札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

函館市の建築探訪 元町編①

2022-06-28 23:23:56 | 函館市

函館市は道内有数のレトロモダンな建築物が多い街
個人的には札幌よりも小樽市よりも多いと思う。

地理的な意味合いが強いと思うが、住人の意識もあるのではないか
さて「元町」はそんな函館市の中でも観光地化された建物が多い町だ。

町ぐるみで建物の景観を守っているし、大きな教会や寺院、公的な建物と民家が混雑しており散策だけでも十分に楽しめるはず。

 

紹介の順番は北海道新聞社発行の「函館の建築探訪」1997年発行のNO順で行きます。
もはや20年以上前の本なので現存していない建物もあり。

 

「旧函館区公会堂」 *函館の建築探訪NO1

所在地 元町11-13
建築年 明治43(1910)年
指定等 国指定重要文化財、伝統的建造物
開館時 
[夏季]4月1日~10月31日
火曜日から金曜日 午前9時から午後6時まで土曜日から月曜日 午前9時から午後7時まで
[冬季]11月1日~3月31日 午前9時から午後5時まで

[休館日]12/31~1/3
[入館料]一般300円 (2館~4館までの共通入館券もあり)

現在の公会堂の建設には地元の豪商である相馬氏の寄付が大きい
修復の度にカラーが変わったりしており常に綺麗でいるイメージがある。

内部は特に2階の大会場が素晴らしい
メダリオンがあるシャンデリアが諸所に使われており装備品にも見る価値がある。

函館市内では有数の観光名所であり、団体や修学旅行生も多い
近くの旧イギリス領事館ほかと合わせて1~4館までの入館料を選べるのはうれしい
時間があればライトアップされた夜も見ておきたいところ。

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧北海道庁函館支庁庁舎」 *函館の建築探訪NO2

所在地 元町12-18
建築年 明治42(1909)年
指定等 道指定有形文化財、伝統的建造物
開館時 2022年6月現在閉館中


公会堂の真下にある「元町公園」の中にあるので公会堂からも屋根から下が見える
建物は平成6年に復元工事(一部)で完成されたもの。

見晴らしの良い場所に堂々とした建物が立つ姿は、これらの建物を可能な限り
残すという函館市の心意気をみるようだ。

現在は「函館市歴史写真館」として活用されているが、どうやら飲食店が入居する予定で楽しみだ。

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧開拓使函館支庁書籍庫」  *函館の建築探訪NO3

所在地 元町12-1
建築年 明治13(1880)年
指定等 道指定有形文化財、伝統的建造物
開館時 なし


明治初期のれんが造りは貴重である
製造所は当時、旧上磯町の矢不来神社の境内裏にあったという。
れんがには製造所と年号を示す小さな刻印があるとのこと。

「元町公園」内にあり、公会堂と旧市庁舎とセットで見学されることが多い。

 


2022年6月撮影

 

 

 

「開港記念館」 旧イギリス領事館 *函館の建築探訪NO4

所在地 元町33-11
建築年 大正2(1913)年
指定等 市指定有形文化財、伝統的建造物
開館時 

午前9:00~午後7:00(4月1日~10月31日)※ショップ・カフェについては,午前10:00~午後4:00(LO.午後3:30)
午前9:00~午後5:00(11月1日~3月31日) 
[休館日]年末年始
[入館料]一般300円 (2館~4館までの共通入館券もあり)

 

旧イギリス領事館のほうが馴染みがありそうだ
場所は「元町公園」のすぐ下にあり、観光名所の中の一翼を担う。

白い壁に青い窓枠、そして屋根は瓦葺きで印象的な建物だ
見学は中庭とショップとカフェが無料、施設内は入館料が必要。

今回は公会堂との2館セット(500円)で内部を見学し
カフェも利用した。

外では観光客がバラをバックに写真撮影中であった。


 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「相馬家住宅」 *函館の建築探訪NO5

所在地 元町33-2
建築年 明治41(1908)年
指定等 国指定重要文化財、市歴史的景観賞
開館時 
9:30~16:30(最終入館16:00)
[休館日]毎週水・木曜日・12月1日~3月31日 冬期閉館
[入館料]一般900円(カフェでのお茶代含む)

 

