札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

石狩市の建築探訪②

2021-05-09 00:01:46 | 石狩市

 

 

石狩の建築探訪③は市内各地で気になった建物を載せてみます。
大体の街や集落が石狩湾沿いにあるのが石狩市の特徴です。

 

書籍の「建築探訪」では、ほとんどが石狩川と石狩湾に挟まれた地域の建物で上記の地図の地域になります。
市街地の花川や新港地区では今のところ未確認なので見つけたら随時載せて行きます。

 

また場所柄、廃校が多いので近いうちに「木造校舎・廃校」でまとめます。

 

 

<石狩浜地区>

楽山居 旧石狩医院和室 上記地図の弁天歴史公園内にあった。存在自体も初めて知った。

 

旧高岡小学校体育館

旧学校の体育館を修復したものに見えるが確証ななし 校舎は完全に無かった。

 

旧美登位小学校

ちょっとした高台にあり、芸術関係の施設として転用されている 夏にもう一度行こう

 

石狩川側に2つ倉庫があった レンガと石造りである

「元林味噌醤油醸造所雑穀蔵」

 

「旧金谷商店蔵」

 

この木造の建物はスピーカー?があるようなので消防関係かな?

 

老舗かと思う醸造所

 

 

<古潭>

旧古潭小学校 この地域は廃校が多く、現存も多い ここは一時民間が転用しただけに綺麗なほうだ。

 

 

<厚田>

戸田生家 道の駅の坂を上ったところにある創価学会の重鎮の生家 内部も靴を脱いで見学が出来る

 

 

<濃昼>

旧濃昼小中学校 個人宅として利用されているようだ 桜が綺麗だったなぁ

 

 

<送毛>

旧尻苗小中学校 現在は宗教団体の道場として綺麗に修復された

 

 

<毘砂別>

札幌市青少年海の家

手稲山のオリンピックハウスと同じ設計者と聞いて見に行った
集落のもっとも山の手にあり坂を歩いて登って行ったが、残念ながら崩壊していた。
海側は原型を留めていたが、札幌からここに来て海で遊び泊まっていたんだな

 

六文カフェ

古民家が目立つ集落の中で一際目立つ綺麗な店舗兼ギャラリー
隣に窯があり焼き物を製作している
今はカフェは休業中かも知れない。

 

 

<浜益>

旧マルハチ醤油店

明治25(1892)年ころの建築と言われる 1階は木造の下見板張り、2階はモルタルで現在は住宅として使用
車道沿いに店名が良く見える特徴のある建物。

 

曹洞宗豊隆寺本堂

昭和27(1952)年建築 上記マルハチ醤油店の裏にあり。
なんと塗装の真っ最中であった たまたま休憩中だったのか誰もいなく撮影をしたが
塗っているところも見たかったなぁ

 

浄土宗大心寺本堂

明治24年に移築されたものだが元は元治元年(1864年)のもの。
浜益の中でも山側の建物 時期的に上は桜、下はカタクリやエンゴサクが咲き乱れすごく綺麗だった。

 

おそらく廃屋

大心寺へ向かう坂道の途中にあり嫌でも目に付く、この地では珍しい上げ下げ窓の家
残念ながら廃屋のようだ。

 

 

<幌>

旧幌中学校

幌中学校と北部小学校は隣に並んでおり閉校が一緒の珍しいケース
中学校は玄関が無くなっているが木造校舎が健在である
体育館への渡り廊下が崩壊していた。

旧北部小学校

こちらは鉄筋コンクリートの校舎になっている
総2階建てで地区にしては大きな学校だったと思う

 

 

<千代志別>

旧山口家記念館 現在は解体されました


千代志別は千代志別川沿いにわずかな集落があり、国道のトンネルを抜けたらすぐ右折をしないと
次のトンネルに入ってしまうくらいの狭い間口の集落だ。

その最奥部に場に似合わない立派な木造建築物がある
詳細は不明だが中は無料の記念館らしい
ただ玄関までの階段は外されているようだ 
窓が開けられているので近隣の住民が換気をしているのだろうか?

