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札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

芦別市の建築探訪

2025-06-10 22:23:20 | 芦別市 赤平市 歌志内市 上砂川町

芦別市には2000年発行の
「旭川と道北の建築探訪 建築探訪」に2軒の記載があった

うち1軒の「旧頼城小学校」は「閉校」の分野で記載します。

芦別市は炭鉱の町だったこともあり、昭和戦前~戦後の建物も残っている
実際に歩いて廻ればもっとたくさんの古い建物を見れただろう。

 

 

「旧干場家レンガ倉庫・干場家」 *旭川と道北の建築探訪NO98

 

所在地 芦別市常盤
建築年 1913(大正2)年(復元)
指定等 芦別市指定文化財

ナビ「旧干場家レンガ倉庫」 ※2025年5月18日撮影

 

干場家は富山から入植し、農業を始め呉服商や菓子店を経営し大地主となった

この蔵は米蔵である 煉瓦は開通した鉄道で江別から持ってきたものと思われる
木骨煉瓦造り2階建てで歴史を語るものとして内部見学が出来る。

私が訪問した時は中にスズメバチが飛んでいるのが分った
あわててシャッターを切ったのでボケてしまったし中には入らなかった。

内部は板張りになっており農機具が置いてあったようだ。

 

隣に住宅があるが一部以外は補修や改築されたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「O氏家土蔵」 

 

所在地 芦別市常盤
建築年 明治36(1903)年
指定等 なし

ナビ「」 ※2025年5月18日撮影

 

こちらは実際に住人がいるので遠くから静かに鑑賞した

蔵なので天井は高いが平屋の土蔵造りである
芦別市に現存する最古の建物だそうだ。

施主は徳島からの入植者で年貢米を納めるための蔵だった
土蔵だが徳島の伝統的木骨組みの下屋が付く。

壁漆喰下地の土塗りを屋根面にも廻しその上に鞘屋根を乗せる通称「豆腐蔵」と呼ばれる独特の工法だそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

「カナディアンワールド」 

 

所在地 芦別市黄金町
建築年 平成2(1990)年
指定等 なし

ナビ「カナディアンワールド」 ※2025年5月18日撮影

 

1990年に鳴り物入りで開業した大型テーマパークだったが初年度から入場者が計画から少なく苦戦をした。

わずか9年で無料の市営公園になり、2020年には園内のテナントなどでつくる任意団体「カナディアンワールド振興会」に運営が移る。

テーマパークの計画から市民運営まで紆余曲折があったが
今は4月下旬〜10月下旬の土日祝限定で開園している

さすがに建物の老朽化が目立つが市民団体が一生懸命運営している

ここには今回と数年前に2回見学に来ている
最初に来た時は子供入れて家族4人には高い入場料の時であった。


数年前と今回の写真を一緒に。

 

いつからある標識かは不明

 

こちらは谷側の駐車場から入口を見る 広い駐車場があった
現在は閉鎖し、入り口は山側だけ

さらに奥に見える施設 ガラス貼りは温室か

山側に登り駐車場と入口へ こちらの方がお馴染みかな

ここに駐車して歩いて入場は無料
車でパーク内まで行くのは500円(テーマ館は坂下なので500円払って下に停めた方がよいと思う)

テーマ館はずっと下

今回は時間がなく、ここまで

これからの写真は2019年7月7日に訪問した時の様子
この時は下まで無料で車で行けた。

 

 

 

「芦別ハイヤー」

 

所在地 芦別市北1条西1丁目
建築年 (不明)年
指定等 なし

ナビ「空知交通㈱|共立タクシー㈲」 ※2025年5月18日撮影

 

JR芦別駅駅前を通った時に縦長窓に目がいった

市内にはおそらくこのような建物はまだあると思います。

 

 

 

 

 

「旧三菱芦別炭鉱社宅」 

 

所在地 芦別市上芦別町30-100
建築年 昭和25(1950)年ころ
指定等 なし

ナビ「旧三菱芦別炭鉱社宅」 ※2025年5月18日撮影

 

