JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

CD好評発売中詳細はHPまで
押淵玲子オフィシャルHP

尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

ライブ画像をアップしています

2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

今回の七夕

2014-06-15 09:25:06 | 日記
七夕ライブといっても
毎回テーマを決めて選曲、アレンジしていましたが
今回は星に関する曲は全部やめて
「接吻」に関する曲のみ集めてみました。

まあ、歌詞にkissが出てくるということですが
その状況が色々異なりますが
そうなると・・・話は必然的に濃厚になるわけで
なんか濃厚すぎるのか?と
シナトラのCDをずっと聞きながら色々選んでいたら
聞くものを間違った(?)
彼の歌には2~3曲に1曲は
「そして、オレは彼女にキスをしたのさ」ってな文言があり
やっぱり好きものだったのね!

いかん、いかん、とは思いつつも
まあたまには濃厚でもいいか、と開き直った所
そうだった!本当は超濃厚なオリジナルを私は持ってるじゃん!
と気づきました。

Dear Mr.J という曲なのですが
英語で歌っているバージョンは私の1stアルバムに入っています.




私が英訳をしたわけですが
曲に乗る言葉というのは直訳では出来ないわけで
原曲より少し「思い出にひたる」という程度のものとなり
エッチ度が低くなりました(笑)

なので!!

今回、日本語バージョンも歌っちゃおうかと思います。

でもね。

日本語バージョンの歌詞は秀逸ですよ。
だいたい、私は詞が大変良いと
言葉とメロディの選択のセンスの良さで定評があったのです。

で、いつも誰からも訊かれるMr.Jって?

あれは大学時代の友人で、よく恋愛相談に乗ってた人です。
ジローという人で、丁度スタンリー・タレンタインの Mr.T 
が私の中でヘビーローテーションだった頃だったので・・・
そいつが、昔別れた彼女と連絡したいとか言ってきて
「え?もう結婚して幸せにしてるよ。」
「いや、傷つけたから、それを今でも引きずっているんじゃないか、とか」
「ん?そんなことは過ぎたことで、あのヤロー!って思うだけだよ」
「マジで謝りたいんだ」
「いや、会うのはすっごい迷惑だと思うよ。
もう記憶の中で抹消したいリストに入っていることだと思うから」
「ええ?女の子ってそんなもん?たったそれだけの仲?」
「まあ、そうだよね。別れたら次の人にすぐ行けるのが女だから」
「・・・・・・すっげ~ショック」
「ま、そうだろうさ。でも、メスって立派な子孫を残すために
常に質の良いオスを探すっていう本能があるからね。
たまに変なのに引っかかる人もいるけど、その人なりに顔が良いとかさぁ
喧嘩が強いとかさぁ、色んな点でその人が良いと思っちゃうんだよね。」
「ふーん。そうだったんだ・・・・」

というふうな会話で彼と話したのがきっかけで出来た曲なのです。
一応、曲の中では「今でも貴方を愛している」となっていますが
私の本心は、本当は違うけどね。。。。
だけど、ストーリー展開としてはそうしないと話がややこしく
使いたいフレーズが使えなかったので。
そういう話にデフォルメしました。

あの曲より、さらにエッチ度が高いというか
正直な話ね、女ってさ、きっと冷たいんだよ!という曲を集めたのが
「Rouge」というCDです。
あらゆる場面で女が紅いルージュをつけるときの心境を曲にしています。
予算の都合上弾き語りなんですけどね。
というか、弾き語りのほうがシックで良いのでそうしたのですが



まあ、そういう裏話も楽しみながら
「Dear Mr.J」を聞いてみて下さい。

多分、日本語バージョンを歌うのは最初で最後かもですから
皆さん、7月7日 ジャンプハウスでの七夕ライブは
お見逃しなく!!!!


七夕ライブです!