公会堂建設の多額な寄付など、相馬氏は函館市はもとより北海道を代表する豪商であり、その住宅が現存している。

広い敷地に建つ家を包むように黒堀で覆われており、内部はチラ見程度でしか見えない。

大きな正面玄関に洋風の応接間、大きな土蔵と見るべきものがたくさんありそうなお屋敷だ
今回の旅では見学の予定があったが土砂降りのため、他日に譲ることになった
まことに残念であった。

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「高橋病院天使寮」 旧海員ホーム *函館の建築探訪NO6

所在地 元町32-13
建築年 昭和3(1928)年
指定等 歴風文化賞、伝統的建造物
開館時 なし


竣工時は「海員ホーム」であったので社交場としての1階大広間などが
当時のままであるという。

建物は「日和坂」に面しており、この坂も建築物探索には重要な坂だ
すぐにそれとわかるチョコレート色の壁と白いハーフティンバー風の木骨がとても印象的。

現在は「高橋病院」が活用している。


 


2022年6月撮影

 

 

 

「小熊家住宅」 旧佐田家住宅 *函館の建築探訪NO7

所在地 元町32-10
建築年 昭和3(1928)年
指定等 国登録有形文化財、歴風文化賞、市景観形成指定建築物
開館時 なし

 

著名な建築家であり、旧帝国ホテルの設計でも有名なアメリカのF.Lライトの
弟子でもあり北海道における建築家の先駆けである田上義也氏の代表作のひとつ。

先の高橋病院天使寮を少し登ると左手に中小路があり、入っていくと奥に個性的な住宅がある。
幾何学モチーフのデザインはこの頃の田上氏の作品に多く見受けられる。
2階の柱の意匠などライトを彷彿とさせ、人目につく逸品と評される。

またこの邸宅を表現するのに、よく「プレーリースタイル」と言われることがあるが
これはF.Lライトによって作成された ‘水平線、広い軒が張り出した平らな屋根または寄棟屋根、水平方向の帯にグループ化された窓、景観との統合、堅固な構造、職人技、装飾の使用における規律によって特徴づけられる‘

数年前までは喫茶店が営業しており内部見学が出来た
ぜひとも復活してほしい。

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「八花倶楽部」 旧岡本家住宅 *函館の建築探訪NO8

所在地 元町32-5
建築年 昭和2(1927)年
指定等 歴風文化賞
開館時 以前は飲食店が数度活用していたが、現在は営業していないようだ

 

元々は「函館製網船具㈱」の社長であった岡本康太郎氏の自邸として建築された。

すっきりした三角屋根の正面も良いが、東向きのアーチ屋根と窓が印象的だ。
またステンドグラスを一部使用している。

その後、現在までにいくつかの飲食店が入居したりしており
利用するなら内部も見ることが出来る。

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「ペンションはちまん坂」 旧小林家住宅 *函館の建築探訪NO9

所在地 元町14-16
建築年 大正10(1921)年
指定等 市歴史的景観賞
開館時 現在は「もみの木ダイニング」が食堂として活用
    11:00~15:00(火曜日~土曜日)
    定休日:月曜日・日曜日・祝日

 

元は一般住宅で、隣の家も似たようなデザインだった
残念ながら隣家は解体され、以前を知っている人には1棟で寂しそうに見えるかも。

鋭角な切妻屋根と妻壁の意匠、向かって右側には上げ下げ窓が並ぶ
老朽化となり平成6年に改修しペンションとなった。

その後は1階を利用して食堂として営業している。

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「I氏家住宅」 *函館の建築探訪NO10

所在地 元町14
建築年 昭和2(1927)年
指定等 市景観形成指定建築物
開館時 なし

 

「函館の建築探訪」には現役住宅が数軒あり、名前は配慮し地図は載せていない。

この建物はお屋敷レベルの住宅に見える
表通りから中に入った場所にあり、洋風住宅が多く観光客の多い元町にこの場所は実に閑静に感じる。

表門、玄関、2階の窓桟などをじっくり見たいが、やはり長く留まらないようにしたい。


 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「花かんろ」 旧土沢商店 *函館の建築探訪NO11

所在地 元町14-6
建築年 大正10(1921)年
指定等 伝統的建造物
開館時 2022年6月現在休業中

 

角地にある建物は以前は商店であるが、現在も飲食店である。

隣の「菊泉」とともに地域の重要な観光施設であったが現在は休業中のようだ。

正面から見ると奥に鎮座する2階部分が気になるが、これは平成6年に
喫茶店として再活用する際に増築したものである
昔の「たばこ」の看板がいい味を出している。

 

