札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

札幌市西区の建築探訪 87-レンガの館(再訪しました)・琴似日食倉庫コンカリーニョ・日本食品製造事務所・戸部家 88-琴似屯田兵屋・琴似屯田兵屋跡 89-琴似神社 90-三谷牧場洋館・牛舎・サイロ

2024-07-19 22:24:07 | 札幌市西区

JR琴似駅北側にある「レンガの館」を再訪問した

何度か見ていてやっと気づいたのがレンガを覆うほどのツタが無くなったこと。

ツタも印象的ではあるが、建物を占拠するかのごとくはいけない
やはり何もない方がきれいに見えるしスッキリしている
また重さもあるので建物の保存にはよくないだろう。

※2020年9月撮影

※2024年7月撮影 樹木も無くなったことがわかる

 

※2020年9月撮影


※2024年7月撮影

 

タワーマンションと歴史的建物を重ねて見れるのは
珍しいではないかね

 

2024年7月撮影

 

ここから過去記載

 

「レンガの館」 旧日本食品缶詰工場     

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和4(1929)年

指定等 札幌景観資産

開館時 一般公開はしていません

 

 

JR琴似駅の北口を出たところにあります。

この建物は昭和初期に日本で初めてスィートコーンなど野菜缶詰の工場として建てられました🥬🌽🥒

 

用途が終わった後は一時移転されましたが
隣接しているタワーマンションのコミュニティースペースとして
マンションの竣工と併せて再移築されたようです。

他には地元FM局の「三角山放送」のスタジオとして現在に至ります。

 

夏はレンガの館というよりは緑の館ですね~

下は今年2月に撮影したもの 比べて見てください

 

縦長の窓とギザギザの屋根がカッコイイ

 

 

やっぱりよく見える冬がいいかな⛄

 

高窓は明り取りでしょう
工場でこれだけの凝ったレンガ建築があるんですね

実に堂々とした姿に「都市景観重要建築物」が指定されました
注)平成20年から「札幌景観資産」に名称変更されています。

一帯が日本食品の敷地だったようですがタワーマンションなどの再開発でレンガ館以外は取り壊しになりました。

 

2020年9月、21年2月撮影

 

 

 

「琴似日食倉庫コンカリーニョ」 旧日本食品倉庫     

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和期

指定等 

*現存していません(2002年解体)

コンカリーニョは主として演劇公演が行われている劇場でNPO法人が運営しており現在も、ほぼ同地で活動をしています。

旧建物は老朽化と再開発により解体されました
現在のレンガ館の裏手(現タワーマンション)の位置にありました。
レンガ造りで高窓のある倉庫だったようです

 

 

 

「日本食品製造事務所・貸事務所」      

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和8(1933)年

指定等 

*現存していません(2003年解体)

こちらも老朽化と再開発のため解体されました
地元の人には「日食ビル」で通じるのではないでしょうか
JR琴似駅北口から日食ビルとレンガ館が並んでいたようです。


建物はアーチ型の連窓がモダンな石造りの建物に見えますね
元は馬小屋だったようです。🐎

 

 

「戸部家」      

 

所在地 西区八軒1条西1丁目

建築年 昭和3(1928)年

指定等 

*現存していません(2003年解体)

同じく再開発のため解体でしょう
取り壊し前に内部の見学会があったようですね
板張りに白枠窓が美しく、改築したかもですが玄関ドアもモダンです。

 

 

「琴似屯田兵屋」 140番佐藤家     

 

所在地 西区琴似1条7丁目 琴似神社内

建築年 明治7(1874)年

指定等 北海道指定有形文化財

開館時 無し

休館日 無し

入館料 内部の公開はしていません

 

琴似神社内に兵屋があります。

 

写真に写る記念館と塔も素敵です
残念ながら平成10(1998)年に解体されました。

 

屯田兵屋は神社敷地の一番右手奥にひっそりとありました。

もしかして琴似神社にこの建物があることを地元の人も知らないのでは?
と思わすほど静かでした。

 

 

