札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

八雲町の建築探訪 ※2軒を再訪しました

2024-10-26 23:55:47 | 八雲町

紹介の順番は北海道新聞社発行の「道南・道央の建築探訪」2004年発行のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあり
確認したところ2軒の掲載に対し、1軒は解体されていた。

ほかに指定があるもの
他のブログで情報を得たもの、探索中に見つけた気になる建物を追っていきます。

 

八雲町は噴火湾に面した穏やかな気候の街のイメージがあります
市町村の合併により、熊石町と統合したので全国でも類がない「日本海と太平洋両方に面した町」になった。

 

 

「跡辺家住宅」 旧梅村多十郎住宅 *道南・道央の建築探訪NO34

今回2024年10月17日の旅行では八雲町の「旧梅村多十郎住宅」を再訪問した

紅葉の時期には少し早かったことと
池の水が少なくて建物が浮いている感じがなかったことが残念。

 

 

 

「八雲町公民館」 


「旧梅村家」を見るための駐車場はお隣の「公民館」の駐車場を使う

田上義也氏設計の公民館を見て、まだまだ大丈夫と胸をなでおろす。

 

※2024年10月17日撮影

 

ここから過去レポート

 

「跡辺家住宅」 旧梅村多十郎住宅 *道南・道央の建築探訪NO34

所在地 八雲町末広町152
建築年 明治40年ころ
指定等 八雲町指定文化財
開館時 開館時間 4月1日から4月30日 午前10時~午後4時30分
         5月1日から10月31日 午前9時~午後5時
         11月1日から12月28日午前10時~午後4時30分
         ※12月29日から3月31日は冬季休館です
    入館料  無料
    定休日  毎週月曜日 (月曜日が祝日の場合は翌日)
         11月1日から4月30日の期間:毎週月曜日、祝祭日、12月29日~3月31日(冬季休館)
 
 
現在は「梅村庭園」として施設と庭を無料で見学が出来る。

梅村氏は愛知県の出で1892(明治25)年に入植し、農業に従事した。
その後、馬鈴薯澱粉製造や菓子製造業を営み、1912(明治45)年に梅村家別宅のあった現在の場所に、蔵・離れ・洋館からなる住宅を建て庭を造園した。

建物自体は新しいが、明治時代からの内部がそのままになっている部屋もあり
そこから眺める庭園の美しさ
特に紅葉の時期は素晴らしいだろう。
 
池を挟んで邸を見ると池に浮いたように見えるところは一見の価値あり
白く塗られた土蔵もいい味を出している。
訪問時は「カラスのため通行禁止」で、ベストポジションへ行けなかったのが残念

いつかは紅葉シーズンにのんびり見学したい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「日本基督教団八雲教会」 旧日本メソジスト八雲教会 *道南・道央の建築探訪NO35
 
所在地 八雲町末広町132
建築年 大正11年(1922年)ころ
指定等 なし
開館時 
 
 
解体
 
 
 

「八雲町庁舎」 

所在地 八雲町住初町138
建築年 昭和36(1961)年
指定等 なし
町役場開庁時間:月曜日から金曜日 午前8時30分から午後5時15分まで
    
 
この庁舎と次の公民館は北海道の建築の父と言われた田上義也氏の作品である。
 
やはり長い年月の間に補修、改修があった。
もっとも顕著なのは、竣工時には屋上に小さな塔屋があった
また屋根の庇は現在は下がっているが、竣工時は逆に上に広がるデザインであった。
 
とはいえ、まだ現役で残っているうちに見れて良かった
また八雲町、町民の皆さんの建物を大事に使う気持ちが伺える。
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 
 

「八雲町公民館」 

所在地 八雲町末広町154
建築年 昭和40(1965)年
指定等 なし
開館時 月~金 9:00~22:00
    土日祝 9:00~17:00
 
 
庁舎ではおとなしめのデザインに見えたが公民館では田上氏の面目躍如といったところか?
 
