JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

訃報の多いこと…

2018-06-01 23:45:40 | 日記
ここ最近、可愛がってくださった先輩ミュージシャンや
お世話になった方々の訃報が多い。

私は闘病11年になろうかという所だが、まだお迎えはない。良いのか悪いのか。
乳がんは進行が遅く、更に私はなるべくして遠隔転移、他臓器転移になり
一応ステージ4となり末期ということになるが
最近は末期がんでも沢山の治療法があり、1剤で何年も延命は出来ないけれど
なんだかんだと10年以上闘病を続けられる医療の進歩具合で
「末期がんですが、終末期ではないです」と言わないと仮病の様に言われて
大変心傷つく事が多い。

有名な九州出身のピアニスト、辛島氏。彼のピアノとアレンジはとてもお洒落で、昔から大好きだった。
学生時代から結構機会がある度に聞きに行っていた。膵臓がん末期とお聞きしたので、そんなに長くないのかも、と思ったが、闘病が一段落した時にツァーーがあり聞きにいくと、全く衰えを感じさせないピアノ。
とても嬉しかった。復活だ!と喜んでいたが、お亡くなりになった。

お店で知り合って仲良しになったトロンボーンのO氏は知り合って半年以上経ってから、O氏の妹と私の姉が小学生からの親友で、私は時々姉にくっついてO氏の実家へ遊びに行っていた事が判明。
とても可愛がって頂いた。
お具合が悪いという話も聞かなかったのに、いきなり余命半年と言われて、あっという間に亡くなられた。

福岡を代表するピアニスト、内田先生とは3回ほどライブをご一緒させて頂いた。楽しい方で、お喋りも楽しめるライブを開き、Duoだったのに60人くらいのお客様にいらして頂いたり、それがご縁でパーティ仕事もしたが、楽しいステージが出来た。
がんになった、とお聞きしてご様子を伺った時は「何とか抗がん剤で頑張ってるよ」と。私は丁度無気肺になり、もうダメかもと思った時だったので反対に元気付けられ、その後もお元気そうだったけれど「なかなか薬も効かなくなってくるのかな」という話をして半年後くらいに訃報が届いた。

そして、福岡のジャズ系のお店で初めて仕事をした「トロンボーンクラブ」の京子さん。
仕事で入ってしばらくして中学の大先輩だと分かった。
しかも、ピアノ係。全校集会の入場の時にピアノでBGMを弾くという決まりがあって、学年に一人、そういう人が決まる。国歌や校歌も弾くのだが、その初代が京子さんで、○代後が私だった。
済生会病院で偶然お会いした時、「同じ病院だったのね」と話をして、時々電話をしたり、待合室で会っても「末期って言っても私達、元気よね。まだまだ死なんと思うけど、他の人はそう思ってくれないのよね」なんていう話をしていたが、先日亡くなられた。

内田先生の通夜は体調が悪すぎて行けなかった。
お別れのコンサートがあるけれど、私のライブやレコーディング、娘の披露宴等の日程を考えると治療もあるので行けないだろう。

京子さんの件はご主人に会いにお店へ伺うのも、もう少し元気に。せめて頭痛が治り、頭のビスを打った傷が乾いて汁が出ない様にならないとダメだろう。

そうこうしていたら、ずっと高校生の時から才能を買ってくださっていたプロデューサーののみやませんせいが亡くなった。
折角ソングライターとして伸ばして頂いたのに、色んな事情でプロになれず、親との議論や音楽関係者との話で疲れてしまい、結婚して第一線を離れることに。しかし、稲葉喜美子氏への楽曲提供の件もあり、何だか中途半端な休業に。
その後何年も経って福岡へ帰ってジャズシンガーとして仕事に復帰し、専門学校の講師会でお会いして交流が再開。何度かお会いするものの、なかなかライブにはいらして下さらず、LAST ANIME JAZZにやっと来てくださって、お元気そうだったのに。
やはり、がんなので病状は安定せず、先日、お亡くなりになった。
カッコいいオリジナルもまだ作っているし、詞に拘った「雪女企画」もぼちぼち進めている。
先生に聞いていただきたかった。

私が福岡に帰った時、既に少し若手のシンガーの方が活躍していて、仕事の関係で私は「ピアノの弾き語り」のカテゴリーに。
フロントで歌う様になったのはラテンバンドに入ってから。それと自分の企画ライブをやりだしてから。
そんな時から時々お会いして楽しくお喋りさていたのご森山由美子氏だ。可愛らしいひとで、私の様な気の強さが全面に出る様なこともなく、歌と同様しなやかな方だった。
私の年齢になると「先輩」シンガーというのは数えるほどしかいない。亡くなられた吉野華世さんにも本当にむすめの様にお世話になった。
スージーさんはまだまだお元気でゴッドマザー。
そして、森山さん。特に闘病して色んな活動を縮小したので、「やめた」と思った人が多く、まだ手術からも
抗がん剤からも復帰したけど、何時間という仕事はできないという時、ライブ等に遊びに行くとステージに上げてくださって歌った。こういう事はなかなかできる様で出来ない。わたしが一曲くらいならバリッと歌えるという信頼があるから任せられるのだ。
信用して頂いて、本当に嬉しかったです。
一昨年だったか、もう少し前だったか、声がちゃんと出ないの、というご相談を受けて、呼吸器内科とか色んなところにちゃんと検査に行った方が良い、と話した。とても怖がりな方で結果を聞く勇気があるかしら、とか。でも、ご主人に付き添ってもらって、何とか色んな検査を、受け、食道がんだったけど、まだ早期発見で。でもとても苦しかった、しんどかった、今後の治療も大丈夫かしら、と相変わらずだった。
早期発見と聞いて安心していたのだが、突然の訃報。転移してラッシュになりあっという間だったのでは、と思う。

私はまだ、足元が怪しいが、この土日でも野見山先生と森山さんにはちゃんとお別れをしに行こうと思う。

私も最近治療が厳しい流れになってきているし、数年後には必ず行きますから。もう少しお待ちくださいね。

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1 コメント

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森山由美子さんの思い出 (吉田慎一朗)
2021-10-27 18:41:33
森山さんとはじめて出会ったのは、私たち夫婦がまだ新婚の頃でちょうど30年前のことです。私がアマチュアのジャズバンドを旗揚げするのに、当時フォークソングを歌っていた森山さんが妻の友達だったので、妻から紹介してもらい、いよいよ練習開始。歌は抜群だけど、ジャズのことはまるで知らないという彼女。最初に飛びついたのは、たしかヘレン・メリル。研究熱心な彼女はぐんぐん上達して、いつの間にかプロのシンガーに。恐れ入りました。生きていたら30年を記念して当時の仲間で集まりたかった。ご冥福をお祈りいたします。
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