札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

札幌市のビル・社屋・店舗の建築探訪②

2021-07-30 16:47:04 | ビル・社屋・店舗

 

「道銀ビルディング」 

住所:中央区大通西5丁目

 

北海道銀行の本店は大通公園に面した札幌の中心部にある
その歴史は何といっても設計者、田上義也氏と道銀の初代頭取の深い関係にある
田上氏の代表的住宅「旧小熊邸」を道銀が所有し初代頭取の島本 融氏がたいそう気に入った
そして設計者である田上氏を呼んで歓談したことが始まり

その後、田上氏のもとに創立したばかりの道銀支店の設計依頼が次々に舞い込んだ

本店ビルは共同の設計で1964年に竣工した
道銀だけではなくテナントも入り田上氏も事務所をビル内に設けた

その後、業務不振の道銀が2002年に不動産会社に売却しており銀行所有ではなくなった
現在はテナントして入っているが
老朽化により隣のビルと一緒に2024年に解体し2030年の完成を目指すそうだ

また1棟、田上氏の作品が無くなる


2021年4月撮影

 

 

 

 

「日本清酒株式会社」 

住所:中央区南3条東5丁目

 

昭和3年設立の日本清酒㈱の前身は明治5年に創業した柴田酒造店である
千歳鶴、寿みそブランドで札幌市民には馴染みがあり、創業者の柴田というブランドの酒もある

本社社屋は昭和25年、酒造工場は昭和30年に建てられたもの
現在の場所にいつ移転したかはわからぬが、豊平川がすぐそばにあり大きな建物は対岸からも良く目立つ

以前は蔵などもあったようだが現在は無い
新しく酒ミュージアムを作ったり、旭川の高砂酒造、余市の余市ワイナリーを子会社にしたり設立したりと日本酒1本から脱しようとしている

アネックスは竣工当時はラーメン屋や食堂をテナントにするなど面白い試みであったが現在のテナント部分は閉鎖している。

 


2020年12月撮影



 

 

 

「森商店」 

住所:中央区北2条東7丁目

 

森商店は中央区東地区に位置し、近くには札幌ファクトリーがある
この地域の建物は「古すぎないが新しくはない」建物が多く見受けられる

社屋や店舗、支店など小規模の建物が多いのも特徴だ
〇にモの屋号と右手の小さな丸窓が印象的な店舗
この時は定休だったが開いているとどんな店構えになるのだろうか

ちょっと興味があるのでまた行って見よう


2020年12月撮影

 

 

 

 

 

「みらくる薬局山鼻店」 

住所:中央区南21条西14丁目

市電通りに面しており、中央図書館がすぐそばにある建物
その歴史等は不明だが随分と味がある洋館だ
左側の階段室と思われる塔部分が特徴的

この外観により、過去は2軒の喫茶店だったが現在は薬局である
その前がわからない もちろん住居であったろうと思うがどうか

面した通りは市電や交通量が多く、病院や図書館もあり多くの市民が目撃しているはず
何気なくチラ見で終わると思うが、薬局に合わない建物だなと思う人もいるのでは。

 


2020年12月撮影

 

 

 

 

「ペケレット湖園」 

住所:北区篠路町篠路425

ペケレット湖は茨戸川から派生した札幌には珍しい「湖」で石狩川の河口がある北区や東区ならでは。
そのペケレット湖の敷地は私有地でジンギスカン店を営業している
2階と3階は郷土の資料館的な展示があり篠路の藍染歴史もうかがえる

アーチの連続を描いたモダンな屋根が特徴で、廻りに白樺を配し敷地外からも木々越しに見ることが出来る
コンクリートの打ち放しの建物の竣工は1960年代と思われる

車でしか行けない場所だが野鳥も多く湖の散策付きドリンクセットもあるから
中を見ること、湖側から建物を見るの両面から利用してみたい。

 


2021年3月撮影

 

 

 

 

 

「泉燃料(株)」 

住所:北区北12条西4丁目

北大正門に近い場所に昔ながらの店舗で商売をしているお店
張り紙からして炭が主力商品、ほか燃料の取引があるのだろう

壁の板が1階と2階と違うので1階は直しているようだ
角地に面しており店舗も2か所の入口で対応している
廻りはビルやマンションが多く、いい意味で違和感を醸し出している

