紹介の順番は北海道新聞社発行の「道東の建築探訪」(2007年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあります。
遠軽町は2005年の合併で生田原町、丸瀬布町、白滝村と統合した。
町村として全国(北方領土を除く)で足寄町についで2番目に広い面積を持つ町となった
特に閉校巡りでは広大な土地のため1回の旅行では網羅するのは難しい。
「日本キリスト教会遠軽教会」 *道東の建築探訪NO9

所在地 遠軽町大通南2丁目5-12
建築年 昭和6(1931)年
指定等 なし
ナビ「日本キリスト教会遠軽教会」 ※2025年3月29日撮影
前の教会堂が焼失し、昭和6年に再建された現在の教会堂は北の王鉱山や家庭学校など遠軽にもゆかりのある建築家 「田上義也氏」が昭和2年に設計した札幌北1条教会を模して設計されたとある。
どおりで正面から見た姿が似ている部分が多い
教会建築の様式はわからないが教会すべてが同じ形ではないだろう。
綺麗に再塗装されたような姿は国道上からはっきりと見え
運転中でも思わず見とれてしまいそうな建物だ。





「北海道家庭学校礼拝堂」 *道東の建築探訪NO10

所在地 遠軽町字留岡
建築年 大正8(1919)年
指定等 北海道指定有形文化財
ナビ「北海道家庭学校」 ※2025年3月29日撮影
※旧北海道社名淵家庭礼拝堂
訪問日は雪がまだあり、教会の廻りもたくさんの残雪がある状態での見学になった。
手前で車を降りて少しの歩きで礼拝堂まで。
道は学校の方々が付けたと思うが、人一人歩く分の除雪がなされていた。
黒色に輝く礼拝堂は晴天と雪と相まって素敵なコントラストであった
この時期に見るのも悪くない 改めてそう思った。
内部見学等は次の機会があればまた季節を変えて観たいものだ。
※敷地内への入場許可をとっています






北海道家庭学校は大正3(1914)年、留岡幸助氏によって設立された、「感化院」である(現在は児童自立支援施設)。
そのシンボルがこの礼拝堂で、設立5年後に竣工、完成まで四年を費やしたとの記録がある。
ラテン十字形(四本の長さが等しい十字)の平面、大屋根上の小尖塔、木地を露わした内外壁や床・天井など、簡素な意匠となっているようだが、今回は内部見学はあえてしなかった。
設計は、北見のピアソン記念館と同じくヴォーリズではないかと考えられるとあるがどうか
「青山商店、同蔵」 *道東の建築探訪NO11

所在地 遠軽町大通南3丁目2-8
建築年 大正15(1926)年
指定等 なし
ナビ「㈱青山商店」 ※2025年3月29日撮影
日本キリスト教会遠軽教会と同様に国道沿いにあり
そのレンガ造りは人目を引く。
青山商店の元は農作物の問屋業で戦後は製材業を営んだ店舗
その林業関係で財を成したようだ。
屋号の「〇に大」は今でもくっきりと見える
両脇にうだつがあるのも今や珍しく、これだけでも観る価値があるはずだ。
また裏に廻るとやはりレンガ造りの倉庫があり
こちらも周りにいい味を醸し出している


白地はタイルだ



こちらが少し離れた場所にある倉庫



「旧中澤家住宅」 *道東の建築探訪NO12

所在地 遠軽町瀬戸瀬
建築年 昭和26(1951)年
指定等 なし
ナビ「未記載」 ※2025年3月29日撮影
ストリートビューでは見れない場所にあるため
事前に建物の場所を探すのに時間がかかった。
ここも残雪はあるが持ってきた長靴に履き替えていく
しかし3月の後半では雪も柔らかくなり、少し難儀した。
だが夏は雑草が生い茂りさらに苦労するだろう
まだ建物がすっきりと観れる今頃が良いと思う。
おそらく左側の洋館が住宅で、平屋部分が事務所と思われる
右側には札幌軟石の蔵もあり、古き良き時代を表している。
洋館はアーチ型の窓が印象的 以前にはあったレンガ積の煙突は撤去されている。






屋号の山に正

「北海道家庭学校 本館・寮舎・博物館・図書館・木工教室」

所在地 遠軽町留岡34
ナビ「北海道家庭学校」 ※2025年3月29日撮影
北海道の有形文化財に登録された「礼拝堂」を含め、
北海道家庭学校内には気になる建物が多い
しかし、あくまでも私有地に入ることになるので
事前電話での了承を元に見学をさせてもらった
行く予定があれば、必ず電話で許可を取ってもらいたい。
※注意点:人物(特に生徒)の撮影は厳禁。
施設の内部見学希望があればそれも許可をとること。
車で校門を通過する
右手にも気になる建物はあるが、まずは「本館」へ行き見学許可をとっていることを伝えるのが最優先。


「本館」 昭和34(1959)年建築 設計:田上義也氏
本館(事務所、校舎)は田上義也氏の設計である
設計依頼の経緯は未確認だが、他にもう1棟氏の設計した建築物がある。
学校建築であるが、氏らしい個性を感じる
建物に対し車寄せが重厚に見えるのが面白い
入館はしたが、内部撮影の許可はとっておらず掲載無し。

十字架を表した窓が印象的 校舎はL字型になっている



「寮舎 桂林寮(現博物館)」 昭和38(1963)年建築 設計:田上義也氏

こちらも田上作品との記載があったので行ってみた
現在は博物館として使用しているらしい



「旧博物館」 建築年不明

木造下見板張り、白枠の玄関、窓、赤い屋根など かわいらしい建物。

「図書館」 大正12(1923)年建築

RC造りで外観に特徴が 貴重な蔵書があるらしい


「木工教室」 建築年不明

結構古い建物のようだ 補修はされているように見える

「JR遠軽駅舎」

所在地 遠軽町
建築年 昭和7(1932)年
指定等 なし
ナビ「JR遠軽駅」 ※2025年3月29日撮影
駅舎前に車を停めて見上げた時にお年寄りは大変だなと思った。
しかし駅舎として見ると実に堂々とした佇まいがある
住民の足として、様々な貨物を運ぶ鉄道の駅は一段上に合っても良いのではと・・・
補修をし、駅標示を新しくしたりしているが基本的にファサードは変わっていないように思える。
今回オホーツクの旅では網走市でも印象的な2駅舎を見た
これが続くと駅舎を観る旅も増えてしまい、収拾がつかなくなりそうだ。


この立ち食いそばが4/25から復活したと最近のニュースで見た。


古い駅名看板も活用している


遠軽駅で有名なのはスィッチバック((折り返し)式の駅だ
二つの線路の合流点として遠軽駅が分岐点になったからだ。
確かに数十年前に一度だけ特急でこの駅に停車したあと
向きを変えて発車したのを何となく覚えている。
このとき、乗客が一斉に座席を180度回転させるのも遠軽駅の風物詩だそうだ。