JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

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尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

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2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

「あかい桜」

2015-03-30 16:29:21 | 日記
今度のライブ、もう数日ですが・・・
「あかい桜」は
五木寛之の「奇妙な味の物語」という
短編小説集から13のお話を選んで
それにあった曲を選曲いたしております。

短編小説と言っても
サスペンスです。

そう、私の大好きなサスペンスですよ。

サスペンス好きの方には見逃せないライブです。

そして、怪しい感じというか
黒っぽい感じのジャズがお好きな方にも
見逃せないライブです。

この数週間、色々キャンドルホルダーを探して
季節商品だったりするので
春にこれを探すのは結構大変でしたが
ただでさえ暗めの「正しいジャズハウス」という暗度のRIVER SIDEで
キャンドルの灯りのライブです。

これはちょっと夜にならないと
写真等撮れませんので
映像でお見せできないのですが
それがとても残念なのですが・・・。

とにかく
とってもクールな演出になっております。

そして、この小説集にはジャズのスタンダードーナンバーの題名がついた話もあります。
Strange Fruit
Someon To Watch Over Me
When You're Smailing
Strange Fruitはビリー・ホリデイの出世作ですが
あまりに暗くて、最近は誰も歌っていないというか
黒人差別の問題の歌なので、何となくみなさん避けているというか・・・
そんな感じなのです。
私も若気の至りで若い頃歌っていた時期もありますが
いや・・・・もうちょっと考えて歌う歌で
今、お届けするのが一番の歌かもと思います。

曲は当日のお楽しみですが
「少年の大志」
「片頬で笑う男」
「スーパーチルドレン」
「赤い桜の森」
「白いワニの大国」
「老車の墓場」
「おさびしい王様」
「カーセックスの怪」
「優しい女」
「無理心中恨返本」
をお届けいたします。

さて、どんな曲があるでしょうね?
乞うご期待!




さよなら実家

2015-03-26 18:13:15 | 日記
今日、実家の売買契約が無事終了した。
色々な家財道具を残したままだが
そのまま解体業者が入るそうなので
タンスや机やシャンデリア、ピアノ・・・
傍から見れば「もったいない」と思えるものも全部壊されることになる。

銀行の応接室で
相手方と最後の契約書を交わし
その場で入金を確認し
仲介業者にも入金して終了。

最後に実家の写真を撮ろうという優雅な暇はなく
自分が保有している実家の写真を・・・
(私が写っているものでしか見れないので、どこまで自分が好きなんだ?と思わないでね)

これは私の勉強部屋。



そして、」まだジャングルになる前の庭



ジャングルになった庭(笑)



応接室の父自慢の時計



同じく応接室



和室・・・
これは私の結納の時



色々想い出深い家だったはずだが・・・

私が小学4年の時にこの家に越してきた。
まだ周囲は田んぼばかりで
何でこんな寂しい所に、と思ったくらいだったが
あっという間に住宅街になってしまった。

私は大学が西宮だったので
8年位はずっと住んでいたところというか・・・
そう考えれば
主人と結婚して33年。
親と暮らした期間より長くなっている。
そして、今の家に越してきて27年。
そちらのほうが長いので
実家と言っても、そんなに郷愁はわかない。

色々感慨深く過ごしたいものだったが
この数年
認知症の検査に始まり
老後の住処についてさんざん両親ともめ
90歳を過ぎてから探し始める老人施設
受け手のないところにもってきて
折角探してきても父が全部断り

その内介護度が上がり
結局見つけていた物件にも入れなくなり

それでも散々もめて
やっと、今の施設に辿り着いた。

しかし、その後も売却が決まった後も
あれこれ父は画策して
実家をちゃんと片付ける、という作業は
全く進まなかった。
もっとちゃんと片付けたかったのだ。
要らないものはそれなりに整理して、と。
しかし、あまりにもひどい状況で
母が大分前から認知症で片付けられていなかったのだという現状を思い知ることとなり
それでも父は「全部とっておけ」などと無謀なことを言ったり
全く自分で片付けなかったくせに
荒れた部屋の中から小さなものを見つけて来いだの
あれもこれも持って行くだのと
結局、施設の部屋もモノだらけにしてしまうし