ご覧の通り、以前は公開していたのですね
残念ではあるがこれは仕方がないでしょう。

北海道における最初の屯田兵村208戸のうちの一つだそうです
よく残っていたなぁと

村は現在の西区役所、琴似神社あたり一帯にあったようですね
区役所のそばに屯田歴史資料館があるのでいつか見に行きたいです

 

2020年9月撮影

 

 

 

「琴似屯田兵屋跡」 133番清野家     

 

所在地 西区琴似2条4丁目

建築年 明治7(1874)年

指定等 国史跡

開館時 9:00~16:00

休館日 年末年始

入館料 無料

前記と同じころの建物なんですね
こちらは北洋銀行琴似支店の裏手に見学できる施設として展示されています。

 

この建物は、入植時の第133番兵屋が建っていた場所と全く同じ場所に、昭和47(1972)年に修理・復原されたものです。

 

 

建物はご覧の通りすごく綺麗です

内部も見ることが出来るんですよ

 

 

 

器具は展示品用に一か所にしたのでしょう

番号からいって?一般の兵舎かと思います
上級の将校とかはどんな兵舎に住んでいたんでしょうね
やはり気になるから資料館に行ってみよう!

 

2020年9月撮影

 

 

 

 

「琴似神社」     

 

所在地 東区琴似1条7丁目

建築年 昭和28(1953)年

指定等 

開館時 無し

休館日 無し

入館料 無し

 

琴似神社は屯田兵村が明治7年に出来たあと大正4年に社殿が建造されました
神社の創立自体は明治8年、現在の山の手だったそうです。

 

神門、拝殿、本殿が一直線に並んでいます

 

 

 

本殿と拝殿は昭和28年に竣工しました。

この本殿の右手裏側に屯田兵屋があります

 

 

 

花手水でした🌼

 

演舞場があるんですね
神社には全然詳しくないけど珍しいのでは?

神社は地元の人たちの協力もあるしお祭りの場所でもあります⛩
そういう意味では地域地域の神社に特色があるのは当たり前かも知れません
琴似は西区の中心地、その神社ということでまさに琴似町民、西区民の奉る立派な建物と敷地でした。

 

2020年9月撮影

 

 

 

 

「三谷牧場洋館」 旧正見病院     

 

所在地 西区発寒8条13丁目

建築年 明治30(1906)年

指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選

*現存していません(2003年解体)

元は医院だったのですね🏥
解体前の写真では白地の板張りで堂々としたモダンな洋館でした。
現在は老健施設になっています。

 

「同牛舎・サイロ」 旧水島家牛舎     

 

所在地 西区発寒8条13丁目

建築年 昭和3(1928)年

指定等 さっぽろ・ふるさと文化百選

*現存していません(2018年解体)

同じ敷地内でしたが現在はありません
それでも2018年までは倉庫をリノベーションしたレストランが営業していて
ハンバーグが人気だったようです。🍴 

一度利用しようと思ったまま取り壊しになったので
後悔が残る建物でした

洋館とは違いレンガ造りのよくあるタイプの倉庫とサイロのようです
隣と向かいに大きなスーパーがあるので目にした人は多いでしょうね。

 

 

以上で西区終了です

 


札幌の建築探訪 中央区⑧ ※1軒を追加しました

2024-07-15 18:53:20 | 札幌市中央区

 

「T氏家住宅」      

 

所在地 西区八軒1条西1丁目(旧所在地)
建築年 昭和3(1928)年
指定等 なし

 

 

確か昨年の秋くらいに「北海道新聞」に掲載された個人住宅。

昔は西区八軒にあり「札幌の建築探訪」(*1998年発行 北海道新聞社)にも掲載された歴史的な住宅。

2021年時にこのブログでは「現存していません」と記しており
実際に現地には再開発後のタワーマンションなどで建物はなく
2003年解体とまで記した。

しかし建物は移築されていた。

施主が中央区へ引っ越す際に移築したようだ。

 

 

洋風の外観で玄関や窓などがとても素敵です
隣に並ぶ石倉も素晴らしい

 