 


2022年6月撮影

 

 

「日和館」 旧寺根家所有建物 *函館の建築探訪NO12

所在地 元町10-13
建築年 大正10(1921)年
指定等 伝統的建造物
開館時 雑貨店として営業中
    営業時間、火曜日~金曜日11時~3時   
         土、日曜日10時~4時
    定休日、月曜日その他不定休があり

 

函館市は函館山から派生する坂道が有名だが、それらをつなぐ「横の道」も
多くの歴史的建造物があり重要である。

日和館は日和坂と「港が丘通り」に面しており、館の前を通り公会堂へと向かう観光客も多い。

建物は幾度の改修や塗装を重ね、とても綺麗だった
洋風の個人住宅として現存しているだけでも素晴らしいこと。

 

 


22022年6月撮影

 

 

 

「K氏家住宅」 *函館の建築探訪NO13

所在地 元町10
建築年 大正11(1922)年
指定等 歴風文化賞、伝統的建造物
開館時 なし

 

枝番まで住所は出さないが、この住宅がある横に一列は
和、洋がバランスよく並んでいる場所だ。

住宅は見た通り白い壁がとても美しい洋風住宅
白い色は管理が大変なイメージがあり、汚れも目立つので
塗装の繰り返しになっているのだろうか
だとすると修繕費がかかると思うが…

大正年間に造られた洋風住宅だけピックアップしても面白いか。

 

 


2022年6月撮影

 

 

「遺愛幼稚園」  *函館の建築探訪NO14

所在地 元町4-1
建築年 大正2(1913)年
指定等 伝統的建造物
開館時 なし

 

この敷地にはかつて遺愛女学校があり発祥の地であった。
その後、明治40年の大火で焼失し、現在の杉並町に移転することになった。

幼稚園は大正2年に再設され現在に至る
幼稚園だけに敷地内部への進入は関係者以外は認められない
よって撮影された写真はほぼこの角度でしか見たことがない。

坂の上に上がっていくと別の角度で撮影を出来るが
やはり園の魅力はくし形ペディメントのある玄関部分であろう。

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「元町カトリック教会聖堂・司祭館」 *函館の建築探訪NO15

所在地 元町15-30
建築年 明治42(1909)年(聖堂)大正13(1924)年(司祭館)
指定等 伝統的建造物
開館時 
10:00~16:00(日曜日の午前中、礼拝時を除く)
休館日 年末年始12月30日~1月5日、聖堂使用時

 

函館を語る上では「大火」は外せないようだ
おそらく地元の方たちには語り継がれていることかと思う。

明治40年と大正10年の大火により2度焼失したのが、この教会であった。
古い建物の建築年を見てみると、大火の年や次年が多いことに気づく。

元町カトリック教会は景観を彩る中で外せない重要な建築物でもある。
高さ33mの大鐘楼と司祭館はぜひ撮影したいところ。

聖堂にはローマ法王から火事のお見舞いとして豪華な祭壇が送られ現在も置かれている。
聖堂内の見学はできるが「撮影禁止」である。

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「函館ハリストス正教会復活聖堂」 *函館の建築探訪NO16

所在地 元町3-13
建築年 大正5(1916)年
指定等 国指定重要文化財、伝統的建造物、歴風文化賞
開館時 2020年12月末から2022年12月中旬までの期間、聖堂本体の耐震化と保存修理のために
    聖堂は工事シートで全体が覆われ、内部の拝観も出来なくなります。


元町、函館の景観建物で「ハリストス正教会」は非常に重要な建物だ。

函館の観光案内ではほぼ100%近く、この教会の写真が掲載される
異国情緒を感じさせる最も有名な教会と思える。

それゆえに耐震工事や修復をしなければならない
もう約2年前から工事をはじめ今年の12月に終了する予定だ。

果たして以前と変わらない姿でいるのかとても関心がある。

 

 

 


木造校舎・廃校 岩見沢市の閉校① 

2022-06-16 09:17:29 | 木造校舎・廃校

岩見沢市の閉校(小学校)