とにかくファサードが個性的でガクガクと八の字に広がる軒とはめ込むガラスが素晴らしい。
竣工時は素通しのガラスだったようで、現在はシートが貼られたように見える。
 
中のPタイルも、もしかしたら竣工時のかも知れない
階段も含め、何気なく見てしまう公民館だが、物色するかのごとく見学はちょっと反省した。
 
現在は教育委員会も入っているので、益々……おとなしく静かに見学しよう……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 
 

「SENTO」 旧草津湯 

所在地 八雲町末広町30
建築年 大正期
指定等 なし
開館時 [LUNCH]11:00~15:00
    定休日 月曜日
    
 
築100年を超える銭湯をゲストハウスとカフェにリノベーションした。

下の写真が銭湯時代の正面で下の切妻部分が入り口(現在はふさがれている)
そして両側に男女の浴槽があったと思われる。
 
内部外部とも改修があったが、そこかしこに銭湯時代の名残りがあるらしい
特にカフェにある浴槽を活用した客席は、利用してみたいものだ。
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 
 

「古民家」 

所在地 八雲町末広町
建築年 不明
指定等 なし
開館時 なし
    
 
散策中に見つけた古民家で
2階の窓はすべて出窓で、玄関の意匠や玄関横の窓、下見板張りにレトロさを感じる。
 
八雲町内をしっかり見たわけではないが、このような歴史を感じて
かつきれいに管理された住宅はほとんど見なかった。
 
旅先で1軒でも土地の歴史ある建物を見られたのは非常にうれしいものだ。
 
 
 
 
 
 
 
 


「落部7区会館」 旧帝産航空株式会社事務所?

所在地 八雲町落部748
建築年 不明
指定等 なし
開館時 なし
    
 
この建物は未確認情報です。
建築家の田上義也氏が一時、請われて会社経営をしたことがある
それが旧帝産航空株式会社で、八雲町落部で取締役工場長を田上氏がしていた。
 
戦時中に軍機に使用するベニヤ板を製造していたので戦後は米軍が摂取に来て
役員である田上氏には責任を科せられるかもだったが事なきを得た。
 
工場がここの敷地周辺にあり、建物は事務所であったとの情報を見た。
工場の創立は昭和18年ころで、建物が現存していてもおかしくはない
工場らしき建物は見当たらないが、現在「落部7区会館」になっているこの建物は
当時のものの可能性がある。
 
現地に誰かいれば聞くことも出来たが誰もおらずかなわなかった。
建物は窓の小割風がなんとなく田上氏っぽくないかなあと想像するのも楽しい。
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 
 
 
 
 

木造校舎・廃校 長万部町の閉校 ※2校を追加しました

2024-10-25 22:54:35 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回訪問 青字は訪問済み

 

wikipediaより

  • 長万部町立上の沢小学校(年代不明)
  • 長万部町立豊津小学校(1971年国縫小へ統合)
  • 長万部町立茶屋川小学校(1985年国縫小へ統合)
  • 長万部町立蕨岱小学校(2001年
  • 長万部町立双葉小学校(2005年、跡地は地元の企業の事務所に転用)
  • 長万部町立共立小学校(2009年、跡地は地元水産会社の工場に転用)
  • 長万部町立中の沢小学校(2010年、跡地は地元の製菓会社の工場兼直売所に転用)
  • 長万部町立国縫小学校(2014年
  • 長万部町立静狩小学校(2022年

 

 

「旧長万部町立国縫小中学校」

 

開校:()年
閉校:平成26(2014)年
校舎:昭和50(1975)年 改築

長万部町国縫171-59

ナビ「国縫振興会館」

 

国縫小学校の閉校は平成26年で比較的最近の部類に入るほうだろう
だからなのか校舎ほかほとんどが閉校時のままに見える。

ナビはお隣の会館で、駐車をさせていただくと目の前が校舎である

 

 

一度道路に出て校門から入りなおす

 

両方にプレートがあったが片方は「長万部町立」だけで何か違和感がある

すぐ右手に石碑あり(後ろが会館)

これは百周年の石碑であった

 

改めて校舎を見る

 

 

グラウンド、バックネットのそばに石碑があるので行って見た

「シャクシャイン古戦場跡」の碑だった

 

校舎のほうに戻るとさらにプールのような施設と
その前にも石碑

これは「国縫中学校」の閉校記念碑だった
とするとここは小中の併置校になる

おそらく石碑の裏面にも記録がありそうだが、雑草が多く旅行中でもあり止めた。

 

古戦場のも含めて記念碑が多く、校舎その他が現存しているので
満足度の高い閉校巡りでした。

2024年10月17日撮影


 