木造平屋で1棟2戸の炭鉱住宅が一戸だけ残っている

廻りは草ぼうぼうなので正面からだけの撮影になった
こちらが正面であれば逆側にも玄関があるはず
平入りに玄関が二つあるのはよく見るが妻面にあるのは珍しいか

昔は周りはみんな炭鉱住宅であったと思うが
当時の建物のままはもうここだけのようだ。

1964年の閉山時に退職金と相殺して希望者には売却された
一帯の社宅は個人住宅となり、多くは建て替えられているそうだ。

 

 

 

 

タイプは違うがこのような住宅もあった

 

 

 

「旧三菱鉱業所職員住宅」(ひぐらし地区) 

 

所在地 芦別市上芦別
建築年 昭和24(1949)年
指定等 なし

ナビ「芦別市ひぐらし研修センター」 ※2025年5月18日撮影

 

正確には「ナビ先」から少し離れた場所に建っている
上記の旧三菱芦別炭鉱社宅と同じようにこちらも空き家に見えた。

こちらは平入りを正面にして玄関が二つ 1棟2戸の造りで
かつては24戸あったとのこと。

やはり特筆なのはレンガを用いていること
このレンガ住宅の先に進むと他にも複数のレンガを用いた住宅があった(
その理由は未確認だが)

ただ隣にある同じタイプの住宅はレンガ造りではなかった。

上芦別は旧三菱芦別炭鉱があり、その炭鉱遺産が多い町
住宅の他にも旧病院の建物や会館が現存しているほか、倶楽部、医師住宅、浴場の跡地が記されている。

今回は目的が炭鉱遺産では無いので見学まではしなかったが
機会があれば炭鉱(町)の遺産も廻ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧三井芦別鉄道 三井芦別駅」 

 

所在地 芦別市西芦別町
建築年 昭和15(1940)年
指定等 なし

ナビ「㈲芦別資源商」 ※2025年5月18日撮影

 

三井芦別鉄道は昭和15(1940)年に現在の芦別駅~三井芦別駅間で石炭輸送の専用鉄道として開業。

その後、旅客扱いも開始し、頼城まで延伸したが沿線人口の減少や
並行バスの運行などがあり昭和47(1972)年には旅客扱いを廃止した

石炭輸送も平成元(1989)年に全線廃止となり
三井鉱山も平成4(1992)年に閉山となった。

現在の三井芦別駅舎は産業廃棄物などを扱う「㈲芦別資源商」が事務所や倉庫に転用している。

訪問日は日曜日だったからか建物には誰もいなかった
ホーム側には車両があったが、駅のホームとそれとなくわかるような造作が見られたのが幸いだ。

 

こちら側からは駅舎には見えないくらい改修されたようだ

 

 

 

「日本キリスト教団 芦別教会」 

 

所在地 芦別市西芦別
建築年 昭和28(1953)年
指定等 なし

ナビ「日本キリスト教団 芦別教会」 ※2025年5月18日撮影

 

前記の「旧三井芦別駅舎」のすぐ山側にある個性的な教会

モルタル塗り?の教会部分と木造板張りの平屋造りの構成になっている

ペンキで綺麗に塗装されており可愛らしい教会に見えた。

芦別市の炭鉱閉山による人口減少に教会活動も出来なくなるが
建物は残していこうと「祈りの家」として管理をし
学生たちが夏にキャンプに利用したりしていた。

その後、建物も老朽化が激しく、コロナ過の中で十字架が折れたそうだ

有志の方々が集まり改めて十字架の付け替えや清掃、補修をした結果が現在のきれいさだろう。

 

 

 

「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」 

 

所在地 芦別市西芦別町
建築年 昭和20(1945)年
指定等 国指定登録有形文化財

ナビ「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」 ※2025年5月18日撮影

 

芦別の三井鉱山が石炭運搬専用線の延長のために建設し、平成元(1989)年3月の廃線まで活躍した。

平成21(2009)年には、貴重な産業遺産として国の登録有形文化財に指定。

橋の上には、ディーゼル機関車DD501と、石炭専用貨車セキ3820を保存展示している

知らずにこの光景を見たときは、なんだこれは?と思うのではないか
それだけ橋の上に車両がそのままあるのが面白い。

この光景を見るには「炭山川橋展望広場」から鉄路と車両を
橋の高さを体感するには炭山川に架かる橋の芦別側に停車スペースがあるのでそこから橋を歩き近づいていくとよく見える。

 

 

 

 

 


