JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

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尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

今年の総括

2013-12-29 14:56:08 | 日記
昨日は今年の歌い納めとも言うべき
セッションに行って
大はしゃぎして帰ってきた。
私がはしゃぐ時は楽しいが、イマイチ自分で納得いかない歌しかできなかったということ。

う~~む・・・。
セッティングしてくださったのに
やはり、ピアノの音が聞こえない、
ベースの音も聞こえない
という中で私は力を発揮できない子でした。
でも、とても楽しかったです。
自分の出来栄えが悪かったので
これは楽しんでしまって帰らねば!!とか。

そして、今年の反省。

今年はニューコンボでのライブが2本
ジャンプハウスが1本
二日市のNishimuraが1本。
そして、昨日のようなセッションにはた~くさん参加。
セッションは若手の集まりだろう、と
近年というか
20年以上近づいていなかったのだ。

これは昔出入りしていた店でのセッションが
学生かアマチュアばかりのセッションで
挨拶はしない
歌モノを馬鹿にする
自分たちの仲間意識が強すぎて
とても私のような長年やってはいるけれど
力量を認めてもらっていないシンガーには居辛いところだったのだ。

ところが、私の不勉強で
ベテランも行く、若手も行く、いろんな人がいる
とうセッションもあった。
それに、私が遊びにいくからということで
わざわざ集めたんだとかいうセッションとか
有難い有難い・・・。
学生時代は行きつけのジャズ喫茶でよくセッションに参加していたが
久しぶりに、セッションに行った年だった。

昨日も大いに反省した事項だが
セッションに近年ご無沙汰しているので、慣れていない。
セッション用の「キメ」のない楽譜。
無難に色んな人がソロをとって
無難に始まり、無難に終われる楽譜を作らないとダメだ。
それと、それなりの終わり方を私はちょっと忘れている。

色々作りこんだ楽譜とか、最後に「キメ」があってはダメなのだ。
誰しも知っているという曲だとか
循環コードの曲とか
そういうものの無難な楽譜を
私は用意していないのだ。

反省しきり。

それと、楽器が多くなって煩くなることに慣れていない。
ピアノを頼ったり、ベースを頼ったりして
べったり頼っているから
すぐに迷子になってしまう。

後で言われたが
「セッション慣れ」も大事なことなんだ。
いつもクールに音量的には大きくはなるけれど
トリオバックがせいぜい大人数というところで歌っていると
なかなか慣れていかない。
そう言えば、ラテンバンドにいた頃は
どんなセッションでも怖くなかった・・・。
う~~~ん。自分のカラオケもちょっと考えてみよう。
何しろ時間的にさっと作れるように
電子ドラムとピアノで伴奏していたりするカラオケだし・・・。

うむ!勉強した1年でした!

だけど、きっちりカッチリとしたアレンジ譜でライブに臨むので
ライブの構成はものすごくよく出来た。
4月のライブはメンバー全員ひどい風邪で、珍しく皆色々忘れたが
それでも「今日は渋くて良かったよ」と(苦笑)
そう、ダイナミックに歌えなかったのよね。

そして、きっちりカッチリとしたライブをしたのには理由があって
ANIME-JAZZの新CDは来年作るのだけど
その翌年末くらいから
本格JAZZのCDをもう1枚作ろうと。
バッチリなアレンジを模索していたのだ。
それで、今年は5曲ほど「これぞ!」というものが出来上がった。
私らしい
ダイナミックに歌い上げて、それで大変クールで
しっとりとした中にも強い信念があって、と。
そういう曲が半分は揃ったというわけだ。

これはとても良かったことだ。

そして、色んなセッションに出て
色んな人たちと再会し
また、新たな友人もできた。
楽しい1年だった。

闘病の方はというと
フェソロでックス注射の1年。
最初は注射したところが痛くて眠れなかったが
それはだんだん慣れたものの
ものすごいホットフラッシュ。半端なかった。
後半は腰から下がだるくて重くて
30分も歩くと倒れそうだったりした。
だけど、歌いことにあまり支障のない治療だったので
これは2年続けた人もいるそうだから
私もそうなったらいいな、とか。
値段は高いけれど
今からの治療はどれも高いので仕方ないか・・・。

そして、頭の痛い介護問題だが
本当にどうするのだろう、というところ。
確実に言えるのは
私は母よりも早く死ぬだろう、ということ。
一体どうしたらいいのだろう、とずっと考え続けているが
答えは見つからない。
認知症はかなり進んできているし
もう半年もすると私のこともわからなくなるのでは?と思う。

