続きます
旧門別町の閉校 ※赤字は今回レポート
「小学校」
門別町(2006年廃止)
- 門別町立門別小学校〈旧〉(1975年新設の門別小へ統合)
- 門別町立幾千世小学校(同上)
- 門別町立緑ヶ丘小学校(同上)
- 門別町立広富小学校(1985年休校、1987年閉校)
- 門別町立鳩内小学校(1986年休校、1990年閉校)
- 門別町立三和小学校(1990年閉校)
- 門別町立庫富小学校(2003年休校、2004年門別小へ統合)
- 門別町立正和小学校(2006年閉校)
日高町
- 日高町立賀張小学校(2009年休校、2010年日高町立厚賀小学校へ統合)
- 日高町立豊郷小学校(2010年日高町立門別小学校へ統合)
- 日高町立清畠小学校(同上)
- 日高町立里平小学校(2018年厚賀小へ統合)
「高等学校」
- 北海道富川高等学校門別分校(1955年)
- 北海道厚賀高等学校(1977年)
「旧日高町立賀張小学校」
開校:明治37(1904)年
閉校:平成22(2010)年
校舎:()年竣工
日高町字賀張82-1
ナビ「㈱ワラウカド」 ※2025年7月6日撮影
賀張地区は門別本町と厚賀の間にある
厚賀の隣は新冠町なので日高門別の東端に近い。
他の街と同じように山から流れる川沿いに、下流に向けて集落がある
旧賀張小学校は他の地方地区と同じように賀張神社の隣に学校があった。
校舎他、施設は健在だが現在は民間活用なので、玄関へ行き訪ねようとしたが不在のようだ
校章を撮影し、急ぎ敷地を出て再度見学をした。
面白いなと思ったのはグラウンドは道路向かいの一段低い場所にあった
広い平地を確保できなかったのだろう
グラウンドはさすがに雑草だらけだが遊具も残っており、まだ学校の雰囲気を味わえるはずだ。
学校跡地として「ポール」は重要
次の閉校地へ行く途中に撮影 ここまでたくさんの牧場と馬を見る。
「旧日高町立厚賀中学校」
開校:昭和43(1968)年
閉校:令和7(2025)年
校舎:昭和46(1971)年竣工
日高町厚賀町216-1
ナビ「日高町立厚賀中学校」 ※2025年7月6日撮影
厚賀地区は日高山脈から流れる厚別川沿いに発展した街で、川向うはもう新冠町だ
その厚賀の街の中心地山側に校舎があった。
旧厚賀中学校は今年令和7年に閉校となったばかりの学校である
ゆるやかなアーチを描く校舎はもちろん健在であるが校章は見なかった
これは校章だけ外したということだろうか
それとも私が見落としただけか
アーチの校舎も裏から見れば予想外の凹凸のある裏面だった
広い校舎にバックネットや体育館も健在。
それでも今年に閉校になった証のようなよくある看板のようなお別れや感謝の表示物は無かったのは残念。
最盛期には500名いた生徒も閉校時は30名まで減少していた
閉校もやむなしだろう。
ここも前庭に大きな栗の木があった
閉校の記念碑はこれから作られるのだろうか
「旧日高町立里平小学校」
開校:()年
閉校:平成30(2018)年
校舎:()年竣工
日高町正和308-1
ナビ「里平神社」 ※2025年7月6日撮影
今回の行程で最も札幌から遠かったのが里平の集落。
小学校は里平神社の隣にある。
学校へのアプローチは明確で、看板と新旧二つの校門が迎えてくれる。
車で校舎まで行っても誰もいない
他の閉校によくあるロープやチェーンもない
「そういうこと」を心配しなくていい場所だからだろうか
校舎を見て驚いた
ここまでの道中でそんなに民家が多いわけではない
だが目の前にあるのはRC造り2階建ての立派な校舎だ
しかも端の部分に円形の穴がありデザイン性もあった
コンクリート造りの校舎の時代になってから機能性重視になり
ちょっとした遊び心を持つ校舎が少ない時期があったね
二つある校門のうち、巨岩を利用した方の裏に「竣工記念 昭和61年」とあったので校舎の竣工は昭和61年だろう
それにしても「里平」(リビラ)とはお洒落な地名だと思う。
20周年記念の製作物だろう
噴水⁉ ペンギンもいた
校庭への降り口