 

「旧長万部町立豊津小学校」

 

開校:昭和27(1952)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和27(1952)年

長万部町豊津260-14

ナビ「豊津開拓会館」


実際にはナビの豊津開拓会館のすぐ手前にある、ぽっかりした空地が
かつての学校敷地であり校庭と思われる

上記の国縫小学校と逆でこちらの閉校年は昭和46年とかなり年数が経っている
また国道から少し山側に入っただけの場所にあるのは共通している。

 

古い航空写真には校庭と一直線の校舎が写っており
現在の写真に切り替えると草木の中に建物の屋根が見える

現役当時ほどの大きさは無いが場所は同じだなので校舎の一部と推察。

 

停車場所から「開拓会館」がチラ見

 

校舎の一部でも見たいと勇んで行って見たが、あまりの雑草に屋根部分しか見えない
その屋根はブルーシートで覆われていた。

 

廃校を目指してそれなりの準備をしていけば、なんてことはないかも知れないが
旅行中の行きの途中である

無理をせず遠方からの撮影に留めた

 

いずれにしろ閉校から50年以上経った木造校舎だ
「廃墟」扱いはまぬがれないであろう

2024年10月17日撮影

 

 

 

ここから過去記録

 

「旧長万部町立蕨岱小学校」

 

開校:明治37(1904)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:()年

長万部町蕨岱139

ナビ「長万部町蕨岱139」

 

蕨岱小学校は木造校舎が現存しており今回の閉校巡りのメインである

同じ木造でもモルタルより板張りの方が断然素敵だ。


黒松内町から国道5号線を南下し長万部町に入る
少し進むと左側に学校への案内標識があるので左折する
後は真っすぐ行くと左側にぽっかりと木造校舎が見えた。

 

道路の反対側はトウモロコシ畑
他に建物は教員住宅?の建物が学校の隣にあり、住民がいるようだ。

 

邪魔にならないように撮影をする
横に一直線の校舎は向かって右端に体育館があり終わっていた

閉校年は平成13年で特別古くは無い
竣工年が確認中だが、まずまずの状態で現存しているのが嬉しい

 

 

前庭は雑草が伸び放題で踏み入るのも躊躇する
見える位置からのズームで充分だ。


さらに先に進んでも農地と原野で行き止まりだ
Uターンして戻るには後ろ髪を引かれる思いである

それだけ貴重な校舎であった。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立双葉小学校」

 

開校:明治33(1900)年
閉校:平成17(2005)年
校舎:()年

長万部町双葉86

ナビは「JR二股駅」

 

JR北海道 函館本線の「二股駅」はコンテナで出来ており
面白い駅舎だった
鉄道マニアならずとも駅舎に興味が惹かれる

 

さて旧双葉小学校は国道5号線を挟んで「二股駅」の対面にある
付近には他に大きな建物は見られなかったのですぐにそれとわかる
車は駅舎前に停車し徒歩で国道5号線を渡る。

 

 

双葉小学校の現在は民間企業が使用していると思った

ただ現地に着いてみると平日だが人影も車もなく
自由に入れそうだったので校門から玄関前まで行ってみた

 

また左手に記念碑もあったので撮影をし
校舎の横に舗装道路があるので行ってみると校舎の裏側が見れた

奥に草ぼうぼうのグラウンドなどがあり、バックネットや鉄棒、水飲み場、
遠めだが温室?が見て取れた。

 

まだ使用できる鉄筋コンクリート造りの校舎なので
校門に付いていたプレートの会社が再活用していればいいが……

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立共立小学校」

 

開校:大正3(1914)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:()年

長万部町共立471-1

ナビは「共立熊野神社」

 

旧双葉小学校が今回の折り返し地点で、この後は東進して豊浦町方面に向かう
その途中に共立小学校がある

共立熊野神社と道路を挟んで旧共立小学校がある
すぐ近くに高速道路の「静狩PA」がある

 

校舎は双葉小学校と同じく民間企業が活用しており
以前は校門らしき標識に社名がある
リスが可愛い

 

ここは内部に入らないと校舎はほとんど見えないので
カメラ片手に訪ねてみた

が、ここも人はおろか車もない
あるのは鉄筋コンクリートの校舎と整備された敷地だった

誰かが来たら説明しようと思い撮影だけした
体育館が見当たらなかったのは解体されたからだろう
校庭と思われる場所は整地されさらに立入禁止だった。

 

