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札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 遠軽町の閉校

2025-05-02 15:01:44 | オホーツク地区

遠軽町の閉校  ※赤字は今回レポート

「小学校」

遠軽町

  • 遠軽町立社名渕小学校(2006年閉校)
  • 遠軽町立支湧別小学校(2011年閉校)
  • 遠軽町立瀬戸瀬小学校(2021年遠軽町立南小学校へ統合)

遠軽町〈旧〉(2005年廃止)

 

「中学校」

遠軽町〈旧〉(2005年・遠軽町を新設)

  • 遠軽町立下社名渕中学校(1961年)
  • 遠軽町立社名渕中学校(1981年瀬戸瀬中と統合し遠軽町立南中学校へ)
  • 遠軽町立瀬戸瀬中学校(1981年社名渕中と統合し南中へ)

 

 

遠軽町は付近の町村と合併し広大な面積を持つ町となったが
ここでは旧遠軽町内だけにし、旧生田原町、旧丸瀬布町、旧白滝村は別枠にします。

今回の旅行では最後の閉校訪問になった
予定では白滝村の2校も行く予定であったが、予想以上の積雪にまたの機会にした。

 

 

「旧遠軽町立下社名渕小学校」

 

開校:大正9(1919)年
閉校:昭和59(1984)年
校舎:(確認中)年竣工

遠軽町留岡

ナビ「なし」 ※2025年3月29日撮影

 

「北海道家庭学校」を後にし、道道137号線「遠軽雄武線」を西南に社名渕の市街地方面に車を走らす

少しの距離で右側にポツンと建物を見る
進入し、空きスペースに駐車する。

建物には「留岡公民館」とあるがナビではヒットしなかった。

すでに左奥に校舎が見える
だが木々越しで良く見えない

長靴に履き替えて近くまで寄るが状況は同じ
また雪が緩く長靴が埋まってしまう。


今回は諦めてそこにある閉校記念碑を撮影した
ここも容易に進めず、また雪が降ってきたため中途半端な撮影になってしまった。

 

しかしそこに貴重な木造校舎が現存していた
大き目の入口は生徒用玄関なのか体育館かは未確認で
本来の小学校の生徒玄関はもっと左端にあるはず。

また併置されていた中学校のほうの校舎かも知れない
ただ夏は雑草の凄さがうかがえそうな敷地であった。

 

 

 

 

 

 

校舎までのルートははっきりしていたが・・・

 

 

 

 

 


遠軽町の建築探訪

2025-05-01 18:31:26 | オホーツク地区

紹介の順番は北海道新聞社発行の「道東の建築探訪」(2007年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあります。

遠軽町は2005年の合併で生田原町、丸瀬布町、白滝村と統合した。
町村として全国(北方領土を除く)で足寄町についで2番目に広い面積を持つ町となった
特に閉校巡りでは広大な土地のため1回の旅行では網羅するのは難しい

 

「日本キリスト教会遠軽教会」 *道東の建築探訪NO9

所在地 遠軽町大通南2丁目5-12
建築年 昭和6(1931)年
指定等 なし

ナビ「日本キリスト教会遠軽教会」 ※2025年3月29日撮影

 

前の教会堂が焼失し、昭和6年に再建された現在の教会堂は北の王鉱山や家庭学校など遠軽にもゆかりのある建築家 「田上義也氏」が昭和2年に設計した札幌北1条教会を模して設計されたとある。

どおりで正面から見た姿が似ている部分が多い
教会建築の様式はわからないが教会すべてが同じ形ではないだろう。

綺麗に再塗装されたような姿は国道上からはっきりと見え
運転中でも思わず見とれてしまいそうな建物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「北海道家庭学校礼拝堂」 *道東の建築探訪NO10

所在地 遠軽町字留岡
建築年 大正8(1919)年
指定等 北海道指定有形文化財

ナビ「北海道家庭学校」 ※2025年3月29日撮影

※旧北海道社名淵家庭礼拝堂

 

訪問日は雪がまだあり、教会の廻りもたくさんの残雪がある状態での見学になった。

手前で車を降りて少しの歩きで礼拝堂まで。

道は学校の方々が付けたと思うが、人一人歩く分の除雪がなされていた。

黒色に輝く礼拝堂は晴天と雪と相まって素敵なコントラストであった
この時期に見るのも悪くない 改めてそう思った。

内部見学等は次の機会があればまた季節を変えて観たいものだ。


※敷地内への入場許可をとっています

 