上砂川町の建築探訪 

2024-09-20 23:39:08 | 芦別市 赤平市 歌志内市 上砂川町

上砂川町は赤平市、歌志内市と似ており山あいの川沿いに集落が形成されており、市街地よりそう遠くに炭鉱が無いためコンパクトな町

商店は1970年代のくらいの建物が多そうだが
住宅は古いものがあるので
ゆっくり廻ってみたい町だ。

 

「旧上砂川駅駅舎(悲別駅)」

 

所在地:上砂川町中央北3条1丁目3
建設年:? 大正15年駅開業
指定
等:なし

ナビは「旧上砂川駅駅舎(悲別駅)」


大正8年に前身の三井専用鉄道として開設され、上砂川駅は終点であった
炭鉱輸送の拠点として、また函館本線唯一の支線として住民の貴重な足となった。

昭和56年に公開の映画『駅 STATION』のロケ地、
昭和59年放送の倉本聰脚本テレビドラマ、「昨日、悲別で」の舞台となった架空の町「悲別」の多くが上砂川町で撮影され、その駅(悲別駅)として上砂川駅が使われた。

その後、平成6年に廃線となり駅舎は現在の地に移された
旧駅舎として時刻表など当時のまま残し、映画、ドラマの撮影風景なども展示している。


訪問時は内部補修中(今年度10月中旬予定)で中は見れなかったが
当時の雰囲気が感じられる
駅舎こそ町の歴史と住民の想いでの施設 ぜひ残して欲しいものだ。


2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧三井砂川炭鉱中央立坑櫓

 

所在地:上砂川町本町北1丁目1-1
建設年:1967(昭和42)年
指定
等:なし

ナビは「上砂川町無重力プラザ


三井砂川炭鉱は三井資本が道内で初めて鉱区開発から採炭まで行った炭鉱。

立坑は昭和62年の閉山時まで使用された
閉山後は同鉱の廃坑を利用した「地下無重力実験センター(JAMIC)」の落下塔として使用されていたが、平成15年に廃止されている。


現地を通ったがてっきり現役施設だと思い通り過ぎてしまった
旧上砂川駅舎からズームで撮影しただけに終わった。

もっと直下から見ればよかったが遅かった・・・

 


2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧商店」

 

所在地:上砂川町
建設年:不明 
指定
等:なし

ナビはなし


現役の一般住宅

過去の写真では10年前は商店が営業しており、右半分に自動販売機が置かれ、左側が店舗入り口だった

現在は壁はサイディングであろうか補修がされて管理状態が保たれている
2階の連続する窓、庇や持ち送りに歴史を感じる。

 

 

 

「旧幡内科医院」

 

所在地:上砂川町中央北1条4丁目
建設年:1926(大正15年)年
指定
等:なし

ナビは「ローソン上砂川店」


幡医師はこれまで往診で街に来ていたが、大正15年に上砂川町で最初の病院を建てた。

その後、何代かで院長(病院)が替わり、昭和10年まで医院 
その後は個人住宅に使われたようだが、今は誰も居ないようだ。

 

紀行中、休憩で入ったローソンから出てみると
道路を挟んで向かいに実に個性的な建物があった。

正面の印象的なハーフティンバー、3つの縦長窓などが特徴で
外壁は木造下見板張りである

帰札後に「上砂川町史」を確認するとしっかりと写真入りで説明があった。

このまま廃墟として朽ちてしまうのは実に惜しい建物だ
ただ寿命が尽きるのは近い気がするが…



2024年8月30日撮影

 

 


歌志内市の建築探訪 

2024-09-16 18:47:25 | 芦別市 赤平市 歌志内市 上砂川町

歌志内市には2000年発行の
「旭川と道北の建築探訪 建築探訪」に2軒の記載があった

いずれも炭鉱絡みの建物である。

 

 

「こもれびの杜記念館」旭川と道北の建築探訪 建築探訪NO99

 

所在地:歌志内市本町74-4
建設年:1897(明治30)年 
指定
等:なし

ナビは「こもれびの杜記念館」


旧名は「北炭空知鉱業所倶楽部」

元々は「旧北海道炭礦鉄道」社員の合宿所として建てられ、1954年からは接待専用の施設になった。

その後、1995年の閉鉱まで空知炭礦に引き継がれ、1997年から歌志内市の所有となり「こもれびの杜記念館」として公開をしていた。

しかし老朽化が著しく、今年5月に最後の公開が終わり、今年か来年中に解体する予定だ。

 

