JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

メインPCご臨終

2015-07-30 18:56:33 | 日記
PCが死んじゃいました。
明日、データだけ抜き取りに入院させます。

とほほ・・・

あれこれ大変な時期になんてこった!

一応こういう時のために
大きなノートは持っているのですけどね。
やはり定位置で
心地よい高さで仕事のできるPCはデスクトップです。

まあ、最近は5年に一台だからそろそろだったのよね。

ということで
HP等の更新ができません。
というか、少しお待ちください。

ぼちぼちHPを引越しさせようかと思っていたところだったのに
こんなに早く逝ってしまうなんて・・・(涙)
こっちのPCに新しくデータを入れるかどうか
まだ考え中なのですが
とりあえず、表紙を変えねばいけないのに・・・。

新しいデスクトップも買ってきたので
ビルダーが入れば更新できるけど
一体昔のビルダーが入るんだろうか???

あ、win10にはしてませんよ。
出始めに買うといろいろ後悔しますから
ぼちぼち様子を見て
1年間はアップデートが無料だそうだから
それで変えようと

だって、昔のソフトが使えなかったら嫌じゃん。
ま、そんなところで
あれこれ忙しい私です。

言葉は難しい

2015-07-26 09:45:55 | 日記
先日、20数年ぶりくらいで
PTA副会長をしていた頃、ちょっと知り合った人に
街中でバッタリ会った。

活動を色々一緒にやったということではなく
何かの行事で一緒だったくらいの
そんなに接点があったわけではない人なので
咄嗟に声をかけられて誰なのか判らなかった。

私は職業柄
相手は知っているけれど、わたしはあまり知らないという
そういう場面に出くわすことは多いのだけど
ずっと演奏していたお店の客さんで
顔は覚えているけど、名前が思い出せない・・・みたいな人も多く
そういう場合は何だかんだと話を合わせていくうちに
ああ!あの人だ!と名前まで思い出せたりする。

生徒の父兄?
どこで知り合い?と全く思いつかなかった人で
そういう場合は「失礼ですが、どこでお会いいたしましたかね?」と尋ねることにしている。

女「○○です!覚えてる~?」
・・・・・・・・
私「いえ、あの、何処でお会いしましたかしら?」
女「小学校のPTAで・・・云々」
私「ああ、はいはい。だいたいわかります。こんにちは」
女「あらぁ~、お元気?まあ、いつも元気そうだけど」
(そうか?明らかに剥げているという帽子をかぶっているけど?)
私「えぇ・・・あの乳がんが転移して今はそれが悪化して抗癌剤治療中なんで大変なんですけどね」
女「まあ、でも、大丈夫よ!皆治ってるから、大丈夫よ!」

彼女は大丈夫を連発して去っていったが
何を根拠に大丈夫と言っているんだろうか?と。

病気の人に対しての言葉は難しい。

相手がどれくらいの重症度で、それがどれくらいのしんどさなのかとか
一般的に知られている病気でも程度は違うのだし
その人自身への治療の副作用は人それぞれで軽々に「なんてことはない」とはいえない。
病気の人に対して「頑張って」と言ってはいけないというのは結構知るところとなり
最近は「頑張って」と言われることは少なくなったが
なんと言われたら自分は嬉しかったり、元気づけられたりするのか
また、自分自身も他の人になんと言えばよいのか
大変難しい。

言葉は思いの外人を傷つけることがある。
選び方を間違えると大変だ。

例えば、同じ様な病気だったりすると
「お互いに気張って何とか生きていきましょう!」なんて言ったりできるが
それが万人に通じるわけではない。
相手の状況をわかっていないと「生きられるわけじゃないのよ!」と思われる。
末期になった人に掛ける言葉としては
姉の時は
「楽しいことばかり、毎日考えて、楽しいおしゃべりをしようよ」だったが
これは姉妹だから通じる言葉だったろう。

どんな言葉が良いのだろうか?

その先日の彼女の「大丈夫」は今の私には適さない言葉だった。
私は確実に乳がんで死ぬ。
それを先延ばしして、何とか自分のやりたい仕事をやり終えるまで延命しているに過ぎない。
だから、完治するなんて事を目指した治療ではなく
自分らしく一生を終えるための治療で
「大丈夫」なんてことは有り得ないのだ。

だけど、咄嗟になんという言葉がかけられるだろうか?

