最近は願い事などしてない・・・
あ、そう言えば、私のソングライターとしてのデビューシングルは
稲葉喜美子さんの「願い事 公園にて」でした。
まあ、この曲に関しても業界の色んなお話がありますが
興味のある方は私とあった時に聞いて下さい。
きっとあの曲を作った頃は色んな「願い事」があったと思います。
「指切りしてよね
約束してよね
指切りしてよね
約束してよね
嘘をついたなら針千本飲ます
私 忘れたら 針千本」
というサビからの詞は私が作ったのですが
約束を信じたい気持ちとか
自分を忘れてほしくない気持ちとか
私の希望とか夢とか何だったのか、忘れてほしくない人たちがいたのだと思います。
思います、というのは当時の心境そのものにはもうなれないので
おそらくそんな思いがあったのかなぁ。
新婚当初というか
上の子供が生まれた頃
ダ~リンに「ほしい!」と言っていて
買ってくれたものがあります。
本真珠で涙型のもの、というのはなかなかなく
淡水真珠ならいくらでも安くゲットできるのですが・・・
これは本当に綺麗だったので
「いつか、プレゼントしてね!」と。
その他、七夕でゲットしてものは
白いサングラス、白いサンダル
まあ、暑い時期ですからね。
他愛のないものばかりで
とても思い入れがあったのは上のイヤリングだけです。
今は何を願うのか・・・?
難しい。
物は買えば良いだけ。
でも、買いたいもの、といってさほどあるわけではない。
さほど、というか、全然ないかも。
日用品以外は。
音楽にかける時間はほしいかも。
父と母のお守りにかける時間が多いから。
だって、毎日5回くらい電話で30分以上、同じ話ばかり
起きている時間の2時間半も付き合わされ
「もうさっき聞いた」ということの繰り返しなので
こっちもイライラするし、疲れるし
行けが行くで3時間以上は拘束されるし
なんとも言えない疲れで何もしたくない状況になるし。
「和子(姉)は君の歳で死んだんだからな。
君もああいうふうに死ななくてはいけない。」
というのが最近の父の口癖。
じゃあ、願い事に「早く死にたい」と書こうか?
なんて過激な思考になってしまう。
「和子はがんの治療もせずに死んだ」ともいう。
それは既に末期でどうしようもなく
ただ、痛みを取るために夏みかんくらいの大きさにまでなった卵巣は取ったじゃないか。
私が治療していることがダメだとでもいいたいのだろうか。
もう、何も願いたくないし、何も希望を持ちたくなくなってしまう。
そして「お母さんは尿管がんだけど今は何も治療していないんだ」
それは初期で見つけたし、初発が75才だから
私とは事情が違う。
私が無駄な治療をしているとか言いたいのだろうか。
これも老いなのだと、私にしてはすごく冷静に
そして、「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせて両親と話をするが
彼らの元来のネガティブな思考が増長されて
もう、私には有害な思想のようになっている。
願うのは「今日も一日穏便に過ごせますように」
ちょっと前までは
医療が進んで、私に合う薬ができて、もう少し長生き出来たらいいな、と
そんなことでも思っていたのだが
最近はあまりそういうことも思わない。
自分が計画している最低限の仕事を終えたら
死んでもいいかな、と思っている。
それでも5年近くかかるので(本当はもう少し早く進むはずだったけど、介護問題で時間が取れない)
それまでは多分大丈夫だと思うけれど。
まあ、父のネガティブな言葉で
「今、治療を休止したら・・また再開するけれど、1年とか2年とか介護問題が落ち着くまで治療をやめたらどうなる?」
と主治医に訊いてみた。
答えは初めからわかっているようなものだったけど
「それは絶対ダメだね。何が一番大切なのかよく考えなくちゃ。
今、とても治療がうまくいっている状態なんだから。」
まあ、そうなんだけど。
家族は「何考えてるの!お母さん!ばかじゃないの!」だろうし
そう、本当は私も自分の命を大切にしたい。
だけど、最近は1週間に2度くらいは
「きっと私が生きることを両親は望んでいないのだ」と思ってしまう。
疲れているんだ。
きっと、精神的に参っているんだと思う。
七夕ライブが近づいて
今、自分が何を願うのかを考える。
何を願えばいいのかわからない。
こんなところで人生の迷子?
何やってんだ!
しっかりしろよ!