 

閉じられた門から見えるのは洋館部分で、ハーフティンバーが印象的だ
右手に行くと柵越しに横面が見えて2階の明り取り窓も見える
逆に左側に行くと雑木の間から和風の建物が見えて、
初めてここが和洋折衷の建物だとわかる。

 


127年の歴史に終止符を打つ
保存運動があるようだが、個人的には今は保存できてもそれからどうするのだろうかと思う

歴史ある建物だからこそ廃墟のようにさせずに
いっそのこと解体してあげたほうが良いと思うのだが…

2024年8月30日撮影

 

 

 

「悲別ロマン座」旭川と道北の建築探訪 建築探訪NO100

 

所在地:歌志内市上歌
建設年:1954(昭和29)年 
指定
等:なし


ナビは「悲別ロマン座」


旧名は「住友炭礦上歌会館」

「悲別ロマン座」は「北の国から」で有名な倉本聰氏脚本によるテレビドラマ『昨日、悲別で』のロケで使用され有名になった。

 

元々は住友炭礦の福利厚生施設で、歌謡ショーや映画の放映など炭鉱全盛期には賑やかな場所だったそうだ。


炭鉱の閉山後は放置されていたがロケ舞台になってから有志の保存活動でここまで来た

数年前まではカフェ営業で中を見ることは出来たが今は閉鎖中。

同じ倉本氏の「北の国から」と比べると人気の度合いが違うが
今でも訪れるファンや観光客がいる
戦後の建物だけに、いつかカフェが復活したらぜひ利用したい。

特徴のある正面から横に廻ると、観客席が無く最奥に舞台がある。


2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧炭鉱住宅

 

所在地:歌志内市文殊
建設年:(昭和30年代)
指定
等:なし


現役の一般住宅のため場所は差し控えます

一昔前の炭鉱住宅は木造板張りで長屋スタイルが多いと思う
実際に見たのはもう40年近く前に夕張にテレビのロケがあったとき
連れていってもらったが、その時にロケ地になっていた。

また南美唄ではそちらに近い住宅群が残っており大事に使っている

それからモルタルになったりRCになったり時代と共に変化している
集合住宅が多いイメージだ。

 

今回の歌志内市の一部に2階に明り取りだろうか、窓が印象的な住宅が立ち並んでいた。

親会社によって造りはいろいろだろうが、ギャンブレル屋根共に
今でもお洒落に感じる 味がある住宅だと思う。

空き家と居住中が混在しており、綺麗に屋根や壁を補修したが
玄関、窓に板が打ち付けられた住宅もあった。


2024年8月30日撮影

 


赤平市の建築探訪

2024-09-08 11:11:39 | 芦別市 赤平市 歌志内市 上砂川町

今回は赤平市から産炭地巡りをしました

やはり炭鉱に関する建物が多いが、市街地にも素敵な建物が残っていると感じた。

 

 

「赤平 徳川城」

 

所在地:赤平市幌岡町147
建設年:1991(平成3)年 
指定等:なし

 

ここは結構有名な建物で、国道から見上げるように見えるので初めて見た人は驚くだろう

一般企業(人形の製作と販売)の施設ですでに廃業している
ただ敷地内への「立入禁止」標示やロープなどもなく真下まで行った。

訪問時はパトカーがいたので定期的に監視していると思う。

 

天守閣は本州にある本物の城のようだ
ただ一面だけは特に洋風の窓造りが見られる

 

北海道には天守閣を持った城が松前城くらいしかなく
とても面白い存在だ

歴史的な価値はないのでドライブのついでに見に行くくらいか

2024年8月30日撮影

 

 

「豊里記念の丘公園の展望台」

 

所在地:赤平市宮下町3丁目8
建設年:(不明)年 
指定等:なし

 

公園自体もそんなに昔からある公園でもなさそうだ
段々になった地形の一番下に石碑があり、元鉱山跡だということがわかった


駐車場は下と上にあり、特になにがあるというわけではない公園にしては充分な駐車場だと思う

所謂、展望台だろう ユニークな形の展望台があった
ここへはストリートビューで散策し見つけたもの

ただ以前は塗装が剥げており、そこがいい雰囲気を醸し出していたが
現在はきれいに再塗装されている
綺麗になったのを残念がるのもなんだが……


またビューにはこれまたユニークな公衆便所があって期待したが
これは撤去されていた 残念!