  • 岩見沢市立孫別小学校(1971年1月1日岩見沢市立岩見沢小学校の一部と統合し岩見沢市立日出小学校へ)
  • 岩見沢市立北本町小学校(1972年西川向小と統合し岩見沢市立第一小学校へ)
  • 岩見沢市立西川向小学校(1972年北本町小と統合し第一小へ)
  • 岩見沢市立宝水小学校(1972年日の出小へ統合)
  • 岩見沢市立御茶の水小学校(1972年協和小の一部・上幌向小と統合し岩見沢市立第二小学校へ)
  • 岩見沢市立上幌向小学校(1972年協和小の一部・御茶の水小と統合し第二小へ)
  • 岩見沢市立協和小学校(1973年岩見沢市立志文小学校へ統合)
  • 岩見沢市立稔小学校(1988年大願小と統合し岩見沢市立北真小学校へ)
  • 岩見沢市立大願小学校(1988年稔小と統合し北真小へ)
  • 岩見沢市立毛陽小学校(1992年美流渡小へ統合)
  • 岩見沢市立朝日小学校(1999年上志文小と統合し岩見沢市立メープル小学校へ)
  • 岩見沢市立上志文小学校(1999年朝日小と統合しメープル小へ)
  • 岩見沢市立美流渡小学校(2019年メープル小へ統合)

(中学校)

  • 岩見沢市立東光中学校分校(1961年)
  • 岩見沢市立大願中学校(1970年岩見沢市立緑中学校へ統合)
  • 岩見沢市立栄中学校(1983年志文中と統合し岩見沢市立清園中学校へ)
  • 岩見沢市立志文中学校(1983年栄中と統合し清園中へ)
  • 岩見沢市立美流渡中学校(2019年清園中へ統合)

 

「旧岩見沢市立孫別小学校」

 

開校:1905(明治38)年
閉校:1970(昭和45)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市東山町 孫別公園


孫別小学校があった場所は、まさに山の上というか
平地が多く感じる岩見沢市の中でも山深い方だろう。

かつて明治時代にどれだけの住人がいたのかはわからぬが、現在からすると
ここにあったのか  と思う場所だった。

現在の一帯は「孫別公園」になっており、入口側には「日出会館」がある
情報により会館裏の笹薮を探すと頭だけが見える笹に埋もれた校門があった。
とても近寄る気にはならなかったが校名のプレートは外されているだろう。

古い写真には校門と校舎が写っているので大体の位置関係はわかる。

草刈りされた校舎があったと思われる場所には何かわからない塔(ポールの土台?)がある
旧校舎はこの塔から奥に建っていた。
さらにその少し奥に杭に囲まれた黒い閉校の碑があった。

ほかに学校を思わせるものはなかったようだ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


岩見沢史より

 

 

 

「旧岩見沢市立北本町小学校」

 

開校:1929(昭和4)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市北本町西3丁目1


幾春別川沿いの狭い土地に北本町小学校があった。

端に跡地記念碑がある
裏に廻ると「第一小学校」の名前がある
これは西川向小学校を統合し名前を第一小学校に変えたからだ。

橋側の方には「北盛会館」という比較的大きな会館が建っている
旧校舎の一部のように見えなくもないが…
また隣接した敷地にはコンクリートの基礎の跡が残っていた。

古い写真を見ると校舎は会館があった場所からL字に伸びる形だ
いずれにしても校庭はどこか他にあったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


岩見沢史より

 

 

 

「旧岩見沢市立西川向小学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市西川町1056


西川向小学校は北本町小学校と統合し、第一小学校となったが
使用校舎は北本町小学校のほうだ。

学校跡へは校名と閉校記念碑でナビが表示するが、近くの出雲神社でも良い
神社の隣に「西川町総合会館」があり駐車場が利用できる

先を覗くと黒い碑と藤棚が見えた
北本町小学校と同じく表は校名跡地、裏は第一小学校の名前があった。

それにしても不自然にポツンとある藤棚が綺麗であった。

さらに奥に目をやると同じような黒い碑と門柱が1柱だけ
碑には校歌と校章が、門柱には校名プレートがあった
この門柱の意匠が素敵だ。

学校への入口はこちら側かも知れない
古い写真からは位置関係はわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


岩見沢史より

 

 

 

「旧岩見沢市立宝水小学校」

 