泉燃料さんの創業年はわからないが、さらに長く残ってほしいお店だ。

 


2021年6月撮影

 

 

 

 

「北海道三菱自動車豊平サービス工場」 

住所:豊平区豊平4条12丁目

自動車整備工場に上げ下げ窓のレトロな建物があると聞いて行って見た
場所は「きたえ~る」と「豊平公園」の向かいにある三菱自動車の工場

はて縦長窓の事務所もカマボコ型の工場も趣きはあるがこれではないようだ
広そうなのでぐるっと敷地を一周してみると、裏側にあった

元はこちらが事務所だったのではないか?
現在はガレージ的に使っているようだが

豊平区でも豊平は特に早くから開拓されたため古い建物があるが
逆に古すぎて建て替えした建物も多い
いつ竣工された建物かはわからぬが当時は廻りは似たような家もあったのだろうと推察する。

 


2021年3月、6月撮影

 

 

 

 

 

「つばめ自動車(株)」 

住所:豊平区水車町3丁目


以前から豊平川の右岸線を走ると、つばめタクシーの大きな看板と社屋が気になっていたので行って見た
つばめ自動車はタクシーや整備工場の会社でその創業は昭和25年と70年を超える老舗企業だ

社屋は豊平川に向かうように中央部分を挟みシンメトリーに出来ている
竣工時の建物から建て替えと思われる

タイルと細く縦長の窓がお洒落に感じたね。


2021年6月撮影

 

 

 

 

「しまくま堂」 

住所:南区簾舞1条2丁目


しまくま堂はロシア東欧諸国の雑貨販売のお店である
旧黒岩家から山側に見えたので行ってみたらいつかTVで紹介されていたお店であった

隣家も同じような造りゆえ施主は一緒かも知れない
木造2階建て下見板張りも札幌では貴重になった
中はリノベーションされており雑貨屋さんらしく白ペンキで綺麗にされている

この時は定休だったが、洋食器でも見に行ってみようかな。

 


2020年8月撮影

 

 

 


札幌市のビル・社屋・店舗の建築探訪①

2021-07-25 11:33:36 | ビル・社屋・店舗

ここでは札幌市のビル(社屋・雑居含め)、企業社屋、店舗など歴史的、レトロやモダン的な建物を紹介して行きます。

社屋などは中に入れないので外観が多くなるのと、やはり中央区が多くなります。

 

「大五ビルヂング」 旧羽幌炭鉱札幌本社ビル

住所:中央区大通西5丁目

昭和29(1954)年竣工の歴史のあるビル
1階ホールや螺旋階段が特にレトロ感がある 階段の真鍮製手すりはピカピカで美しい
近辺のビルとは明らかに違う重厚なファサードで「ビルヂング」が似合うビルである

羽幌炭鉱は1935年開鉱、1970年閉鉱した
大五とは大通5丁目にあるビルだから付けたようで、ほかに札幌では羽幌炭鉱のグループ会社で大五タクシーがある(現在は東邦交通に合併)

 


2021年2月撮影

 

 

 

「(株)三剣製粉所事務所」

住所:中央区南6条西8丁目

三剣製粉所は大正2年創業老舗の、そば粉の製造販売会社である
この建物の竣工は何年か不明だが、前面に木造2階建ての事務所があり奥に見えるのは旧工場のようだ
側面に上げ下げ窓がある このような様子から遅くとも昭和初期にはあったのかも知れない 
この時は東本願寺の近くで両方観て廻った

現在、工場は白石区にあるが本社はこちらだ
本来は業務用だが一般にも本社で予約販売をしている

 

 


2020年8月撮影

 

 

 

「カナリヤ」

住所:中央区南1条西2丁目

札幌の手芸、生地を扱うお店では最大かと思う
中心部の真ん中にやや複雑な建て方をしている
増築によるものかと思うが東面、北面に客用玄関があり南面は事務所的
唯一西面だけが壁になっている。

