JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

またさぼっておりますが

2016-05-31 17:43:21 | 日記
色々忙しく、ブログ更新をさぼっております。

ANIME JAZZのアレンジ作業が忙しいのと
何だか少し体調が不安定で
どう表現したものか、と。

それと、最近色々メールを頂きます。

嫌なメールではありません。
同じ状況の人というか
乳がん関係ではなくて。

闘病して数年間は乳がん関係の人からよくメールをいただきました。
だいたい、掲示板など見ていても
乳がんで再発していない期間の方が
何だか不安で、いつか自分は死ぬんだとか
そういう気持ちにすぐになってしまって
とてもナーバスなのですが
9年もすれば
というか、再発した時から
一生闘病なのだと思うと
どれだけ乳がんと長くお付き合いできるかで寿命が決まるわけで
何だか、焦りが消えましたが。
おそらく、そういう「生ぬるい感じ」が
乳がんでバリバリ闘病して、バリバリ勉強して、という
再発前の方々には受け入れられないのだろうか、とか。

まあ、そんな感じですかね。

そして、最近は「毒親」関係と申しましょうか。

要するに虐待経験のある方からメールを頂きます。

中には虐待された過去を持つ人たちの集まりをしたいとか
そういう方もいらっしゃいますが
私は参加者は少ないのでは、と申し上げました。

私を含めてですが
ブログで虐待経験を綴っている人は結構います。
しかし、美味しいもののブログとか、楽しげなブログに比べると
とてもとても少ない。
探し回らないと虐待された過去を持つ人のブログは見つかりません。

多くは「その後親子関係は修復した」というもの。
親子関係が修復できないまま、親が年老いて
私のように介護状態になった人は
色んな思いに決着のつかないまま
当然のように親の世話をしなくてはいけない
そして、自分の精神を病んでいくという。。。

こういう状態のブログは数があまりないので
おそらく、参考にされる方が多いのかと思います。

というか、数少ない同類を私たちは求めていたりするのです。

愛されなかったから、愛し方がわからない
そういう根本的な所から
一歩も先に進めない私たちですが
私は何とか親と全く関係のない「音楽」という世界があり
その世界にいる時は完全に親と離れて
何とか普通に生きていけるわけです。
そして、そこから何とか自分の人生を考えられるわけです。

しかし、そういう私でも親からの電話で
たったの一言でずるっと暗い世界に引き込まれて
抗うつ剤のお世話になる。。。

こんな状態の心情を分かち合えるのは
やはり同じような経験をした人で
やっと「自分だけではなかった」と思えるし
自分は人間なんだとか
こうやって生きていてもいいんだとか
そんな微かな希望を持てるわけです(自分の親子関係にですよ)

何よりも、まだ子育て中の方々は
自分の子供に対しての感情が果たして正しいのかどうか。
そんな傍から見ればバカバカしいことで悩んだりするわけです。

こういうブログは嫌だ、と思う方は読まなければ良い。

でも、同類を求めている
しかし、発信も出来ない人たちも沢山いるんです。

私は職業柄、色々発信できる生き方をしています。

メールを頂いた方には
なるべく早くお返事をしていますが
体調が不安定な時や、忙しくて暇がない時など
少し遅れるかもしれません。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。
メルアドはHPまで戻ると色々出ています。
フリーメールなので、携帯などからだと時々迷惑メールに入ったりします。
返事がない時は、その可能性大です。
buchimama1018@yahoo.co.jp


ダ~リンに感謝

2016-05-12 16:38:22 | 日記
昨日は久しぶりに娘と食事をした。
美味しいイタリアンで
飲んべえ二人。

母の日に注文していたメガネスタンドが間に合わなかったので
それも渡された。



彼女らしい機能重視の品。
PC周辺に置くので
スマホを二つ持っている私はプライベート用がすぐに行方不明になる。
PC用のリーディンググラスはブルーライトカットなので一つしかないし
丁度いい感じ。
ありがとう。

その前に息子からもらったのは



これはリビングの机の上に度数の違うもの二つを入れたかったので
スタイリッシュで良い感じ。

娘は弟の方が可愛いデザインで、それは女の自分としてどうなのか、と
とても気にしていたが
色々考えて選ぶ娘らしい選択だし
デザイン重視の息子も
どちらも、とても有難いと思っている。

そして、色んな事もあったが
私の子供たちはちゃんと育ち、大人になっている。
娘にはまだ未熟な母親だった私は感情任せに怒り、どう思っているだろうかと気になる点はある。

そして、娘の場合は私の母の被害にもあっているので
それも大変気になるところだった。

姉と姉の娘への執着の裏返しのために
見せつけのように私の娘へはデパートへ行っても何も買ってやらない
姉の娘のお古を着せる
姉の娘の方が可愛いと目の前で姉の娘を可愛がる。
「お前の子供なんか不幸にしてやるんだ!」と母が言った事もある。
私は福岡へ帰ってきてからは
娘を母の所へ預けることはなかった。
(病気で仕方のない時はあったが)