子供たちは
娘は「いつまでも親に甘えられない」と一人暮らし
そのかわり、息子夫婦が近所に越してきた。
どちらも、そんなに裕福ではないが
一応ちゃんと社会人として自立しているし
給料をもらっている間は大丈夫だろう。
いつまでも定職がない、という状態ではないので
私としては安心している。

ダ~リンとのことは相変わらず。
注射の副作用がとてもひどく出る時が多かったので
本当に心配症になっているが
相変わらず仲良しだと思う。
ただ、両親の暮らしを見ていて
いつまでもこの家で、この状態で過ごせるわけではないので
今後に課題が残った。
私が生きているあいだに何とかクリアしたい問題。

ということで
今年もあと数日。
相変わらずやり残したことの多い年の暮れを過ごすこととなります。

クリスマスだったけど

2013-12-26 10:49:34 | 日記
もう、子供も大きくなってしまったし
クリスマスに仕事が目いっぱい入っていた時代も終わり
(一昨年からギャラと体調の関係でクリスマス仕事はしていない)
この時期だから、という気持ちはない。

だけど、先日
思わぬプレゼントをもらったりして
それはそれで想像していなかったので
とても嬉しかった。

だいたいこの時期は源泉徴収税の計算をして
年末調整のための資料を作成して
あれやこれやと忙しく
その上に、ちょっとはお掃除もせねば、という時期なので
「クリスマス」を楽しめることは不可能。

特に今年は給料日が25日で月末=年末が27日
経理としてはドキドキ・・・
いや、きっちきちの日程なのだ。

ああ、胃が寒い。
今日の昼はカレーうどんでも作ろうかしら。

そんな忙しい年末に
住所管理ソフトが不具合。
もう、どーしようもない程の不具合。
たまーにPCと相性の悪いソフトがある。
私のはwin7で安定していたxpの改良版。
おそらく、不具合のあったソフトはvista仕様に変えていたんじゃないのかな?
調べてみると私だけではなく、win7ユーザーの多くが
このソフトの不調を訴えていた。

まあ、コイツは見捨てよう、と。
新しいソフトを買ってきたのだけど
以前のソフトのデータを移すには、そのソフトを起動させてファイルを作らねばならん、と。
なに~~~!
今まで自分の経験上では
別のソフトにファイルを移すときは
新しいソフトの方がファイル交換機能を持っていて
さっと乗り換えたり出来たのだけど・・・。

もう、こうなったら一番容量に余裕のある子に前のソフトをインストールして
ファイルを使うしかない・・・。
私のちっこいPC。
これはちっこいだけに容量が少なくて
楽譜作成ソフトとイラレ、フォトショ積ませて以来
動作が鈍い鈍い・・・
重いのよね・・・・きっと。いつか開放してあげるよ。

いやいや、今はそんな暇はないのよ。
年賀状を早く作らないと!

そうだ!
ダ~リンは書類作成も殆ど私頼みだし
エクセルなんて使ったこともないし
医師会とのやり取りと、薬の検索くらいにしか使わないから
めっちゃ軽いはず!

ダ~リンのPCに仮住まいさせてもらって
やっとこさ新しいソフトに住所録を移動。

でも、前のソフトの不具合で
最新データというのが壊れていて
2年前のなのよね・・・・。
その上、今年の年賀状の住所変更なんて出来なかったし・・・。
いっぱい戻ってくるんだろうなぁ~。

まあ、しかし、とりあえず、年賀状印刷は出来上がった。
(夫婦合わせて450枚弱だからどうしてもPC作業なのよ)
何だかどっと疲れちゃった。

風邪なのか
喘息の具合が悪いのか
はたま肺に巣食っているがんが活発になったのか
ちょっと無理をすると息切れがひどいし
横隔膜のあたりがちと痛い。

お願いですから、もう少しの間
いろんなソフトの不具合が起こりませんように。

医者は不眠不休か?

2013-12-20 16:16:43 | 日記
昨日の夜、7時半頃、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」と出ると
「あの・・・お願いがあります」と。
ここまで聞くと、また宗教関係か?と思ったが
「病院を開けてくれませんか?」

ん?

うちは小さなクリニックで
1階が診療所
2階が自宅になっている。
今回鳴ったのは自宅の玄関。

「今、先生が留守なので診察はできませんが?」というと
「え?医者なのに?あ、ならいいです」

まあ、よくあることだ。
でもそんなに「よくあること」でいいのか?