2014-06-10 09:55:59 | 日記
両親の介護問題で宣伝等遅れていますが
さて!!
私の本領発揮のお知らせです。

毎年、7月7日にJUMP HOUSEで行われている七夕ライブ。
およそ10年位続いています。(抗癌剤治療で1回抜けましたが)

そもそも
「七夕にライブ開きたいですね~」
「あら、そうよね~。そんなら浴衣着ない?」
「え?全員浴衣ですか?」
「そうよ!そうよ!浴衣祭りってことで!!」
というてるみママとの話から盛り上がって
当日は四苦八苦しながら浴衣を着付け
「自由に動け~ん」状態で月岡翔生子氏とのDUOライブが始まりました。

それが結構楽しいというか
私のライブは結構小難しいテーマが多かったり
キメキメ沢山のクールな曲のオンパレードだったりするのですが
この日は「頭が回らんかも~」と
極力キメの多い曲は避け
ちょっと楽しいアレンジとか
ちょっと気の利いたアレンジだとか
ジャズももちろんありますが
マイケルの曲とか懐かしのポップスとか日本語の曲とか
私のオリジナルの曲とか
盛りだくさんでお届けしています。

ふたりきり、ということで
鍵ハモは大活躍です。

そして、今年のお題は「接吻」



濃厚です。
でも、結構楽しい曲がいっぱいあります。
何故このテーマになったかというと
夜中に介護の疲労でボーっとしていたら
ふと、クリムトの「接吻」の絵葉書が目に入って
「これだ!!」と。

恋文、百物語、夢の又夢・・・・色々やって来ましたが
エッチっぽいで~す。

そんなことを考えていた頃に
ダ~リンが「僕の浴衣を作ってよ」と生地やさんへ一緒に出かけ
マリリン・モンローのタペストリー用ではありますが
綿の生地を見つけました。
生地のメーターが足りなかったのでダ~リンは別の柄の生地を買いましたが
帰ってから、私用に(笑)ネットで探しました。

で、私のだけ!作りました。
(もちろん、生地はダ~リンのグレーも買いましたよ)
柄の向きを合わせたりする作業が加わったり
(前、後ろと本来は続きの生地で作るのですが肩で縫い合わせ。同様に袖も上で縫い合わせになります)
「おくみ」という前身頃の端は生地を別に切って斜めにつけるのですが
これをすると、生地が膨大にいるので(柄合わせのため)
これは1枚の布でステッチを入れるという技を使い・・・
なんとか仕上がりました。



いつもは着物をほどいて洋服にしていたのですが
和服は結構手強い!
アイロンも上手く行かんし・・・
本番前に再度アイロン用キーピングでシャキッとさせねば!

和裁ってやはり、反物じゃないとダメなのね、と思うことがたくさん。
留め袖や振り袖、訪問着など
格の高い着物は裾の模様が続いていたり
背中から袖まで模様が続いていたりするのですが
これはそういう染め方をするのですね。
染というのは地染めではなく
その前の模様を入れる作業で(地染めをしてから柄を入れることもありますが、例えば黒いものとかは先に模様を入れます。紋も本当は先に入れるんです。ここが高い着物と安い着物の差です)
模様の上に他の色が入らないように薄くロウを塗るんですよ。
何色も使っている手染めの場合は
何回もロウを重ねていくので手間がかかり、高いものとなります。

まあ、そんなこんなで、あとは両親が少し私の案に納得してくれたら
(夜中に私費で介護士さんを呼ぶとか、他の人を呼ぶとか)
私は音楽生活に戻れます。
今まで一応両立させていたけど
認知症が進み、とても私だけで世話を出来ない状態になりましたから・・・

私も長い人生が残されているわけではないので
自分自身の人生を生きたいのです。

ま、ともあれ、
7月7日は月曜日ですが
週の初めから飲めん、とおっしゃらずに
リフレッシュしに、皆さん、いらしてくださいね。

今日で乳がん発覚から7年です

2014-06-05 11:30:20 | 日記
今日は記念日というにはとても残念な記念日で
昨日はダ~リンの誕生日だったので
ナントモ複雑な日ですが。

7年前の今日、私は乳がん中期と宣告されました。

まあ、検査の時にどういう結果になるかわかっていたので
覚悟もできていたし
それが悪いこともわかっていたし
ゴロンというくらい
ピンポン球くらいの腫瘍はあるな
しかも、リンパにも転移しているんだろうな、と
検査が多かったですからね
(細胞診があったし、其の時にエコーの画像が見えたので)
早期って言うことは有り得んよね、と思ってました。