創業は昭和5(1930)年だが建物の竣工は、はっきりしない
設計は北海道建築の父と言われる田上義也氏
氏の作品年表によると本店が昭和48(1973)年
含め3棟の設計が認められる。


東面




北面


南面


2020年9月撮影

 

 

 

「Kaku imagination」

住所:中央区南3条西7丁目

木造2階建ての雑居ビルでカフェやパン屋、美容室、バーなどが入居している
竣工は大正期とも昭和初期とも言われている
戦前には「北海道女子栄養学校」の校舎 その前は個人事務所であった

1階右端の軟石は狸小路まで続いているそうで、建物全体を軟石が囲んでいたかも知れないとのこと
ちなみにその軟石部分にはバーが入居し、おそらく札幌で一番狭いバーではと聞いたことがある
過去に2階でオフィスキューの鈴井貴之が劇団のけいこ場にしていたこともあった。

 


2021年9月撮影

 

 

 

「カメラの川田」 2020年11月移転のため閉店

住所:中央区南10条西6丁目

昭和初期に建てられた個人住宅としか情報はない
側面の出窓や裏面の大きなウッドデッキが面白い
カメラ屋さんになるときに、もう一つあった玄関を無くしたようだ

その前はフレンチレストランの「かやの茶屋」でアルザス地方の料理とパティシエによるケーキなどが評判であった
2014年にランチ利用したときには末期の食堂というものを実感した記憶がある

カメラの川田の記述によれば移転は道路拡張のためとなっていた
そうすると、この建物もいつまで残っていられるか

 


2020年9月撮影


「かやの茶屋」時代 2014年4月撮影

 


 

 

 

「竹山食品工業㈱」

住所:中央区南5条東1丁目、南6条東2丁目

竹山食品工業は明治22年に創業者が開いた海産商の竹山商店が前身
その後、つくだ煮製造を始める
私が数十年前に勤めた会社の寮がすぐそばにあり、いつもつくだ煮を煮る匂いが外にも充満していた覚えがあって懐かしい

南6東2にあるのは工場で事務所棟が昔ながらのファサードである
南5東1は本社と営業部でこちらも昔ながらの建物と独特の外観を誇る本社がある
斜めラインの金属(アルミ)を張り四角の窓が印象的だ
社名のある「うだつ」を残しているが、これは創業の地から移築したものかもしれない。

 

 

 


2020年12月撮影

 

 

 

「松本商店」

住所:中央区南2条西8丁目

市内中心部にある古くからの酒屋さんで、店舗の廻りも敷地のようだ
昔からの木造2階建てに〇に松の「うだつ」もある
窓や煙突ひとつをとってもレトロ感覚のお店だ

正面にはネオンサインがあるのがミスマッチで面白い

 


2021年1月撮影

 

 

 

「福本商店」

住所:中央区南5条西1丁目

福本商店は昭和18年創業の非鉄金属鋼材の販売会社である
この建物は昭和39(1964)年の建築と思われる本社であった
一本松が印象的で奥にある建物は寮かもしれない
一部レンガ造りであるのが歩道からも望める

現在は斜め向かいに本社ビルを竣工し新社屋とした。

 


2020年9月撮影

 

 

 

「南川商店」

住所:中央区南8条西2丁目

南川商店は消防機材を扱う会社
建物の竣工年はわからないが結構古い建物のようだ

屋根のトタンは替えていると思うが縦長窓などの意匠はとても魅力的
見学時は休日だったのでシャッターが下りていたが普通に営業をしている

向かいには鴨鴨川が流れてススキノの喧騒から少し離れている

 


2020年8月撮影

 

 

 

「第一青樹社ビル」

住所:中央区南7条西3丁目

田上義也の設計にビルは多くないが、その1棟である
昭和44(1969)年の建築と思われる

ススキノの駅前通りに面して華やかな場所にあるが、落ち着いたグリーンと格子柄が目立つ
ビルの玄関もレトロさを感じるが、やはり階段のデザインが気になり入ってみたら
なんとなく納得の意匠であった

 


2020年12月、21年4月撮影

 