2024年6月撮影


中には屋内見学をされた方もいるようなので、古建築界隈では話題になった建物。

地形的に下から見上げるしかない
まさか見ず知らずが見せてくださいとは言えないからねぇ。

 

無くなったと思った貴重な建物が現存していたとは驚きで
あまり他に例をみないことだろう。

※住所は載せません

 

 

ここから過去記載へ

久しぶりに中央区の創成イースト地区を軽く歩いてみた

まずは

「T氏宅」 大正13(1924)年建築

 

黒い下見板張りと白枠の窓が印象的
以前見た時よりきれいになっているのを見ると現施主さんの管理ぶりが伺われる

和洋折衷のとても素敵な住宅で、もはや札幌市内では貴重な建物だ。


※2024年4月撮影

 

 

「旧金石商店蔵」 明治期建築

 

これまで営業していたジュース屋さんが閉店して空き家になった
このような古い建物は使用していないと劣化が進むと思うと心配だ

※2020年9月撮影

👇

※2024年5月撮影  廃業した「リトルジュースバー」の名が薄く見える

本来の軟石と重厚なドア

石造り2階建ての重厚な蔵であるが次の活用を期待したい。

 

 

 

「&VOGUE GALLERY」 昭和期(戦前)建築 中央区南3条東2丁目

&VOGUE GALLERY (and-v.co.jp)

 

こちらは札幌の歴史に大変詳しい札幌時空逍遥様を参考に初めて行ってみた

建物の元は靴の卸屋さん「北海製靴」だったとのこと
札幌軟石を使用した建物は倉庫兼事務所だったようだ

正面から見ると縦長窓が古い建築物を思わせるが一部に石造りを見ると
さらに歴史的な建物と認知できた。

現在はレンタルスペースとして天井や柱、梁、階段など古い木材の様子が見れる。


※2024年4月撮影

 

 

 

「北陸銀行札幌支店」はすでに新ビルで営業中

昭和41(1966)年竣工 
令和3(2021)年解体

令和6(2024)年新ビル竣工

 

 

個性のあった以前とは似ても似つかない高層ビルに建て替え済
同じほくほくグループの北海道銀行も入居し、次は道銀ビルが解体される

※2021年1月撮影

👇 

※2021年4月撮影

👇

※2024年4月撮影

 

旧店舗の屋上にあった「鶴の舞」は豊平支店に移設した

 

 

 

すすきのの中小路にある㈱マルゲンビルさんの蔵を見に行く

不動産業のマルゲンビルは「第二マルゲンビル」に札幌軟石を使用
これは解体し組み換えをして軟石を再活用したそうだ ※ZEPP sapporoの向かい


※2020年8月撮影

 

その敷地づたいに通りに出る エクセルホテル東急との間に石蔵がある

屋号のある素敵な蔵だ
こちらもエクセルホテル東急の新築の際に移築したものだそうだ

 

 

 

ここから過去掲載

 

「札幌ESTA」

 

所在地:札幌市中央区北5条西2丁目
建設年:昭和53(1978)年
指定等:なし

「札幌ESTA」の閉店は8月31日 いよいよあと三か月くらいに迫ってきた。

それもあってしばらく利用していなかった2階のカフェを利用して
一部撮影をしてきた。

 

 

古い人にとってこの建物は「札幌そごう」である
昔の札幌駅を挟んで右に「札幌そごう」左に「住友生命ビル(センチュリーロイヤルホテル)」が駅の風景であった。

 

その後、そごうは閉店し核テナントとして「ビッグカメラ」が入り
地下に「エスタ食品街」、最上階10階に「らーめん共和国」、「ロフト」や
「ユニクロ」も入った。

 

外観は実に堂々としている
デパート全盛時代のデパートらしいデパートだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食品街は特に利用した覚えがあり、特に現アピアと繋がる入り口付近にあった「くるみや」のフルーツケーキは何回購入しただろうか
その後に入った「梅屋」のシュークリームは当時一番好きだった。

 

 

最近になってフルーツケーキファクトリーで買い物したり
ルピシアもそうだ
地下鉄東豊線近くの立ち食いソバは一度も利用してないなぁ

 

