4月3日(金)に行われる
福岡ジャズの老舗、River Sideでの企画ライブ
「あかい桜」
の準備は着々と進んでおります。
小さな店というのは沢山あるのだが
古くて、タバコの臭いも染み付いたような(失礼)
1950年代のジャズが流れるにふさわしい店というのは
そんなに数が多いわけではない。
ここでは試験的なライブや
弾き語りで大きなライブ前に皆さんへの宣伝で、といったライブは
今までもやってきたのだが
ここに合った企画というのが思いつかなくて
ずっとマスターに悪いなぁと思いながら過ごしていた。
桜の季節にやりたい曲がある。
それはオリジナルで、元々は15歳くらいの頃に作ったのだが
色んな知識が増えて、段々変化して
とてもダークな、ジャズのオリジナルとして
私の作品を代表するような1曲となったもの。
梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編小説の冒頭に
曲をつけたものだ。
この曲のために、もう1枚CDを作りたいと思うほど
自分では秀逸だと思っているのだが・・・。
これを作った当初、私は中学生で某放送局に出入りして
「中学生が弾き語りでオリジナル曲を歌っている」とか
そういう珍しさで結構色んな番組に出させていただいた。
この曲は初め、「ちょっと不気味だね」と言われながらも
「本当に自分で作ったの?」などと
大人はちょっと私がどういう人間なのか興味を持つきっかけとなるような曲だった。
その次代に流行していたポップな香りのする曲ではなかったし
まだ幼かったのでコードは2つ。
後にこれはモードというのだということを知ったが・・・
私の中で自然発生したものだった。
少し幼いが、もっと恋に恋をしているような年頃だったのに
不気味な曲だったと思う。
しかし、あの時代にしか持ち得ない「残酷さ」がある。
この歳になってそういう曲調のものが似合うようになったが
今、そう、今の自分に作れるだろうか?
このような残酷さと甘さが共存できた年齢だから作れたのだと思う。
原曲はそうなのだが
現在歌っているのは、当時より深い歌となっている。
歌い方などもある。
もちろん、コードはあれこれいじった。
といっても、あまりにいじりすぎた時期があり
再度、少し簡略化したコード進行になり
言葉の流れに沿って、リズムも少し変えたり・・・。
アドリブの所では、ピアノやベースや他の楽器の人が自由に
その1曲の中で自由に表現できるように、とか。
そう、1曲を通して
桜の花びらがその場で舞っているような曲となっている。
今回のライブで
五木寛之の短篇集を取り上げたが
「赤い桜の森」という小説は
まさに「桜の樹の下には屍体が埋まっている」ということなのだ。
あまり広い店でこれをやると
お客様もおそらく集中力が散漫になるのではないか、と。
これはまさにRiver Sideという店でしか出来ない。
ライブに向かうとき
わたしはこうして自分を表現したい世界へ
追い詰めていくタイプなのだが
いい感じで追い詰められている。
(季節なのか、肺のせいなのか、痰と咳で喉の調子は悪いのだが)
色んな事を考えながら、衣装も出来上がった。
さあ、これから、もう少し自分を追い込んでいくとしよう。
そして、気晴らしには当日用のキャンドルでも見つけに行こう。
(マスターの提案でキャンドルの灯りにしようか、と)
皆さん。是非いらして下さいね。