ほんとうに難しい。

医療費の限度額適用について

2015-07-25 10:13:05 | 日記
色んな人にがんの治療費は高いでしょう?
一体自分ががんになったらその費用が払えるのかしら?と
色んな人から質問を受けたので
私は実際に色んな制度を利用しているので、少し説明いたします。

私は今回、抗がん剤治療と総称されるものは2回め。
1回めは8年前、8クール(4週間が1クール。途中体調不良のための休薬などもあるためほぼ半年)
CEF(FECともいわれている)が4クールとタキソテールが4クールの抗癌剤治療でした。
今回は4週で1クール、アバスチンとパクリタキセルの治療です。

投与の仕方は薬によって色々なので
薬が違うと全く違うスケジュールですから
医師に詳細は聞いてください。

8年前の抗癌剤治療は8クールで検査料等合わせて
自己負担3割で55万程度だったと思います。
これは全体の治療費を回数で割る計算方法だったので
FECとタキソテールが同じ金額とは限りません。
それを8で割るので、7万程度でしようか。
当時の明細がありませんし、入院加療を受けたので個室料を弾いたくらいの金額で・・・
今と違うかもしれませんが
だいたいそれくらいの自己負担額だと思います。

それでも「高い!」と健常者で大きな治療をしたことがない方々には色々言われました。
「結局貴方がお金があるから治療ができるのよね」なんて
そういう嫌味もオマケで言われましたが
収入によって自己負担額が一定金額以上に支払うことのない
「限度額申請」をすれば、負担額が軽減することもあります。

今回のアバスチンとパクリタキセルの治療費は高額です。
2週に一度のアバスチンなのですが、月に2回はあるので
だいたい医療費は110万程度。一部負担金は33万くらいになります。
ドヒャ~~~!!ですよね。
こんな金額、払えない!と思います。
さて、ここで、日本は国民皆保険で、しかも高額医療費に対する補助もある
世界に冠たる医療保険先進国ですから
だいたい、病気した時に支払える金額しか支払わなくても良いという
有り難い制度があるのです。

それがこれです。



これはどの健康保険団体も同じだと思いますが
違うところもあるかもしれないので
ご自分で限度額の書類をとって、調べてくださいね。
安心するために、ここで実際の金額を計算してみます。

まず、年令によって分かれます。
そして、高齢者の方は収入によっても色々分かれます。
とりあえず、ここでは働いていらっしゃる方
または、配偶者の扶養者である方を対象に説明いたします。

日本の平均年収とされる区分の方々は区分(ウ)になる方が多いです。
自分の収入で区分が違うので、あくまで、これは例ですので
詳しくはご自分で計算なさってください。

さて、前述のように、私の今現在受けている治療は月に100万を超える治療です。
毎月、100万の治療を受けるとしましょう。
表の計算式で計算すると
(ア)254,180円
(イ)171,820円
(ウ)87,430円
(エ)57,600円
(オ)35,400円
という月の自己負担額で治療を受けられます。
それでもかなり高額ですが、この上に税金の医療控除もあります。

因みに、同じ治療を12ヶ月続けた場合
3ヶ月間は上にあげた金額を支払い、4ヶ月目からは更に減額となります。
減額になった場合、一定額だったとして
おおよその同一病院で窓口で支払った自己負担額は

(ア)2,023,440円
(イ)1,352,460円
(ウ)661,890円
(エ)572,400円
(オ)424,800円

この限度額は通院と入院は別枠になります。
そして、他病院と合算することは出来ませんから
一つの医療機関に付きということになります。
総合病院で複数科にかかる場合はまとめられます。

さて、この1年間の自己負担額は確定申告時に医療費控除の対象となり
税金が戻ってきます。
(ただし、支払うべき税金が戻るだけですからご注意を)
医療費控除も限度は200万です。
他の医療機関にかかった自己負担額も合わせて200万以内なら
全て申告しましょう。

また、収入のない人に関しては別の制度があるようです。
ご自分の住む役所に相談してください。
収入があるかぎり、保険適用者なのでこの制度を利用できますが
国民保険等にも何も加入していない方は利用できません。
病気になってすぐ国民健康保険に加入すれば
即、利用できます。

また、生活保護者は一般的な被保険者とは違う計算
自己負担額も殆どの場合、国費負担となっていますので
詳細は役所に聞いてください。

また、こういう実際の数字からも判るように
健康を維持するにはかなりのお金がかかります。
がんになった時に「こんなにお金がかかるの?」と思う人も多いのが現状です。
私は生命保険会社の関係者ではありませんが
がん保険には入っておきましょう。
また、現在免疫療法や重粒子線治療等には健康保険が適用されません。
先端医療を受けるオプションも、そんなに高くはないですから
自分が入れるだけ、できるだけ十分な額が受け取れるような
そういう生命保険の計画を若いうちから立てておきましょう。

今回の脱毛の様子

2015-07-20 17:05:43 | 日記
前回ハゲた時は
私は私なりに結構ショックで、というか悲しくて
剥げていく過程を写真で撮ろうなんて言う気になれませんでした。
他人、特にずっと健康な人は
「髪の毛なんてまた生えてくるでしょ?そんな事で泣くなんておかしいわよ」なんて
涼しげにおっしゃいますが
初めて抗がん剤でハゲるときは泣きましたよ。
こんな姿では二度とステージに立てない、と思いました。