昔、開業したての頃に夜中の2時に電話が鳴った。
寝ぼけながら取ると
「こら!医者が寝るな!怪我しとるんじゃ!みらんか!」
と怒鳴られた。
やってきた患者さんはベロベロに酔っ払っていたらしい。
ダ~リンは色々手当をして
保険証はあるのか?
支払いは明日来れるのか?と聞くと
「うるさいんじゃ!」と
怒鳴って帰ったらしい。
翌日ご家族が平謝りで精算しに来たらしいが・・・。

よくメディアなどで
「救急病院で当直医師は仮眠中だった」と非難する文章がある。
当直だからといって、ずっと起きているわけではない。
看護師は当直の場合、翌日は休日になったりするが
医師はそのまま通常通り診療を行うのだ。
だから、救急で誰かが運び込まれたり
病状が急変しない限り
当直室で仮眠をとることになっている。

寝不足の医師が診察していいのか?

身体状態が万全ではない医師の診察でも良いというのだろうか?

そして、医師には基本的にタイムカードなどがない。
朝早くから入院患者を診察し
外来患者を診察し
帰る前も研究や入院患者の様子を伺って
だいたい12時間以上は病院にいることになるが
残業代などは出ない。
何か病院側のミスがあったとき
たとえそれが看護師のミスであっても、医師が責任を取らなければいけない。
また、医師は生涯にわたり、ずっと勉強して
研究を続けないといけないという決まりもある。
(まあ、認定医など無視すれば縛りはないが)

それでも、医師はサボっている
不当に収入を得ている
いつも遊んでいる、というのだろうか?

昨日の彼女も
何故クリニックの玄関のインターホンを押さなかったのだろうか?
(もちろん、私が出ることに変わりはないが)
医師がずる休みをしているとでも思ったのだろうか?
診察時間はとっくに過ぎているし
うちは学校へ行く前に診て欲しいという人が多いから
だいたい8時半から診療をしているくらいだ。

普通の商店ならば、わざわざ自宅玄関のチャイムを鳴らすだろうか?
銀行なら何が何でも絶対時間外はあり得ない。

「医者なのに普通の生活があるの?」

そういうふうに思っている人が
今でも、結構多いのだということに
昨日は気づかされた。

(だから、私は相当やばい状況にならないと主治医に連絡しないのよ。
蜂窩織炎だといっても手に負える程度ならば、お手間おかけしては悪いかな?と
「過去形じゃなくて現在進行形で報告は聞きたい」と過去に怒られたが
やはり、急患で行くとほかの患者さんの迷惑にもなるからね)

皆さんお忘れでしょうが・・・

2013-12-19 11:42:51 | 日記
昨日、友人のお父様に不幸があって
通夜のため、久々カツラをかぶった。
何しろ喪の時に金髪ではちょっと・・・・
もちろん、爪もテープで貼ってネイルが目立たぬように。

医療用カツラではなく、おしゃれ用のカツラの店で
自毛がない状態になって購入したので
(正確にはハゲワシ状態になってからだが)
普通のおしゃれウィッグより髪の量が多くなっているし
生え際からみっちり、という感じだ。

金髪の髪をピンで止めて
被ってみると、やはりボワボワした感じだが
まあ、久しぶりなので1枚。



実はもう少し派手なカツラも持っている。
髪の毛が十分に生えていない時にステージ復帰したので
お店にあった「ハゲ用」の中でも一番派手な奴に。
まあ、それは今度紹介することにして・・・

通夜から戻り、自分でも忘れていた昔の写真などを見てみた。
まだ6年半しか経っていないのに
ものすごく長いように思える。
これで10年以上闘病している人たちって偉いなぁ。
私はこの元気が10年続くんだろうか?



これは長いことプロフ用に使っていた写真で
相当前のやつ。
実はこの時くらいにすでに乳がんに気づいていたのだが
婦人科に相談すると
「出来ている場所が違う、絶対乳腺症で大きくなっても心配ない」
と言われた頃だ。
あの時に気づいたのは大豆より小さく
米粒くらいかな?
早期発見できたのに・・・・・
悔やんでも悔やみきれない。
当時の婦人科の医師のことは、まだ、自分の中で消化されていない。
何しろそれから7年くらい放っておくことになったのだし
放っておいたのは私の責任もあるが
乳腺外科に行きたいのだが、と言った私に
「そんなくらいで検査したら笑われますよ」と助言した。

今では乳がん検査は誰でも気軽に受けて
何もなければ「良かったですね」と言われるが
当時は大きな病院では結構「何も出ない」時は「心配しすぎ」と
不快な表情をされる先生が多かったのは事実。

しかし、その時に行っても
私のがんは腫瘍マーカーに反応しないので
ここでも見過ごされていたかもしれないから
まあ、見つかった時が医学も発展していて良かった、と
そういうことにしておこう。