 

ここも結局企業として活用はしているようだが、常に使用しない
倉庫のような用途なのだろうか

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立静狩小学校」

 

開校:明治35(1902)年
閉校:令和4(2022)年
校舎:()年

長万部町静狩166

ナビは「長万部町立静狩小学校」

 

長万部町で太平洋を見ながら走る国道37号線は、やがて静狩の町で海沿いを終わり、
山を越える静狩峠を経て豊浦町に入る

どんづまりのような静狩の集落はこれまでの町より住宅などが多い

山側がぽっかりと開けた場所に「JR北海道函館本線 静狩駅」がある
木造板張りの素敵な駅舎だ
中も趣があってよい ホームに出たらまさに特急電車が通過する間際だった
あわてて撮影をしてみた 鉄道マニアの気持ちが少しわかったかも

隣の駅は有名な小幌駅だ


駅舎を離れて先へ進む

町の貫く通りの山側に左折すると静狩小学校があった。

 

 

しかし現在は工事現場の事務所や詰め所になっており
人の出入りも多い
外にある校門の撮影しながらギリギリの角度で校舎を撮ってみる

ズームで見ると正面玄関と思われる上部に校名と、「令和4年3月閉校」とあった


どうやら平屋のようで、奥行きのある学校だ

体育館も遊具も残っており、そこはわずか2年前の閉校だからだろう。



ここは敷地内奥に入らず、これで終了し
いつか機会があればまた寄ってみよう。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

ここから過去記録

 

「旧長万部町立中の沢小学校」

 

開校:昭和23(1948)年
閉校:平成22(2010)年
校舎:調査中()年

長万部町中の沢13-2

 

中の沢小学校は国道5号線沿いにあり、交通量が多い場所にあった。

昭和23年の開校で比較的新しい方になるだろう
校舎も当時のものかと思ったら、店舗として再活用されている内部に
改築完成イメージのイラストがあったので後年に治したようだ。

基本的には旧校舎、旧体育館、旧校庭(バックネットあり)が現存しており
校名のプレートだけは無い。

現在は、お菓子屋さんなのだろうが店内はモノであふれ
ドン・キホーテのミニチュア版を見るようですごく楽しい。

以前に通った時は一体何屋さんなんだろうと思っていたら
まさか閉校の再利用とは思わなかった。

現地製造のお菓子も販売しているのでぜひ立ち寄っていただきたい施設だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 


木造校舎・廃校 黒松内町の閉校 ※1校を追加しました

2024-10-22 21:06:23 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート 青字は過去レポート

  • 黒松内町立五十嵐小学校(1968年黒松内町立中ノ川小学校へ統合)
  • 黒松内町立東栄小学校(1972年閉校)
  • 黒松内町立上大成小学校(1976年黒松内町立大成小学校へ統合)
  • 黒松内町立豊幌小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立大成小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立熱郛小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立作開小学校(1998年閉校、跡地は体験学習所として転用)
  • 黒松内町立中ノ川小学校(2007年[148]黒松内町立黒松内小学校へ統合)

中学校

  • 黒松内村立黒松内中学校豊幌分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校大成分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校東栄分校(1949年4月20日)

 

黒松内町は後志地区の南端にあり、渡島地区と胆振地区に接している
「ブナ」の北限として有名でオートキャンプ場もある
本来なら道南への中継基地として地理的には往来は多い場所になるが
函館へは札幌、千歳からはもっぱら高速道路や洞爺湖~太平洋側を経由していくことが多い。

黒松内岳はブナ林の美しさと滝があるので一度登ったが、とてもいい山だった。

 

「旧黒松内町上大成小学校」

 

開校:昭和25(1950)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和25(1950)年

黒松内町大成496-2

ナビは「黒松内高感度地震観測施設

 

今回は八雲町への旅行行程の中で、国道から近い閉校を選んで訪問してみた。

黒松内町からは1校。

ナビが簡単に閉校跡に連れていってくれるので楽だ
国道37号線から道道266号線へ右折し数分走っただけで到着。


一番の目印は「上大成集会所」
その横に車を停めて道道を歩いて進むとナビの「黒松内高感度地震観測施設」がある

 