そごうのレストラン街ではファミレスみたいなのがあったかな
ライオンとかあったような気が?
確か、窓から西側がきれいに見える店ではなかったかなぁ

 

今となれば階段の手すりも撮りたくなる

 

 

 

そうだ「そごう」といえばこの窓

 

 


またバスターミナルがあり高速バスなどは「ESTA」ここから乗ったよ

 

それだけ思い出があるようでいて初めて知ったことも多い

 

約3辺につながるテラスは今回が初めて歩いたと思う
また通路にある模様も知らないし
天井の照明など見る由もなかった。

 

 

 

東急デパートはどうする?

 

 

 

エレベーターはこんな素敵だったのかと今頃になって発見が多いね

 

 

 

閉店後にはあっという間に解体されそうだ
同じく札幌駅の反対側で両翼を担っていた住友生命ビルも来年の6月以降に解体されるだろう
どんどんどんどん街並みが変わるのは仕方がない
建物には寿命があると思う。

 

解体後は46階建てでJRタワーより高いビルが出来るらしい
新しい札幌の顔として歴史をこれから刻んでいくのだろう

もはや老体の自分が見に行くほど興味があるビルになって欲しいし
面白い造りになっていればいいなと思う。

 

まだ閉店まで日にちがある
機会があれば、再度訪問したい。

 

 


木造校舎・廃校 赤井川村の閉校

2024-07-12 09:36:21 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート

  • 赤井川村立落合小学校常盤分校(1969年常盤小から移行、1978年閉校
  • 赤井川村立落合小学校(2001年赤井川村立都小学校へ統合)

中学校

  • 赤井川村立常盤中学校(1980年都中常盤分校となり、1986年廃校)
  • 赤井川村立赤井川中学校〈旧〉(1992年都中と統合し赤井川村立赤井川中学校〈新〉へ)
  • 赤井川村立都中学校(1992年赤井川中〈旧〉と統合し赤井川中〈新〉へ)


赤井川村は火山の噴火活動で出来たカルデラ盆地の町であり
廻りを山に囲まれた豪雪地帯である

観光ではキロロリゾートが有名で上部にある最高峰「余市岳」は
北海道内3位の標高で、札幌市南区との境界にあり最高峰を分け合っている。

 


「旧赤井川村立都小学校、中学校跡地」

 

開校:小学校:明治35(1902)年 中学校:昭和22(1947)年
閉校:中学校:平成4(1992)年
校舎:()年竣工

赤井川村都

 

現在、都小学校は別の場所に移転してきれいな校舎になっている
都中学校も当初は併置されていたが閉校した

この校舎になる前はそれぞれ独立校舎であった。

まず旧都小学校があった場所は現在「都季節保育所」が建っており
旧校舎はすでに解体された

すぐ隣にプレハブがあるが、この奥に体育館だけが再活用されて残っていた
だが、そちらも解体されている。

 

 


※赤井川村史より

 

次に旧都中学校だが、こちらも校舎はすでに解体されて
広い運動公園になっていた。

ナビは「都運動公園」

旧中学校時代の校庭やグラウンドを活用して運動公園としたのだろう
広い駐車場にトイレも設置されている


 

尚、都小学校は2026年3月で閉校することが決まった
現在の校舎はきっと何かに転用されることだろう。

 

2024年6月29日撮影

 

 

 

「旧赤井川村立赤井川中学校跡地」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成4(1992)年
校舎:()年竣工

赤井川村赤井川123

 

都中学校跡地から赤井川市内へ
少し小高くなる坂道の途中にあるのが
「赤井川村郷土資料館」

旧赤井川中学校はかつてここにあった。


現在残っている建物は「特別教室」の部分で、新たに玄関とトイレを増築したような造りだ
一部は損傷のある個所も見られるが、古い建物らしい味がある
残念ながら訪問日は閉館日だったので、いつか機会があれば見に行きたい。

本校舎は、右側の低い場所に特別教室とL字になる形で建っていた
特別教室と繋がっていて本校舎の右側が校庭だった。


※赤井川村史より

 