旧栗沢町の建築探訪

2021-07-16 11:32:13 | 旧栗沢町
 
「JAいわみざわ栗沢農業資材店道央の建築探訪NO-151 旧栗沢信用購買販売組合事務所        
       
 
所在地 岩見沢市栗沢本町163 
建築年 昭和6(1931)年
指定等 
開館時 *現存していません
 
旧栗沢町は平成18(2006)年に岩見沢市に合併された。
旧栗沢信用購買組合事務所は街のランドマーク的な建物であったに違いない風格がある。
見ることが出来なかったのは、つい最近までは現存していたようで残念でならない。
 
2012年ストリートビューより
 
 
農業用倉庫は駅横を中心に4棟の倉庫が建っていて2号と6号倉庫は昭和初期のもの。
 
 
 
 
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
<岩見沢市栗沢地区>
 
「旧栗沢上幌小学校」 2020年11月撮影
 
 
 
明治35年開校・昭和49年閉校
 
木造の建物はいつか知らない間に取り壊されるかわからない
廃校がその可能性が高いので現存しているうちに見に行った。
 
この三角屋根の建物はおそらく校舎部分を取り壊し新築したのではと思う。
体育館が当時のものを活用していると思う。
 
 
 
 
「民家」
 
 
 
竣工は昭和初期?大正期?のような住宅を見つけて
つい写真を撮ってしまった。
 
このように衝動に駆られる建物を見つけたときは嬉しいものです。
 
 

 

<岩見沢市美流渡地区>
 
「旧美流渡中学校」 2021年7月撮影


昭和22(1947)年開校  平成31(2019)年閉校

閉校してまだ数年のため遠めだが校舎は比較的、きれいに見えた
いくつかの学校を統合したあと、他校に統合された

閉校の碑が近くの美流渡神社にあるのを家に帰ってから知った
やはり情報や知識を持って行かないとこういうことになると反省。

 

 

 

「旧美流渡小学校」 2021年7月撮影


明治37(1904)年開校  平成31年(2019)年閉校

美流渡中学と隣り合わせの小学校で、中学と一緒に閉校した
これは石狩の幌の学校と同じだ

門は綺麗なままで遠目に見る正面玄関が素敵だ
校舎もレンガ造りでお洒落に見える
屋根に一部歪みなどの劣化が見られる

中学と併せて他の活用を検討中のようだ
このまま朽ちていくには惜しい建物である
なんとか生まれ変わってほしい。


 

 

「美流渡栄町、錦町」 2021年7月撮影


学校がある街で、すぐ近くの集落には木造住宅(現役)が多いのに驚いた
どのお宅もとても素敵なんです

時が止まったかのようなこの街を知ったことがすごく嬉しかった。


 

 

<岩見沢市砺波地区>
 
「砺波会館」 2021年7月撮影


砺波地区は富山県砺波郡から開拓で移住した人達が築いた地区で、当時は前人未踏の原野だったとのこと
今でも子孫の方々が暮らしているのでしょう

札幌への帰途中に通りかかるとピンク色の目立つ建物があったので車を停めてみると会館だった
正面ファサードがとてもいい感じで、横にあるレンガの小型倉庫も素敵だ
建物の詳細はわからぬが中に人がいれば聞けたかも知れない

裏手は畑が広がるが「田園NO6」のモニュメントがあった。
 

 

 

 

「旧東豊小学校(砺波小学校)」 2021年7月撮影


砺波会館のある四つ角にある小学校
門には「栗沢福祉センター」のプレートが地面に落ちていたのでかつては学校の後に付け替えられたものだろう

正面玄関はちょっと変わった意匠であり、もしかすると改装したのかも知れない これはこれで素敵だと思うが…
体育館は綺麗なので改装後と思われる
校舎と体育館を繋ぐ連絡通路のところに福祉センターの標示があるので主に体育館利用なのだろう
また玄関から右手が新しく、工房として再利用されていて夏なのに煙突から煙が出ていた。

向かって左手側がきっと当時のままで未使用かと思う
裏側の車道から見る校舎のほうが良いかな。

明治30(1897)年開校  昭和47(1972)年閉校

 

 


三笠市の建築探訪②

2021-07-13 09:58:16 | 三笠市

 