 

2024年8月30日撮影

 

 

「赤平市内の住宅」

 

所在地:赤平市泉町
建設年:不明 
指定等:なし

 

詳細は不明だが、その大きさと複数ある玄関により集合住宅と思われる
中には店舗としての活用もあったかも知れない
一番古い2012年のストリートビューでもほとんど同じ建物だ。

 

正面から見るとマンサード屋根の建物に増築を重ねたように見えるがどうか

縦長窓が多くすっきりしており、枠が木製なのも素敵だ
見る場所によって表情が変わる建物だった。

 

2024年8月30日撮影

 

 

「旧住友赤平炭鉱立坑櫓」

 

所在地:赤平市赤平485番地
建設年:1963(昭和38)年 
指定等:日本遺産「炭鉄港(たんてつこう)」


赤平駅の裏側にあり、赤平市を象徴するような施設
過去に赤平を通ったときも停まって見れば良かったように目立つ。

隣に入館無料で約200点の展示資料がある「ガイダンス施設」に寄るのもよし
立坑櫓の内部見学は有料で実施されている

空知地区を代表する炭鉱の一つで、このような立坑魯は歌志内市や美唄市、三笠市などにもみられる

 

炭鉱は平成6年(1994)年に閉山した

尚、事務所棟の向かいにも廃墟の施設があり、炭鉱で働く人たちのための浴場「坑口浴場」のようだ。

何かの催事で見学が出来る可能性があるかも。

 


住友の井桁マークの跡が残る

2024年8月30日撮影

 

 

「北炭赤間炭鉱原炭ポケット」

 

所在地:赤平市美園町1丁目
建設年:()年 
指定等:なし


「ズリ山展望台」に登る駐車場には説明看板とトイレがある
奥に目を移すと古いコンクリートの建物が目に入る

これが原炭ポケットと呼ばれるもの


この一帯は石炭に混じる不純物を取り除き、品質別に選別をする施設があった。

昭和48年に赤間炭鉱が閉山し他の施設は取り壊されたが、採掘された石炭を一時保管する原炭ポケットの一部だけが残されている

同様のものは美唄市にもある

 

近くまで寄れるが柵内は立入禁止だ。

 

2024年8月30日撮影

 

 

「三浦電機倉庫」

 

所在地:赤平市茂尻春日町2丁目
建設年:(不明)年 
指定等:なし

 

詳細不明
会社の本社は同じ茂尻にある

外観から当初は会社社屋として使用していたように見える
連続した縦長窓に歴史を感じる

また住宅ではよく見る板張りだが、横の下見板張りは多いが
縦の板張りで古い建物はあまり見たことがなく珍しいと思った

縦の板張りはすっきりした印象を与えるように感じる

 

2024年8月30日撮影

 

 

「家具インテリアのやまもり」

 

所在地:赤平市茂尻中央町南3丁目7
建設年:(不明)年 
指定等:なし

 

家具店の詳細は不明だが現役の家具店

何より一階の売り場窓の形状が懐かしさを覚えた
1970年代あたりだろうか

白地の枠は柔らかな曲線を持ち、今の時代には新鮮に思える
よく見ると店舗入り口の形状は若干窓と違いお洒落になっている。

 

2024年8月30日撮影

 

 

「旧北海道大賀クロージング」

 

所在地:赤平市茂尻春日町3丁目2
建設年:1970(昭和45)年 
指定等:なし

 

北海道大賀クロージングは赤平市などの誘致で1970年に炭鉱跡地に創業して以来、54年の歴史に今年の1月幕を閉じた。
 
スーツなどの縫製工場として、札幌などのデパートに納品していたらしい
雇用の面で赤平市に貢献していただいたが本州の拠点に集約するそうだ。
 
 
敷地内には人も車も出入りが出来そうだったが、止めて敷地外からズームで撮影した。
 
印象的な尖塔の時計台と正面に向かって3つあるミラー面の窓が凝った工場を作ったのだなと感心した。
 
外観からはさほど古さを感じないので建築年の違いか改築があるのかも知れない。
 
 
 
 
 

2024年8月30日撮影