或いは末期に近かったらどうしようか、と。

だいたい中期くらい
ギリギリ2bかな、ということで
ホッとしたような・・・・。

今後のだいたいの治療の流れを説明されて
「仕事の区切りをつけなくてはなので、すぐには治療には入れません」
というと、そういう人は多いので快諾してくれて
でも、早期ではないから、抗がん剤治療開始は1ヶ月程度しか待てませんよ、と。
まあ、それくらいあればいいので
1ヶ月間で色々準備しました。

抗がん剤治療は8クール。
ほぼ4週間毎に打ちます。
私は目眩持ちなので、入院加療にしました。
保険もバッチリ入っていたし。



4クールまではこの赤い薬が多いのですが
これがね、吐き気を誘うんですよ。
でも、前日、当日と1日2リットルの水を飲むと回避できるらしい、と
主治医が他の患者さんから聞いて教えてくれました。
経験者の助言はありがたいですからね。
そして、3剤を注入するのですが
これが何だかリレーというか、かけっこというか
手元に速度を調節するものがあるので
微妙に調節して揃えたり・・・
今考えるとバカみたいですが
そんなこともしてました。

今は通院の方も多いのですが
通院と言っても
先に血液検査があり、結果が出るまで約1時間待ち
治療OKとなり点滴をして1時間半くらいでしょうか?
その後、安静時間があるので
ほぼ1日仕事です。
電話もできないし
音楽は聞いても良いし、テレビも見てよいですが
多分、PCはダメだと思います。

「仕事はするな!」ということですね。

ということなので、保険に十分入っている方は
入院したほうが自由にできるかな?と。
もちろん、病院が許してくれたら、です。

抗癌剤も色々あるのですが
私が打ったのは8クールとも(ほぼ半年間)はげるタイプです。

何が悲しいかというと
脱毛は覚悟していたけれど、落ち武者のようになるんですよ。
この時期が「もうステージに戻れない」と思いました。
そんな時に心ない出来事や発言もあったりして
あの時はさすがに泣きました。
この気持は健常者には理解できないと思います。

で、禿げるということは、体毛全部なくなるということで
ちょっと小さめに



お化粧はお絵描きですよ。

でも、困ることはまつげがない、鼻毛がない・・・。
外のゴミが入り放題。
これはほんとうに困りましたね。

そして、紫外線に異常に弱くなって
まるで針が降ってくる感じ。

飲酒は止められませんでしたが
飲めません!
酒がまずいなんて・・・・残念な半年でした。



そして、最後のタキソテールが終わると
指も足も、怪我をしても感覚がないのでわからない状態に。
これは怖いですよ。
なんか焦げ臭い。肉が焦げる匂いが・・・と思ったら指が大やけど。
最初の蜂窩織炎も爪が刺さって膿をもっていたのに気が付かなくて
高熱の上に腕が腫れ上がるという感じで・・・。
これが何時になったら消えるかというと
最後の治療から半年。。。

そして、その頃にやっと髪の毛も生えてくるわけで
かわいいもんですよ



最初の抗がん剤から1年後です。

こうなると、何故私が休業したのかご理解いただけると思います。
これではステージに立つとか考えられません。
体力も落ちているし。

そうはいっても経理マンでもありますから
一応経理の仕事はしていました。
だから遊んで暮らしていたわけではありません。

で、おそらく、珍しいのはこれ。
これがコヒーシリコン しずく型です。
こういうのが胸に入るのですよ。



まあ、あれから7年間
主な治療が済んで2年間何もなかったし
3年半。色々不安もあったけど、再発しないんじゃないか?とか。
再発率4割って結構大きな数字でしたからね。
でも、そんなこともないんじゃないか、とか
10年間の治療が済めば、色んな物から開放されると思っていたら

鎖骨のところにコリッとしたものを発見。
主治医に言うと、すぐにエコー検査。
「何かあるね。細胞診するから、結果は1週間後。結果を期待しないできてね」
ああ、再発したんだろうナ・・・。

そして「今日は一人でいらっしゃいました?」
「いや、初発の時だって一人だったので大丈夫です」
「今からどこまで広がっているのか検査をしますね」云々
結局、鎖骨近辺のリンパ節に10箇所以上の転移巣があり
一番嫌なものが声帯まで約2センチのところにある、と。