「三笠市庁舎」

 所在地:三笠市幸町2番地
建設年:昭和31(1956)年 
指定等:

帰途で市内中心部に入る
還暦を迎えたという市庁舎を見に行った

以前から変わった形と知っていたがよく見ると三股になっているのがわかった
中央に多角形の塔を乗せたユニークな形だ。

裏通りに正面玄関があり、池もあって気持ちがよい
すでにこの頃になると帰札時間が近くなり中には入らなかったが。

 

 

 

すぐ近くには

「三笠市民会館」

所在地:三笠市幸町13番地
建設年:昭和45(1970)年 
指定等:


市役所とは中央公園を挟んだ反対側にある
街の特徴アンモナイトを壁に貼っている

ところどころを補修しながら運用しているようだ。

 

 

 

 

「旧空知集治監典獄官舎煉瓦煙突」

所在地:三笠市本郷町705
建設年:明治23(1890)年ころ 
指定等:三笠市文化財

集治監は内務省直轄の監獄、典獄は刑務所長のことである
この集治監は炭鉱採掘の労働力を確保するための施設であった

集治監自体は何も無くなったが、刑務所長の官舎の煙突だけが
明治時代からずっと町の移り変わりを見つめている。

 

 

「旧萱野駅舎」 現ライダーハウス

 

所在地:三笠市萱野534-2
建設年:大正21913)年 昭和621987)年廃駅 
指定等:

三笠市幌内線で廃駅になった後も何かに活用されている現存駅舎はここしかない
幌内太駅は再生したもので唐松駅の活用は無い

中々素敵な駅で、当時そのままならなおさら味がある雰囲気があるだろう
廻りは畑が多いので石炭の中間駅的な意味合いだったかも知れない

 

 

以上で三笠市を一旦終了です
後日、再訪出来ることがあれば紹介します。

20216月撮影


三笠市の建築探訪①

2021-07-12 11:29:27 | 三笠市

三笠市は夕張市と同じく炭鉱で栄えた町だった

三笠から出た石炭を小樽まで運ぶために鉄道が出来た
これが北海道で最初の鉄道で全国でも3番目である。

しかし炭鉱と共に栄えた町は炭鉱が閉山すると過疎化が波のように襲ってくる
鉄道が廃線になり人が離れ学校も廃校になり商店が閉店していく。

三笠市にはそういうノスタルジックな街の印象と
新しいことをやろうという気風があると思う

1日だけの探訪であったが、そんなことを思いながら各所を巡った。

 

「旧幌内炭鉱変電所」 

 

所在地:三笠市幌内本沢町
建設年:大正8(1919)年
指定等:近代化産業遺産


レンガの赤とコンクリートのデザインにより印象的な施設
夕張の清水沢発電所から送電されここで電圧を落とし、炭坑にかかわる機械や住宅の電気を使用出来るようにした。

平成元年の幌内炭鉱の閉山をもって閉鎖されたが、屋外の変電施設はそのままの形で残り
内部も機械が残っている
市では炭鉱施設の見学会(有料)を催しており、その時には中に入れる

訪問日は非常に天気が良く青空のもとで撮影見学出来たが、本来は熊でも出そうなちょっと不安な場所にある
だが駐車スペースが目のまえにあり広いことが安堵を与える

レトロな建物が好きならここは外せない。

 

 

 

 

「幌内神社本殿跡」

 

所在地:三笠市幌内本沢町
建設年:明治13(1880)年
指定等:三笠市指定文化財(一部)

 

変電所の隣の高台にあるが建設は神社の方が先
かつては立派な本殿があり、山の神を祀っていた

炭鉱夫は山の神に、毎日無事に帰れるように祈っていたという
またお祭りも境内で行われたくさんの人が集まって楽しんだ。

階段を上がり切った横に送電塔があり眼下の変電所に続いている
何もない境内だけに長く留まるのは不安で早々に引き上げた。

 

 

 

 

 

「幌内の街」

ヤマから降り中心部の方へ戻るが途中気になった集落へ
そこは高台にあり一般住宅と集合住宅があるが、ほとんどが廃屋だった
特に家が朽ちたままの情景は夕張でもあったが、こちらのほうが印象的だった。