 

その隣にいかにも学校の入口のような小道があった

 

 

そこも徒歩で進む
すでに目の先にブルーシートで一部覆われた廃墟のような建物が見えるからだ。

 

 

正面から見るが誰もいない
これが旧上大成小学校の「一部」らしい

昔の航空写真を見ると長さは倍くらいあり、中心から建物が伸びてTの字になっている

その伸びた部分はどうやら倒壊しているようだ。

 

 

 

 

 

 

旧校舎の向かいは草ぼうぼうと倉庫があるが、ここが校庭だった
木造の旧校舎が一部でも確認できたのはうれしいが
今の状態は旧農家の離農した後のような感じだった。

 

 

2024年10月17日撮影

 

 

 

ここから過去レポート

 

「旧黒松内町豊幌小学校」

 

開校:明治31(1898)年
閉校:平成10(1998)年
校舎:昭和51(1976)年竣工 鉄筋コンクリート平屋

黒松内町

ナビは「旧豊幌小学校跡」

 

蘭越町を後にして、最終目的地である長万部町の閉校を目指すとルートは黒松内町を通る
かなり久しぶりの「道の駅」で簡単に昼食をとり国道5号線を西進する。

 

やがてナビにある「旧豊幌小学校跡」跡に到着
校門と反対側の道路に空きスペースがあるのでそこに駐車。

 

校名入りプレートの校門が現存しており
正面玄関がすぐそこにある 校門は昭和51年寄贈なので
校舎の新築に合わせて校門も代わったようだ。

手前のスペースは前庭で裏手に校庭があるようだ
前提には遊具も残っておりシンボルツリーらしき樹木も健在

 

校舎は鉄筋コンクリート造りである
さすがに屋根の庇部分に痛みが見えて、このままだと拡大していくだろう。

体育館は校舎に対して立派で竣工年は分からないが校舎とは別かも知れない。

 

前庭の左手に記念碑あり

 

草が煩わしいが裏へ廻るとバックネットがあり
やはり草ぼうぼうでグラウンドの面影はない
用具室らしき古い建物もあった。

 

黒松内町としては1校だけの閉校訪問だったが
いい学校を見させてもらった 
いつかまたこの街を廻ってみたい

この後は国道5号線を進み長万部町に入る。

 

2024年7月26日撮影

 

 


木造校舎・廃校 豊浦町の閉校 ※1校を追加しました

2024-10-20 22:06:25 | 木造校舎・廃校

wikipediaより

小学校  赤字は今回訪問 青字は過去訪問

  • 豊浦町立桜小学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉小学校(1980年休校、2000年廃校)
  • 豊浦町立美和小学校(2005年)
  • 豊浦町立新富小学校(2003年休校、2006年廃校
  • 豊浦町立大岸小学校鉱山分校(1942年3月に大岸国民学校小鉾岸分教場として開校したが、1943年(昭和18年)廃止され、1944年に豊浦青年学校が開校。1947年(昭和22年)に再度廃校となって跡地に大岸中学校として開校した後、1952年に大岸中学校が廃校して移転したことに伴って、再び大岸小学校鉱山分校として改めて開校した。2007年に3度目の廃校となり、大岸小学校へ統合。)
  • 豊浦町立山梨小学校(2007年豊浦町立豊浦小学校へ統合
  • 豊浦町立新山梨小学校(同上
  • 豊浦町立大和小学校(2012年豊浦小へ統合)

中学校

  • 豊浦町立新山梨中学校(1972年豊浦町立豊浦中学校へ統合)
  • 豊浦町立新富中学校(1972年)
  • 豊浦町立美和中学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉中学校(1980年)
  • 豊浦町立札文華中学校(2005年豊浦中へ統合)
  • 豊浦町立大岸中学校(2006年豊浦中へ統合)

高等学校

  北海道豊浦高等学校(2006年北海道虻田高等学校へ統合)

 

 

 

「旧豊浦町立大岸小学校鉱山分校

 

開校:1942(昭和17)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸442-2

ナビは「豊浦町いちご分校」

 

鉱山分校ではあるが山の中にあるとかではなく
畑の中にある学校だった。

この豊浦町大岸では1921(大正10)年に金鉱が発見され発掘していたが
1942(昭和17)年に閉山となった。

分校も閉山の翌年1943(昭和18)年に一度閉校となる
その後、大岸中学校が使用していたが、廃校により分校が復活する
そして2007(平成19)年に廃校となった。

