JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

患者会

2013-01-30 09:29:51 | 日記
昨日は私には珍しい方々とお会いした。
がんの患者会の方。

ものすごく弱気になったわけではないけれど
乳がんが肺に転移して
情報量はものすごく少なくなった。
再発した時でさえ
「え?たったこれだけ?」ってくらいだったのに
ネットで医師のサイトにでも行かなければ
色んなことがキャッチできない。
しかも、専門家ではないから
そこに書いてある薬等が自分に効くのかどうかもわからないし
治験の結果は
実際に私たちが使用していて「効いているかも」と思っている期間よりも
ずっとずっと厳しく
一つ一つの薬が4~5ヶ月の延命の数字しか出ていなかったりして・・・
見ない方が良かった、と思う事も少なくない。

同じような人はどうしているのかな?

市内の乳腺科クリニック院長がやっている会には
再発以上の人は来ない。
再発転移者は粛々と自分の死の準備をしているのだろうか?

まだ自分の仕事の集大成を、ともがいている自分は
もしかして諦めの悪い人なんだろうか?

患者会の代表者という立場の方、3人の女性とお会いした。

とても強い人たちだった。

やはり色んな情報を掴んでいらっしゃるし
色んな状態の人がいることも良く御存知だ。
的を得た答え・・・というかお話し。

ちょっと自分のやっているボランティアに対する想いを反省した。
真摯に続けて行かねばならないな・・・。
地味な作業なのだから。

決して自分の考えを押し付けることはされない。
再発転移した人の無念な思いは自分の痛み。
いつかごとっと悪くなるのだろうという
そういう不安を抱えながらも
患者会を支えて、後継者も育てていこうとされている。
後の患者の方がより良い治療を受けられるように
色んな機関に働きかけをして
それでいて、謙虚である。

私は初心に戻らねば。

中途半端になっていたボランティアを再開した時に
あの悲しい気持ち
後ろめたい気持ちを二度とすまい。
メディアが取り上げてくださると寄付等も集まり
結構順調に物事が運ぶから
少し油断していたのだ。
「私の目的は達成される」と。
金額的目標だけなのか?
そうではなかったはず。
小さくとも、皆が小石を積み上げてくれたら大きな城を築けるのだと
そういう事を言いたかったはずだった。

ニュートラル

昨日、3人の女性とお会いして思ったこと。

そう、私はニュートラルに戻れる人間だったはずだ。
ちっぽけな功績に満足してはいけないのだ。

ちょっと風通しが良くなった。


とまあ。私は次に向けて頑張ろうと決心した日だった。
しかし、夕食時にダ~リンに話すと
「強くならなくていいんだ」
泣きたい時に泣いて、好きな事をやって
我儘に生きていたっていいじゃないか。
どのみち、そんなに長い人生ではないのだから。
1回も休むことなく払い続けている年金は1銭も回収することなく死ぬだろう。
死ぬ覚悟が出来なくてもいいじゃないか。
無念であっても当然じゃないか。
ダ~リンは私の残された時間を
自分の為に全部使ってほしいと願っている。

これは本当に難しいね。

きっと、表現力のある人間が色んなことを発信しなくては
世界は変わらないのだけど・・・
側にいる人間はそれだけで死んで行っては堪らない・・・。

うん
よくわかってるよ。
ダ~リンには無念が残るかもしれないよね。

言葉の思いやり

2013-01-29 11:37:50 | 日記
先ほど、テレビを見ていたのだが
福岡市営地下鉄七隈線の延長工事が決まったとか。
およそ8年後くらいの完成になるそうだが
女性アナウンサーと司会アナウンサーとの会話
「え~その時って○○さんおいくつですか?」
「60ちょっとくらいですね」
「じゃあ、まだ生きてますね~」
「あたりまえじゃないですか!」
笑・・・・・

何でもない会話のように聞こえるのだが
その時、私は化粧中で

ふむ・・・8年後か~それまで生きられるのかなぁ?

などと思っていた。

60ちょっとまで生きて当たり前っていう会話に
ちょっとムッとした。

まあ、どこでもそういう会話はありふれているし
街中には溢れている。
もっとひどいことを言っている若い子たちもいるから
いちいち怒ることでもないだろうけれど。。。

「何もなければ60過ぎまで生きているでしょう」
というう風に言えなかったのか?と思う。

「一言だけ」の問題だ。

思えば昔のアナウンサーたちはこういう失礼な言葉は使わなかった気がする。
一つ一つの言葉に注意深く配慮して
色んな人たちが聞いているのだから
色んな立場の人に傷つくような言葉を使わない。

それがここ20年ほどで「面白くない」とされてきて
タレントの様な、全く気を使わない言葉を発するアナウンサーが大量に出てきて
そうでなければいけない、みたいな・・・
悲しい風潮になったわけだ。

長い間朝日放送系列の夜のニュース番組をやっていらしたK氏
歯に衣着せぬ発言で面白かったのだが
彼はそういう「失礼な言葉」に大変気を遣っていた。
評論家や政治家とよく議論をしていたが
その中でポロッとそういう言葉が出てしまったとき
すぐに「失礼いたしました」と謝罪コメントがあった。
とても気を配っていたのだと思う。

