです。

娘にあの歌はビリー・ザ・キッドの歌なんだよね、というと
ビリー・ザ・キッドって何?と聞かれ、びっくりしました。
若い人たちは知らないんだ・・・・・。
そうか、映画もウェスタンとかないものね。
カウボーイとか、ガンマンとかが活躍している映画とか見ないし
そんな時代があったという知識はあっても
身近な知識ではないものね。

で、それで、あの歌詞が通じるのか?

私たちの年代にとっては
あれはキッドを追い続けたシェリフの最期の歌で
ほろっとするところが満載なのだけど
若い人たちは戦争に巻き込まれる子供たち
特に少年兵などの映像を重ねたり
銃犯罪に巻き込まれた子供たちを重ねたり
そういう解釈をしているんだ・・・。

歌は時代に受け継がれていくし
時代背景で色んな訴え方ができる。
この歌はそういう歌なんだな。
やはり、ボブ・ディランは素晴らしい。
こんなに多くの世代の人たちを感動させているのだから。

そんな恐れ多い曲を
今回歌おうと思っているのです。

何故か?

自分の人生がどうも、近々終わるのではないかと思うから。
近々というのは年単位だけど
5年は生きられないんじゃないかと
ちょっと弱気になってきているわけです。
だんだん、調子の悪い日が増えてきて
体力は落ちていくばかりで
こうやって、徐々に死んでいくのかなぁと
ベッドに横たわって、そんなことを考える事も多くなりました。
もうすぐ天国のドアをノックするんだろうな。

今、やはり、この曲を。

そんなことを思って、今回歌うことにしました。

4月15日、お待ちしています!