ここの所腕も腫れる、肩も腫れるでしたが
熱も出て
腕は鏡じゃなくても見えるから蜂窩織炎っぽいよなぁ、でしたが
今朝、鏡を見て・・・・
あらら・・・・
やっちまったかもです。
昨日から左の首筋は腫れて
うんともすんとも動かなくて嫌な予感はしたのですが・・・。
こんな所に蜂窩織炎?
ってことはないか?
あるのか?
どうせ病院へ行く暇もないから
我慢して過ごそう。
というか、母の病院へは行かなきゃいけないから
タートルで隠すしかないか。
私の両親の嫌なところは
昨日のブログにも少し書いたように
もしかしたら、5年くらいで死ぬかもしれない娘に対して無神経なところ。
姉も末期がんだと言われた頃に
父から于武陵の「花に嵐のたとえあり さよならだけが人生だ・・・」の訳詩
あれを電話で「人生っていうのは死ぬっていう事だけなんだから」としつこく言われて
「も~~~勘弁してって感じ。全身麻痺になったのも末期がんがわかったことも
受け入れなきゃ仕方ないから受け入れてるだけで、納得してるわけじゃない。
なんでこんな状態になったんだ!神様、あんまりじゃないか!って思ってるよ!」
と毎日のように言っていた。
父は全然わかっていない。
死ぬことだけに人生の目的があるとは思わない。
生き抜くこと
自分が生きてきた軌跡をちゃんと家族なり
私の場合は音楽という形で残していくこと
それがどこまで表現できるのか、ではないかと思う。
「死」は受け入れるだけ。
後悔なく死に至りたいけれど
死ぬことにだけ人生の目標を置くのは全く納得しない。
中国の詩人だって、それで結果を残しているじゃないか。
人々にこれだけ覚えてもらっているのだから。
作者の目的が「さよならだけ」だとは思わない。
私って攻撃的だなぁ。。。。。
そして、近々私は10年生きる可能性は結構少なかったこと。
だいたい5年くらいだと思って過ごさないといけない事を両親にしっかり言わねばならない。
という話をダ~リンとしていた昨日。
ダ~リンは私が10年は生きると言っていたのでそれを信じていた。
診察から帰って
「いや~~~・・・10年って甘いかも。運が良ければ、もしかしてって数字だって」
という報告をしたところ
結構ショックだったらしい。
ゆっくり開業もやめて
ゆっくり過ごして
そのうち、家も改築しようか、とか
そんなことを思っていたけれど
それじゃ間に合わんかもしれん。
旅行にでも行こうか、なんて暇はもうないかもしれない。
(ダ~リンが医師会の仕事から抜けない限りね)
ダ~リンは一人で悩んでいたらしい。
え?私の事なのに、なんであなたが悩むのよ!
そう、私の問題で彼の問題ではないのだけれど
夫婦の問題ではあるから
そういう部分では悩むけれど
私は運が良くて、もしかしたら10年生きるかも、とどこかで信じてるんだよね。
そんなに真剣に悩まれると大変困るのだが・・・・。
男はそういう生命力って言うのにちょっとかけている生き物なんだな、と思った。