開校:1915(大正5)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市宝水町443

かなり前に閉校したが木造体育館が残っていると聞いて行って見た
門はあるがプレートには「宝水会館」とある
いちおう車の轍があるが前に車を停めて徒歩で入る
 
最初の広場はおそらく校庭で、ここで体育や運動会とかをしたのだろう
一段高くなった左手に体育館があったが校庭や敷地外からでは木々が多くて見えない
過去の画像では体育館の周りに木々はなくきれいに全景が見えていたが…



体育館の反対側の広場に校舎があったと思う。

 
体育館はシャッターが新しく、会館の機材とかがあるのかも
建物自体は痛みが目立ち、ガラスが割れている
中が見えたが床板が外されていた
ちなみに訪問時は雑草が腰まであり棘のある葉でチクチクと痛い思いをした

 
 
 
 
 
 
 
 
校庭の脇にある錆びたブランコの支柱だけが、ここが校庭ですよと証明しているようだ。

2021年7月撮影

 

 

 

 

「旧岩見沢市立上志文小学校」

 

開校:1898(明治31)年
閉校:1999(平成11)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市上志文町20-1


上志文小学校があったのは、道道38号三笠栗山線です
この後の私の行程は、それから夕張岩見沢線に入ることになる。

閉校の碑がある目印は、左手にスキー場、右手にコンビニがある場所があり
そのコンビニの駐車場近辺が校舎があった場所と思われる。


なぜかフェンスが倒れている

 

そのフェンス手前の芝生の上に二宮像と閉校の碑が並んでいた
コンビニと反対側は畑が広がる

ここまで来ると岩見沢市内から離れた感じだ
碑は立派である

校舎は38号線を起点に、現在の駐車場から縦に建っていたものと推測し
L字型に体育館が横を見せていたと思う。

 

 

 

 

 


ここに体育館があったのではないか?

2021年10月撮影

 

 

 

「旧岩見沢市立朝日小学校」

 

開校:1940(昭和15)年
閉校:1999(平成11)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市朝日町


夕張岩見沢線を毛陽を目指して先へ進む
朝日町の集落に入ったら左手にあるコミュニティセンターを目印に
右折すると、そこが「朝日ふれあい広場」になっており
かつて朝日小学校があった。

 

 

広い広場の正面最奥に一直線に校舎が建ち、左端にL字型で体育館があった

その真ん中の奥に少女の像と基部が朝日小学校のメモリアルになっていた。

 

 

 



現在の広場はパークゴルフやイベントなど多目的に使われているようで
地元の憩いの場所であろう

 

朝日の街はこう言ってはなんだが他の街に比べて現役の住宅が多いように見受けられた。

すぐ先には旧万字鉄道の駅舎が残っており機関車も展示している
この駅舎はレトロでマニアなら一見の価値ありだろう
公園になっているので一休みにいい場所だ。

2021年10月撮影

 

 

 

「旧岩見沢市立毛陽小学校」

 

開校:1902(明治35)年
閉校:1992(平成4)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市毛陽町


毛陽町は夕張岩見沢線にあり手前で右に旧栗沢町の美流渡を分ける
少し進むと左側にロッジ風のホテルがあり
ここに毛陽小学校があった。

ホテルはギャンブレル屋根を有効に使い印象的なファサードだ
昔の小学校の意匠であればOB達はうれしいだろうなぁ

 

正面右手の敷地内(橋の手前)に閉校の碑があった
大きな立派な碑なのですぐ目に入る

校章、校歌、説明の碑文が彫られており見たい情報がしっかりと刻まれている

ホテルも2018年にリニューアルしており日帰り温泉やテニス、グランピングなどリゾート施設になっていた

最近は本格的なフレンチレストランの評価が良い
炭鉱を中心に栄えた町と学校跡に活気が戻るのはいいことじゃあないか。


 

 

 

 

 

 

2021年10月撮影

 

 

 

「旧岩見沢市立御茶の水小学校」



開校:1902(明治35)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:()年竣工

岩見沢市御茶の水町289


岩見沢市でも旧北村寄りの土地である

訪問時は地区の何かの集いらしく、御茶の水交流センターにはたくさんの人と車があった

ちょっと遠慮しながら端に車を停め校門から撮影を始めた
やがて一人の地区の人が話しかけてきたので閉校跡を撮っていると答えたら
良く撮ってよ と言われた。

もう少し地元の人と話をしたら良かったと後悔
色々な情報は地元にあり だからねぇ

よく見ると奥に体育館らしい建物が残っていたのであわてて撮影した
転用されているが体育館だろう
校舎は解体され新しいセンターに生まれ変わったが、校門や体育館を残してくれて良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