薬は即変えられたけれど
放射線治療は声帯を焼かれては嫌なので、一度断っていました。

その年には息子の結婚式もあったけど
気分は晴れないまま。
そして、ANIME-JAZZもあったりして。
一応の大きな行事が終わってすぐに
弱っていた愛猫が死にました。
ダ~リンと涙に暮れていたら
「猫が死んでもこれだけ悲しいのだから、お前が死んだらどうする!」と。

再度放射線治療のために検査。
問題は声帯に影響を与えないようにすること。

せっかくANIME-JAZZのCDも発売したのに
再び治療でプチ休業。
放射線治療は照射時間は短いかいけれど
本当にフラフラで帰って、その日は何も出来ないくらいになり
マックスだったので
ほぼ2ヶ月間、病人らしい病人していました。

その間に何も宣伝できなかったCDはYouTubeでひとり歩きして
色んな所から注文が入り
ラジオ出演に
テレビ出演に・・・・

そんな折、東日本大震災があり
その1か月後、姉が大腸がん末期とわかり
私は一生で一番悲しい、忙しい日々を過ごしました。

間質性肺炎になったけれど
姉のいる東京へ老いて一人で歩けない両親を連れて行かなくてはいけない。
「自分の命と両親やお姉さんの世話とどっちが大切?」
家族からも放射線科の主治医からも怒られたけれど
「私にその選択権がないんです。行きたいという両親を連れて行くだけで」
治療痕も硬化が始まって
「今、大事にしなくちゃ。安静が必要なんだよ」と言われたけれど
私の安静など、両親にとっては大した問題ではなく
「ちょっと自分たちを東京へ連れて行くだけじゃないか」
そう。ちょっとしたことだと思っている人たちだから理解してもらえない。

姉は死ぬまで「玲子に負担掛けてない?」と心配していたけれど
その意味が両親には判らなかったみたいですね。

それから2年後。
またもやANIME-JAZZの年に
「肺に影がある」と。
「もしかしたら、肺がんかもしれないので呼吸器内科へ行ってください」
え~~~!!!

この時が今までの色んな宣告の中で一番びっくりしました。
だって、何の症状もないのに?
呼吸器内科へ行くと
「これがもし全部肺がんだったとすると4期になります。」
え~~~~~!!!!!
最終ステージ?
何も症状がないし、酒も美味しいし、色んな企画もいっぱい抱えているんですけど!
そんなこと言われても・・・・ってなもんですよ。

PETにも行きました。あれは更に詳しいので
小さなものも含めると8~10個位色んな物ができているそうな。
そして、世にも恐ろしい気管支鏡検査。
最初は胃カメラみたいなものですよ、と言われたけれど
どうも違うらしいぞ、と。
もう二度と受けたくない検査でした。

検査終了後、病室にやってきた乳腺の主治医に
「もう呼吸器内科卒業して乳腺に帰らせて!」と泣きを入れてみたりしました。

結果は動脈を挟んでの大きな腫瘍だったので
ほんの少ししか細胞が採れずにグレーのまま乳腺外科へ帰りました。

あれから1年半。
フェソロデックスが今でもまだ使えることに感謝です。
今年中におそらく薬が変わるかな、というところですが
どうも肺転移した人は割と元気に最後まで過ごして
ちょっと具合がわるいかも、と
まさか死んでしまうとは思わないまま入院して
ガタガタと悪くなり
余命宣告など無いままに召されていくようなので

私も最後までライブをして
バリバリ歌って
「え?2ヶ月前にライブしてたよ」ってくらいであの世へ行ける予定です。

でも、まだ死なないですからね。

目標は60才(わぁ~しょぼい)
還暦のお祝いくらい経験してみたいので
お迎えはそれからにしてほしいと思っている所です。

ダ~リンの誕生日

2014-06-04 09:51:34 | 日記
今日はダ~リンの誕生日。
67歳になりました。
でも、若いですよ。見た目は。

ま、こんな感じ



この歳だということは・・・・
明日は別の記念日なので
還暦のお祝いにとんでもないプレゼントをした私です。
あ!
ちゃんとした還暦のプレゼントは
グランドセイコーでしたよ。

結婚したての頃
私はまだ22歳で大学卒業したばかりだし
な~~んもわかってなかったので
「オジサンだ・・・・」と思っていました。
これは最近もいろんな話題の中で
ジェネレーションギャップを感じる時がありますが・・・。