 

国道37号線から道道32号線に入り、車で2~3分後に分校に着く
近くには高速道路の豊浦ICがある。

 

敷地入り口に「いちご分校」の標示がある

 

校舎は綺麗で新しく見えるが、外観自体は以前の校舎のような古い型だ
体育館でL字型になっている

これは昔からの校舎と同じで、おそらく外観は昔とそんなに変わらないのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

現在は「豊浦町地域産業連携拠点施設 いちご分校」として町の農業の発展、地域のコミュニティに一役買っている。

 

校舎まで行き、インターホンを押して撮影の許可をもらおうかと思ったら誰も出ず
また撮影中でも誰も現れなかった
可能であれば内部見学もしたかったが無理だろうなぁ。

 

ここは校庭だった。


※2024年10月17日撮影

 

ここから過去レポート

 

「旧豊浦町立礼文華中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:調査中()年

豊浦町礼文華169

ナビは「豊浦町立礼文華小学校」

 

長万部町の静狩から国道37号線で山越えに入る

豊浦町に入り、礼文華の町へ向かい右折して太平洋を目指す
ナビは集落の手前にある「礼文華小学校」
この小学校のとなりに旧礼文華中学校校舎があった。

鉄筋コンクリート2階建てでプレート付校門も健在
玄関前にある松の木だけが和風を感じさせる

 

 

昭和22年の開校当時と思われる門柱も残っていた
以前はここが正面玄関だった証だろう

 

横側にあるガラスを多用した壁が印象的
裏手には雑草だらけのグラウンドがある

 

また表に戻り体育館と用具室に使われたか小さな小屋があり学校の敷地は終わる

 

スィッチバックのようにグラウンド側を進む道路があったが時間がなく止めた。

 

このスタイルの校舎は特徴を見つけるのが中々難しいが
やはり横側にあるガラス壁が一番印象深かった。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

 

「旧豊浦町立大岸中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸116

ナビは「旧豊浦町立大岸中学校」

 

旧礼文華中学校を後にし、次の目的地である大岸の町を目指す
ナビはしっかりと海岸沿いの道を示しており、キャンプ場もある景色のよいところを走るはずだった。

ところが海沿いを走って数分で工事中のため通行止めになっていた
仕方が無くUターンし結局はまた国道37号線に戻った。

 

大岸の町も礼文華の町のように国道から右折し太平洋を目指す
ナビ通りに着いたのは校舎の裏側だった

 

 

すると、先の旧礼文華中学校と同じガラスの壁が現れる
まさか礼文華に戻ってきた?
と錯覚するほど校舎もそっくりだ

 

だがここには記念碑があった
記念碑には最後の在校生の名が彫られていた
うれしいだろうなと思いながらも、その1年前に卒業した子は残念だなとも思う

 


町の造りも中学校の校舎も礼文華と似ているなと思ったら
両校の開校は一緒だ
どちらも旧校舎を解体してコンクリート造りの校舎にしたようだが
それも同時期だったので同じ仕様にしたと考えるのが妥当かな?

 

ただ体育館に描かれた絵と、こちらには周りに民家が少ないので
閉校した今は静かすぎて怖いくらいだったのが印象に残る。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧豊浦町立豊浦高等学校」

 

開校:1950(昭和25)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町船見町123-2

ナビは「豊浦町立豊浦中学校」

 

旧豊浦高等学校の校舎は現在「豊浦中学校」が使用している

どちらも町名である「豊浦」が付いた学校なので、場所は豊浦町の中心部になるだろう

今回は夏休みということもあって道路からすぐ入れる駐車場にいれさせてもらった。

建物はやや古さを感じるが、まだまだ使用できるだろう

前の2中学校と比べて活用されている建物はやはり違う
しかも部活があるようで、物音が聞こえるとほっとする

 

現役の中学校の校舎ばかり撮っても仕方がないと思った矢先
一番奥に何かの碑を見た

行って見るとこれはまさしく「旧豊浦高等学校」のものだった

 

そうだよね 

再活用はうれしいが卒業生にしてみれば何か残してほしいものだろうね

 