息子は男の子だったから
母は「男に好かれたい」という本能で彼に対して「余計な事」は一度くらいしかなかったから
母の事は娘ほどは理解していないと思う。

ここ数週間の出来事を娘に話していると
「でもさ、お母さん。お父さんと結婚して良かったよね」と言われた。
本当にそうだ。
たった一度会っただけで
お見合い結婚だったのに
ダ~リンはずっと私の事を大切にしてくれる。

最初は母がどういう人なのか理解できなかったと思う。
だけど、新婚時代からダ~リンは母と衝突し
本当にどうなるのだろうか、というほどもめたことも何度もある。
私は離婚させられるのだろうか?
私はあの家へ戻されるのか?
いや、それならば、子供を連れてどこか知らないところへ逃げよう。
そんな事を考える時もあった。

福岡で開業してからは
ダ~リンは母の標的となって
ないこと、ないこと色々言われた。
浮気もしていないのに「あの女と浮気をしている」
母は嘘つきだから、母の言う事を信用しないで、と父に頼んだのに
「自分は浮気をしたとお母さんの前で土下座したそうだ」と
そんな事を今でも信じている父。
それでも、ダ~リンは父母のために色々尽くしてくれた。

何よりも、こんなに問題の多い家庭で育った
大変問題のある私を
根気よく理解し、支えてくれている。

私の精神は大変もろい。

それでも、私を理解しようと
自分しか味方になってやれないのだと
ダ~リンは私から目を離さない。

私の為だけに私の傍に居てくれる。

娘と話しながら、不覚にも泣いてしまった。

ダ~リン、本当にありがとう。
貴方と結婚できたことが私の幸せです。

母の日

2016-05-09 09:34:45 | 日記
母の日にプレゼントを持って施設へ行った。
失禁が始まっているようなので
替えのズボンと
リビングでも耳が遠いので
ただ、ボーっとしているだけのようなので
大人の塗り絵とクーピー鉛筆を買っていった。

大人の塗り絵と言っても
ちゃんとは出来ないだろうから
なるべく大きな絵のもの
大まかな区分のものを選んでいった。

母は色々な事をほとんど忘れている。

それでも、それで毎日幸せに暮らしているなら
父は何も心配する事もなかろうに
「お母さんのためにあと10年生きねば」
ふーん、100歳以上まで頑張るつもりなんだ。
「お前の葬式も出さなくちゃいけないから」
そうか、私に早く死んでほしいんだね。

父はそういう認知症なのだ。
本人は全然理解していないけれど。

今日の新聞に
高校生の子供が母親を殺害した事件が載っていた。
大変厳しくしつけ
近所の人が母親の叱る声に
通報するくらい厳しかったらしい。

世間の人はそれでも
「子のためを思って勉強を厳しく教えていたのになんていう子供だ」
という反応だろう。
躾と虐待の差は難しいが
日本ではどんあんい酷い虐待であっても
躾だと言えばすべて許される風潮があるから
子供は深い傷に塩を塗られた続けて育つしかない。

「お前はダメな奴だ」
「お前なんか生まなきゃよかった」
「お前みたいなバカは早く死ね」
「お苗なんか生きる意味がない」
「お前みたいな不細工に人生はない」
「お前なんか幸せになどなってたまるか」
「お前は不幸じゃないといけない」

色々思い出すだけでおぞましい言葉
全て私の母が言い放った言葉だ。
母親を殺害した子も同じような言葉を何度も吐かれただろう。

精神的な虐待は証拠がないから虐待とみなされない
そんなような見解も書かれてあった。

高学歴の親がそんな虐待などしないだろう。。。
そんなことはない。
彼らはもっと巧妙な虐待をする。
あざの残らない程度の殴り方
教師へは「とにかく自分でノートも教科書も破ってしまって」
ランドセルが壊れていても「本人が乱暴で」と。
殆どの教師や周囲の大人が騙される。
子供は問題児とレッテルを張られる。
行き場のない感情は自分を深い闇の中へと押し込める。
きっと誰にも理解できないのだから、とあきらめる。
一生諦めるだけの人生を送る。
だいたいそんなものだ。

先日、父が
「お母さんは、どうしてあんなに自分の子供を虐めたのかな」と言った。
何故とめなかったのかと聞くと
「自分の生んだ子供だから、母親は自分の子供を殺してもいいんだよ。
だって、お腹の子供を殺しても罪にならないのだから
育っても親は自分の子供は好きにしていいんだ。
だから、それで子供が死んでも仕方のないことだなぁ、と思っていた」
それで人間なのか。
怒りほどの感情は沸かない。
おそらくそんなものだろうと思っていたし
だから、今でも私がどんなに重篤であっても
私の治療を断って自分の世話をしろと言うのだ。

母の色ボケを恥ずかしいという父。
あなたは自己愛しかないのだ。

母は私が渡したプレゼントの事など
1時間後には忘れる。
もともと、なかった事にしたい存在だったから
忘れるのに大して時間はかからない。
彼女もまた自己愛しかない人なのだ。