現在は消防関係の建物がある場所が本校舎と校庭である。

 

 

 

 

 

 

 

カルデラの町らしく廻りは山に囲まれている

 

2024年6月29日撮影

 

 

 

「旧赤井川村立落合小学校」

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:()年竣工

赤井川村落合

 

赤井川市内からキロロリゾート・小樽方面へ向けて国道393号線を走る

ナビは「川元建設㈱作業所」で現在は新幹線関係の工事事務所がある場所に
旧落合小学校があった

 


すでに解体された校舎は国道沿いに横一直線で山側に校庭がある珍しい建て方ではないか?
よく見る現存校舎は大通り側に校庭があり校舎は奥が多いように思えるが…

パッと見、学校があった証は何も見当たらないが、国道近くに石碑のようなものがあった
倒れてなのか、寝せて置いたのかは不明だが学校の碑らしきものがあった。

このような扱いはどうなのだろう
村として対策は無いのだろうかと思った。

 

 

さらによく見ると何かがあった基礎や教職員住宅のような建物(利用中)
敷地には入らずズームで鉄棒らしきものもあった。

 

 

 

2024年6月29日撮影

 

 

 

「旧赤井川村立落合小学校常盤分校」

 

開校:大正6(1917)年
閉校:昭和53(1983)年
校舎:()年竣工

赤井川村常盤

 

赤井川村最後の訪問はさらに車をキロロ方面に走らす

やがて右折でキロロへのゲートがあるので、少し過ぎてから停車
この場所に旧常盤分校があった。

 

振り返ると左にキロロへのゲートあり

 

現在は白い標識と朽ち果てそうな門が一つだけあり

 

 

 

 

その奥は草木が多すぎ何も見えない
もっとも学校を示すものはもう何も残ってはいないかもだが

 

帰途は小樽廻りで帰札した


※赤井川村史より

 


※頭には入れていたはずだが、赤井川村立常盤中学校を訪問し忘れた
場所は現、山中牧場の向かいあたりで数軒の住宅がある場所 次回に機会を見て行きたい

 

2024年6月29日撮影

 

 


木造校舎・廃校 俱知安町の閉校 ②

2024-07-07 13:54:16 | 木造校舎・廃校

俱知安町の閉校(小学校)

  • 倶知安町立大和小学校(1976年)
  • 倶知安町立峠下小学校(1976年)
  • 倶知安町立末広小学校(1980年)
  • 倶知安町立寒別小学校(1984年倶知安町立東小学校開校に伴い廃校、跡地はアトリエ兼住宅に転用)
  • 倶知安町立巽小学校(同上)
  • 倶知安町立富士見小学校(同上)
  • 倶知安町立瑞穂小学校(同上)
  • 倶知安町立八幡小学校(同上)
  • 倶知安町立比羅夫小学校(1987年俱知安町立西小学校開校に伴い廃校)

中学校

  • 倶知安町立瑞穂中学校(1979年統合により東陵中へ)
  • 倶知安町立八幡中学校(同上)
  • 倶知安町立寒別中学校(同上)
  • 倶知安町立樺山中学校(同上)
  • 倶知安町立倶知安中学校〈旧〉(2013年東陵中と統合し倶知安町立倶知安中学校〈新〉へ)
  • 倶知安町立東陵中学校(2013年倶知安中〈旧〉と統合し倶知安中〈新〉へ)

 

俱知安町の閉校巡りはほぼ終了したが、冬季に廻ったことで雪のため満足に見ることが出来なかったケースが多い

夏での状況を確認に、今回は京極から赤井川へ抜けるルート上にある閉校3校を見て来た。

 

 

「旧倶知安町立寒別小学校」

 

開校:1911(明治44)年
閉校:1984(昭和59)年
校舎:()年竣工

倶知安町寒別103

 

貴重な木造校舎とバックにある羊蹄山とが素晴らしいロケーションを作る
もう四回目の訪問になった。

校門の横にあるシンボルツリーは大きく、葉がちょっと羊蹄山や校舎にかかるのがいい

旧校舎は現在使用している工房のおかげで、当時の姿を今でも垣間見える。


羊蹄山と共にある学校は近隣町村にたくさんあり、木造校舎のままはニセコ町にもあるがニセコ連山のイメージが強い

個人的にはこの学校がベストである。

 