2024年7月26日撮影

 

 

ここから過去訪問

 

 

「旧豊浦町立桜小学校」

開校:1896(明治29)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:調査中()年

豊浦町桜


国道285号線が97号線と交わる場所に小学校があった。

桜小学校は豊浦町で一番最初に閉校になった学校
明治29年の開校当時はこの辺も、住んでいる人が多かったのだろう。

学校は体育館が現存しており、連続する棟は旧校舎なのか増築なのかは不明だ
校舎だとしたらとても小さな学校になる。

1段高くなった場所に碑が3つ 一つが閉校の碑だが、裏面が見ずらい。

すぐ横の森が迫ってくるようだが大木があった
シンボルツリーなら旧体育館の前のがそうであろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


田上義也氏の建築探訪③

2024-10-19 20:30:12 | 田上義也氏

田上義也(たのうえ よしや、1899年(明治32年)5月5日 - 1991年(平成3年)8月17日)は、日本の建築家、音楽家。

栃木県西那須野村(現・那須塩原市)出身。本名吉也。

大正から昭和にかけて、北海道を拠点に活躍した。
若くしてフランク・ロイド・ライトの影響を受け、確かな腕を持つ棟梁の小島与市と出会った。
北海道の気候風土に根ざした、特徴的な要素を持つ洋風建築を数多く残している。

また、札幌新交響楽団の創立者でもあり、初代指揮者も兼務した。

※wikipediaより

 

続きます

 

 

「福祉センター眺湖荘」NEW
1966年(昭和41年)
洞爺湖町
ナビは「洞爺の杜」

道南旅行の途中に立ち寄った

国道230号線で洞爺湖湖畔を走ると国道沿いで湖側に建物が現存している

付近は湖に突き出た「珍小島」がある「珍小島公園」と地図上ではなっているが
実際には建物からの道は立ち入り禁止になっていた。

 

 

 

 

 

 

竣工時は玄関庇が大きかったが、簡素化されたようだ

また中央の塔のようなものは六角形の階段室で田上さんお得意の螺旋階段があるはず

誰かいたら聞くことも出来たが現在は使用されていないように見えた
ナビの登録通り現在も社会福祉法人が運営していると思う。

 

 

ツタがかなり絡んでいる

この建物は内部を見学出来たらいいねぇ

 


2024年10月17日撮影

 

※「北のまれびと」より

玄関庇が大きかった

 

 

 

 

尚、こちらで確認できるレベルでの情報では
「洞爺湖」での田上設計として

・万世橋(1965年)
・明治生命洞爺保養所(1966年)
・北海道銀行洞爺クラブ(1967年)
・北海道銀行洞爺支店(1973年)
・岩本英雄氏壮瞥別荘(1974年)

などがある(他は不明)が、すべて解体されたと推察。

このうち明治生命洞爺保養所は2000年の有珠山噴火により
地域一帯が砂防地帯となって建物は1件も無い(立ち入り禁止地域)


北海道銀行洞爺クラブ 「北のまれびと」より

 

岩本英雄壮瞥別荘 「グーグルストリートビュー2014年7月」より

 

 

「八雲町庁舎」
1961年(昭和36年)
八雲町

 

この庁舎と公民館は田上義也氏の作品である。
 
やはり長い年月の間に補修、改修があった。
もっとも顕著なのは、竣工時には屋上に小さな塔屋があった
また屋根の庇は現在は下がっているが、竣工時は逆に上に広がるデザインであった。
 
とはいえ、まだ現役で残っているうちに見れて良かった
また八雲町、町民の皆さんの建物を大事に使う気持ちが伺える。

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

「八雲町公民館」
1965年(昭和40年)
八雲町

 

庁舎ではおとなしめのデザインに見えたが公民館では田上氏の面目躍如といったところか
 
とにかくファサードが個性的で、ガクガクと八の字に広がる軒とはめ込むガラスが素晴らしい。
竣工時は素通しのガラスだったようで、現在はシートが貼られたように見える。
 
中のPタイルも、もしかしたら竣工時のかも知れない
階段も含め、何気なく見てしまう公民館だが、物色するかのごとくな見学はちょっと反省した。
 
現在は教育委員会も入っているので、益々……おとなしく静かに見学しよう……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年6月撮影
 

 

※「北のまれびと」より