早く死にたいと思う時

2016-05-05 23:39:55 | 日記
連休はベビーの誕生で嬉しかったり
子守で疲れ果てたり
息子の家の心配をして
普段は避けたい人混みに何度も出かけたりして
結構大変だった。

それでもアレンジ作業も進ませなくては!だし
それ以上に面倒なのは楽譜、特にコーラス譜をPCに入力する作業。
これがね、手書きの方が10倍くらい楽チンなのですが
後の電子音源の事や、読み易さの絡みで
何時間かかろうが、やらなくては!なので
あ~~!と思いつつ地味に机に向かっています。

色んな雑事で時間を取られるので
本当に仕事をしているか、用事をこなしているか
そんな毎日の連休でした。

まあ、そんな中でも何とか昨日はダーリンと夕ご飯に出かけ、少し遊んだりもした。
今日は家で遅い夕食ながらもまったりと過ごし
ちょっとお酒も飲んで、さて、寝ようかと。

こういう時に邪魔をするのは父の電話。

父は連休前に歯を抜いたらしく
それで出血が止まらないとギャーギャー騒いでいたが
そりゃあ抜歯したら直ぐには血は止まらんのが普通だけど
「2時間経っても止まらん」と救急車だ!救急車だ!と喚き
休みだというのに何とかしろと何度も電話をしてくるし
施設の介護士さんたちにもワイワイ言っているだろうし
本当に大袈裟で「様子を見ましょう」と言われると
私のところに10分置きに電話をし
早朝だろうが、夜中だろうがおかまいなしで
彼のおかげで私は重症な鬱にもなった。

元々、数年前に親が原因で深刻な鬱になったので
何かあると、私はすぐに深刻な状況になる。
しかし、彼は「親なんだから、子供にはどんな事でも言っていいんだ!」と
本当に私の乳がんの状況も何も関係ない。
マジで「そんなの関係ねぇー」って感じなのです。

今、私は日赤の救急待合室にいる。

「胸苦しくて、眠れそうにない。
横になると息苦しいような気がする」と
救急車を呼べと施設を大分困らせた挙句、「様子を見ましょう」と言われたのが気に食わなくて
私を呼び出し、救急に連れて行けと
まあ、そんなことだ。

私がどういう状態になっても
また、私の精神的に追い詰められた状態から闘病や音楽の仕事が出来なくなるのは避けたい。
(死ぬまでにやらねばいけない仕事や、自分の子供たちの事の方が優先されると思うのです)
老人施設もちゃんとした施設を選んだ。
私が死んだら誰も世話をする人はいないのだ。
ところが、父の態度は私の命を縮めるような事ばかりで
私はまたストレスで病状が悪化するかもしれない。
姉だけではなく
私も死んでしまい
自分の子供たちは一人もいなくなり、それでも自分は長生きしたいと。
それが老いとはいえ、私は父からのしつこい文句で本当に今すぐにでも死んでしまいたい。

母はかつての美しさはなく
認知症が進み、悲しい状態になっている。
それはそれで自分で何も感じないから
私も哀れだと思うけれど、何も思い煩うことはない。
ただ暇つぶしの道具を与えれば良いだけだし。

問題は父だ。
あの大袈裟な訴えも認知症なのだと思う。
診察した全ての医師がそう見ているが、本人はそれを認めたくなくてもがく。
「介護士が悪い」「施設がなってない」「あの医師はダメだ」「あの病院もダメだ」
一体何をしたら満足するのか。
満足するように色々都合をつければ
「もう今日は気分が良いからいい」
一晩寝たら良くなるようなら、おおさわぎするな!

私は姉と一緒に両親に怯えて過ごした日々をなかった事には出来ない。
私はあなたの世話を喜んで引き受けようと思っていない。
私の健全な精神は育たなかった。
それはあなた方の技虐待が問題だったのだ。

それが今も私とあなた方の間に埋まらない溝を作っている。
私一人でそれら全てを背負わなければならない現在。
闇?
闇なんて言葉では表せないほど
深い深い底なしのドロドロとした地獄だ。
誰も私の助けにならないし、誰も私を救えない。

何をどうしたら明日を生きていけるのだろうか。

新しい命の誕生です。

2016-05-02 12:49:04 | 日記
アレンジ作業も忙しくバタバタと過ごしておりますが
3人目の孫が生まれました。

女の子です!

むふふ~~



何となく、美人さんになるような気がしております。
物音に動じない子です。



可愛いベビードレスがきっと良く似合うことでしょう。

まあ、早くも爺婆は上の子二人の泣き声で疲労困憊美味ですが
それでも、手伝う人が居ないので
何とか頑張らねば!です。

名前は「アンナ」です。

わが押淵家にはこういう洋風の名前はあり得んと思っていましたが
息子たちがどうしても、というので
子供の名前は親がつけるものですから。

それにしても奇遇で
命名と書いていたら
そうか「いのちのなまえ」なんだ。

私はまさに「いのちの名前」という曲をアレンジ中なのですよ。

ちょっとうるっと来ます。