これは息子が撮ってくれたプロフ用の写真。
あまり活用することがなかったが
昔はこんな髪型で歌っていたのよ。

弾き語りといえば・・・・
という皆さんのイメージにぴったりの。

この時くらいから左の脇に異物感があり
何だかここだけ肉がついたような、という感じだった。
左胸は痒いし痛いし
皮膚炎だと思っていたけれど、これはがんの症状だったのよね。
そんなこと考えもしないから
ダ~リンが医師だし、痛み止めとかかゆみ止めとか
そんなもので一時しのぎを繰り返していた。
これを読んでいる方で
まだ健康な方、小さな症状でもちゃんと医師の診断を受けてね。
今は「何もない」状態だったら「良かったですね」と言ってくれるから。



そして、これががん宣告2日前。
ダ~リンの還暦祝いの席。
アップにして
まだ治療前なので顔色も良い。
詳しく、詳しく見ると
まだ両目とも一重なのがお分かりでしょうか?
抗がん剤治療後、私は両目とも二重になってます。

抗がん剤は辛い治療。
髪が抜けたときは流石に泣いた。
体力もみるみる落ちていくし
大好きなウィンドーショッピングで疲れるなんて
それまでは考えもしなかった。
でも。前述の左胸の痛さや痒さはなくなり
みかんの皮のようになっていた皮膚も
ツルツルの綺麗な皮膚になっていったので、確かに効いた。
ただ、がん本体はわずかに小さくなって
範囲的には1センチ強しか減らなかったが
密に詰まっていたものが海綿状というのかな?
中に空洞がちょっとずつできる感じでがん細胞は死んでいった。
(これは残念な効き方なんだけど、効くのは効いた)

久しぶりに色々思い出した。

今日は昨日、傘を持っていかなくて
雨に濡れてしまったので
風邪と咳がぶり返して、ちょっと寝ている。
友人のお父様の葬儀だが、ごめんなさい。

寒い日には

2013-12-18 10:27:29 | 日記
寒いです。
ホットフラッシュでも寒いです。
というか、暑さの後に急激に寒くなり
咳が止まりません。

ふぅ・・・

もう何十年もこの副作用と付き合っている気がしますが
まだ5年くらいなんですよね。
短いじゃん!
普通に病弱で寒くて毛皮が手放せない!とか思っていた
抗がん剤治療中でもいいから
素直に寒いと最初から感じてみたい。。。。。

まあ、しかし、胃袋は冷たいものは受け付けなくて
しっかり温かいものを欲しがっています。



カブのスープなど・・・

ダ~リンは冷たいものが大好きで
ビールは冷え冷えな上にも氷を入れ
真冬でも冷奴
サラダは生野菜
好きなものは生ハムにスモークサーモンに
肉やマグロなどのたたき(もちろん冷やして)

うう・・・・ブルル

そんな中、昨日は父に頼まれた母のルームウエアを買って届けました。

母は入院を機にますます認知症が進んだようで
夜中に何度か父を困らせるようで
父は眠くてたまらん、とぼやいていました。
90を超えた父が80代の母の面倒を看るのは
もう限界に来ていると思うのだけど
普通にしている時はまだ意識がクリア・・・というか
そこまでボケていないので
母をどこかに収容するのは難しいのです。

本人は「そんなみじめな所に行きたくない」とか
「みんなが私をキチガイだと思っている」とか
「そんな風にして財産を独り占めにしようと思っている」とか
まあ、よく有りがちな発言の数々
そして、それは段々口汚くなっています。

あの誰のことも悪く言わなかった祖母でも
他人の悪口を言っていたので
母はもっと酷くなることでしょう。
先日の入院付き添いでも付き添いの人を雇うと言ったら
「泥棒が多いから嫌だ」といったくらいなので。

私はきっと母より先に死ぬのだろうと思っています。
たった一晩の付き添いだったのに
体力が戻らないし、副作用の腰から下のしびれが半端なく酷く
喘息も悪くなってしまったし
これがずっと続けば弱ってがんがはびこってしまうでしょう。
でも、母の世話は結局私しか看られないので
介護をとるか、闘病をとるかの選択になり
介護をとることになってしまうでしょう。

仕方ないか。

父がポツリと言いました。
「何があっても自分の命を選びなさい」
難しいね、それは。

私は色々なものを選択できるけれど
母は選択の余地はないのだし
どこかに入れても、いつも問題行動で呼び出されるだろうし
私の苦労が減るわけではないのだから。

天気が良ければルンルンで買い物に行き
シチュウでも作って
心も体も暖まりたいところ。

それにしても早く咳が止まらないかなぁ。