結婚式は



当時もタキシードが主流でしたが
「オレは絶対燕尾服がいい!」と言い張って
でも、主張しただけによく似あってました。
この写真を見ていたので
うちの息子も燕尾服がいいと・・・。

そして、新婚旅行中は





こんな感じですね。
若いですね~。
ダ~リンも私も。

今ならこの写真を見て「男前じゃん」と思えますが
当時の私には価値がわからないというか
持ち物が、あまりにダサくて
というか、ファッションがダメダメで
今、中洲で少しモテテいるダ~リンは私が作ったのですよ!!
教育の賜物です!

多少教育して
ロンドンの学会へ教授夫妻と行った時がこれ



まあ、写真を披露したところで
新婚当初からの悩みといえば

ダ~リンのイビキ

これは家中に響いたりして。
最近私もイビキをかくので、人のことが言えなくなりましたが
これが私が「さあ、寝ようか」という頃に佳境を迎えるので
結構大変なのです。

それで、私は時々枕を反対向き
要するに足と頭を反対にして寝たりしているのですが・・・
ダ~リンは夜中に起きて
隣で私が寝ていると思ったら
私の足が見える、という
ちょっと失礼かな?という寝方をしていたりします。

冬は足も布団に入ってるからいいんですが
今からの時期は足が出てますからね。

「足を向けて寝てる」

まさにそんな感じですね。
ごめんなさい。

そして、優しいダ~リンは
ここ数年夜中の咳に悩まされていたし
間質性肺炎が悪くなったりしていたので
親切なことに、私の寝息を観察しているのですね。
普通の息をしていない時のほうが多くて
ヒューヒューと独特の息をしているので
それがひどくなっていないか、とか
それを伺おうとすると
ニョキッと太い足が!!

ん?
じゃ、頭は向こう?

とダ~リンは一応頭の方まで耳を寄せて
確認して寝るようですが
何時でもすぐに寝れるダ~リンでよかった。

これが私だったら
そんな人手間かけたりすると完全に目が覚めて
また眠るまで1~2時間苦しんだりするのですが
まあ、不幸中の幸い?

ダ~リン
おそらく、私のほうが先に死んでしまうし
結婚した時は一回りも年下だからそんなこと考えなかっただろうし
完全に人生が変わってしまったけど
健康に気をつけて長生きしてネ。
というか、認知症にならないように気をつけてね。

失くなっていく物々

2014-06-02 19:35:25 | 日記
実家へ行くと色々失くなっているのに気付いたりする。
先日大事件も起きた。

詐欺というのか
母が泥棒を招き入れてしまった。

まあ、そんなことを思いながら、タンスを見ると
あれ?
なんで?
みっちりあった着物が
少しなくなっているじゃん。

おそらく、来た誰か
(それはまた泥棒かもしれないし、知り合いかもしれない)
「どうぞお持ちください」なんて言ったのだろうな。
今どき着物は千円もしたら良い方だし
売れない。

そして、書類もあれこれ失くなる。
これは母が何処かへ仕舞いこんでいるのだと思う。
薬も失くなる。

そして、失くしたものは信じれらないところから
団体で見つかったりする。
ウーーーーん・・・・・
どうにかしなくてはよね。

そろそろ、父に言い出しにくいことを言わねばならなi.
成人後見人制度を利用しよう。
母の分。
父はまだしっかりしているからいいけど。
このままでは
父の居ない時に、大事な書類などにハンコをつくかもしれない。
恐いよ。
何しろ、人を騙そうとする人は
そういう知恵はすっごくまわるんだから。
普通の人はかなわないから
何か大事が起こる前に。

そして・・・・

実家に飾っている姉の写真も
定位置になかったり・・・・・。
いや、動かないものはそのままだけど
写真集みたいなものとか
何処かから持ってきたものを置いてあったものとか
何だか色々。。。。

はぁ、とため息をつくしかないのだけど
これがもし、祖母だったら何というかな?と
「きっと大きなネズミが持っていったんだよ」
「死んだおじいちゃまがちょっと見せてね、って持っていたんだよ」
「座敷わらしがいたずらしてるんだよ」
なんて

きっと楽しい反応を見せてくれただろうなぁ。