私は過労で何度も目眩で倒れるし
主治医からも「ストレスで病状がひどくなるのが心配」と言われ
案の定、結局少し悪変してしまうこととなり

まあ、そんなこんなで
私は結局、少しも悲しくなかった。

生まれた家はとっくに無くなっていることもあるが
自分が育った家でも
ここまで数ヶ月間疲労困憊させられると
もう、早く手放して
自由になりたかった、というのが本音だ。

こんなことを言うなんて!と思うかもしれないが
苦しめられると
そういうふうにしか考えられなくなるものだ。

父は自分の家の最後だからぜひ立ち会いたい、と。
仲介業者の担当の人も
委任状で私が代理で一人でやってきても良いという話だったのだが
どうしても自分も行くと聞かなかった。
父にとっては色々思うところもあっただろう。
私は今日は自由になれたことが大変嬉しかった。

契約の後
銀行を回ったり
食べ損なった昼ご飯を食べたり
まあ、色々疲れる一日だったけれど
これでスッキリ。

もう明日からは実家の事を考えなくて良いのだ。

そして、これで父も「施設を出る」等と言わなくなるだろう。
おそらく。

さあ、ライブも迫ってきたし
練習に専念しよう!

ライブ前に診察

2015-03-25 16:27:52 | 日記
今日はフェアストン3錠@dayに変えて1ヶ月目の診察。

「胃が痛いです!」
「え?そんなに?続けられそう?」
「週2回位ガスター20を飲んでしのいでいますが
これが1年くらい続く治療と考えると
この胃の痛さを1年も抱えるの?ってそのうち飲まなくなったりして・・・とか」
「う~~ん・・・最初から3錠投与ってのもあって
そんなに痛いの?ま、少し頑張ってみようよ」

そして、他の不都合といえばお腹の具合ですね。
「お腹はゆるいです。それはホルモン治療を始めた時からずっとだし
この薬だから特にってことではないんだけど
とりあえず、外出先でトイレに困らないようにしようくらいの感じ」
「そうなんだぁ。」
「他の人のブログにも『お腹がゆるい』ってみんな書いてるし
きっと、そんなものかな?と思っていますが。
まあ、便秘とどっちがマシかということになると、便秘でお腹が痛いよりはいいかしら、とか
1日ずっとお腹がいたいわけではなくて『ゆるい』ってだけですから」
「え”~!そんなに皆お腹ゆるくなってるの?
そういう人のばかり見るからじゃないの?
同じ症状の人の検索とかで」
「いや、色んな人がいるし、進行速度も早い人もいれば遅い人もいるけど
わざわざ先生に報告はしないけど
『お腹はゆるいけど』みたいなこと書いてますよ。
だから、そんなもんなんだろうな、と思って
胃痛に比べたら全然大したことないですから・・・」
「へえ~~~~~~、そうなんだね~~~~」

まあ、常に女性の患者さんとお話をする先生で
(たまーに男性患者さんもいらっしゃいますが)
相手が異性であるということを感じないようなタイプ
(あ、失礼。魅力がないとかじゃなくて、きっとそういう体にしてるのかな、とか)
爽やか???いや、違うな。女性的ではないし・・・
う~~ん、清潔そうな感じがするとか、優しそうな感じがするとか
まあ、そんな感じの先生なので、別に遠慮はしませんが
今までもずっと7年間のホルモン治療中
ずーーーっとほぼ毎日「ピー」でしたよ。
きっと、皆さんわざわざ報告しなくてもいいかな、と
そういうふうに思っていたんじゃないかな。

おそらく、女性は便秘の人が多いので
調度良いくらいになった人もいるかも。

ただ、私は若い頃から水を沢山飲むので便秘とは結構疎遠で
まあ、寧ろ「ストッパ」を常備しているくらいですから。
時々とても苦しい状況にはなるけれど
いつもではないから・・・。

ということですよ。

で、先日の「肝機能が悪くなっているから禁酒2週間」騒動があり
その後の診察で「週に2日くらいは休館日を設けて・・・」と言われたので
私はそれを守って、ちゃんと月火は酒を飲まない、と。
大体、先生の言うことをあまり聞かない、という不良患者だったけど
ストレスや
仕事のことや
不規則な生活のことについては約束は守れないけれど
あれだけ胃が痛いんだったら、肝臓にも悪かろう、と
ちゃんと週2回の休館日を設けて、1ヶ月守っていたわけです。

じゃじゃ~~~ん!