百葉箱があった
「旧門別町立正和小学校」
開校:明治44(1911)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:()年竣工
日高町正和
ナビ「日高町正和 天照皇大神碑」 ※2025年7月6日撮影
「旧正和小学校」の正門は2か所ある
おそらく旧校舎から新校舎へ立て替えした時に校舎の位置が変わり
玄関近くに正門を新設したためだと思う。
だがどっちかというと「旧正門」の方がいい感じだった。
ここからは校舎は遠くに見える
体育館もプールも現存しているのは閉校が平成18年だからだろう。
「新正門」の方は地域交流センターの大きな標示に替わっている
校舎に比べて体育館の方が新しく感じる
また教員住宅らしき建物も健在で、閉校後の撮影どころが多い学校だった。
「旧門別町立三和小学校」
開校:昭和8(1933)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:()年竣工
日高町三和82-173
ナビ「三和生活館」 ※2025年7月6日撮影
例にもれず隣に神社がある場所に学校があった
パッと見、生活館と墓地、学校敷地への石段、それと閉校記念碑があった
これで終わりかと思ったら右手の奥に気になる建物が見えている
行って見るとなんと校舎であった
木造モルタル造りのようだが、もはや廃墟に近くカビや一部損壊が見てとれるが崩壊の危険がない程度に現存していた。
諸所にある縦長窓が何とも時代を表し、とても素敵だ
校舎は右側に長く続き、小さな体育館で終わるみたいだが、生い茂る雑草のために途中で断念した。
小さな校舎であったが現存するうちに見れて良かったと思う。
右の建物は崩壊寸前だ
右奥に見える建物が校舎であった
石段の上下どちらかに校門があったのだろう
「旧門別町立鳩内小学校」
開校:昭和22(1947)年
閉校:平成2(1990)年
校舎:()年竣工
日高町広富
ナビ「鳩内八幡神社勧請跡地の碑」 ※2025年7月6日撮影
今回の閉校巡りで最も冷や汗が出たのは、この前の「旧三和小学校」を出発し、すぐにスマホが圏外になった。
すっかりナビ頼りの計画を立てていたので次の場所が地図上でどの辺にあるかも確認していない。
まぁ道なりにと思って走り、やっと圏外から脱したら真逆の平取町へ向けて走っていた。
戻りに10分をかけてしまいとんだタイムロスをした。
さて「旧鳩内小学校」だが、事前調査で校舎など無く、校門が残っているだけの情報を得る。
その場所に着いたが、あまりの雑草の多さに中まで進む気がしない
かろうじて見つけた校名プレートもない校門を撮影
また反対側にはもう一基あった。
この場所が学校の入口は分った
古い航空写真では旧校舎は向かって右手の奥にあった
そこにシンボルツリーに見えなくもない樹木があったので撮影をする。
また左の方にある建物は学校とは無関係らしい。
もう一基の校門へは近寄れず
プレートがあった跡がある
シンボルツリー?
下の写真は無関係の建物らしいが、もっと道路に近い場所にもう一棟あった
古い航空写真ではそこも写っている そっちが旧学校の施設の一部かも知れない
撮影をしなかったのは悔やまれる。
道路の反対側にこんな掲示板?があり
※門別町史より
「旧門別町立広富小学校」
開校:大正4(1914)年
閉校:昭和62(1987)年
校舎:()年竣工
日高町広富96-1
ナビ「広富山村研修センター」 ※2025年7月6日撮影
旧門別町最後の閉校は「旧広富小学校」
撮影漏れだがここも隣は神社であった
さて学校敷地へは少しばかりの坂を車で登るが、まずそこに記念碑があった
これは他の旧門別町の小学校閉校で観たのと同じものだ。
残念ながら傾斜地にあり、裏側は未確認。
坂を上がると現在は研修センターに使われている旧校舎がある
外壁は綺麗に塗装されていた。
建物の形状から体育館は2階部分であろう
グラウンドにはバックネットが健在なので野球も出来る
奥には神社への入口もあるはずだ。