そして、今回は2回めですから
別に脱毛するのは嫌でもないわけですよ。
というか、そういう副作用は色々やってくるわけで
問題はどれだけ時間稼ぎが出来て
遺作となるようなバリッとしたJAZZ CDを録音できる時間を持てるかです。

そして、今の状態では
声を取り戻すことですね。
もっとバリッと歌える声にならなければ
遺作を残せません。

♪ハゲも二度目なら~♪ってなもんです。

さて、ちょっとずつ脱毛していきます、と主治医はおっしゃったけれど
結構どっさりと抜けて行きました。
近年迷っていた遺影用の写真をバタバタ撮ったくらいで
はらはら・・・ときてから落ち武者になるまで10日くらいでしたよ。



これが最初の「抜ける髪で遊ぼう」の時ですね。

そして、数週間は何もなく、まだ1ヶ月はあるかも、とか
そんな呑気に構えていたら
7月7日の七夕ライブが終わって
ホッとした所に・・・はらはら・・・と。
あれ?と思って3日位したら
突然入浴中、髪を洗うと前髪はどっさりとサヨナラしてしまいました。



まあ、これでもそんなに抜けたふうには見えないので
写真撮影はこの日に変更してもらいました。

変更してもらって正解でした。
これから、日に日にハゲていきますから。



まだ普通です。



少し額の広い人になりました。
この日まではこのまま外出も可能でしたが
翌日からはちょっとダメだなぁ・・・と。

主治医の話ではもっとゆっくりなテンポで抜けるのかと・・・
これは結構早いですよ。
前の時は抜け始めて落ち武者までは3週間ほどありましたから。
やっぱり2回めだから?

もしかしたら、髪を金髪にして、それから赤を入れて、と
地肌を酷使したからかもしれないけれど
もう一生ハゲのままかもしれないから
それくらいのダメージは気にしない。

いや、本当はダメかもしれないけどね。
乳がんのサロンなどでは「絶対染めたりしちゃダメ!」と言う人が多くて
私なんか「大馬鹿者」扱いですが・・・
人生、楽しいほうが良いじゃありませんか。
そんなに楽しいことって無い生活なんですから。
ささやかなお洒落とささやかな冒険と・・・

ま、私は不良患者ですから。いいんです!

で、ここからハゲ道一直線!



段々どこが減っているのかわからなくなっていくのですが
光で透けて見える地肌とか
フワフワした毛が多くなってきたとか・・・



もう帽子なしではダメです。



ここまでくると、いつ剃髪に行こうか、と考えるところです。
落ち武者の姿って結構鏡で見るのは嫌ですからね。

で、剃髪の朝は



んで、散髪屋さんで剃ってもらったら



あ~らスッキリ。

脱毛している間に
抜ける髪を集めて遺髪にしました。



そして、これは脱毛する薬を使う人向けの情報ですが
洗髪して頭を拭くと止めどなく抜け続けます。
ある程度水気を拭き取っったら
ムースで頭を固めましょう。

そうすると、はらはらと髪の毛が落ちなくなります。
お掃除するのも嫌だし
肩とかにいっぱい散るのも嫌ですよね。

この間、指先がしびれ
足が何だか痛いし
体中ヒリヒリ・・・。
結構副作用しんどいんですけど・・・。やっぱり歳のせい?

そして、一番厄介なのが鼻血。
鼻が痛い。
いつも鼻うがいをしているのだけど
これが痛さを誘ったりして・・・
涙がでるほど痛いのですよ。
ナスリンという一番しみない薬で鼻うがい液を作っているのに
尋常じゃない痛さ。

そして、ずっと鼻血・・・。

あまり外出できないので
色々帽子を作りました。
その内アップしますが、こんな感じ。



しかし、今の私に一番似合うのは
これかな?



まあ、声が元に戻らない間は
こんなことも仕方ないね。

だけど、父は毎日困った電話をジャンジャンかけてきます。
きっと私が死ぬまでかけてくるんだろうな。。。

放たれた言葉

2015-07-15 13:07:32 | 日記
副作用は前の抗がん剤に比べたら軽いと
主治医はかる~~く言ってくれちゃったが
8年経つと、8歳年取るわけで
前はシコリがあって、そこが痒かったり痛かったりしたくらいで
一般症状のない状況だったので
ホルモン治療も長年に渡り
なんで困難に息苦しいのか、というゼホゼホもあり~の
モロに肺に転移しちゃってます症状がある中では
結構辛いよ。