*岩見沢市史より

 


岩見沢市の建築探訪②

2022-06-13 15:34:29 | 岩見沢市

ここまでの建築探訪は2004年に発行された「道南・道央の建築探訪」(北海道新聞社)を中心に記載してきたが、2020年に「北海道建築物大図鑑」(北海道新聞社)が発行され新規物件が3軒追加された。

 

「Y氏家住宅・蔵」        
       
 
所在地 岩見沢市
建築年 大正4(1915)年
指定等 
開館時 一般住宅のため無し 
 
創業明治22年で清酒・味噌・醤油の醸造ほか広い商売をしていた商店の
当主住宅と蔵である。

個人住宅ゆえ敷地内に入ることは許されないので門外から見ることになる
純和風住宅の玄関戸に垣間見えるアールヌーボー調の装飾模様、
玄関屋根の装飾、勝手口門の意匠や屋根の避雷針など見るべくものがある。
 
また蔵もペディメントや黒漆喰の防火窓扉が印象的だ。
 

 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
「旧ギンザ美容室」        
       
 
所在地 岩見沢市1条西4丁目
建築年 大正期
指定等 
開館時 無し
 

JR岩見沢駅前に異彩を放つ木骨石造りの蔵である。

美容室は現在は営業しておらず、その前は喫茶店だったようだ
竣工時は薬局の蔵であったとの記載もある。
 
正面から見る意匠に個性がある
特に三つ柏の家紋の下にあるアーチ型ペディメントの中に
白く塗られた「波乗り兎」が面白い。
 
玄関両サイドの縦長窓も目立つ箇所だ。
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「パーラーたちかわ」 旧丸一太刀川商店蔵       
       
 
所在地 岩見沢市4条西1丁目
建築年 大正11(1922)年
指定等 
開館時 飲食店 
 
 
立川家は明治29年に新潟から入植し、酒、味噌、醤油などを扱う雑貨店となる。
昭和54年から喫茶店として再利用された。
 
屋号として〇に一を正面に設けている
現在の店内は煉瓦壁になっており雰囲気づくりに役立っているようだ。
 
 
2022年6月撮影
 
 
 
 
 
この他に町中を走っているときに見つけた建物
 
「旧藤井整骨院」
 

現在は営業していないようだ
白地の下見板張り、窓の白枠と赤い屋根がいい感じだ
3つある看板も昔ながらでいいね。
 
2022年6月撮影
 
 

木造校舎・廃校 恵庭市の閉校

2022-06-02 14:44:26 | 木造校舎・廃校

恵庭市の閉校(小学校)

  • 恵庭市立島松小学校桜森分校(1948年)
  • 恵庭市立島松川上小学校(1961年)
  • 恵庭市立盤尻小学校(1965年
  • 恵庭市立松園小学校(1971年松鶴小と統合し恵庭市立松恵小学校へ)
  • 恵庭市立松鶴小学校(1971年松園小と統合し松恵小へ)
  • 恵庭市立北島松小学校(1976年恵庭市立島松小学校へ統合)

(中学校)

  • 恵庭市立盤尻中学校(1964年
  • 恵庭村立島松中学校(1949年統合により恵庭市立恵北中学校〈当時:恵庭村立〉へ)
  • 恵庭村立松園中学校(同上)
  • 恵庭村立松鶴中学校(同上)

※wikipediaより

 

「旧恵庭市立松園小学校」

開校:1889(明治22)年
閉校:1971(昭和46)年
校舎:1947(昭和22)年

恵庭市南島松開拓記念公園


恵庭市内の閉校を廻ったがもっとも街の中にある学校だった。

郷土資料館と開拓記念公園の敷地内にあり特に資料館は、立派な内容で
ここが無料でいいんだ?ってところだ。

今は無き校舎は、以前の校舎が火災により焼失したため急遽新築したもので
戦後すぐでもあり財政と資材不足で苦労したようだ。

それからは地域の人口減だろうか、松鶴小学校との統合で新しく松恵小学校となり
閉校、解体となった。

だが公園内には歴史のある校門が残されている
校名プレートもあり、石碑もある。

3つの学校に付けられた「松」の字は一説には教育の祖として
松下村塾を作った吉田松陰の一字を取ったの説がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 