 

 

 

 

 

 

ニセコアンヌプリも見える

 

 

前回は2021年11月撮影

 

 

 

2024年6月29日撮影

 

 

「旧倶知安町立八幡小学校」

 

開校:1896(明治29)年
閉校:1984(昭和59)年
校舎:()年竣工

倶知安町八幡480

 

旧八幡小学校は倶知安町の教育発祥の地である

市内中心部からはやや離れているが ここも羊蹄山がそこにある感覚だろう。

前回の訪問時では雪で石碑などほとんど見れなかったが
今回の訪問ではっきり見れた。

現在は新幹線工事の事務所があり車がたくさんいる
これも工事が終わった後は、以前からの静けさになるだろう

校舎ほかすでに解体されているが、古い航空写真に唯一写っている建物があった
現在は農機具の倉庫として活用している
だから現存しているのだ

 

 


前回の訪問時はきちんと立っていたのにな

 

 

 

 

 

 

 

 

この木造建物は旧学校関係の一部と思われる

 

 

 

前回は2021年11月撮影

 

 

 

 

2024年6月29日撮影

 

 

「旧倶知安町立大和小学校」

 

開校:1913(大正2)年
閉校:1976(昭和51)年
校舎:()年竣工

倶知安町大和218

 

前回の訪問時は12月だったがさすがの豪雪地帯で
札幌とは違う世界があった。

敷地には入れず見れずで何とも不完全燃焼の訪問だったが
今回はあまりの雑草のために入る気が無くなった。

石碑は見えたが下部の「沿革」は満足に見れなかった
この状況は草木が枯れる晩秋か雪解けの春でなければ無理だろう。

学校の閉校、解体後に公園として利用されたようだが
木造の東屋?のようなものが唯一見えた がこれは閉校後に造ったものだろうね。

倶知安町の外れではあるが、やはり羊蹄山はいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回は2022年12月撮影

 

 

 

 

2024年6月29日撮影

 


後志の建築探訪 喜茂別町 倶知安町 ニセコ町 京極町 ※京極町で1軒追加しました

2024-07-04 16:51:14 | 喜茂別町 京極町 俱知安町 ニセコ町 真狩村

 

京極町の旧脇方小中学校を訪れた時に見てきまし

「日鐡礦業株式会社北海道礦業所 倶知安礦山記念碑と倉庫」 NEW

 

所在地:京極町脇方
建設年:大正?()年 

 

京極町脇方にあった鉱山は、大正8年に日本製鋼所室倶知安鉱務所が開設される
大正9年に鉱石運搬専用軌道として胆振線が布設され脇方駅が開業した。

第一次世界大戦後の不況のあおりで大正10年に一時休山し、大正14年に操業を再開している。

昭和では軍需鉱業の拡大で鉱山に増産が要請、終戦まで最盛期を迎える
昭和17年から昭和19年の戦時中では毎年50万t以上を産出、周囲には鉱山の従事者、関係者など
4,000~6,000人近くも暮らしていたらしい。

 

終戦後は生産量が激減したり大火などがあり人口は減少していく
その後、昭和44年に閉山し脇方駅も昭和45年11月1日に廃止となった
脇方小中学校も昭和45年に閉校している。

やはりヤマが閉山したら人は一気に減るものだ。

 


※地理院地図 昭和36~44年 鉱山は稼働中で写真右側から外れた場所にあった
その手前に従事者の住宅群が見える。
赤印は現在記念碑と倉庫が現存する場所
左上が「旧脇方小中学校」の校庭と校舎 鉄道が左下から大きく右折した突き当りが「脇方駅」

 

※地理院地図 昭和45~49年 閉山、廃線、閉校のころ 「最終処分場」はまだないが建物はもはやほとんど見当たらない
左上に「旧脇方小中学校」の校庭跡と校舎の一部がある 「脇方駅」跡地は2センチほど右の広い白地の場所

