「札幌ハリストス正教会顕栄聖堂」
ハリストス教会といえば函館があまりにも有名だが
札幌にも素敵な教会がある(道央には他に小樽と苫小牧にあり)
今話題の新スーパーが入る旧エスパの裏手にあり、双方からお互いが見える。
福住の閑静な住宅街にあるので静かに見学したい
特徴のある建物は住民のランドマークになるだろう
一角をぐるりと廻れるがまたの機会にした。
2025年2月4日撮影
以前は中央区南7条東1丁目にあったが、札幌オリンピックによる道路拡張工事のため移転
その後、昭和46年(1971年)8月に新築の教会が竣工し現在に至る。
当時は豊平川に架かる橋は今より少なく、豊平橋の南に現在ある「南7条橋」はこの昭和46年の完成だ
教会は道路拡張と「南7条橋」と引き換えに移設したということだろうか?
下は現住所で見れる一番古い住宅地図かと思う
※ 昭和33年度地図 ●印が教会
下部分は豊平川
また左ハジの空白は現在の中央区を東西に分ける創成通りになり創成川がある
当然だがまだ「南7条橋」はない
現在この場所にあるのは
マンションと「リンナイ」
現在の建物になる前にはここにはホテルがあった
「札幌ロイヤルホテル」
wikipediaによるとホテルの開業は昭和39年(1964年)とあり5月に開業している
数年前からの計画と建設期間があるので、札幌ハリストス正教会の移転時期は昭和30年代半ばから後半で?
福住での建設期間を鑑みても昭和46年の稼働まではどこかに一時移転していたのかと推測する。
札幌オリンピックの前に大型ホテル建設の必要性があったと思うので
(この時点では札幌グランドホテルしか大型ホテルは開業していない)
札幌市からも働きかけもあったのかも知れない。
ホテルは2010年~2011年で解体され現在に至る。
もう一度当時の住宅地図を
ハリスト教会の右側に縦に道路があり、一般住宅が並んでいるのがわかるが
その内の1軒が健在だ!(表札確認)
なんとなくだが、何があってもこの土地は売らん
そんな気概の人がお住みなのかなと思った
また「竹山食品」も昭和33年の地図で現在地にある
※会社の上の架線は国道36号線と電車が走っていた
最後にこちらのお宅もお名前がありました

<再訪>
月寒、八紘学園の農産物直売所に行った帰りに様子を見てきた
やはり門は閉まっていて敷地に入ることは出来ない
これまで同様に金網越しにズームで撮るだけであった。




いつか見学会があった時に一緒に見てみたい。
2024年7月13日撮影

<再訪>
上記と同じ理由で再訪
今回は好天でサイロによく似合う天気だ
ここも中の見学は出来ないがいつかはその機会があると期待する
今回は時間が無くパスしたが、ここと上記の栗林記念館から国道36号線へ向かうと八紘学園の施設で木造の建物が並んでいる。
学校関係者以外は立入禁止だが、外側から見ることが出来る
2024年7月13日撮影
ここから過去記載


よく目にしていた建物でした。





現在はお洒落なアパートが建っています。


色々な目的で遊べる公園で広い駐車場があります🏞
バードウォッチングの人も多いです🐦
が、奥地に行くにはヒグマとの対策が必要ですよ🐻





歴史的な建造物だったのです


住宅街の真ん中で原生の自然を味わえ、近隣住民の憩いの場のようです🌳
住宅も隣接していますが、すでに新築されていました。
サイロは鉾状の屋根飾りと牛の風見鶏をつけた牧場のシンボルでした🐄
現存してあるかどうかもわかりません。

見学できるチャンスがあるまで注視していよう。
「旧光塩学園女子短期大学 西岡キャンパス」
※光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌より
昭和28年に「光塩学園」と改称
昭和42年に「光塩学園女子短期大学」開学
昭和43年に「光塩学園女子短期大学附属幼稚園」開園
昭和62年に「光塩学園女子短期大学西岡キャンパス」が完成している。
このうち「光塩学園女子短期大学」と「光塩学園女子短期大学附属幼稚園」は

※北のまれびとより

※光塩学園女子短期大学開学二十周年記念誌より
南区真駒内上町にある女子短期大学校舎は平成18年に新校舎に建て替えされ、付属幼稚園は平成30年に認定こども園に変わり
園舎も建て替えられている。
その中で建築資金を北海道銀行の常務に申し入れに行ったとあるが、この頃の田上氏はすでにいくつもの北海道銀行各支店の設計をしており
北海道銀行本店ビルに事務所を構えていたころだ。
田上氏への設計依頼は北海道銀行が関わっていたのだろうかと推察する。
「建築のほうは地階を終わり、1階のコンクリート打ち込みが始まり、田上氏のところの本間哲夫氏が戸田建設の森谷現場監督と相談しつつ毎日指揮にあたっている」
明治32(1899)年生まれの田上氏はすでに68歳になっており、実際の設計と現場確認は事務所のスタッフである?「本間哲夫氏」がしたのかも知れない?
「田上氏のところの本間哲夫氏」がその後に独立したのだろうか 昭和62年と言えば田上氏は87.88歳である
短大の建築で信頼を得た本間氏に依頼することはありえる話だ。



2023年3月撮影

※イクサンダー大沼ユースホステル
本間氏も師である田上氏の設計を参考にしたのだろうか
この西岡キャンパスの設計をしたとの確証が何もない
なので勝手な憶測になるかもだが