なぜかうねった屋根が美しく思えた




個性的な形の家


こちらは現役

 

 

集落から再び中心部へ戻るが途中に素敵なお宅を見る
もう住んではいないようだが「味噌、醤油」それと屋号のようなものがある

 

 

「旧幌内太駅舎」のち三笠駅

 

所在地:三笠市本町971-1
建設年:明治15(1882)年 昭和62(1987)年廃駅
指定等:


この駅は2面ホームがあり跨線橋で繋がっていた
石炭中心ではあるが客用としても考えられていると思う

現在は公園の一環として旧駅舎を解体し、初代駅舎を再現した上で再整備されたので
昔の建築ではない。

またトロッコ鉄道の体験や、売店で鉄道関連グッズが売られている
訪問時も年配のご夫妻らしい方々が仲良くトロッコに乗っていて見て微笑ましかった。

跨線橋の床には大量のスズメバチが死んでいたのが最も気になったが……




あ、屋根の柔らかなカーブが素敵

 

 

 

ルートはこのまま市中心部へ向かわずに、唐松の街を目指し917号線へ

「旧唐松駅舎」

 

所在地:三笠市唐松町1丁目
建設年:昭和4(1929)年 昭和62(1987)年廃駅
指定等:日本遺産「炭鉄港


旧唐松駅は幌内線の幌内太駅の次の駅で、昭和62年に廃駅になってから
ほぼそのまま駅舎が現存している。

多少の痛みは目立つが総じて綺麗であり地元の方々のおかげでしょう
訪れる人は汚さず悪戯せずでお願いします。

今回は天気が良かったので木造に水色のペンキがよく映えた
917号線は富良野方面に行くときの重要なルートなのでちょっと寄り道すると
思った以上の満足感が得られる旧駅舎だと思う。

 

 

 

やがて幾春別町に入ると建物が多くなった
三笠市立博物館の手前の住宅街に面白い建物がいくつかあった。


「旧更科食堂」

 

所在地:三笠市幾春別1丁目174
建設年:昭和初期 令和2(2020)年閉店
指定等:


更科食堂は元は栗沢の美流渡にあったが昭和初期にこの地で商売を始めた
ここは炭鉱町なので多くの炭鉱マンのお腹を満たしてきた。

建物は外観はほとんどそのままのようだ
印象的な横面の窓の形もそのままだ

とてもリーズナブルで地元の人も市外の人もドライブの途中で利用する人もいたが
店主の健康上の都合と建物の老朽化で昨年に長い歴史に終止符をうった

しかし長年の「つゆ」の味を継承したいと4代目を募集することにした
これは三笠市が地域おこし協力隊を活用しこの食堂を残したいとの表れだ

今現在、ネットで4代目が決まって開店したのニュースは聞かれないが
もし再オープンしたら今度は絶対に利用しよう。

 

 

 

幾春別の気になった建物

以前はカフェだったそうです
現在はアトリエに活用

 

ここでは蔵はほとんど見なかった
扉の絵が新しい活用を感じる

 

 

「旧住友奔別炭鉱立坑

 

所在地:三笠市奔別町260
建設年:昭和34(1959) 昭和46(1971)年閉鉱
指定等:


幾春別と奔別は隣町で前記の建物から立坑が見える
この立坑は最新技術の施設のようで当時は東洋一と呼ばれたようなんですね
それが11年で閉鎖になるとは残念だったろうに。

門から先は私有地なので入ってはいけないが、幌内変電所のように見学ツアーがあるようだ。

 

 

 

 

「弥生地区旧炭鉱住宅

 

所在地:三笠市弥生柳町
建設年:昭和42~44(1967~69)年 
指定等:

奔別立坑を最終地点とし三笠市中心部に戻る
その途中の弥生地区で幾春別川に架かる橋の北側に赤い屋根の長屋が炭鉱住宅
「炭住」だ

現在も住居者がいるので配慮しながら撮影をした
棟続きの家は平地の少ない炭鉱町ではこのように凝縮された住宅になるようだ
当時はトイレは共同で風呂は銭湯利用だ。

特徴的な中2階の窓全戸に付いている。

 

 

 

②へ続く