肝機能はめちゃ回復しています。

私だってちゃんと出来るんですってば!

別に中毒ではないですし、禁煙だってさっさと出来たくらいですし!!

「じゃあ、ちゃんと続けてね」

はーい!

で、前回の時に先生にはノンアルコールスパークリングワインを紹介しましたが
これは他の人にも教えてあげて
結構良い情報だったので
行きつけのBARで教えてもらった
別のノンアルコールスパークリングワインも紹介。

私のお薦めはどれも甘いので
キリッとしたのが好きな人は炭酸で割ったほうが美味しいかも。
甘ったるいと料理に合わないし。
ペリエとかで割るとか。。。

でも、もうひとつお薦めは
「バラの炭酸水」なんですけどね。。。
「はあ?」と怪訝な顔をされましたが
いや、これが適度な甘さと味気なさで
結構これが一番料理には合ったかも、と。
「○丸のグロッサリーコーナーで
ノンアルコールワインとかスパークリングが置いてある棚の後ろに
冷蔵者が陳列してあるじゃないですか・・・
あそこに炭酸水と一緒に置いてあります1」

おそらく、先生は帰宅時に色々探して回ることでしょう。

まあ、そんなこんなで
治療というのは3ヶ月以上様子を見ないと効果があるかどうかわからないので
6月か7月くらいまではこのままの治療で行けるのではないか、と。
まあ、胃痛は困るのですが。
それでも、もう一つ試せるホルモン治療薬があるし
これで今年いっぱいは十分元気に過ごせるんではないかと思っています。

そして、去年までやっていた1回3万超の注射@月がなくなり
薬代は高いけれど1ヶ月約1万くらいだし
そろそろ生命保険の通院手当を2年分回収しようかしら、と思います。
医療費が少ない時に保険金をもらうと
どうせ医療控除額が少ないし、調度良いので。

まあ、久しぶりに患者の発言でした。

これからちょっと練習して
明日は早い時間から動くので、早めに寝ます。

「あかい桜」へ着々と・・・

2015-03-24 10:14:23 | 日記
4月3日(金)に行われる
福岡ジャズの老舗、River Sideでの企画ライブ
「あかい桜」
の準備は着々と進んでおります。

小さな店というのは沢山あるのだが
古くて、タバコの臭いも染み付いたような(失礼)
1950年代のジャズが流れるにふさわしい店というのは
そんなに数が多いわけではない。

ここでは試験的なライブや
弾き語りで大きなライブ前に皆さんへの宣伝で、といったライブは
今までもやってきたのだが
ここに合った企画というのが思いつかなくて
ずっとマスターに悪いなぁと思いながら過ごしていた。

桜の季節にやりたい曲がある。

それはオリジナルで、元々は15歳くらいの頃に作ったのだが
色んな知識が増えて、段々変化して
とてもダークな、ジャズのオリジナルとして
私の作品を代表するような1曲となったもの。

梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編小説の冒頭に
曲をつけたものだ。
この曲のために、もう1枚CDを作りたいと思うほど
自分では秀逸だと思っているのだが・・・。

これを作った当初、私は中学生で某放送局に出入りして
「中学生が弾き語りでオリジナル曲を歌っている」とか
そういう珍しさで結構色んな番組に出させていただいた。
この曲は初め、「ちょっと不気味だね」と言われながらも
「本当に自分で作ったの?」などと
大人はちょっと私がどういう人間なのか興味を持つきっかけとなるような曲だった。

その次代に流行していたポップな香りのする曲ではなかったし
まだ幼かったのでコードは2つ。
後にこれはモードというのだということを知ったが・・・
私の中で自然発生したものだった。
少し幼いが、もっと恋に恋をしているような年頃だったのに
不気味な曲だったと思う。

しかし、あの時代にしか持ち得ない「残酷さ」がある。
この歳になってそういう曲調のものが似合うようになったが
今、そう、今の自分に作れるだろうか?
このような残酷さと甘さが共存できた年齢だから作れたのだと思う。