 

 

 

 

 

北海道家庭学校は大正3(1914)年、留岡幸助氏によって設立された、「感化院」である(現在は児童自立支援施設)。
そのシンボルがこの礼拝堂で、設立5年後に竣工、完成まで四年を費やしたとの記録がある。

ラテン十字形(四本の長さが等しい十字)の平面、大屋根上の小尖塔、木地を露わした内外壁や床・天井など、簡素な意匠となっているようだが、今回は内部見学はあえてしなかった。

設計は、北見のピアソン記念館と同じくヴォーリズではないかと考えられるとあるがどうか

 

 

 

「青山商店、同蔵」 *道東の建築探訪NO11

所在地 遠軽町大通南3丁目2-8
建築年 大正15(1926)年
指定等 なし

ナビ「㈱青山商店」 ※2025年3月29日撮影

 

日本キリスト教会遠軽教会と同様に国道沿いにあり
そのレンガ造りは人目を引く。

青山商店の元は農作物の問屋業で戦後は製材業を営んだ店舗
その林業関係で財を成したようだ。

屋号の「〇に大」は今でもくっきりと見える
両脇にうだつがあるのも今や珍しく、これだけでも観る価値があるはずだ。

また裏に廻るとやはりレンガ造りの倉庫があり
こちらも周りにいい味を醸し出している

 

 

白地はタイルだ

 

 

 

 

こちらが少し離れた場所にある倉庫

 

 

 

 

 

「旧中澤家住宅」 *道東の建築探訪NO12

所在地 遠軽町瀬戸瀬
建築年 昭和26(1951)年
指定等 なし

ナビ「未記載」 ※2025年3月29日撮影

 

ストリートビューでは見れない場所にあるため
事前に建物の場所を探すのに時間がかかった。

ここも残雪はあるが持ってきた長靴に履き替えていく
しかし3月の後半では雪も柔らかくなり、少し難儀した。

だが夏は雑草が生い茂りさらに苦労するだろう
まだ建物がすっきりと観れる今頃が良いと思う。

 

おそらく左側の洋館が住宅で、平屋部分が事務所と思われる
右側には札幌軟石の蔵もあり、古き良き時代を表している。

洋館はアーチ型の窓が印象的 以前にはあったレンガ積の煙突は撤去されている。

 

 

 

 

 

 

屋号の山に正

 

 

 

「北海道家庭学校 本館・寮舎・博物館・図書館・木工教室」 

所在地 遠軽町留岡34
 

ナビ「北海道家庭学校」 ※2025年3月29日撮影


北海道の有形文化財に登録された「礼拝堂」を含め、
北海道家庭学校内には気になる建物が多い

しかし、あくまでも私有地に入ることになるので
事前電話での了承を元に見学をさせてもらった
行く予定があれば、必ず電話で許可を取ってもらいたい。

※注意点:人物(特に生徒)の撮影は厳禁。
     施設の内部見学希望があればそれも許可をとること。

 

車で校門を通過する
右手にも気になる建物はあるが、まずは「本館」へ行き見学許可をとっていることを伝えるのが最優先。

 

 

 


「本館」 昭和34(1959)年建築 設計:田上義也氏

本館(事務所、校舎)は田上義也氏の設計である
設計依頼の経緯は未確認だが、他にもう1棟氏の設計した建築物がある。

学校建築であるが、氏らしい個性を感じる
建物に対し車寄せが重厚に見えるのが面白い

入館はしたが、内部撮影の許可はとっておらず掲載無し。

 

十字架を表した窓が印象的 校舎はL字型になっている

 

 

 

 

「寮舎 桂林寮(現博物館)」 昭和38(1963)年建築 設計:田上義也氏

こちらも田上作品との記載があったので行ってみた

現在は博物館として使用しているらしい

 

 

 

 

「旧博物館」 建築年不明

木造下見板張り、白枠の玄関、窓、赤い屋根など かわいらしい建物。

 

 

「図書館」  大正12(1923)年建築  

RC造りで外観に特徴が 貴重な蔵書があるらしい

 

 

「木工教室」  建築年不明

結構古い建物のようだ 補修はされているように見える

 

 

 

「JR遠軽駅舎」 

所在地 遠軽町
建築年 昭和7(1932)年
指定等 なし

ナビ「JR遠軽駅」 ※2025年3月29日撮影

 

