JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
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2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

守護霊様

2012-08-20 11:43:04 | 日記
私の守護霊は、多分、父の父方の祖母です。
彼女は所謂八卦見と言う人でしたが、職業ではありません。
田舎の大きな庄屋の生まれで、教育者の祖父の所に嫁いだそうで
何でも父の家は寺子屋の時代から教育者だったそうですが・・・
庄屋だったとか・・・あやふや。

父は苅田の近くの教育者の息子で
私の祖父は銅像もあるくらい立派な人だったそうです。

その祖父を育てた「ハイカラ」な親が曾祖母で
家には子供を抱いた観音様があったそうです。

苅田とか行橋とかそこら辺の谷あいの村だと思いますが
昔は大友宗麟が支配していた所で
キリシタンの多いところなのです。

キリスト教は弾圧を受け
「観音様」と「マリア様」という贖罪を乞う信仰として生き続けます。
父なる神の厳しい信仰とは少し違うのです。
まあ、ともあれ、とりたてて「寺」の大檀家でもなく
まあ、墓もあるし供養も仏教ではしていたけれど
「仏教徒」ではなかったようです。

そして、曾祖母はナント乳がんだったのです。
父が小学生くらいの頃、抱かれると胸が平らなので尋ねました。
「ばっさまの胸はなんで片方しかないと?」
「ああ、これは悪い鬼が来た時にくれてやった」
そして、困った困ったと相談に来る村人の話を聞いたり
助言をしたり
なくし物の検討をつけてあげたり、としていたそうです。

当時のことですから、60ちょっとくらいでなくなったそうですが。

さて、私もちょっとした霊感があります。
子供の頃から、人には見えないモノがぼんやり見えたり
テレパシーみたいなもので「そっちへいってはいけない」とか。
修行をしていないので「見える」程度。

最近、ある霊に悩まされています。
原因も何となくわかっています。
私を死へ引きずり込もうとしているのは判ります。
コイツは私が乳がんじゃないかな?と思い始めた時から時々見ています。
再発した時も見ました。

はっきり「ああ、この人なのか」と思ったのは
私が願掛けをした時。
姉が4年前に全身麻痺で倒れた時に、私は自分の命と引き替えでいいから、と願掛けしました。
姉と私、どちらがその霊にとって大切なのか判っていました。
姉は絶望的と言われた状況から奇跡的な回復を遂げ
何とか、車椅子で生活できるまでになりました。
その後、私は再発しました。
これは約束だから仕方のない事でした、と思ってました。

しかし、私の守護霊は私を守ります。
何とか自分で手放そうとしている命を引き寄せよ、と
波に飲まれて、どこか深いところへ落ちていく私を
「落ちたらいかんぞ!」と長い長い手が何本も出てきます。
いや、もう疲れたから、というと
背中に負われて「逃げにゃぁ、逃げにゃぁ」と言われます。
3回ほど同じ夢を見たでしょうか。

運命は不思議なものです。
姉は別に願を掛けていました。
自分はほぼ寝たきりの状態で命を永らえるなら
私に時間をゆずる、と。

きっと、私は姉の時間をもらったのだと思います。
私の守護霊は姉の曾祖母でもありますから、考えてくれたのでしょう。

そして、今、私を死へ引きずろうとしている霊は怒っています。
自分が一番大切なものを生かすためには
私が邪魔なのです。

大変怖い夜が続いて
最初に書いた大友宗麟とキリシタンの村のことを思い出して
曾祖母は実はキリシタンだったのかも?と。

曾祖母はオルガンも弾いていたそうです。
綺麗な外国の歌も知っていたそうだし、英語も少し知っていたそうです。
それで、祖父はヴァイオリンも弾くし、クラシックの曲にも詳しく
村に交響楽団を呼んだそうです。

押淵の家は神道ですが・・・
霊にはきかんかも、と私は守護霊であろう曾祖母を頼って
十字架と聖書を枕の横においています。
お陰で、部屋まで入って来ません。

今の所、守ってくれているみたいです。