体力なくなってるしね。

予想できるものもあったから
それは耐えるしか無いよな、と思ってるけど。

お家で大人しく過ごすことしか出来ない日々。

つまらん・・・・

こういう時は、つまらんことが続いて起こったりする。

見てくれは健常者、実は患者・・・みたいな感じから
脱毛が大分進んで、見てくれも患者へ。
まあ、それでも太ってるから
そんなに重症に見えないし
歌う声がちゃんとでないという以外は
いや、違うな
今はいろいろ食べられない以外は
至って普通に元気そうなおばさんだったりする。

そこで、色んな人が色々不用意な発言をする。
これは誰でも有りうることで
気をつけていても自分自身も言っちゃったりして
「あの時のあの言葉、どうか忘れてください」と
穴を掘って土下座したくなるようなこともあったりする。

言った本人も自覚があるときは一生苦い思いとして覚えているのだが
だいたい、言われた人しか覚えていない。

昔に言われたことや
今、また言われて更に傷つくことや・・・

8年前に乳がんになった時に
ちょっと親しくしていた医学生から笑われた
相手は酔っていたのだが
「え~?まじ~?ぎゃはは!ざまあみろって感じっすよね~」
普通に仕事している時に「実は乳がんになったのよね」と言ったから
相手は冗談だと思ったのかもしれないが
お前なんか医者になる資格はない!
と心の中で叫んだ。

今は立派な医者になっているらしい。
何度か会ったが「今度必ずライブに行きます」なんていうが
一度も来たことはなく
私のライブなど行く気はないだろうから
そんな事をわざわざ言いに来なくていのに、といつも思う。

きっと、奴は私のこの姿を見たら
「え~?またハゲっすか~?ぎゃはは~、笑える~」とか言うだろう。
ああ、こんな奴が患者を診るのかと思うとうんざりしてくる。


そして、最近続けて父と母の所を訪ねたいという問い合わせがあったのだが
「ご両親を施設なんかに入れたんですか!」
と言われる。
ゴージャスでとても恵まれた施設だし
あのまま実家で惨めな生活になるよりずっと良い選択だと思うし
私が受け取るであろう遺産は全部使って入れたのだ。
そして、私は自分自身の闘病もあり
おそらくは両親を看取ることなく、私は先に死んでしまうだろう。
私が死んだ後に、何不自由なく過ごせるように選んで入れたのだ。

事情もわからない人にそんな事を軽々に言ってほしくない。

そして、そういう人達から必ず言われるのは
ご自分よりご両親を大事にして下さい。
貴方は色々ご活躍で丈夫そうだから。


それが違うんだな。

活躍というか、ライブを続けているのは
自分の人生の集大成をしたいからなんだな。

両親は私の病気など全く気にしない。
姉が他界する時もそうだった。
亡くなる2週間前に父は「何故そんなにお金がかかるんだ!」と姉に電話で文句を言っている。
彼らは子供が先に死ぬなんてことは何とも思っていない。
私だったら、子供に先立たれるなど耐えられない。
今回、がっつり悪変して「あと数年かもよ」と父に言っても
「子供がふたりとも先に死ぬのか。じゃあ、あとの面倒は誰が看るんだ?」と言われた。

きっと私が死の床にあっても
電話でギャンギャンと文句を言ってくるのだろう。

そして、姉も閉口していたが
「死ぬことは何も恐いことじゃないんだ」と
古い漢詩を持ちだして死について延々喋る。
やめてください・・・。
姉も私もこんな年齢で死にたくないのだ。
遣り残したことは山ほどあるのだ。
90を過ぎてもまだ生に執着している人の講釈なんて聞きたくない。

まあ、両親だけではなく
「こんな病気の人に比べたら貴方なんて幸せじゃないの」なんて
そんな言葉もよく聞く。

確かに子供が短い人生を終えるのは心が痛む。
きっと健康であれば、色んな事ができただろうに、と。
しかし、大人も結構大変なことはあるのだ。
仕事の途中で人生を終わる訳にはいかない。
だから、死期を冷静に見つめて死ぬ準備をしなくてはいけない。
この作業は結構切ないものがある。
これが「幸せ」だと言えるのだろうか。

同じように引っかかるのが「キャンサーギフト」

癌になって良かったなんて思わない。
病気になったことで人生が輝いたなんて
そんなわけがないじゃないか。
誰だって、普通に年を取り
子供たちの成長した姿を見て
安心してしを迎えたいに決まっているし
ずっと夢を追い続けていたいし
それが出来る年齢まで生きていたかったと思う。
それを患者自身ではなく、他人から「キャンサーギフトですよね!」なんてキラキラした目で言われたくない。

私の周囲の多くの人は
「元気そうにしているけど、本当に休んでね」と
心から私のことを気遣ってくれる。
有難いことだ。

だからだろうか?
時々放たれる不用意な言葉が妙に引っかかったりする。

とりあえず
せっかく副作用にも耐えているのだから
抗がん剤が早く効いて
私らしい歌を歌いたい。