駅舎前に車を停めて見上げた時にお年寄りは大変だなと思った。

しかし駅舎として見ると実に堂々とした佇まいがある
住民の足として、様々な貨物を運ぶ鉄道の駅は一段上に合っても良いのではと・・・

補修をし、駅標示を新しくしたりしているが基本的にファサードは変わっていないように思える。

今回オホーツクの旅では網走市でも印象的な2駅舎を見た
これが続くと駅舎を観る旅も増えてしまい、収拾がつかなくなりそうだ。

 

 

この立ち食いそばが4/25から復活したと最近のニュースで見た。

 

古い駅名看板も活用している

 

遠軽駅で有名なのはスィッチバック((折り返し)式の駅だ
二つの線路の合流点として遠軽駅が分岐点になったからだ。

確かに数十年前に一度だけ特急でこの駅に停車したあと
向きを変えて発車したのを何となく覚えている。

このとき、乗客が一斉に座席を180度回転させるのも遠軽駅の風物詩だそうだ。

 


旧上湧別町の建築探訪

2025-04-28 17:52:32 | オホーツク地区

紹介の順番は北海道新聞社発行の「道東の建築探訪」(2007年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあります。

旧上湧別町では本の掲載が2軒あったが、1軒は「れんが住宅・倉庫群」で行程より少し外れており今回はカットした。


ちなみに上湧別は2009年10月に湧別町と合併し、「湧別町」となった
これ以降、北海道地方では市町村合併が行なわれていないため、上湧別町は北海道で最後に消えた自治体と現在なっている。

 

 

「旧熊沢商店・住宅」 *道東の建築探訪NO27

所在地 湧別町上湧別屯田市街地303-1
建築年 大正期~昭和12年
指定等 なし

ナビ「アオトプラス」 ※2025年3月29日撮影

 

 

上湧別の国道242号線沿いに、いかにも歴史のありそうな建物が並ぶ

北側は2階建ての大きな建物で、1階は製品庫、2階は居住区だったようだ
石造りに見える外壁は木造モルタル造りでアーチの部分などにレンガが使用されている。

平屋の事務所棟が間にあって、南側には洋風の旧ゲストハウスがある
これは当時の上湧別に充分な接客施設がなかったので
熊沢氏(熊沢産業)が接待用に建てたもの。


熊沢産業は愛知県から移住し味噌・醤油醸造、木材業などを興した熊沢氏が創業した。

 

現在は「アオトプラス㈱」が取得しオホーツク工場として
紙製クリアファイル(エコファイル)、紙スプーン、紙マドラー、紙おしぼり、箸袋などを製作している。

 

石造りに見えるが木造モルタルとレンガを使用だそうです

 

 

 

 

 

ゲストハウス

 

 

レンガの煙突は醸造工場のころの名残 大正期に造られたものだろう
左側に縁側付きの離れがあるが、このままでは屋根が落ちそうだ。

当時はここから見る庭も見事なものだったろうに

桟がお洒落だね

 

 

 

 

スクラッチタイルも剥げ落ちている
この建物は・・・今回見に行けて大正解なのだろう。

 


木造校舎・廃校 美幌町の閉校

2025-04-27 18:24:02 | 木造校舎・廃校

美幌町の閉校  ※赤字は今回レポート

「小学校」

  • 美幌町立高野小学校(1964年美幌町立東陽小学校へ統合)
  • 美幌町立駒生小学校(1975年美幌町立美幌小学校へ統合)
  • 美幌町立栄森小学校(1985年美幌小へ統合)
  • 美幌町立登栄小学校(1985年美幌小へ統合)
  • 美幌町立豊岡小学校(1989年東陽小へ統合)
  • 美幌町立古梅小学校(1990年美幌町立旭小学校へ統合)
  • 美幌町立都橋小学校(1991年旭小へ統合)
  • 美幌町立日並小学校(1992年東陽小へ統合)
  • 美幌町立報徳小学校(2001年東陽小へ統合)
  • 美幌町立田中小学校(同上)
  • 美幌町立上美幌小学校(2007年美幌小へ統合)
  • 美幌町立福豊小学校(2014年旭小へ統合)

「中学校」

  • 美幌町立高野中学校(1962年美幌町立北中学校へ統合)
  • 美幌町立駒生中学校(1962年)
  • 美幌町立田中中学校(1966年北中へ統合)
  • 美幌町立古梅中学校(1966年)
  • 美幌町立登栄中学校(1967年)
  • 美幌町立上美幌中学校(1967年)

 