それに比べて最近の思いやりのない言葉の氾濫。

何故、一言、失礼のないような表現や修飾詞をつけることができないのか?
たったその一言だけでニュアンスも違うし
受け取る側も「カチン」とは来ない。
言葉は流れていくものだから、怖いのだ。
もう少し思いやりのある「言い回し」が出来ないのか、と不思議だ。

たびたび書いているが
「乳がんくらいに死ぬわけないでしょ」という人たち。
現実に死んでいった人たちもいるわけで
私は再発転移だから
交通事故等の事故死でない限り
確実に乳がんで死亡するのだ。
「死ぬわけない」ではないのだ。
何でも重くなると死に至るものだ。
風邪で亡くなる人だって沢山いる。
「風邪くらい」ではなく
「風邪は万病の元」と言うではないか。

軽い気持ちで発する言葉は罪がない、と思いがちだが
たった一言でとても傷つけることもあるのが「言葉」
もう少し、ちゃんと考えてお喋りを楽しもう。


ところで、「60まで生きて当たり前」かというのが疑問になって
ちょっと平均寿命の算定方法をググってみた。
皆さんもやってみると「ええ!」ってことがわかります。
あれは、今、0歳で生まれた人が何歳まで生きる可能性があるか、なんですね。
しかも、算定式はものすごく昔に作られたまま。
その当時にがんで死亡する人や
難病で死亡する人などはいない時代。
そして、自然死をした場合の可能性のカウントなわけですよ。

へえ~~~~~~!!
でしたよ!!

災害死の可能性はカウントされるけれど
がんで死亡とか、他の何か判らない病気で死亡というのは「異例な事」なわけです。
だから、2人に1にはがんになるといわれる現在
本当の平均寿命は86歳よりもっと下なわけ。

知らない事って多い。
政治はこういう色んなトリックを使って
年金受給年齢を上げていくわけですよ。

う~~ん、やっぱり調べてみるもんですね。

不思議の素がやってきた!

2013-01-27 18:24:27 | 日記
ジャジャジャジャジャラ~ン!!
私の大好きな
「大島弓子」氏の作品集
2通りゲットいたしました。



私の不思議の素です。

う~~~ん
何というか・・・・
彼女の漫画は文字が多いのですが
そしてその文章というか詩がですね
とっても良いのですよ。

言葉の選び方の繊細さと
描かれた人物等の繊細さと
ストーリーの心の琴線にそっと触れるような
そんな感じが・・・。

私が一番好きなのは
「雨の音が聞こえるーラ・レッセーイデンー」
劣性遺伝なんですが
フランス語のようにしてある不思議さとかがたまらんです。
そして、この漫画
涙が止まりません。
思い出すだけで、私はPCの前でうるうるになってしまう。

思考回路が普通の人とはちょっと違う子が主人公
という設定が多い。
映画等で有名になった「猫」の話ももちろんありますが。
グーグー・・・の話は本人の実話(だと思います)
その前のサバのシリーズまでは猫が擬人化されて
猫に人格があるというか・・・
カラスやゾウや・・・いろんなものが擬人化されて
それがとても的を得ていて
うん、そうだなぁ、と思うわけです。

人間の心の弱いところ
とても傷つくところ
そんなものの描写が沁みます。

少女期のままの所って
女性にはあるじゃないですか!
男性がずっと少年でいるように・・・。
不安定で、突っ走って
勝手に恋をして
勝手に傷ついて
勝手に終わらせてしまって
勝手に逃げてしまって・・・という

ああいう感情が私には必要な時があるのです。

曲を作るときとか
詩を作るときとか
色んなときに
あの不安定な感情がなければ出来ない・・・様な気がします。

一途なところもね。

やっぱ、私って大人げないのかなぁ?
54歳にして大人げないってのもなんですが
若い時に結婚しちゃったからかな?

そういえば、猫の目って
透明で不思議ですよね。
唐突ですが。

そういうものに気付いた時に
ふっと空想の世界に溶け込んでいけそうな気分になります。
透明な存在になれる気がします。

そんな夢みたいな
バカみたいなことを言った後ですが
漫画を読みふけって
昨日行ったライブにも触発されて
ちょっと曲が出来つつあります。

ああ、ラテンやりたい!って気持ちもあって
題名は決まりました「ジェラシー」
あの有名なタンゴの曲と同名ですが
色んな人がそういう曲を作っていると思いますが。
今度の4月のライブに間に合わせよう。

英語の歌詞をつけて・・・・。

日本語でもいいんだけど
日本語ってリズムに乗りにくい言語なんですよね。

それで、辞書といろんなグッズを使って何とか英語の詩を作り上げるのです。

う~~~ん

やる気が出てきたぞ~~!!

やっちまったかも?

2013-01-25 11:04:25 | 日記
ここの所腕も腫れる、肩も腫れるでしたが
熱も出て
腕は鏡じゃなくても見えるから蜂窩織炎っぽいよなぁ、でしたが
今朝、鏡を見て・・・・
あらら・・・・

やっちまったかもです。



昨日から左の首筋は腫れて
うんともすんとも動かなくて嫌な予感はしたのですが・・・。
こんな所に蜂窩織炎?
ってことはないか?
あるのか?