※恵庭市史より

 

 

 

「旧恵庭市立松鶴小学校」

開校:1901(明治34)年
閉校:1971(昭和46)年
校舎:1943(昭和18)年

恵庭市漁太282


松鶴小学校があった場所は現在は公園の表示と、グーグルマップには「恵庭市消防団第四分団」の
名前がある。

恵庭市は昭和45年から町から市になり、札幌と千歳の中間でどんどん町が発展していった
都市計画により新しく綺麗で整然とした町が出来上がる
そんなイメージがあったが、ここはまったく違う。

畑と関わる家くらいしか見当たらない
恵庭にこういう場所があるとは思わなかった。

しかしすぐ近くに千歳川と漁川がある
川は大事な交通手段である
だから早くに開拓されたのだろう。

さて学校の跡地には、すでに会館がある「松鶴会館」とあり地域のコミュニティスペースだろう。
よく見るとツルにからまれたバックネットがあった
しかも木製支柱である
校庭であったろう草地の奥にポールらしきものもあった。

校名にも使われた「松」と「鶴」は一見おめでたい字の連続と思うが
近くの千歳川の向こう長沼町に舞鶴小学校があった

この近くにも昔はタンチョウヅルが飛来したのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 


※恵庭市史より

 

 

 

「旧恵庭市立北島松小学校」

 

開校:1943(昭和18)年
閉校:1976(昭和51)年
校舎:1952(昭和27)年

恵庭市北島216番地


恵庭市北島は市の最北部にあたり北広島市と長沼町に接している。
農地が多く松鶴小学校と似たような風景の場所だ。

こちらは門柱に校名プレートが残っていたし、教員住宅ではなかったかと思う住宅もあった
市史には校長住宅と職員住宅2棟を建設したとある。

校舎は綺麗に解体されて立派な会館が建てられている
校庭跡だろうかパークゴルフ場にもなっている。

校舎の解体は止む無く、土地の有効活用だと思う。

戦後には名古屋からの戦災者が集団移住し、開拓も進んで戸数も増えた
校舎の新築はそのような状況下で実施されたが
残念ながら築24年で閉校となった。

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 


※恵庭市史より

 

 

 

「旧恵庭市立盤尻小中学校」

 

開校:1908(明治41)年
閉校:1965(昭和40)年
校舎:1950(昭和25)年

恵庭市盤尻90


盤尻は恵庭市の中でも広大な敷地を占めるが、山地のため人が住んでいる場所は少ない。
しかし恵庭岳から恵庭渓谷、恵庭ダムと恵庭市の自然観光地の中心となっており恵庭カントリークラブなど道内有数の名門ゴルフコースもある。

小中学校は、市内から山へ向かっていく途中の平地にあった
現在は「市民の森事業 梅の森」となっていた。

学校を示すものは道道に向かって看板が設置しており、説明書きがあった
現在の近辺には住宅は数少なく、以前はどんな様子だったのか想像が出来ないくらいだ。

前レポートで旧松園小学校の訪問で郷土資料館に入ってみたら
かつて盤尻小学校にあったピアノが展示してあった
確かに恵庭史にもオルガンを導入の記載があったが。


余談だが盤尻には鉱山が二つあり、小学校もそれぞれにあった
現在はそれを示すものは皆無のようだが、機会があれば探索してみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 

恵庭市史より

 

 

 

「旧恵庭市立島松川上小学校」

 

開校:1913(大正2)年
閉校:1961(昭和36)年
校舎:1956(昭和31)年

北広島市三島


恵庭市は「村」は明治39年(1906年) 「町」には昭和26年(1951年)になる
島松川上小学校が開校した時は恵庭村で閉校時は恵庭町であった。(市制は1970年)

恵庭市といえばその地理的条件からも人口が増えて行くイメージがあるが
学校があった場所は北広島市との境界で、やはり人家が少ない。

以前は道路近くに門柱があったが現在は無く、会館がポツンとあるだけだが
これは校舎解体後に建てたものに見える。

目の前には水田か貯水池か水場が広がる
時期的に桜が咲いており、おそらくこの木は学校の終末まで見ていたのだろう。

水辺に何かあると思って良くみたら北広島市を表す石の境界だった。

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影