美幌町へは他にユースホステル1件の見学のみで終わった
行程的にやむを得ず、出来れば美幌峠など景勝地も見学したかったが
来年また来たいと思う。

 

「旧美幌町立豊岡小学校」

開校:大正8(1919)年
閉校:平成元(1989)年
校舎:(確認中)年竣工

美幌町豊岡278-2

ナビ「美幌町役場 豊岡自治会館」 ※2025年3月28日撮影

 

道道122号線を豊岡神社方向に入る道があるので進む。

すぐにいかにも学校だったのだろうと思わせる建物が見える
これが豊岡自治会館で旧豊岡小学校だった。

閉校が平成元年なので、年数が経っているとはいえまだ新しいほうだ。

校舎はモルタル塗りのようだが木造かどうかは不明
自治会館なので入場しても良かったのだが、敷地が泥地で
車での進入を躊躇した。

概ね校門あたりからの撮影になってしまった
校門にはプレートあり
閉校記念碑もしっかりしているが残雪のため近寄らず
また教職員住宅と思われる建物も健在であった。

現在の会館は体育館と思われる部分のほうが大きく、教室棟は一部だけ現存と思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


木造校舎・廃校 旧女満別町の閉校

2025-04-26 21:57:26 | 木造校舎・廃校

旧女満別町の閉校  ※赤字は今回レポート

「小学校」

大空町

女満別町(2006年廃止)

  • 女満別町立女満別小学校〈旧〉(1964年新設の女満別小へ統合)
  • 女満別町立本郷小学校(同上)
  • 女満別町立大東小学校(同上)
  • 女満別町立湖南小学校(同上)
  • 女満別町立朝日小学校(1967年女満別小へ統合)
  • 女満別町立日進小学校(1976年閉校)
  • 女満別町立開陽小学校(1996年女満別小へ統合)
  • 女満別町立大成小学校(2002年女満別小へ統合)

「中学校」

女満別町(2006年・大空町を新設)

  • 女満別町立女満別中学校〈旧〉(1971年統合により大空町立女満別中学校〈当時:女満別町立〉へ)
  • 女満別町立大成中学校(1971年女満別中大成分教室となり、1973年完全統合)
  • 女満別町立開陽中学校(1971年女満別中開陽分教室となり、1973年完全統合)
  • 女満別町立豊住中学校(1993年女満別中へ統合)

 

 

旧女満別町は農業の街であるが
年間利用者数100万人を超える 女満別空港を擁するため
オホーツク地区への空の玄関口である

2006年3月31日東藻琴村と合併し、大空町となった。

 

 

「旧女満別町立朝日小学校」

 

開校:大正3(1914)年
閉校:昭和42(1967)年
校舎:昭和37(1962)年竣工

大空町女満別町朝日338

ナビ「女満別町立朝日小学校跡」 ※2025年3月28日撮影

 

今回の旅行行程の中で一番雨が強く寒い時に到着した
残念ながら車内から撮影、見学したものが多くなった。

当初は公民館が学校関係の建物かと思ったが違い、農業倉庫のように見えた建物が旧校舎であった。

よく見ると玄関の上に校章もある
これはよくそのままにしてくれたと喜ぶ。

かつては閉校後も校舎の右隣に体育館も現存していたが今はもうない
何といっても閉校から50年以上経っているのだ。

 

 

 

 

校舎は木造モルタル塗りだろう

 

 

 

 

 

「旧女満別町立女満別中学校旧校舎」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:現役校
校舎:昭和26~32年竣工

大空町女満別眺湖台3丁目3

ナビ「女満別中学校旧校舎」 ※2025年3月28日撮影

 

学校自体は別の場所に現役で存在しているので、この旧校舎の事は知らなかった。

旅行前にグーグルマップを眺めていると名前に目が留まる
念のためストリートビューで見てみると校舎の姿は見えず
しかし衛星写真では大きな校舎が写っていた。

半信半疑で車で進入すると屋根が倒壊し始めている木造校舎が見えてきた
かつての正面入口前に着くと大きな立入禁止の看板がある
そのため同じ場所からしか撮影をしなかった。

 

 

横一列に長い校舎の中央に玄関があり、その周りの意匠がお洒落に感じる。

この裏側にも校舎や体育館はあるが、そこまで行くのは止めた。

 

 

 

 

 

 

 

平成4年の統合、新校舎完成まで利用
その後、民間企業が活用し現在は未利用のようだ

素敵な入口だが、このままでは倒壊が続く。