窓ガラスが割れていたり壁板が剥がれている箇所もあるが、高基礎のコンクリートだけは最近のもののように新しい
某有名道内住宅メーカー(旧)の創業者の所有?との説明もネットで見たが…

 

 

石狩市を北上して、全体的に木造の住宅を多く見た
潮風には木造の住宅がいいのだろうか?
廃屋も多く、倒壊してそのままの建物もいくつか見たのは集落ではやむを得ずなのだろう。

また廃校がそのまま利用なく放置されているのも同じことでしょう
有効利用されている校舎や体育館を見ると正直ほっとした。

もっと集落には見るべきものがありそうな気がする
時間の都合で市街地はほとんど回れなかったので機会とコロナ過が落ち着いたらかな


学校関係は次回から順次初めて行きます。

 


石狩市の建築探訪①

2021-05-06 08:49:13 | 石狩市

 

 

石狩市は平成8(1996)年に町から市に市制施工した比較的新しい市ではあるが町としての歴史は古い。

また平成17(2005)年に厚田村と浜益村を合併し日本海側を南北に長い市となる。

まずは「道央の建築探訪」に従い進めてから各区の気になる建物を紹介します。

 

 

「川内家住宅」NO-125 旧中島商店分家      
       
 
所在地 石狩市親船町9-1
建築年 明治末~大正初期
指定等
開館時 *現存していません
 
次に紹介する「中島家」の分家として建築されたもの。
石造りの店舗と木造の住宅からなる
瓦屋根にうだつもあり、同じ石狩湾都市の小樽にありそうな建物だった。
 
現在は一般住宅が建っている
 
 
 
「中島家土蔵」NO-126 旧中島商店土蔵      
       
 
所在地 石狩市本町3-2
建築年 明治初期
 
指定等 
開館時 *現存していません
 
中島商店は創業が明治初年とも言われている
この地にあった土蔵も創業当初のもののようだった。
 
現在は一般住宅が建っており、中島家の書画、骨董を展示している
私設資料館がある。(見学は、いきなり訪問は無理のようだ)
 
 
 
 
「旧長野商店店舗・倉庫」NO-127       
       
 
所在地 石狩市弁天町30-5
建築年 明治27(1894)
指定等 石狩市文化財
開館時 9:30~17:00
休館日 毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は開館し、その翌日を休館)年末年始
入館料 300円(隣の資料館と共通)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
越後の長野氏が明治5(1872)年に移住し商売を初めたのが始まり。
石倉はその当時の建築と思われ窓枠のアーチなどが明治らしい
 
明治26(1893)年に大火があり木造店舗も焼失した
翌年に耐火構造で建築されたのが現在の店舗と言われている
表面を石造りにし、うだつを上げた姿は、まさに耐火構造と言える。
 
以前は親船町7番の角地にあったが、道路拡張のため平成19(2007)年3月に現在地に移築復原された。
建物は重厚に感じるが、看板類が新しすぎて多少の違和感あり。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「石狩弁天社」NO-128       
       
 
所在地 石狩市弁天町22-8
建築年 文化13(1816)
指定等 石狩市文化財
開館時 無し
休館日 無し
入館料 無し
 
 
 
 
 
 
 
鮭の豊漁を願い、元禄7(1694)年に創建し
その後、文化13(1816)年に再建した。
以前は現在の八幡神社の場所にあったが、明治7(1874)年に現在地に移転。
 
中には入らなかったが見事な龍や獅子鼻の彫刻や江戸後期奉納の大絵馬額があるとのこと。
またすぐ奥には西国三十三箇所霊場の御堂がある。 
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「八幡神社本殿」NO-129       
       
 
所在地 石狩市弁天町1
建築年 明治21(1888)
指定等 
開館時 無し
休館日 無し
入館料 無し
 
 
 
 
 