どうせ病院へ行く暇もないから
我慢して過ごそう。
というか、母の病院へは行かなきゃいけないから
タートルで隠すしかないか。

私の両親の嫌なところは
昨日のブログにも少し書いたように
もしかしたら、5年くらいで死ぬかもしれない娘に対して無神経なところ。
姉も末期がんだと言われた頃に
父から于武陵の「花に嵐のたとえあり さよならだけが人生だ・・・」の訳詩
あれを電話で「人生っていうのは死ぬっていう事だけなんだから」としつこく言われて
「も~~~勘弁してって感じ。全身麻痺になったのも末期がんがわかったことも
受け入れなきゃ仕方ないから受け入れてるだけで、納得してるわけじゃない。
なんでこんな状態になったんだ!神様、あんまりじゃないか!って思ってるよ!」
と毎日のように言っていた。
父は全然わかっていない。

死ぬことだけに人生の目的があるとは思わない。
生き抜くこと
自分が生きてきた軌跡をちゃんと家族なり
私の場合は音楽という形で残していくこと
それがどこまで表現できるのか、ではないかと思う。

「死」は受け入れるだけ。
後悔なく死に至りたいけれど
死ぬことにだけ人生の目標を置くのは全く納得しない。

中国の詩人だって、それで結果を残しているじゃないか。
人々にこれだけ覚えてもらっているのだから。
作者の目的が「さよならだけ」だとは思わない。

私って攻撃的だなぁ。。。。。

そして、近々私は10年生きる可能性は結構少なかったこと。
だいたい5年くらいだと思って過ごさないといけない事を両親にしっかり言わねばならない。

という話をダ~リンとしていた昨日。
ダ~リンは私が10年は生きると言っていたのでそれを信じていた。
診察から帰って
「いや~~~・・・10年って甘いかも。運が良ければ、もしかしてって数字だって」
という報告をしたところ
結構ショックだったらしい。

ゆっくり開業もやめて
ゆっくり過ごして
そのうち、家も改築しようか、とか
そんなことを思っていたけれど
それじゃ間に合わんかもしれん。

旅行にでも行こうか、なんて暇はもうないかもしれない。
(ダ~リンが医師会の仕事から抜けない限りね)
ダ~リンは一人で悩んでいたらしい。

え?私の事なのに、なんであなたが悩むのよ!

そう、私の問題で彼の問題ではないのだけれど
夫婦の問題ではあるから
そういう部分では悩むけれど
私は運が良くて、もしかしたら10年生きるかも、とどこかで信じてるんだよね。
そんなに真剣に悩まれると大変困るのだが・・・・。

男はそういう生命力って言うのにちょっとかけている生き物なんだな、と思った。

疲れる・・・

2013-01-24 18:00:39 | 日記
母の入院騒動でそろそろ疲れが・・・。

何しろ耳が遠いので
ずっと大きな声でしゃべらなくてはいけないし
通訳もしなくては、だし
実家と私の家は近いと言えば近いけれど、まあまあ距離はあるし
そこから病院まではまた一距離。

往復だけでも結構気疲れする上に
父が車椅子なので
体力的に大変疲れてきます。

訳のわからない事を言い出す母。
無視する父。
あ~ぁな私ってな具合。

土曜に退院。

もうひと踏ん張りって所か。

そして二言目には両親とも姉は立派だったと。

世話をしている私は立つ瀬がない。
私の存在って何?

「玲子は死ぬ覚悟はできているのか?」
姉は死ぬ覚悟が出来ていたから立派だったと父は言う。
自分も、もう死ぬ覚悟はできているが私はどうだ?
って言われても、私はまだやらねばならない事がいっぱいあるし
何と言っても、両親の世話を私が死んだらどうするんだ?と考えると
死ぬに死ねないという事もあるのよ。
その問題を考えずに「死ぬ覚悟が出来ていない」と非難されても・・・。

姉もがんが見つかって半年と言われたから
それで覚悟もできていくけれど
私は数年後。
それまでに「仕事」をやらなくてはいけないのだから

まだ死ぬ覚悟なんかはしない。

父は今度91歳になる。
母は82歳になる。

そこまで長生きが出来た人に「死ぬ覚悟が出来ていない」と非難されたくはない。
私は60歳前後で死んでしまうのだ。

時々乳がんの人のブログや、掲示板等をチェックしているけれど
「再発が怖い」という話題が多い。
再発をしないために云々とか。
そういえば、ここ1年くらい顔を出している患者の会も再発転移者は出てこない。
私くらいだった。
再発転移した人はどう暮らしているのか?

珍しいことに
私は今度、そういう人たちとのコンタクトを取ろうか、と。
ホントに心境の変化。
ちょっと心細くなっているのが本音かもしれない。
もう、初発のまま過ごしている人たちとは治療も違うし
考え方というか・・・
確実に死ぬのだ、という重みも違うから。

ヤワになったのかな?