原曲はそうなのだが
現在歌っているのは、当時より深い歌となっている。
歌い方などもある。
もちろん、コードはあれこれいじった。
といっても、あまりにいじりすぎた時期があり
再度、少し簡略化したコード進行になり
言葉の流れに沿って、リズムも少し変えたり・・・。
アドリブの所では、ピアノやベースや他の楽器の人が自由に
その1曲の中で自由に表現できるように、とか。

そう、1曲を通して
桜の花びらがその場で舞っているような曲となっている。

今回のライブで
五木寛之の短篇集を取り上げたが
「赤い桜の森」という小説は
まさに「桜の樹の下には屍体が埋まっている」ということなのだ。

あまり広い店でこれをやると
お客様もおそらく集中力が散漫になるのではないか、と。
これはまさにRiver Sideという店でしか出来ない。

ライブに向かうとき
わたしはこうして自分を表現したい世界へ
追い詰めていくタイプなのだが
いい感じで追い詰められている。

(季節なのか、肺のせいなのか、痰と咳で喉の調子は悪いのだが)

色んな事を考えながら、衣装も出来上がった。





さあ、これから、もう少し自分を追い込んでいくとしよう。

そして、気晴らしには当日用のキャンドルでも見つけに行こう。
(マスターの提案でキャンドルの灯りにしようか、と)

皆さん。是非いらして下さいね。


何とか乗りきらねば!

2015-03-21 15:43:30 | 日記
この秋冬、何度風邪で寝込んだだろう。
そして、最近はなかなか治らない。
やっと治ったかな?と思っても
まだ痰が絡み、咳が続き、これは喘息かな?とか。

それでも、ライブまでもう少し。

頑張らねば!!

で、先日ちょっとした事件が起こりました。

父が要支援1から要介護1になったのです。

それ自体は介護保険の適用範囲が増えるので
別に大したことではないのだが
父がその原因を聞いて激怒するかも、と。

父よりも先にケアマネージャーさんから連絡があり
「もしも、認知症でのことなら本人には理由を濁して欲しい」と。

お陰でものすごく大事にはならなかったけれど
やはり「この施設を出て病院へ入る」と言い出した。

今、老人だからといって入院できるところはない。
だから、介護施設と病院に分かれているのに
それが全然解っていないし
母の認知症が進んで一緒にいるのが苦痛だから
母を精神科へ入院させろとか
そんな事ができるわけないじゃない!

そして、相変わらず私にいろいろ用事を言いつける。
何度も探している母の補聴器。
買えば高いのだが、私は引っ越す時に母の荷物に入れたはずだ。
部屋のどこかにあるはずなのに
それを実家で探して来い!と。

私はライブ前だから喉を大切にしたい。
なるべく、実家へは行きたくないし
だいたい、要るものは取ったので
もう、このまま引き渡して
勝手に壊して下さい!という感じなのだ。

居間の隅々まで色んな物を移動し
色んなところをひっくり返して探して
本当にヘトヘト。
その場で「何処にもない」と電話したのだけど
父は「もう一度全部探せ」と。

いじめか!!!

実家の整理云々だけでも結構大変だったが
父の「あれを持ってこい」「これを探して来い」という言葉で
私は思い出多い家だったが、一刻も早く取り壊して欲しいほど
本当に思い出したくもないくらい嫌いになってしまった。

両親の世話についても
実際ずっと付いているわけではないけれど
電話もかかってくるし
訳の分からない我儘を言い続けて、それが正論だと怒鳴るし
私の体調は良くないのだと伝えても
「そんなものは自分たちには関係ない」などと
もう、本当に縁を切りたいくらいになってしまった。

私の言うことは何も聞かない。
私の言うとおりには絶対しない。
私のことを信用していない。
じゃあ、私に色々頼むのはやめて!と心から言いたい。
(時々そう言っているが)

ダ~リンや娘から
「もう放っておいたら?」と言われる。
そうしたいが、もう私しか子供はいないのだ。
私が見放したら、同しようもない状態に陥っていくだろう。
だけど、そうなった場合、結局私がもっと大変な状況の中で世話をすることになるのだ。
最悪の状況にならないように
私は今の施設に入れたのだ。

そして、私が死んだら、娘か息子?

もう、何もわからないから、何もできなくなるのだ。

きっと、こんなこともわからないから認知症なのだけど
悩みは深い。