 
石狩が幕府の直轄地になった後の安政5(1858)年に蝦夷総鎮守として建立された。
当初は八幡地区に建てられたが、石狩弁天社が移築したあとの敷地に移築された。
鳥居は元々、弁天社のもので文化年間のものである
本殿は明治21年に建立された。
 
たまたまかもだが、人がいなくて寂しいイメージだけが残った
ただ、歴史の成せる静かさかも知れないが。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「金大亭」NO-130      
       
 
所在地 石狩市新町1
建築年 明治13(1880)
指定等 
開館時 11:00~21:00(LO19:00)
休館日 不定休
入館料 飲食店です
 
 
 
 
 
明治13(1880)年に新潟出身の女性が初めた料亭。
この「道央の建築探訪」が出版された時期(2004年)に女将さんは4代目だそうで、現在はどうか?
 
置屋としての雰囲気を残す座敷の構成で各部屋から坪庭が望める
玄関両脇には色ガラスが入った杯とひょうたん模様の下地窓がある
残念ながら訪問時は確認できなかった。
 
鮭料理の専門店で特に石狩鍋は古くからのファンが多い
 
場所は石狩の集落の端にあり、先へ行くと灯台と海岸に出会う。
 
 
2020年9月撮影
 
 
 
 
 
 
「戸田旅館」NO-131 旧佐藤家住宅       
       
 
所在地 石狩市厚田区厚田5
建築年 明治35(1902)
指定等 
開館時 旅館です 
 
 
 
 
戸田旅館はかつての厚田村にあり、唯一残る明治期の大規模民家である。
漁場経営で財をなした佐藤氏が母のために5年がかりで建てたという。
 
現在の戸田旅館の玄関は住宅時の裏口で、石造りの門柱が残る方が日常の玄関であった。
木造の下見板張りであった外装も綺麗に塗装された
改築までかは不明で内部は以前のままのような気がする。
食堂では土日限定のテイクアウトがあり、リーズナブルな価格で提供しているようです。
 
 
 
2021年5月撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
「浜益村郷土資料館」NO-132 旧白鳥家番屋       
       
 
所在地 石狩市浜益区浜益8-5
建築年 明治32(1899)
指定等 石狩市指定文化財
開館時 10:00~16:00 6月2日から10月31日まで
休館日 毎週火曜日(祝日と重なる場合はその翌日)
入館料 300円
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
旧白鳥家番屋は、かつての浜益村浜益市街の北外れにあるニシン漁場の番屋である。
その最盛期には十数棟に上がる漁場施設があったとか。
ニシン漁が衰退し放置され崩壊寸前にあったが、村の開村100年事業として
3年がかりで解体復元したそうな。
昭和46年に浜益村の郷土資料館となり、村最初の指定文化財である。
 
内部の見学にはかなわなかったが、建物はよく管理されているようだ
横から展望台に行けるので上から眺めるのもいいだろう
目の前に海があり番屋の雰囲気を味わえた
次回、石狩湾を北上する時は内部見学をしたいものだ。
 
 
2021年5月撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
「濃昼茶屋」NO-133 旧木村家住宅       
       
 
所在地 石狩市浜益区濃昼1-2
建築年 明治33(1900)
指定等 
開館時 *現在は閉店しています
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
濃昼(ごきびる)は厚田と浜益の境にある小さな集落で、やはりニシンの漁場であった。
この建物は木村家の漁場建築遺構である。
戦後まもなく漁場としての役目を終え、平成8年まで木村家の住宅として使用していた。
以前は母屋の隣に倉庫があったが取り壊されている。
 
玄関横の張り出した洋間が特徴的で中の意匠も良さそうです。
和の玄関と隙間少なく並ぶ姿はとても印象的。
窓の造作も洋風であり、普通の番屋とは一線を画すようだ。
 
平成11年にすし職人の方が購入し茶屋として営業したが現在は閉店しているようです。
残念ながら本に載っている写真より劣化が多くみられ崩壊の可能性もありそうだ。
直に見たい人には早めにをお勧めします。
 
 
2021年5月撮影