 

※地理院地図 現在 赤い印が記念碑と倉庫のある場所 すぐ左上の「最終処分場」以外は何も見当たらない

 

ここを進入すると、かつての鉱山施設(住宅)がたくさんあった

 

付近は、現在は記念碑と住居跡地、倉庫跡、鉄道橋脚跡などが残る
かつて数千人が暮らした住宅は全戸解体され跡地しかなく
記念碑と旧倉庫だけがそこにある。

ここもしっかりと草刈りがされていた


それにしても怖いくらいの静けさと寂しさであった。

 

 


※2024年6月29日撮影

 

 

 

ここから過去掲載

 

 

今回はニセコのホテルに行った後に珍しそうな発電所をマップで見つけたので行ってみた。

「王子製紙 尻別第一発電所」

所在地:ニセコ町曽我8
建設年:大正10(1921)年 

 

ニセコ町といえば次々に新しい建物が建っているイメージだが
この発電所へは車1台がやっとの砂利道を走ってたどりつく

橋にはがっしりと門があり関係者以外は通さない
なので撮影は対岸からだけになる

上の事務所棟だろうか真新しい赤い屋根と白い壁がまぶしい
発電施設はさすがに補修の跡が見て取れるが躯体に変化はなさそうだ

縦長の窓がレトロでお洒落に感じる
このような施設には機能重視の設計だと思うので建設当時は
普通にこのような外観の建物が建てられていたと推測する。

 

 

 

 


2022年9月撮影

 

 

 

11月の末に後志地方の羊蹄山を囲む街をぐるっと廻って来ました。

喜茂別町、京極町、倶知安町、ニセコ町、真狩村、留寿都村です。

ただ主目的は「閉校した学校のその後」なので、あまり予備知識は入れてなかったが
車で走っていても「お!」っと思わせるような建物はなかったなぁ…

学校は後にして3軒の撮影した建物を。

 

「クレードル興農(株)喜茂別工場事務所」

所在地:喜茂別町字喜茂別
建設年:昭和23(1948)年 

今年の3月に訪問した建物。
印象的な星型の大きな窓も健在でほっとした

本来は事務所を挟んで右に羊蹄山、左に尻別岳が見えるが
この時点では羊蹄山は雲の中であった。

元はホワイトアスパラガスの生産工場の事務所で
クレードルブランドで農家が独自に造った工場である 現在も現役でクレードル興農に社名を変更し事務所として使われている。
喜茂別町役場の隣ではあるが企業の敷地内にあるので平日の見学は避けたほうが良さそうだ
それでも工場には近寄ったりしないこと。

 

 

「旧寒別郵便局」

所在地:倶知安町字寒別
建設年:()年 

他の方のネット情報を参考にさせてもらった
目印は寒別駐在所の真向かいである

構造の違う住宅3軒が繋がっているように見える
グーグルマップでは「東部地域会館」の表示があり以前は会館として利用されたかも知れない
現在は立派な会館が駐在所の隣にあり倶知安町のHPでも記載されている。

郵便ポストはその名残りか
並び3軒に人が住んでいる気配はなかった。

 

 

「斜めの家(通称)」


所在地:ニセコ町
建設年:昭和47(1972)年
設 計:倉本龍彦氏

数年前から存在は知っていて、初めて見たときは目の錯覚かと思った
まさかそんなに前から建っているものとは…

設計の倉本氏は、この家を「ばあちゃん家」と名付けている
それは「たくちゃん家」と、ご子息の名前を名付けた月寒の家にも表れている
(現カフェ「珈琲館」)

たくちゃんから見た氏の母親がばあちゃんになるわけだ。

内部も外部もリフォームされたようだ

以前は氏自ら見学会を開いたこともある。

このような家を考えたのはいくつかの理由があるが
「目立ちたいから(笑)」とインタビュー記事にあったと思う
まだ20代の倉本氏にとってはそれが一番の設計動機ではないか

こちらの図面はフランスのポンピドーセンターに保存されている。

2021年11月28日撮影